4-122 業①




 シナモリアキラの身体が宙を舞い、回転しながら地面に激突する。

 頭から墜落したことで首のジョイント部が破損して外れた。生首は数回派手にバウンドした後、ごろごろと転がっていく。競技場を跳ねるまあるい頭部。悪質な冗句が思い浮かびそうな光景ではあったが、誰もそんなことを言う余裕は無かった。


 ルバーブとアキラの激突。

 その結果は、実のところ両者がぶつかり合う前に決定していた。

 直前に密着状態となり、アキラがルバーブを引き剥がそうと髪を掴んだその時。

 棘球の爆発で腕が傷付いたことはアキラにとって確かに痛手ではあったが、より致命的な罠にかけられていたことに彼は気づけなかった。


 髪を強く掴めば、自然と毛が抜ける。

 身体から離れた髪の毛はその後も拡張身体として機能する――それがラフディの感染呪術だ。アキラの手指に絡みついたルバーブの毛髪は意思を持った毒蛇のように密やかに這い、滑り、標的の腕から胴へと移動し、呪力によって硬質化させた尖端部による毒針の一刺しが勝敗を決した。


 無機物すら冒す【呪毒】によってアキラは昏倒。さながら暴走する大型トラックの如きルバーブの『車輪』の呪力が転生者を吹き飛ばした。

 ラフディの戦士と交戦していた銃士カルカブリーナは最後の一人に銃弾を撃ち込むと、共闘していたカーインに呼びかけた。


「カーインさん、前衛任せていいすか。俺、これから師範代を『降ろす』んでしばらく無防備になります」


「承知した――しかし、全く。彼は首の外れ癖がついてきているのではないか? 骨格から矯正してやる必要がありそうだ」


 先程までラフディの戦士と死闘を繰り広げていたカーインは冗談めかしてそう言った。しかし表情や声の調子とは裏腹にその目は笑っていない。笑う余裕など無いのだ。目の前に佇む、強大な王を前にしては。

 荒ぶる大地の呪力を掌握し、絶対的な権威によって暴力に変える益荒男――彼こそは唯一無二の闘士の王チャンピオンである。


 激しい消耗によってルバーブの全身は崩壊を始めているが、肉片が塵となって消えていくと、すぐに大地から土塊が浮遊して欠落を埋めていく。大地が彼という存在を失うまいとその肉体を補填し、再構築し続けていた。大地がそこにある限り、ルバーブは不死身である。


「ならば地に毒を撒き、土地を痩せ細らせるまで。病んだ土塊が肉体となればその屈強な体も脆くなるだろう」


 カーインはそう言うと、貫手を地面に突き立てた。

 【六淫操手】の二つ名が示すように、彼は呪力を病の外因に変えて操る技術を有している。足下の地脈を人体の経絡に見立て、周辺の大地を感染させていく。たちまち青々とした芝生が色褪せ、枯れた大地からあらゆる生命力が失われていく。


 カーインを中心として広がっていく枯死。汚染された土壌が球神の加護を弱体化させ、ルバーブの恐るべき突進速度が急速に鈍くなっていった。ルバーブは舌打ちして、膝を突いて無防備な姿勢のカーインに突撃をしかける。この場で最も厄介な敵がカーインであると見定めたのだ。


 先程までに比べれば遙かに遅い――それでも常人を遙かに超越した勢いで疾走していくルバーブ。腕から伸びた『釘』で鋭く突いた。既に立ち上がっていたカーインは左右に回避しつつ貫手による反撃を繰り出す。共に一撃必殺の威力を込めた『突き』を応酬していく。攻防の最中、カーインが身につけているラフディーボール用のユニフォームの輪郭が微かにぶれた。


 肩のプロテクターが外れて落ちていく。その動きにルバーブの視線が誘導された瞬間を狙って、反対側からカーインの下段蹴りが襲いかかる。

 だがルバーブは咄嗟に膝を上げた。脛で蹴りを受けることでダメージを最小限に抑えようとしたのだ。果たしてカーインの蹴りはルバーブの足によるガードに接触し――そのまますり抜けていった。


 直後、瞠目したルバーブの側頭部に上段蹴りが突き刺さる。

 吹き飛ばされていくルバーブ。左足による上下の蹴りを同時に繰り出したカーインの像が歪み、消失していく。全身の動きを欺瞞する光学幻像呪術が働いていた。ユニフォームの輪郭が曖昧に揺らぎ、手足を隠すゆったりとした上衣下裳を纏ったカーインは深く息を吐いていく。青と黒の色彩に隠されたその肢体は動きの予兆を全く感じさせず、静謐そのものといった立ち姿であった。


 服の幻を纏うことで相手を惑わせ、長い指を伸ばして優雅に構えるカーイン。

 束ねられた長い黒髪が肩から流れ、風もないのにひとりでに靡いた。

 視覚的な演出による虚仮威しは彼の常套手段だが、大胆不敵な笑みを形作る口元と力強い眼光がはったりに精神的な制圧力を与えていた。

 その証拠に、瞬時に態勢を立て直したルバーブはカーインを睨み付けたまま動きを停止させている。と、ルバーブの側頭部から顔の中心部にかけて亀裂が走った。


「解せんな」


 負傷にも構わず、ラフディの戦士は静かに呟いた。瞳から戦意が失われているわけではないが、同時に確かな理性が宿っている。


「瘴気の強力さからしてまず間違い無く吸血鬼ヴァンパイア。だが、その幻術は幻姿霊スペクターのものにも見える」


「さてどうかな。戦場で予断は禁物だ。早合点が命取りになることもある」


「その上、貴様はまだ本気を出していない。血統の根源たる『病』の宣名無しで私に挑もうとは舐められたものだ。夜の民が苦手とする体術ではなく、呪文を、触手を、牙を――全力の瘴気を見せてみるがいい」


 吸血鬼の弱点といえば陽光や清流、火葬や祈祷、下水整備や検疫、共同体からの隔離に排除といったものが挙げられるが、なんといっても有名なのは顕微鏡であろう。古い時代においては『悪い空気』『祟り』『呪い』という形の無い不安として捉えられることもあった『病の不安』――黒衣の神マロゾロンドは人類の無意識下に刻み込まれた恐怖のイメージを雛形にして吸血鬼を作り出した。


 『杖』の叡智は吸血鬼が操る『瘴気』という曖昧な呪力を解体し、細菌やウィルス、寄生虫や毒素といった形に零落させることが可能だ。ゆえに吸血鬼がどのような『血統』――すなわち『病の形』をしているのかが判明すれば、その神秘性を貶めて弱体化を狙うことができる。


 だがこれはリスクも孕む。対処の難しい致命的な感染症であれば、宣名は存在の脅威度を高めてしまう。カーインが『病の宣名』を行わなかったことから、ルバーブは彼の脅威度を『中の上程度』と見積もった。挑発によってカーインの自己強化目的の宣名を引き出し、その隙を突こうとしている。


 宣名の二択。ラフディという国がカーインの『病』に対抗する医術を有していれば宣名はカーインの首を絞めるが、無ければカーインの脅威度は跳ね上がる。一瞬の静寂。細い綱の上を渡るかのように、カーインが口を開く。


「生憎と、私は少々外れ者でな。この指を牙に見立てて突き立てる方が得意というだけのこと――そして私の宣名はこれだけだ。【六淫操手】ロウ・カーイン」


 【六淫操手】――その二つ名を『病』の正体と解釈していいものか。判断に迷ったルバーブの額に皺が寄る。おおよその日本語を理解しているルバーブとはいえ、瘴気の形を『六淫』という異界の呪で歪められては正体を看破することが難しい。


 カーインは静かに、そして急速に息を吸って心身のコンディションを整えた。

 充溢する気力を全身から漲らせ、じりじりと間合いを詰めていく。

 ルバーブは探るように問いかけた。


「気息を導引して血を巡らせる変わり種の『吸血鬼』――呼吸法によって血の呪力を高める『夜の民の武術家』――いや、それにしては貴様の体格は獣化した人狼ウェアウルフのように恵まれすぎている。貴様は、いったい何なのだ?」


「何の変哲も無い、拳士に過ぎんよ」


 薄く笑うと同時、カーインの身が沈み、疾走を開始する。

 滑るように駆け抜けていくカーインとルバーブの影が交錯し、激しい攻防が再開された。実力は伯仲しているが、余裕があるのはカーインの方だ。大地は見る間に痩せ細り、荒野と化した戦場で徐々に圧されていくルバーブ。

 その時だった。


「俺の大地に、何をしている」


 苛烈極まりない、男の声が天から響く。

 この場にいる誰もが聞き知っている声であったにも関わらず、それを発した者の正体を即座に察することは誰にも出来なかった。

 直前の記憶とあまりにかけ離れた硬質さ――カーインとルバーブは半球状の天井を見上げ、それを見た。流れる絹糸のような髪は燦々と光り輝き、繊細な美術品さながらであった輝かんばかりの顔は今まさに陽光を放ち地上を照らしている。

 

 その男は太陽だった。

 あらゆる者がその男を見ようとするが、あまりの眩しさに反射的に眼を閉ざす。

 直視することすら敵わぬ圧倒的煌めき。

 神々しく天上に君臨する日輪の覇者。


「へい――か?」


 呆然と呟くルバーブ。そんな彼を感情の読めない瞳でしばし見つめた後、美貌の太陽は無造作に手を伸ばした。カーインを指で示す。


「荒ぶる陽光よ」


 長い人差し指の先端に巨大な光の球体が出現し、一気に膨れあがった。

 危機を察知したカーインは素早く走り出すが、既に遅い。

 放たれた光球は大地に着弾し、そのまま巨大な熱と光を周囲に撒き散らしていく。太陽の炎が不浄な瘴気をカーインごと焼き尽くし、地の穢れを清めていった。炎の通り道からは次々と緑の芽吹きが生まれ、花が咲き蚯蚓や土竜が土の中から顔を出す。広範囲を焼き尽くしたはずの炎は不思議とカーイン以外の誰も傷つけることなく、それどころかルバーブら大地の民の傷を尽く癒していた。


 その全てを透徹とした視線で見届けて――浮遊するマラードは一瞬だけ振り返って、聳え立つ塔を見た。そして、再び眼下のルバーブを見る。

 風もなく背後に靡いていく長い髪は、彩度の高い紅紫に染め上げられている。

 暗渠どぶにも似た陰鬱な瞳が、何かを告げようとしていた。


 離れた場所でその光景を見ながら、銃士カルカブリーナという役者の精神に入り込んだ存在が呟く。


「妙な男だ。要所要所で負けてみせるくせにまるで底が見えん。そもそも、今ので死んでいないというのはどういうことだ? あの一撃に耐えられる吸血鬼がそういるとも思えん。前提がおかしいのか、始祖級の怪物なのか――」


 若い男の表情に重なる、蓬髪の壮年男性の顔。

 グレンデルヒはシナモリアキラに肉体を明け渡そうと無防備になった銃士カルカブリーナの支配権を奪い、再びこの世に顕現していた。

 その隣に、また一人の男がやってくる。こちらは全身傷だらけで満身創痍といった有様だが、頭に載せているテンガロンハットだけは何故か傷一つ無い。


「そんなことを気にしている場合か。さっさと突っ込んで敵の戦力を確かめてこい道化が。背後から纏めて撃ち殺してやるから後方支援は任せろ」


「こそこそと這い回るだけが能の鼠がまだ生きていたか。貴様こそ先に突っ込んで死ね。実験動物には相応しい役目だろう。それともここで私が殺してやろうか」


 グレンデルヒとゼドが険悪に睨み合っていると、背後から女性の声と共に拳が襲いかかる。凄まじい力で背を殴りつけられ、男二人がまとめてつんのめった。


「はいはいちょっと黙れ駄英雄ども。私が前衛やるから馬鹿二人はあのルバーブって人を抑えつつ援護してね?」


 アルマが指の関節を鳴らしながら登場する。相手をしていた大量の暴徒たちを一人残らず気絶させ、まとめて観客席に退避させていた。

 グレンデルヒは地上に降りてくるマラードを観察しながら顎に手を当てた。


「【地位の断章】の気配を感じるな。恐らくあの人形の魔女が注ぎ込んだのであろう。一時的に王としての力を取り戻している――長くは保たんだろうが」


「なにそれ?」


「――なるほど、そういう絡繰りか」


 アルマが首を傾げ、ゼドが得心がいったというふうに目を細めた。

 一方、ルバーブの目の前に降り立ったマラードは新たに現れた三人の敵を油断無く見据える。忠実なしもべには目もくれないまま――いっそ不自然なほどにルバーブから顔を背けていた。

 

「少し待て。先にあちらを片付ける」


 ぽつりと呟くマラード。

 けれど。

 ああ、それでは遅すぎる。

 グレンデルヒの言うとおり、あまり余裕は無いのだから。

 『私』がこうして糸で操れる時には限界がある。

 はやく、やるべき事をやってもらわなくては困りますわ。私のマラード。


「――わかっている。だが、その前に確かめなければならないことが――話さなければならないことがある。その為の邪魔を取り除きたい」


 わがままな人だ。

 マラードの心からの願いを、できれば妨げたくは無かった。

 意識を下界から遠ざけて、糸を繰ることに集中する。

 今この時、私は主役ではない。脚本と演出――役者たちを輝かせる為の裏方だ。


 マラードの五指が鍵盤を叩く音楽家のような激しさで蠢く。

 指先と繋がった目に見えるか見えないかというほどに細い糸が予測困難な軌道でアルマ、ゼド、グレンデルヒの三人に襲いかかった。散り散りになって回避するが、広範囲に広がった斬糸は意思を持っているかのように追尾を続ける。


 マラードの指が動くに連れて三人も飛び跳ねる。

 人形と、それを操る人形師のような光景。

 踊り続ける三人はマラードに近付くことが出来ない。不規則な軌跡を描く斬撃の結界の隙を見つけてゼドが発砲するが、それを巨大な質量が遮った。

 地面を切り裂き、そのまま深く突き刺さっていった糸が地の底から巨大な土塊を引きずり出したのである。そればかりか、マラードによって魂を注ぎ込まれた土は命を宿し、岩石巨人となって動き出す。


 次々と立ち上がり、重量級の拳を振り下ろしてくる巨像の群。

 巨人の拳を受け止めながら、アルマがゼドに声をかけた。


「あれ、盗める?」


 曖昧に過ぎる問いかけだが、ゼドは即座に意図を理解して答えた。


「奴の呪術が古すぎて正確な価値がわからん。ついでに言えば、たとえ分かっても基礎的な術を強化しているだけだった場合は手の打ちようが無い」


「つっかえないなあ!」


 アルマはちぇ、と舌打ちして受け止めていた巨像の拳を握り潰す。

 そのまま見上げるほどの巨体に突進し、凄まじい膂力で持ち上げてマラードに投げつける。空中で切り刻まれて粉々になる巨像。


 盗賊王ゼドは盗みの達人と称されている。彼に盗めないものは無いと言われるほど、その技術はまじないじみていた。事実、彼の『盗み』は超常の神秘である。

 形の無い呪術すら盗み取る強力無比な術だが、無制限に使えるというわけではない。価値の確かなものだけしか盗めないのだ。


 対象たからの正体を解析しようと試みるゼドだが、古代ラフディの呪術についての知識は彼の中には無い。時の流れの中で多くの史料が失われたことにより、現代におけるルバーブの神秘性は古代よりも遙かに高められていた。


「きぐるみの魔女がいないのが惜しいな」


 トリシューラとの敵対はゼドにとって無謀である反面、協力によって得られる恩恵は大きい。魔女の知識と価値操作の禁呪は彼の『盗み』の成功率を飛躍的に跳ね上げるからだ。地上との関係もあり、これまでは味方してきたが――。


「ここらが引き時か」


 義理はある。第五階層を拠点とするゼドとガロアンディアンは友好的な関係を築いてきた。トリシューラからは【マレブランケ】に勧誘されたこともある程だ。しかしゼドがそれを頑なに断り続けているのは、いざという時に逃げ出せるようにするためでもある。深追いはしない。それがゼドのスタンスだった。


 『なるほど、と私は思った』――つまりゼドはそういう男なのだ。

 彼がシナモリアキラに執着を見せているのも、転生者という稀少性と殺し屋という共通点、そして何より『女王の宝』に価値を見出しているからに他ならない。


 ――彼、『国盗り』に興味はあるかしら。


 私はマラードに集中させていた『糸』の一本を切り離した。

 予定に無い行動。けれどこのアドリブもまたラクルラールの意図の内。

 私もまたラクルラールの六人目。

 だからきっとこれも予定調和だ。


 ゼドは決断した。ネドラドとの戦いには勝利したものの、消耗は激しくこれ以上戦っても益は無い。理性よりも本能がここにいてはならないと危険信号を鳴らしていた。ガロアンディアンとの関係と命とを秤にかけ、ゼドは逃走を選んだ。脱出不能の閉鎖空間に突如として【ハイパーリンク】が形成され、空間が円形に切り取られる――本来ならこんなことはできないけれど、今回だけは私が許す。その不自然を、ゼドが疑問に思うことは無い。


「ああっ、逃げやがった! あいつ後で見てろよー!」


 消失していく【扉】を睨み付けて憤慨するアルマだが、マラードとの戦いの中で追いかける余裕は無い。戦力が減ったことで押され気味となり、グレンデルヒが石像の一撃で吹き飛ばされて観客席に吹き飛んでいく。あまりの弱さに愕然とするアルマだが、あれはわざとだ。グレンデルヒは気絶した振りをしてガロアンディアンを裏切り、トリシューラとシナモリアキラを倒す機会を窺っている――これは私が誘導するまでもなく彼が自発的にやっていることなのだけれど。

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