4-111 左右一対の邪眼姫②




 流星は恋に似ている。

 抗いようのない重力に惹かれて墜ちて、激しさに耐えかねて燃え尽きる。

 願いを託す夜の空、煌めきは儚く消えて。

 大地に辿り着いた一滴は、破れた恋の涙のように残酷に散る。

 故に、流星こいの運命とは常に残酷さと隣り合わせだ。

 

「嗚呼――愛が降り注ぐ」


 そこに、『美』があった。

 かの王を中心に、世界が生まれる。

 最も美しき彼という根源が踏みしめる大地も流れる髪の真上に広がる夜空も、全ては王という人物画の主役を引き立たせる為の背景でしかない。

 世界という絵画の主題は既に決まっている。

 

「叶わぬ恋と知りながら、お前たちは俺に愛を捧げに来るのだな。ならば俺のこの美貌は――罪なのか。俺という存在が生まれてしまったことが既に悲劇」


 いいえ。

 それは違います、我が王よ。

 貴方という美しさ、それは祝福。

 我らの歓び、それは全て貴方様があってこそのもの。


 だからこそ貴方という偉大な王の語り部となることを許されている事を、私は誇りに思うのです。

 王の道を見届け、王の歩みを助け、王の身を守り、王の物語を紡ぐ。

 その役割を担う私――ルバーブは、漆黒の書物を手に陛下の偉業を確かに記録していった。私の意志が力ある言葉として形をとり、空白の項を埋めていく。


 偉大なるラフディの王、マラード陛下はあらゆる大地に愛される。

 故に彼が流し目の一つも夜空に向ければ、起きる事象は明らかだ。

 天に散らばる無数の隕石たちが、次々と大地に降り注ぐ。

 流星群の大半は我が王の下に辿り着く前に燃え尽きるが、せめて少しでも役に立とうと奮起した愛の奴隷たちはその身を擲って陛下の敵へ突撃を敢行し、その速度と質量で恐るべき破壊をもたらすのである。


 天空より来たるのは、ほぼ無差別にすら思える爆撃の集中豪雨。

 恋する流星群が、荘厳な神殿とその周辺一帯を破壊していった。

 ガロアンディアンとの戦いを優位に進めていた陛下は戦線を拡大することを決定した。あちらは何を企んでいるのか『球技大会』などという催しを企画すると宣言し、こちらにも参加を呼びかけてきた。


 友好的な態度に、和睦の申し出か、はたまた罠かと訝しんだが、『球技』という明らかに我々ラフディに有利な競技を選んだことは、こちらへの歩み寄りに違いない、という陛下の判断により一時的な休戦が成立していた。


 ――楽観である、と諫言は聞き入れて頂けなかった。

 危急の際には私が盾となり陛下をお守りしなければならない。

 それを苦とは思わない。それが星が燃え尽きる事を厭わないのと同じだ。

 陛下は球技大会が開催される前にカシュラム侵攻を終わらせる心算のようだった。第五階層南方を完全に制圧し、ガロアンディアンと同規模の領土を確保しておけば対等な立場で対峙できるというもの。


 球技大会とは言うが、そこではラフディとガロアンディアン、そして竜王国とスキリシアの首脳を交えた会談が行われると見て良いだろう。

 何らかの交渉を行うのならば、こちらの勢力は強大である方が良い。

 そして、カシュラムに対する勝算は既にこちらの手にあった。


 カシュラムの領地が、炎上している。

 こちらの兵が火をつけたのではない。

 内側から、カシュラム人たちが自ら放火したのである。


「相容れぬ立場、敵味方に引き裂かれた恋人たち――あらゆる物語にあるように、苦難こそが恋を燃え上がらせる」


 陛下が長く美しい眉を痛ましげに下げた。

 敵でありながら陛下に恋をしてしまった愚かな愛の奴隷たち。

 彼らは最悪の裏切りと知りつつも、邪恋の暗い炎を燃え上がらせてしまうのだ。それは彼ら自身にすらどうしようもない呪いなのだった。


 炎上し、崩落していく神殿の内部から白い衣と纏った男たちが駆け出してくる。カシュラムの高位神官――オルヴァ王の十二人の側近たちは、壮絶な修羅場を演じていた。裏切った男はマラード陛下への愛を叫びながら仲間を錫杖で殴り殺し、激昂した別の男が裏切り者を短剣で刺殺する。


「やめろ、お前たち何を考えている!」「おお、ブレイスヴァよ!」「マラード様、この愛すらブレイスヴァの前では――」「終端が、終端が弑されたのだ」「オルヴァ王はいずこに?」「神殿が燃えている――」「聖骸を避難させるのだ!」「予言はやはり真実であった! 賢者スマダルツォンを信じよ!」


 狂乱、狂乱、狂乱。

 降り注ぐ流星は止むことを知らず、次々と大地に突き刺さっては凄まじい衝撃と共に大地を陥没させ、強大な呪力を持つ筈の神官たちを灰燼に帰していく。

 無慈悲な死が荒れ狂うカシュラムは、滅びを迎えようとしていた。

 歴史をなぞるように。

 かの国は、内部からの裏切りによって滅んでいくのだった。


「おお、終端は来たれり――ブレイスヴァよ!」


 血の涙を流しながら、一人の男がよろめきながら現れる。

 配下たちの屍が足下に並んでいることにも気付かず、天を仰いで震える手を高く伸ばしている。白い衣と繊細なかんばせは煤に汚れているが、男の周囲だけは不思議と荘厳な雰囲気が保たれていた。


 流星は彼を避けて墜ち、熱波は畏怖するかのように道を空ける。

 こちらを認識しているわけではない。

 だが、それでも直観するままに真っ直ぐこちらを目指して歩いてくる。

 彼もまた、紛れもなく王なのだ。


「カシュラムは喰らわれた――そう全てはかの者の腹の中。炎の舌がこの日我らを食らい尽くすことを、私は既に知っていた。無論知っていたとも」


 そこで、ようやく男は天を仰ぐことを止めた。

 視線が、こちらに向く。

 輝く十字の瞳。

 ノーグの血脈が伝える恐るべき眼光。

 大賢者オルヴァの眼差しが、全てを見通すようにこちらを貫いていた。


 陛下が、一瞬だけ身を竦ませるのが判った。

 私は即座に前に出て身を盾の代わりとする。

 更に左右に展開させていた合計五十の石像兵に命令を下し、前進させる。

 手練れであっても一人一体がせいぜいの巨大石像兵。

 それを同時に五十体、ただ大地に甘い言葉を囁くだけで何の呪術も使わずに従わせることができるラフディ王の威光は、カシュラムの賢王に十分比肩しうる。


「陛下、ご命令を」


「あ、ああ。そうだな――よし、全軍前へ! 敵は丸裸だ! 今こそ好機である! カシュラム王を討ち取れ!」


 戦いが始まった。

 大地を激震させながら進撃する巨大な石像兵たちが一斉にカシュラムに攻め入る。残っていた兵士たちをその剛腕で、巨大な足の踏みつけで蹂躙していった。


 ただ大きく重い。

 それだけで、戦いを制するには十分であった。

 反撃の為に果敢に突撃する者は、陛下を目前にして奈落へと飲み込まれていく。陛下の身を案じた大地が地割れを発生させ、無数の亀裂が回避不能の罠となって敵兵を喰い殺していく。跳躍や飛翔で逃れた者も、鋭く伸び上がった岩石の槍によって貫かれて無惨な屍を晒していった。


 一方的な殺戮が吹き荒れる中、ただ一点のみ、酸鼻極まる運命を回避し続ける空間があった。

 そこは死の空白地帯。

 白い衣がふわりと踊り、一瞬前までそこにいた筈の王の姿は消えている。

 誰もいない空間に叩き込まれる巨腕の一撃。


「発勁用意――」


 小川のせせらぎのように流れていくオルヴァ王の細い身体が岩石の巨体の囲みを抜けていった。白い手が左右で重ねられて振り抜かれていた。

 直後、石像兵が尽く粉砕され、崩れ落ちていく。

 オルヴァ王の背後には瓦礫の山が積み上がるのみ。


「な、何が起きた?!」


 愕然と叫ぶ陛下の望む答えを、私は持っていない。

 ゆえに、できることは一つきりだ。


「わかりませぬ――陛下、まずは私めにお任せ下さい」


「そうか。お前に任せるぞルバーブ。流星や大地の槍は未来を見るあの男には当たらない。頼りになるのはお前のラフディ相撲だけだ」


「御意――発勁用意」 


 ラフディ相撲――古流サイバーカラテ。

 その真髄をここに示す。

 大地を滑るようにして進み、ゆっくりと迫り来るオルヴァ王に肉薄する。

 未来を見る――その恐るべき力は脅威だ。

 しかし、知っていれば対処の方法はある。


「NOKOTTA!」


 詠唱と共に呪力を解放し、足裏から大地に呪力を流し込む。

 足下から伸び上がる大地の槍。ラフディの民にとっては基本とも言える呪術だが、それだけに予測は容易い。オルヴァ王は事前にその発動を知っていたかのような動きで安全な位置へと逃れていく。だがこれはまだ準備に過ぎない。


 続けて頭髪を十数本抜き取り、硬質化させて頭上に投擲。

 更に待機させていた予備兵力、再生者の弓兵部隊に合図を送って側面からの射撃を行わせる。下から、横から、真上から、全方位から襲う刺突の嵐。


 分かっていても避けられない攻撃ならばさしものオルヴァ王と言えど対処しきれまい。私は渾身の呪力で無数の槍を制御して大賢者を攻め立てる。仮に防御障壁を展開されても、動きが止まれば私の手は障壁を掴むことができる。そのまま大地に投げ落とし、相手の重みを利用して首をへし折る投げ技で勝負を決める。

 だが、その狙いはあえなく潰えた。


「発勁用――」


 囁くような声だった。

 目視すら叶わぬ凄まじい破壊。

 白い手掌が風を切り裂いて空間を抉り取り、前後左右から面として迫る刺突の雨を強引に削り取っていった。


 全てが消滅した空白地帯の中心で、オルヴァ王が両手で花のように――あるいは獣の口を模すような形にしながら佇んでいた。

 遠目に見ただけでは絶対にわからない。

 だが私の目は辛うじてそれを捉えていた。


 オルヴァ王の両手は恐るべき速さで全ての攻撃を食らいつくし、矢や岩石の残骸を手首の奥に広がる光の消失点へと飲み込んでいったのだ。

 非効率としか思えぬ構えにも関わらず、あの速さ。

 何らかの呪術的な作用が働いていることは間違い無いが、その正体が掴めない。獣を模しているように見えるが、この世のどのような猛獣になりきればあれほどの速度が実現できるというのだろうか。


 まるで止まった時の中を一人だけ自由に動くかの如き圧倒的速度。

 いや、速さというならばそれだけではない。


「発勁――」


 発声が、短い。

 まさか、と背筋に氷を突き込まれるような恐怖を覚える。

 サイバーカラテ特有の『発勁用意、NOKOTTA』という発声。

 呪文詠唱にも似たこの作法を、オルヴァ王が操るブレイスヴァカラテは切断している。高位呪術師が可能とするという詠唱の短縮。発勁用意の終端は喰らわれたのだ――そう、ブレイスヴァによって。


「発――おお、ブレイスヴァ!」


 あの叫びが、彼らの奉じる神への祈りであるのか、『ブレイスヴァカラテ』という言葉の終端が喰らわれて短縮形となったものであるのかは既に定かでない。

 いや、二つは既に同じものなのだ。

 サイバーカラテはブレイスヴァであり、ブレイスヴァとはオルヴァ王にとって唯一無二の武芸となっている。


 もはや発声すら必要としない呪的発勁が巨大な幻の顎を出現させる。

 全てを食らい尽くす口が石像兵を、兵士たちを次々と飲み込んでいった。

 退避した私の鼻先で、鋸のような巨大な歯が上下に閉じる。

 私を標的と定めたオルヴァ王の牙が追いかけてくる――これは幸運と言えた。


 陛下、どうか今のうちにお逃げ下さい。

 そう願った直後だった。

 私と迫り来る大顎の間に岩盤の壁が立ちはだかる。

 大地の障壁は一瞬で食い尽くされるのだが、次々と隆起してはオルヴァ王の視界を遮るため、いつしか私は恐るべき牙から距離を取ることに成功していた。


「陛下、何故」


「見損なうな。お前を見捨てて逃げる王を、美しいと誰が認める?」


 一瞬でも非難するような視線を主に向けたことを、私は恥じた。

 陛下は常に美しい。

 その振る舞いも、当然のように最も尊いのだ。

 ならば王の美しき振る舞いを危険なものにしているのは、私の身の至らなさが招いた事に他ならない。

 私は自分の弱さを再び恥じた。


「さて、勝ち目は無さそうだが――まあ何とかなるだろう。何せ俺にはお前がいるからな、忠実にして有能な王の守護者ルバーブが」


「は。一命に換えましても、カシュラムの王を打倒してご覧にいれましょう」


 勝算など無い。

 だが、この身に充溢する気力が恐れを打ち払う。

 背を押すのは信頼、両足を支えるのは忠義。

 大地を通じて、足裏から呪力が送られているのを感じる。

 陛下が大地に命じて、私を全力で支援させているのだ。


 陛下を背にして負けるわけにはいかぬ。

 再生者としての生が終わりを迎えようとも、必ずや食らいついてみせる。

 決意と共に足を踏み出した直後、正面の障壁が粉砕される。


「おお、ブレイスヴァ!」


 大顎の両手が迫り、私が前傾姿勢をとって前に飛び出そうとしたその瞬間だった。それは何の前触れも無く現れた。

 空間を切り取って、円形の穴から巨大な何かが出現する。

 【扉】と呼ばれる空間を渡る呪術だった。


「よろしくお願いするわ、【扉の向こうのエントラグイシュ】、それに【棘の王カルメダージ】――まあ、カシュラム王の相手なんて適当でいいけれど」


 年若い女性の声だった。

 直後、オルヴァ王の口がぐるりと回転し、扉のように外側に開く。

 歯や口腔内は一枚の絵のように平坦となり、扉の向こうには爛々と輝く瞳。

 のそり、と赤子の顔がオルヴァ王の口から出て来ると、低い声でこう言った。


「いなーいいなーい、ばあ」


 十字の眼球が、内側から破裂した。

 そればかりではなく、細身の身体の内部から無数の棘が突き出て、その命と共に鮮血が流れていく。オルヴァ王は声すら出せずにいた。喉からも棘が突き出ていたからだ。


「僕たちは、傷つけ合わずにはいられないんだ。ハリネズミのジレンマ。そう、壊れやすいハートを抱えた繊細な硝子人形、それが僕たち――」


 子供の声はすれど、姿は見えず。

 無数の棘が引っ込むと、骸となったオルヴァ王の身体が【扉】となった口の中に吸い込まれていく。破壊を伴うその行為は美しい姿態を砕き肉塊へと変貌させ、扉の向こうに潜む異形の赤子の餌となり果てる。


「ぼく、すききらいしないよ、えらいでしょ」


 不気味な声を最後にオルヴァ王の骸が喰われ、最後に残った口すらも口自体に飲み込まれて完全に消滅する。

 後には無が残った。

 ブレイスヴァが全てを飲み込み、最後には自分さえも飲み込んでいくという伝承の通りに――カシュラムは完全に滅び去った。


「自らの伝承や文脈によって戦う者は強いけれど、同じ文脈に沿って同じ伝承を利用すれば滅ぼせてしまうというリスクを負う――呪術戦闘の基本だけれど、研究の進んだ後世の私たちがそれを言うのは卑怯かしら」


 私は、そして陛下は声のする方を見た。

 そこに、紅紫の髪を揺らす女が一人。

 左右には小さな人形が浮遊していた。

 見ただけで卓越した人形遣いだと分かる。

 しかも、あの呪糸の手繰り方はもしや。


「窮地を救って貰ったこと、感謝しよう、名も知らぬ美しき姫君よ。ときに、不躾なことを訊ねるが――もしや貴方は我が国に伝わるディルトーワの技術を受け継いでいるのでは?」


 陛下の言葉に、人形のような瞳の少女はにこりと笑って答えた。


「まず、礼には及びません。だって当然の事をしたまでですもの。そして、次の問いにはその通りですと答えましょう。差し出がましくはありますが、私はこういう者です――偉大なる我が父祖、マラード陛下」


「何」


 驚愕の声は、どちらが発したものだっただろうか。

 少女を膝を折って一礼し、名乗りを上げた。


「号は瞳の紅紫、性質は塔のお姫様、起源は冥道の模造品。アレッテ・イヴニル・ラプンシエル・ディルトーワ=ベルラクルラールは、マラード・ディルトーワ・アム=ドーレスタ・エフ=ラフディ陛下にお力添えすべく推参致しました」


 少女が柔らかく微笑んだ。

 『どぶ』のように濁った瞳が髪色と同色の光を宿す。


 花のように妖しく、蕾のように美しく。

 陛下が、そして生き残った兵士たちが陶然として溜息を吐く。

 魔性の美しさ――それはどこか、我が主に似ていた。


 にもかかわらず、私は。

 その微笑みを、吐き気がするほどに忌まわしく感じていた。

 紅紫に煌めく邪眼――それは、美しい光を宿していてもやはり濁った水面には違いないのだ。


 本質から美しくない者は、どのように偽ってもどこかから醜悪さを溢れさせてしまうもの――この『魔女』からは、私と同じ悪臭がする。

 予感があった。

 これは、滅びを招く傾国の魔女だという、確信めいた予感が。


 だが私は、いるはずのない末裔の存在に歓喜する陛下の顔を見て、口を閉ざしてしまう。抱擁する二人をただ見ていることしかできない。

 私は、常にそうだった。

 紅紫の女が、こちらを見た。

 表情は柔らかな微笑みのまま。

 しかし、その瞳は無力な私を嘲笑しているように思えてならなかった。

 


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