4-113 ラフディボール(前半)
マラードの佇まいは単純に美しかった。彫像の容貌、細く長い指、白亜の肌。目と口元は妖しく、足を踏み出すだけで艶のようなものが醸し出される。喉が震えれば背筋を撫でるような低音が歌うように響く。
纏う衣服は古めかしいが、それがかえって一風変わった魅力を彼に与えていた。
先が広がった袖は肩口で切り離されて紐で綴り合わせるつくりで、薄い生地と肩の隙間から無防備な肌が覗いていた。円形を基調とした華やかな刺繍は呪的な紋様としての力を発揮して王の全身を災いから守っている。滑らかな肌を誇示するかのように胸元は大きく開き、艶めく長い髪には藍色の飾り紐が巻き付いていた。
「どうかな、我がラフディの国立競技場は」
美貌の王の背後に楕円体の建物が見える。
両手を大きく広げたマラードはまるで横長の擂り鉢を抱えているかのようだった。遠近感を考慮しなければ、という但し書き付きだが。
第五階層の創造能力を駆使したとはいえ、ここまでのものを短期間で仕上げるというのは仕事としては異常に早い。着工から竣工まで一瞬というのが第五階層の常識だが、リソースとして必要な物質創造能力を複数の住民から集めたり、正確な図面を引いたり、土地を用意してならしたりといった様々な準備にはどうしても時間がかかる。トリシューラでさえ巡槍艦を最初に完成させるまで半年は必要としたのだ。大地の民が優れた建築ノウハウを有していることがうかがえた。
(それだけじゃないよ、アキラくん。この競技場、擂り鉢状の下半分は大地を操る土木建築系の呪術で造られたもので、上半分の開閉式天井なんかは第五階層の創造能力で造られたものなんだ。両方の機能と設計がきちんと噛み合ってて、且つ呪力コスト削減にもなってる)
ちびシューラが感嘆する。
第五階層では箱型の建造物が主流である。
流線形のものを構築しようとすると、どうしても無数のブロックを寄せ集めたような粗さが出てしまうからだ。巡槍艦のような形にするためには繊細さや器用さといった技術が必要になる。球形ならば尚のこと難易度が高い。
こうしたノウハウはトリシューラがある程度公開しているのだが、それを実践するためにはある種の専門知識が必要になるらしく、『美しい建物』が爆発的に増えることはなかった。かわりにその方面のスキルを有する者は重用されるようになっており、第五階層独特の『建築家』は仕事として成立するようになっていた。
それを踏まえて眼前の競技場を評価すると『見事だが異質』となる。
第五階層で常識とされているデジタル建築でも、古典的で物理的なアナログ建築でもない。その両方を高いレベルで融合させたのがラフディのやり方だった。
マラードは心持ち顎を持ち上げて、自慢げにこちらを見た。
「配下に命じて裏面から資材を調達させたりもしたのだよ。どうせなら、すぐに消える儚い『つくりもの』より、いつまでも形として残る『確かなもの』を築いてみようと思ってね。華やかで記念すべき催し事が行われるのであれば、なおさらこうしたことにはこだわるべきだ」
確かに、こちらが用意した仮設の競技場はどれもいつでも建てたり壊したりできる幻のようなものだ。世界槍という柔らかい小宇宙は、子供たちが遊ぶ砂場にも似ている。マラードはそれを儚いと言う。そしてより硬い石や木材、金属や樹脂などを駆使して壊れにくい『砂の城』を作り上げて見せた。
「我々は土の中を掘るだけが能というわけではない。時には森林に分け入り、木々を伐採して建材とすることも必要だったからな。かつてラフディの貧民たちは日銭を稼ぐ為に木こりとなり、職人たちにこき使われてきたものだが、俺の代でそれは改められた――正確には再生者となってからだがな」
聞けば、死人の森では木こりは聖なる職業であり、社会的地位が高いらしい。
かの森に多く見られる糸杉は、【女王】の加護を宿す神聖にして穢れた樹木だとされているのだという。ラフディでは木こりたちは大工たちに見下され、扱き使われてきた。そうした悪習は【死人の森】に組み込まれてからは無くなったのだ。
「我が国は滅んだ――だがラフディの絶頂期はむしろ死後に到来したのだと、俺は信じている。愛しきセレス姫に導かれて【死人の森】に包まれたあの時代こそが黄金時代。そしてこれから、長き時を超えて絶頂期の続きが始まるだろう」
マラードは、対峙する俺とトリシューラを真正面から見据えて言った。
瞳に闘志を燃やし、美貌に浮かんだ笑みは荒々しくもどこか優雅で美しい。
そしてそれが、真の意味での宣戦布告となった。
「そう――国の威信を懸けたこの伝統の一戦で、雌雄を決するのだ」
再生者との殺し合いは不毛だ。
同様に、彼らもきっと物言わぬ機械との戦いに精神的な圧迫感を感じているであろうことは想像に難くない。サイバーカラテ道場による感情制御の方法はあちらにも伝わっているはずだが、飽きや厭気などを孕んだ『雰囲気』が蔓延することは避けられない。そうでなくても、他の勢力と対峙しなくてはならないことを考えれば目の前の敵にいつまでもかかずらっている暇はない。
(問題はアルトが他勢力の殲滅じゃなくて制圧後の同化吸収を目論んでること。だからシューラたちも、今はガロアンディアンの理念である『共生』を目指す方針をとらざるをえない。シューラとしても戦力は欲しいし、こういう『ぬるい』戦いで決着をつけるのもアリかなって。ラフディはまだ話が通じる勢力だしね)
第五階層という盤面にひしめく複数の勢力は、元々は【死人の森】という巨大な王国の傘下にあった。なら、最終的にコルセスカとブウテトを取り戻せば制圧して捕虜にした六王たちを自軍に加えることができるかもしれない。
戦いが長引けば長引くほど食糧や燃料、弾薬といった物資が枯渇していく。そうなれば俺たちの敗北は確定してしまう。
このようなイベントで戦いを強引に決着させるというのはそこそこ理に適った選択ではあるのだ。誤算は相手が簡単に乗ってきてくれたこと。餌や誘いなどを準備していたのだが。
(あっちにも何か思惑があるのかな。ちょっと心配だけど、とりあえずアキラくんは目の前の試合に集中してね)
心の中で響く声に無言で応じて、俺は競技場の中へと足を踏み入れた。
控え室で着替えた後、トリシューラが出場選手を集めてミーティングを行う。
相手チームはラフディが揃えた精鋭たち。本来なら即席の素人チームが太刀打ちできるはずもない。サイバーカラテ道場が無ければの話だが。
控え室から出て競技場へと向かう。
競技場に向かう通路は冬の空気で満たされている。
にもかかわらず、俺の肌は熱を感じていた。
呪物である鋼鉄と氷の肌が雰囲気を温度として知覚しているのだろうか。
通路を抜けた。光と音が荒れ狂うノイズとなって押し寄せる。
途切れることのない凄まじい音の雨を全身に浴びながら、俺たちはトリシューラに先導されて人工芝が敷き詰められたフィールドに向かって歩いていく。反対側に見えるのはマラードに率いられたラフディ側の選手たちだ。白線で区切られた細長い楕円形の中央、円形の模様に両側から近付いていく。
客席に詰め込まれた大量の人、その下の幻影掲示板に表示される様々なスポンサーの広告、実況や解説、応援や罵声、その他無数の情報が渾然一体となって巨大な熱を生み出しているのだった。
ラフディーボールの規定人数である九人の選手が整然と並ぶ。
試合には参加しないが、監督として采配を振るう両勢力の代表が向かい合った。
マラードが右手で窪みを作って何かを掬うように前に差し出すと、トリシューラは逆に右手を覆い被せるようにして乗せた。二人の手が架空の球体を作り出す。
ラフディ式の握手、つまりは友好の証だろう。
敵対関係であっても、いまこの時は礼節を持って向かい合う必要がある。
マラードは柔らかく微笑すると、観客に向けて挨拶を行う。トリシューラが言葉を引き継ぎ、両勢力の友好の為にこの親善試合を行うことを説明した。
観客向けのアピールであり、実態は疑似的な戦争でしかないのだが。
マラードの笑顔からは邪気や裏といったものが感じられない。
彼はきっと、正々堂々と戦って勝利するつもりなのだろう。そうした無邪気さがこの王の美質だ。美貌の王は心根まで美しい。彼が邪悪を為すとすれば、それは無邪気さや無知さゆえに違いないと思えた。時に、無垢な子供が残酷であるように。
開会の式辞、試合開始の宣言、そうした手順が段取り通りに滞りなく行われたが、一つ予定に無い出来事が起きた。
マラードが試合の前に国歌を歌うべきだと言い出したのだ。
唐突な提案だった。ガロアンディアン側は何の準備もしていない。というか、そもそも国歌というものが存在しない。
(国歌斉唱――使い魔間で呪力を高め合わせる呪文だね。歌詞によって王の権威を高めたり、集団の結束を強固にしたり、国土の領域を定義したりと色々できるけど――ラフディの国家は球神を讃えて加護を強化するタイプみたい)
ちびシューラは解説しながら首を傾げた。
こうした『国歌』の使い方は近世に入ってからのもので、古代の王が使うのは少々奇妙な感じがするということだった。
(誰かの入れ知恵かな)
予定された進行とは違う展開。
不穏さが漂う中、こちらの困惑などお構いなしに相手チームの九人、それから客席の過半数を占める大地の民たちが一斉に歌い始めた。
独特な抑揚の歌声が高く低く響き、一定の間隔で同じフレーズを繰り返す。
周期的なエキゾチックさに驚いていると、それに合わせるようにして選手たちが回転しはじめる。歌いながら舞い踊る彼らは王の周囲で円弧を描いた。
チームのリーダーらしきルバーブが跪き、何かをマラードから受け取っている。
パイプだ。王から預かった筒状の喫煙具は濛々と煙を立ち上らせており、試合に臨む選手たちは一人ずつ順番にパイプを『回し飲み』していく。
そして、最後に男たちは王であるマラードに向かって一斉に煙を吐き出した。
パイプから立ち上る煙がマラードにまとわりつき、彼の姿を覆い隠す。
煙草の煙を目上の相手に吹きかけるなど、俺の感覚では非礼極まりない。だが、恐らく彼らの文化では違うのだろう。試合前に歌い、踊り、煙草を吸うことこそがラフディにおける最上級の儀礼的な行為であり、呪術的な儀式なのだ。
しばし、そうした光景に圧倒されていた。スポーツというものは、古代においては呪術儀式の一つだったのだ。少なくとも、ラフディ人にとってラフディーボールという競技は『聖なるもの』に他ならない。
厳粛な雰囲気での儀式が済むと、ラフディの視線がこちらに向いた。
それらしい国歌や儀式など何も無いが、何かを求められている雰囲気だ。こうなったらサイバーカラテ道場を駆使して演武でも何でもやってやれと思ったその時、ちびシューラが鋭くその行動を諫めた。
(アキラくん、止めよう。こっちはそういうの無し。この流れ、相手の土俵に乗せられてる気がする。シューラね、なんとなく『青い糸』が見える気がするよ)
女王の決定により、こちらの国歌斉唱などは無しとなった。
相手チームはあからさまに拍子抜けした様子で、客席からもブーイングが飛んでいる。非対称な空気を感じながら、二つのチームは互いに整列して向かい合った。
九対九。互いに手を差し出し、それぞれに球形を作る独特な握手を行う。
眼前の選手と目があった。胴や肩、関節部を覆う
「よろしくお願いします」
面白みの無い返し。だが、俺の本心はその言葉の中にあったと思う。
正面からこの男と競い合える機会を、何処かで待ち望んでいた。
マラードは武人ではない。己を鍛え、他者と拳を交わして勝利を目指す競技者ではない――ラフディにおけるその役割はルバーブが担っている。一見して小柄で丸いあんこ型の男は、他の六王に比肩するほどの達人だ。
こちらも合成皮革のプロテクターを確認し、頭部を顔の前面ごと覆うヘルメットを着用する。外から見ると視界が狭そうだが、外側の光景を内部に映し出している為にほぼ何も被っていないかのような感覚でいられる。
九人はそれぞれ先端に丸い網籠の付いた
ラフディーボールは、このスティックで九つの棘が付いた樹脂製のボールを奪い合い、敵陣のゴールに叩き込むという単純なルールである。
(現代のラフディーボールはスポーツとしてのルールが整備されているんだけど、古代では球神との繋がりを深める儀式だったり、戦士や神官たちが争いを解決する為の手段だったりしたものだったんだ。だからルールも結構雑というか荒っぽいんだよね。今回は古代ラフディのやり方に合わせるから、くれぐれも死なないでね)
ちびシューラの忠告は、古代のラフディーボールが死者が出かねないスポーツであることを意味していた。あちらとしては死んでも『神の御意思』であり『再生者にしてやる』だけなので、より『事故死させること』への敷居は低いだろう。多少どころではなく荒っぽいプレイングをされることを覚悟しなくてはならない。
チームは九人編制。ポジションは腕の長さほどの短いスティックを持って攻撃を担当する前衛、中盤でのゲームメイクや攻守両方を担当する中衛、前衛の倍は長いスティックで守備を担当する後衛のそれぞれ三人ずつ。中衛は作戦や状況によって長短のスティックを使い分ける。ゴールキーパーという概念は無いが、後衛三人のうち誰かを円形のゴール前に配置するのが普通だ。
フィールドの広さはだいたい縦が百メートル、横が五十メートルといったところだ。この世界で一般的な
その他、フィールドを二分する線を前衛と後衛は超えてはならないとか、交代は自由だとか、
その中で驚かされたルールは三つだった。
一つ目は場外に出たボールはその時ボールに最も近かったプレイヤーのいるチームに渡されるというもの。このため、どのような状況でも両チームが激しくボールを追いかけ続けるということだ。
二つ目はボールの性質だ。九つの棘は一種の呪的な手榴弾であり、地面に強く叩きつけると地脈と反応して炸裂し、周囲に棘を撒き散らす。球技として形になる以前は狩猟や戦争に用いられていた呪具であり、これには殺傷力がある。
重要なのは、ゴールに入った時に得点をもたらすのはこの棘だということ。
ボールをゴールに入れれば九点が入るが、ゴールの外側で地面に叩きつけて炸裂させても数点が入る可能性があるということだ。
放射状に飛び散る為に得点はせいぜい一点から三点程度が精々ということらしいが、決して無視できる点数ではない。また棘が身体に刺されば当然だが手傷を負う。一応、故意に相手にぶつけようとするのは『あまり望ましくない』程度には敬遠されているようだが、逆に言えばシュートの意思があれば守備側が巻き添えで負傷しても構わないということだ。正気ではない。
三つ目。二つ目も大概おかしいが、こちらはもっとどうかしている。
ボールを保持しているプレイヤーとこぼれ球の近くにいるプレイヤーに対しては、スティックでの強い妨害やタックルなどが許可されている。
こう言うと、二つ目に比べればまだ普通のスポーツという感じがする。
だが『強い妨害』の具体的な内容を実際のラフディーボールの映像を見て知った俺はこの競技を球技であると考えることを止めた。
俺が想像していた『強い当たり』というのはスティックで相手のプロテクターを抑え付けたり、スティックやグローブを叩いたり、肩からタックルして相手の動きを妨げたりといったものだった。
違った。あれは何というか――
「珍しく、肩に力が入っているようだが?」
上手い形容が思いつけないでいると、背後から声がかかった。
振り返ると余裕に満ちた態度のカーインがいた。長身に軽鎧のようなプロテクターがよく嵌っている。苛つくんだか頼もしいんだかわからない。
こういう態度で周囲に与える印象を操作するのはこの男の得意技だった。
「仕方無いだろう。素人が熟練した選手に挑んで勝とうっていうんだから」
「それなら安心したまえ。我々の中でラフディーボールの経験がないのは君くらいのものだ。技術的な巧拙はあるだろうが、動き方がわからず何も出来ない、ということは無いはずだ」
そうなのだった。
どうやらラフディーボールというスポーツ、この世界では結構なメジャースポーツらしい。はっきり言って気が狂っているとしか思えないが、流石に標準的な国際ルールでは危険が無いように様々なルールが定められているとのこと。今回は古代の伝統を優先したに過ぎない。
「ちなみに『下』のジャッフハリムやディスカレイリーグでは文化保護の為に古代ラフディーボールが荒々しい形のまま保全されている。私も『お山』で修行の一環としてやらされたことがあってな。それなりに修羅場は潜ってきている」
「へえ。そういやお前の所の流派は杖や棍なんかの器械も扱うんだったか」
「ああ。この
そう言って、カーインは腕の長さほどの網付き棒を示してみせた。
武術の流派や文化圏によって『短槍』の長さはまちまちだが、カーインが言っているのは一メートルと少しの穂付きの棍と言って良いようなサイズの槍のことだ。
閉所での取り回しの良さ以上に、盾と併用したり、二つ持って運用したりといった使い方ができるのが長槍に対する利点のようだ。
俺も別にカーインの動きに不安を抱いているわけではない。安心して背番号一番の前衛を任せられるというものだ。ヘマをしたらベンチで応援しているレオの笑顔が曇るだろうし、失敗などできないだろう。
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