4-147 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ⑬




 『宗教は死の受容のためにある』と言ったのは橙だっただろうか。もしかしたらその弟子の灰だったかもしれない。いずれにせよ、オルヴァは老人の時間に意識を向けると、いつもその言葉を思い出す。

 じっさい、典型的な宗教はそのような機能を有していることが多い。

 本人の死だけではない。

 理不尽な運命による死が自分の身の回りに降りかかるとき、人は自らの死を予感する。共感と予測、似たものが引かれあう法則に従って、死と死が呼応するのだ。


 ある学者の分析によれば、カシュラム人たちのありふれた終末思想は死という不可避の滅びを受け入れるための祭儀であるという。

 『ブレイスヴァ』と恐れながら唱えるのは祈りの言葉。

 『カシュラム人とマシュラム人』と境界を引くのも典型的だが、洗礼や入信の儀式などは無く、『暗黙裏の理解』が重視されるのがやや珍しい。

 『カシュラム人的な振る舞い』は『共同体内部での目配せ』だ。

 

 馬鹿にされているとは思わなかった。

 事実そのように見えており、そう機能しているのならば、それは『そういうこと』なのだろう。だがそれは『説明』でしかない。

 千の言葉と万の論理を並べても、そこに死が存在しないように。

 畏れもまた、光の中にのみ現れる。


 遠い日、ルバーブとこんな話をしたこともあった。

 カシュラム人の中で最も賢明であり誰よりも先を見通すことができるお前には、恐れるものなどないのではないか。本当に全てを見透かしているのなら、死を知り、死の先まで見えているはず。ならば既に死を受け入れているのでは?

 オルヴァはその言葉に呆れながらこう返した。


「馬鹿な。ルバーブ、お前は人を見る目があるようで無いな。私は恐れているよ、誰よりも。孤独な生とその終焉を、私ほど恐れている者もいないだろう」


 ――だからこそ滅びを求め、全身全霊で愛するのだ。


 そうしなければ、臆した心は麻痺したまま死んでいくことだろう。

 魂を翻弄する生と死の残酷。

 人が思慮深く生きるのに、心はやわらかすぎて、時は無常に過ぎる。

 心を制御するための手段が必要だった。

 それは必然的に生まれなくてはならないものだった。

 だから人は祈るのだ。

 形は違えど、生きていくためには祈りが要る。

 オルヴァの信仰が揺れたのは、だからたったの二度だけ。


 地母神が統べる森で、古い信仰に出会った時。

 そして、異界からもたらされた『折れずに生きるための方法論』が再演を通じて彼の肉体に刻み込まれた時。それは紛れもなく新しい形の宗教だった。

 時代が移り変わっても、それは生き続ける。

 古い神話と新しい神話。二つが巡り会い、巨大なうねりを作り上げていく――そんな光景を、オルヴァの瞳は幻視した。

 この先を見てみたい――そう思ったのだ。





「はぁ~安らぎ~このために生まれてきた~」


 品森晶が、だらしなく顔を緩めてレオを抱き締めていた。

 左右の義肢が三角耳をひたすら撫でさすり、喉に触れたり頬を擦り付けたり匂いを嗅いだりとまるで変質者である。


「かわいいいいい!! レオくんかわいいかわいいかわいい~」


 レオは恥ずかしそうに小さくなって、「あ、あの、やめ――」と消えそうな声で抵抗の意思を示そうとしているが、『大蛇おろち』というコードを与えられた黒髪の魔女は効く耳をもたない。少し離れた場所でラズリが不服そうに言った。


「むう、いくらアキラ様と言えどこれではカーイン様が――うーんこの場合わたくしはどうすればいいのでしょう、ああ、パーシーイー様!」


 天を仰いで悶える夜の民。顔を隠す薄いヴェールが激しく揺れた。

 首を傾げながらそれを見ていたミルーニャだったが、唐突に晶が近寄ってきたことで気を逸らされる。正確には、黒髪の女は隣のリーナに、そしてその肩に乗っているセリアック=ニアに近づいてきたのだ。解放されたレオが目を回して倒れると、何故か無理をして出てきているナーグストールに支えられた。


「じー」


「あの~シナモリ氏? でいいの? どうかしました?」


 じっと小さな猫姫を見つめる女と、困惑するリーナ。

 セリアック=ニアは警戒を露わにしている。

 ミルーニャは目の前の相手がリールエルバやトリシューラに先んじて製造計画が立てられた『零号』だと知ってはいたが、お互いに顔を知っている程度の間柄だ。どういうパーソナリティを有しているのかはわからない。

 晶は両手をセリアック=ニアに伸ばす。

 突然のことで誰も反応できなかった。

 抗議する間もなく、義肢が小さな体を奪って、女の顔に引き寄せていった。

 それから蕩けた声で言う。


「ちびにゃんこ~かわいいかわいいちっちゃくて超絶かわいい~」


「にあーっ?!」


 奇声と悲鳴。そして頬ずり。小さなセリアック=ニアが晶のやわらかそうな頬に埋まる。自分よりも圧倒的に巨大な存在に好き勝手に可愛がられて、猫姫は恐怖と警戒で暴れ出す。だが義肢の力は強く、逃げ出すことは適わない。


「ちょっと、乱暴はやめて! 嫌がってるよ!」


 珍しくリーナが眉を吊り上げて晶に抗議した。

 彼女も親友をよく猫かわいがりするが、あくまで信頼と合意があってこそのじゃれ合いだった。こんなふうに相手のことを考えずにべたべたするのは論外である。ミルーニャも不快感を覚えていた。この手の距離感が壊れた相手や媚びたぶりっ子、澄まし顔のエリートや底抜けのお人よしなど、彼女には嫌いなタイプが多い。どうにか晶の魔の手から逃げ出してリーナの胸の中に飛び込んだセリアック=ニアは涙目になりながら威嚇する。


「ふしゃああああ! こわい! しなもりあきら、きらい!!」


 その言葉に傷ついたようにたじろぐ晶。

 悄然と項垂れて、とぼとぼ立ち去っていく。

 ちなみにそうこうしているうちに『鵺』や『絡新婦』たちはトリシューラの操作するドローンに誘導されてどこかに向かっていった。捕獲されたアルマに心酔する『大入道』もまたグレンデルヒがアルマごと捕獲して連れ去っていったが、あとはあちらでなんとかするのだろう。ミルーニャには関わりのないことである。

 ――と、先ほどまでならばそう思っていた所だったのだが。


 先ほどの異様な一幕を収めてみせたレオという猫耳の少年、異なる文化圏出身ゆえか見慣れぬ服装の夜の民、それからシナモリアキラたち――気になることは沢山ある。それこそ無視できない量と濃度で。とりわけ、あの『鵺』と『絡新婦』――あれらはミルーニャの推測が正しければそれぞれ魔将と関わりがある存在だ。かつて地上で戦った恐るべき魔将たちを思い出す。このまま『呪文の座』が第五階層、そして地獄でライブを行うのならば、いずれぶつかる可能性もある相手だ。


「一度、トリシューラと情報交換しておいた方がよさそうですね」


 小さく呟くと、ミルーニャは仲間を連れてその場を立ち去ることにした。

 去り際、晶がブルドッグの虹犬ヴァルレメスを抱き締めて、


「はーブルドッグブサカワ~耳~ほっぺ~かわかわ~」


「ちょ、な、お、おいおい何しやがんだちょっと待て」


 と慌てさせているのが見えた。ただのかわいいもの好きのようだ。

 ミルーニャは嘆息して、それきり『アキラ姫』への興味を失った。




 ひとまず戦うことを止めたシナモリアキラたち。

 彼らを順番にトリシューラが待つ院長室に護送していく『マレブランケ』。

 一仕事を終えて、蠍尾マラコーダ銃士カルカブリーナは繋がったばかりの首を押さえながら二人で雑談を交わしていた。


「今更だけど、斬られたのが首でよかったわね。修復が効くこと効くこと。陛下や道化アルレッキーノの文脈操作のおかげかしら」


 毎朝念入りにセットしている髪が崩れてしまったのをしきりに気にしながら、蠍尾マラコーダが言った。

 院長室の前で警備と称した待機命令を下されている二人。

 トリシューラの秘密主義は今に始まったことではないが、ひと癖もふた癖もあるシナモリアキラたちを一体彼女がどうするつもりなのか、二人には想像することしかできなかった。


「てか、本当に大丈夫なんですかね、あれ」


 銃士カルカブリーナは頭のゴーグル型端末の位置を直しつつ、扉の奥に警戒の視線を向けた。小銃を保持したまま銃口を上に向けており、いつでも戦闘態勢に移行できる構えだ。

 警戒心も露わな相方の様子に『マレブランケ』のリーダーは、


「あら、レオちゃんの呪文は本物よ? ま、心配なのはわかるけどね」


 と安心させるように言った。しかし青年は頭を振って否定する。


「俺が言ってんのは『絡新婦』じゃなくて、『大入道』とアルマさんの方です」


 その表情は険しい。どちらかといえば恐れの色が強く見られた。

 実際、『大入道』がどのような思考のプロセスを辿っておとなしくなったのかはよくわかっていない。加えて、槍神教徒という背景も厄介だ。


「よりにもよってあの組み合わせですよ? この状況下でこっちに引き込もうってのは、陛下もクソ度胸っつーか恐れ知らずっつーか」


「知り合い?」


 不思議そうな蠍尾マラコーダ銃士カルカブリーナは頷いた。


「『守護の九槍』の元一位と元五位なんですよ、あの二人。一位に関しては前世だけじゃなくて現世でも。冬の魔女と出会ってからは『松明の騎士団』を抜けて、総団長は弟のソルダが代行するようになっていったんですが」


 ちなみにソルダとは同期でした、とさらりと重大そうな事実を明かす。

 同僚の過去に少しばかり驚く蠍尾マラコーダ


「そういえば貴方、修道騎士だったわね」


 納得した、というふうに頷いた。

 ゴーグルの青年はきまり悪そうにしながら続ける。


「ええまあ。なので教練用の映像とか聖堂に飾ってある石像やら立体絵画くらいでしか見たことないんですが、色々伝説は聞いてます」


 ――カルカブリーナ曰く。『海の勇者』率いる兵力差十倍もの大軍を蹴散らして敵軍の大将を捕縛して晒し者にした。

 捕虜にした『南東海諸島の脅威の眷属』たちを火あぶりにしたり拷問にかけたりして改宗を迫り、『海の民』という名で呪縛した。

 『無貌の民』を異端として焼き払い過ぎてチャンカルという天使をでっち上げて眷属種として保護するきっかけを作った。


「――そういえば、そんな話を聞いたことあるかも」


「ええ。たぶん一番有名なのは亜大陸の『聖絶』じゃないかと思います」


 ティリビナ人か黒檀の民がこの場にいれば決してできない話だ。『聖なる虐殺』――神のしもべたちは松明を掲げて大森林を砂漠に変えた。生まれる前のことですけど、と前置きしてはいたが、青年の表情には後ろめたさのようなものが感じられた。地上に生きるということ、その息苦しさを彼もまた引きずっているのだ。


「総団長に次いで一番『浄化』しまくったのが、あの『大入道』――マイカール・チャーラムだって話です」


 かすかに震える。それは恐怖か、それとも嫌悪か。

 直接の面識が無く、伝え聞いた話であるからこそ恐れは膨れ上がる。

 正確な情報を知る者はほとんどおらず、いても口をつぐんでいるのみ。

 記録は残っていないか、あっても改竄されたものばかり。

 噂が膨らませていく曖昧模糊とした恐怖のイメージ。

 それこそ、雲をつかむような話だ。


「かなり過激な思想の持ち主で、異端や異教徒だけじゃなくて堕胎とか進化論とかも毛嫌いしてますね。杖的な思想は堕落だとか主張してて、保守どころか反動主義者みたいなノリですよ。トリシューラ陛下とは水と油です」


 それも噂だが、第五階層に現れてからの言動はトリシューラによって監視されている。その幻像データを閲覧した限り、伝聞と乖離した言動は見られなかった。


「あー、あと、センパイは近寄らないほうがいいかもですね」


「あら、やっぱり理解が無い方?」


「です。その辺の微妙なとこ、全部一括りに『異常性欲者』って呼んで――あ、いや俺がそう思ってるわけじゃないっすよ――皆殺しみたいな方針らしいんで」


 男の身体、性自認は女、マテリアル体は陽、アストラル体は陰――霊的に調和のとれた美しい心身は、着こなすために高い呪術適性が必要な衣服の負荷に完璧に耐えてみせる。服に負けることのないモデル体型だ。トリシューラに重宝される資質も、保守的な層からは忌み嫌われるものでしかない。


「俺もまあ褒められたもんじゃないですが、どんな残虐非道な男なのか――ま、容赦の無さって点では我らが女王陛下だって負けちゃいませんけどね」


 元修道騎士の青年は閉ざされた扉を見ながら面白くもなさそうに言った。

 魔女と巨人は壁一枚隔てた向こう側にいるのだ。

 どんな光景が広がっているのか、想像するだに恐ろしい。

 



 もう何人目かになる、シナモリアキラの面接。

 シナモリアキラとして採用するか否かの分かれ道。

 プロトタイプである『大蛇』=品森晶のシナモリアキラ歴はオリジナルよりも長く、『鵺』『絡新婦』の二人は結果待ちで別室待機。では、この『大入道』はどうなるか。トリシューラは体積を縮小させてなお巨体の神父を見ながら、給仕ドローンを呼び出して口を開いた。


「飲み物は何がいい? マイスに黒に、コーヒーもある。何なら水でもいいよ」


「ロクゼン茶があればそれで頼む」


 静かな言葉。落ち着き払った態度。

 敵意や憎悪は感じられない。

 とても虐殺を進んで実行した凶悪な人物には見えない、とでも言われそうな様子である。もっとも、トリシューラが抱いた感想は別だった。


 ――いかにも、って感じ。


 『大入道』の人となりについての情報は既に入手してある。

 たとえば、こんな具合に。

 甘いものが好きで、学生時代には持久翔部に所属、休日の趣味はバードウォッチング。映画は派手なアクションものやサスペンス、たまに恋愛ものなどを嗜み、読書はそういった映画の原作に手を出す程度。保守的な思想や信仰などをどこで得たのかと言えば主にアストラルネットであり、大神院が全文公開している聖典を端末で読破したのが『守護天使を決める十二歳』の直前。ネット上のコミュニティで『神学論争』をするのが昔からの日課。学生時代の成績は中の上、何度か飼っていたペットは主に鳥類で、たいてい世話に飽きて親類に押し付けてしまう。恋愛には奥手で、二回ほどできたガールフレンドとは大した進展も無く自然消滅。口うるさい両親とはそりが合わないが憎んでいるというほどでもなく、むしろ無神論者として親戚たちの鼻つまみ者になっている叔父夫婦を嫌悪していた。『空の民である』ということに強い自負を抱いており、他の人種を見下しがち。しかし同じ神を信じる者たちが異教徒によるテロに巻き込まれれば憤りもするし、同胞たちに追悼を捧げる。幸いにして知り合いが悲劇に見舞われたことこそ無かったが、罪もない市民をいたずらに傷つける邪悪が存在するという事実は彼の義憤を燃え上がらせた。修道騎士を志したのは正しい信仰を抱く善良な人々を守りたかったから。貴族としてのプライドゆえに孤児院や病院修道会などへの寄付には熱心であり、過激派の自己責任論者に襲撃された孤児たちを助け出した功績を表彰されたこともある。


 ――要するに。

 『マイカール・チャーラム』はおおむねこのような凡庸な男だった。

 そして、『松明の騎士団』に所属する修道騎士たちとはこのような正義を信じて戦い、家ではごく普通の休日を過ごして日々を生きている。

 なぜ虐殺を行ったのかと問われれば、虐げられている人々を守るためと答えるだろう。マイカール・チャーラムもそうだ。『守護の九槍』に選ばれ、総団長の下で槍を振るうようになったのちも、その正しさを信じながら戦い続けてきた。

 そして、ある時ふと『付いていけなくなった』――何に?

 強いて言えば、優しさや正しさに。そのための戦いに。

 劇的な出来事があったわけではない。

 本当にふとした瞬間、それは競技中にペース配分を間違って失速してしまうかのごとく――正しさを信じるための体力が尽きたのだ。

 言ってしまえば疲労。あるいは老い。

 俗に『丸くなった』と言われる現象に見舞われたのである。


 昔は苛烈に虐殺に励んでいたが、今はすっかり穏やかなもの。

 元からそうした気質だったのが、落ち着きと共に表面化しただけ。

 しかし、エルネトモランの片隅で隠居生活を送っていた彼を脅かす出来事が起きる。ティリビナ人たちが難民として押し寄せてきたのである。しかも、それは受け入れられてしまうのだという。

 マイカールは考えないようにしていた問題に直面する。

 呪術医院の院長室で、男は魔女と対面する。


「先生、私は間違っていたのでしょうか」


「うーん。そうだね。あなたはどう考えてるのかな?」


 そして、カウンセリングが始まった。

 あるいは、当事者へのインタビューが。



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