4-41 死人の森の断章5 正邪の双竜王




 昔々あるところに、とても大きな人、つまり神がいた。

 ダーカンシェルという名の神は蜥蜴の身体と妖精の頭、虫の翅を持った生き物で、並外れて賢く、さらには強い力を持っていた。

 あるときダーカンシェル神は沢山の動物たちを集めて言った。


「お前たち民、すなわち人畜に『言葉』を与えよう。それと引き替えに、お前たちは私の臣民となり、私のために尽くすのだ」


 多種多様な動物たちは言葉を与えられ、それによって世界を切り分ける術を得ることとなった。開けた世界はより鮮明になり、動物たちはものごとを『視る』ことを知った。また神にして王であるダーカンシェルに見出された素質ある者たちは『力ある言葉』の扱い方を学び、また沢山の動物たちの間に秩序をもたらす方法が自然と出来上がっていった。更には知能を持った動物たちはやがて前足を『手』と呼ぶようになり、『杖』を使って三本足で歩くことを知ったのだった。


 それから長い年月が経ち、知能の高い動物たちは大地に満ちるほど増え、混ざり、世界は混沌とした様相を見せていく。

 だがある時、ダーカンシェルは前触れもなく現れた赤毛の少年が振るう槍によって討たれ、その傷が元となってあっさりと零落してしまった。


 ダーカンシェルは子供に負けた情けない敗者という意味のあだ名を付けられ、白い目で見られるようになった。蔑まれたことによって神としての格は見る間に衰え、今ではその名を知る者はほとんどいない。


 世間から忘れ去られながらも、病床のダーカンシェルは最も可愛がっていた動物たちを呼び寄せて言った。


「可愛い私の子供たち。私はもう力が衰えて、生きる気力すら湧いてこない。哀れと思うなら、私にお前たちの嫁と、子供たちを捧げておくれ」


 ほとんどの子供たちはそれをとんでもないと拒否した。

 しかし、たった二人だけその言葉に従ったものがあった。

 痩せぎすの黒い亜竜(大きな蜥蜴)はこう言った。


「わかりました。父なるダーカンシェルに我が妻と子供たちを捧げましょう。妻はまた娶れば良いし、子供はまた生めばよい。だが貴方がいなくなればもう二度と会えないのですから」


 続けて大きな頭と鋭い牙の亜竜はこう言った。


「私も貴方に妻と子を捧げましょう。自らの財産を恩ある相手、父にも等しき貴方に惜しむような真似がどうしてできましょうか。また、困窮した相手に自らが身を切ることこそが最も尊ばれるべき美徳であるのですから」


 かくして、ダーカンシェルは末期の慰めを得た。

 やがて神は没し、その後二人の妻は身籠もった。

 そうして生まれた子供たちは贄となった子供に瓜二つであり、二人はそれが以前の子供の生まれ変わりであると信じ、神の賜り物だと涙した。


「神は、我らの忠孝の心を試されたのだ」


 子供たちは神の血を引いていたので、生まれながらに高い知能を持ち、神の力をそれぞれ受け継いでいた。

 母親たちは出産に耐えきれず死んでしまったが、子供たちは母親と同じ種類の動物に『言葉』を与え、同じ名前を付けることで父親に新しい妻を贈った。


 神のために自らの持ち物を捧げた孝行者の父親たちは、こうして何も失わず、元通りの美しい妻と賢い子供を得て末永く幸せに暮らしたのだった。

 この二人の子供が、世に名高き双竜王、ダエモデクとアルトである。


 黒き亜竜ダエモデクはダーカンシェルの猛々しさを受け継いでいた。

 彼は自らの欲するものを手当たり次第に奪い、貪欲に血肉を啜り、大量の財宝をかき集めた。それでも彼は常にやせ細り、飢え続けていた。『殺せ、奪え、勝ち取れ』というのが彼の掲げる理念であった。


「この世の全ては俺様のものだ! 民よ、その肉をよこせ! 俺様の血肉となって奉仕せよ! それが人畜の価値というものだ!」


 白き亜竜アルトはダーカンシェルの聡明さを受け継いでいた。

 彼は自らを律し、周囲に調和することを説いた。王国に秩序をもたらし、『社会福祉の充実による共生と幸福』という理念を掲げて良く生きようとした。また、自らの恐ろしい姿で弱き者らが怯えぬよう、普段は二本足で歩く毛無し猿――時代を経るにつれて霊長と名乗るようになった種族――の如き姿に変化していた。


「臣民たちよ、隣にいる人々を慈しむのだ。自らの持ち物を惜しみなく分け与え、助け合うことこそが最上の美徳である。それこそが王たる私の言葉を与えられた臣下としての価値であると知れ」


 両者はあらゆる意味で対照的だった。

 ダエモデクは常日頃から呪われることを恐れずに、自らの『まことの名』を触れ回っていた。誰も恐るべきダエモデクの名を呪うことはできず、彼が名乗る度に周囲の者たちはたまらず吹き飛ばされていた。


「俺様は誰だ! ダエモデク様だ! 人畜ども、道をあけろ!」


 アルトは慎重な性格で、『まことの名』を隠していた。その名を知る者は自分と、既に没した親と、半身とも言えるダエモデクだけであった。またそのような性格を反映するかのように、アルトには鎧のように立派な鱗がびっしりと身体を覆っていた。あまりに固い鱗であるため、どんな外敵も彼に傷を負わせることができなかったほどだ。


「臣民を導く責任を背負うこの身に何かあれば、弱きものたちにも累が及ぶであろう。それは避けねばならん」


 そのようなアルトの言動を臆病さのあらわれだと嗤うものもいた。しかし、そのような事を口にした者はみなダエモデクの腹の中に収められるのが決まりだった。何から何まで正反対だったが、二人は生まれた時から強い絆で結びついていたのだ。


 ある時のこと、ダエモデクが恋をした。

 世にも美しいその相手は、不運にも人妻だった。

 ダエモデクは嘆き悲しみ、ひとしきりアルトに愚痴をぶちまけた後、略奪するべく勇んで出かけていった。


 アルトは、こういうときにダエモデクを止めても聞く耳を持たない事を良く知っていたので、先回りして夫を逃がし、妻にはちょっとした知恵を授けてやることにした。そうすることで、傍若無人な兄弟分を懲らしめてやろうと思ったのである。


 彼としては、それでダエモデクが少しでも丸くなってくれればいいと思っての行動であった。

 だが、それが災いの元だった。


 ダエモデクは天空を引き裂いて舞い降り、大地を揺るがしながら降り立つと、人家を薙ぎ払いながら村落を荒らし回り、切ない恋の言葉を叫び続けた。そうするたび、小鳥たちがばたばたと木々から落ちて息絶えていくので、そこら中の生き物は揃って震え上がってしまった。


「そらそら、ダエモデク様のお通りだ! メスは全て俺様のものだ! 人妻だろうとかまうものか!」


 やがて黒い大蜥蜴は未来の花嫁の前で求婚した。断れば喰い殺すという伝統的な求愛に対して、花嫁候補の女は青ざめた顔で答えた。


「では、私を愛しているという証を見せてください」


 震える声で、精一杯に強気な表情を作って言う女の要求に、ダエモデクは頷いた。自分よりもか弱い者の願いに応えられないのでは偉大なる王としての自尊心が揺るがされてしまうからだ。


「この辺りで一番高い木の梢に巣を作っている怪鳥アキラの卵を三つ、持ってきてください。私はどうしてもあれが食べたいのです」


 心得たと言って、ダエモデクは大きな翼を広げた。

 目的地までひとっ飛びで辿り着くと、石を削り取って作られた巣から卵を奪おうとする。だが折悪しく親鳥が帰ってきてしまう。ダエモデクは鋭い牙と爪を誇示しながら、怪鳥へと挑みかかった。


 そして、誰からも恐れられる暴れ者の亜竜は、怪鳥アキラによって全身の肉を啄まれ、血まみれになって木から転げ落ちた。

 怪鳥は恐ろしく強く、力だけならば誰も敵わないと言われていたダエモデクであっても倒す事ができなかった。


 ダエモデクは鋭い爪で怪鳥の首を刎ねたが、首から上を失ったアキラはそれでも戦い続け、見事に巣の中の三つの卵を守り通したのである。満身創痍となり動けなくなったダエモデクの息の根を止めるべく怪鳥が急降下してくる。ダエモデクはもはやこれまでと目を閉じるが、いつまで経っても死は訪れない。


 目を開くと、目の前には片目を失ったアルトが立ちはだかり、猛然と牙を剥いて戦っているではないか。アルトは自慢の鎧のような鱗で怪鳥のかぎ爪による猛攻をことごとく凌いでいた。

 その鬼気迫る戦いぶりに、さしもの怪鳥もこれ以上の戦いは無益と悟り巣まで引き下がった。その隙に、アルトはダエモデクを連れて逃げていく。


 アルトは全てをダエモデクに打ち明けた。

 そして、親友あるいは兄弟に等しい己の半身に深く謝罪をした。アルトはダエモデクが少し痛い目にあえばいいと思ってはいたが、ここまでの事になるとは考えていなかった。ゆえにこそ、片目を失ってまでダエモデクを庇ったのだった。


 血まみれのダエモデクはしかしアルトを許さなかった。

 裏切られたと憤慨し、続いてアルトを強く憎んだ。


「命を救われた恩に報いるためこの場は引き下がるが、いつの日か必ずやお前を破滅させてやる。呪われろ! お前がその立派な鱗を持ち続けている限り、お前の理念は地に堕ち、王国は衰退し、不運という不運がお前の道行きを穢すだろう!」


 そう言って、ダエモデクは去っていった。二人の関係はその時をもって決定的に破綻してしまったのだ。アルトは気落ちしていたが、それ以上に深刻だったのはダエモデクの呪いだった。


 黒き亜竜の置き土産は、着実に効力を発揮していった。

 アルトの王国では、日を追う事に人心が荒れ、作物は不作続き、草木や花が枯れ果て、井戸水は濁り、悪疫が蔓延した。月が翳り日も差さない日々が続くようになるに至ると、アルトは絶望のあまり塞ぎ込むようになってしまった。


 小さい者たちを怯えさせないように本来の恐ろしい姿を隠すことも忘れて、巨体を大地に横たえて後悔にむせび泣く毎日を送るアルト王。

 そんな時、アルトの王国で暮らす小さな動物たちの一匹が進み出てこう言った。


「王さま、王さま、どうか私に王さまの悲しみを取り除かせて下さい」


 アルトに比べてとても小さな動物の名前は、モグラのディルトーワと言った。

 ディルトーワは地面に穴を掘ったり、土を捏ねて泥人形を作ったりといったことで生計を立てているものだった。手先の器用なディルトーワは、王国に呪いをもたらしているアルトの鱗を剥がすことを提案したのだった。


 偉大なる王の鱗を全て剥がすという暴挙に、周囲はそれを止めた。

 だが、当のアルトが「それができるのなら」と願ったので、モグラはさっそく作業に取りかかった。自分の何倍も大きな亜竜の鱗を、丁寧に一枚一枚剥がしていく。その度に血が流れ、苦痛の声が響く。


 長い長い呻き声の音楽はやがて止んだ。血の湖が出来上がり、ぐったりとした亜竜の横にうずたかく積み上がった鱗を見て、王国臣民は歓声を上げた。

 モグラは見事に王の鱗を全て剥ぎ取ることに成功したのだ。

 王は苦痛に耐え、傷付きながらも生き延びた。


 かくして呪いは打ち破られ、王国には平和が戻ったのだった。

 アルト王は傷を癒しながら、最大の功労者であるモグラのディルトーワに褒美を与えようと考えた。小さなモグラは、遠慮すること無く望みを口にした。


「では、この剥ぎ取った王さまの鱗を私に下さい」


 そんなことでいいのかと驚いたアルト王は、欲のないモグラにいたく感心して、自分の娘であるバーガンディアを妻とすることを許した。

 さらに、暗い土の中は寒かろうと息子のグレイシスを引き裂いて与えた。

 惜しみなく自分の財産を分け与える王の姿に、人々は心を打たれた。


「このグレイシスは、糸竜と言って細かい沢山の糸で出来ているのだ。これをばらばらにして身体の好きな所に付けなさい。暖かいし、身を守る鎧にもなるだろう。それに、きっと見栄えが良く、立派だと尊敬されるに違いない」


 ディルトーワは王から多くのものを与えられて、更にとても広大な縄張りを持つ事を許された。

 動物たちにとって、縄張りを『王の言葉』の力で『約束』されることは、自らの『領地』を持つ事に等しかった。


 ディルトーワの縄張りはやがてラフディという名の王国となり、アルトの治める王国とは滅びの時まで友好的な関係を結んでいくことになる。

 それはさておき、面白く無いのは呪いをかけたダエモデクである。

 

「なんと滑稽なことか。アルトの奴、隻眼となり鱗を全て失ったばかりか、ちっぽけなモグラ風情に息子と娘を与えてしまった! 愚かなやつめ、何故あいつは与えるばかりで奪おうとしないのだ」


 ダエモデクは、それからも幾度と無く軍勢を率いてアルトの王国に攻め入ったが、そのたびに追い返された。

 臣下たちは皆、力自慢のダエモデクの軍勢よりも弱い生き物だった。しかし、それぞれの得意なことではダエモデク軍に勝っていた。各々が力を合わせることで力任せに突撃するだけのダエモデクの軍勢を打ち負かすことができたのだ。


 時代が下り、アルトの統治する王国は竜王国と呼ばれるようになり、精鋭たる騎士団によって守護されるようになっていった。皮肉にも、ダエモデクの度重なる侵攻が竜王国の軍隊を精強に鍛え、また外敵を前にして一気団結することで国内の問題の数々をやり過ごすことに成功していたのだった。


 やがて王国には様々な動物たちが集うようになった。

 天空からは羊や兎、海洋からは魚や蛇、森からは虫や鳥、その他にも地底のモグラや蜥蜴、さらには影の中からは変幻自在な姿を持つ不思議な幻獣たちまでもが、どんな種族でも受け入れてくれる竜王国を目指してやってくるのだ。


 誰もが共存できる優しい世界。

 それこそが竜王国の理念。

 アルト王をはじめとした王国の重臣たちは、ダエモデクを悪の権化と位置づけ、収奪によって成立する敵対国家のあり方を厳しく批判した。


 悪竜ダエモデクの明白な邪悪さを見た人々は誰もがアルトの正しさを信じ、彼の下につくのだった。その正しさを疑う者はどこにもいなかった。

 竜王国が内包してしまった混沌は徐々に膨れ上がり、軋むような音を立てていたけれど、誰もが目の前の敵と戦うことに夢中になっていたので、気づけなかった。


 その問題を最初に指摘したのは、月からやってきた兎だった。

 今のままだと、この王国に大きな災害、すなわち言震が発生するというのだ。

 ガロアンディアンは各地から数多くの人々が集まってくるという事情から、他に類を見ないほどの多言語国家であった。


 一応は共通語という名目でアルトの与えた言葉があったのだが、移民たちには関係のないことだった。数限りない言語が混ざり合い、混濁し、アルトが言葉を与えた臣民たちも世代を経るごとに混ざり歪んだ言葉を話すようになっていった。

 その兎が言うことには、このままでは竜王国は破滅の一途をたどるという。


「私が住んでいた太陰では、王様が言葉が混ざり合って起きてしまう人と人との衝突や混乱を避けるために、言葉に秩序をもたらす仕組みを作ってしました」

 

「そうなのか。では太陰に助力を請い、我が国の問題をなんとかしてもらうしかあるまい。ただでさえ膨大な翻訳作業のため、我が国の公文書は石版で天を衝く塔ができるほどになっている」


「では、その塔を昇って太陰まで行くのがよろしいかと」

 

 そうしてアルトは兎をお供に連れて、多種多様な言語が刻まれた石版の塔を昇っていった。空に浮かぶ太陰に到着したアルト王は、太陰の王に目通りを願う。

 しかしその願いは叶わなかった。


 理由を尋ねると、王宮の者たちは堅く口を閉ざして答えようとしない。

 不可解に思ったアルトは、連れてきた兎に事の真相を明らかにせよと命じた。

 城下の街で噂話を集めてきたお供の兎が言うには、もう十余年ほど前のことだが、この国の王子が武力蜂起し、政変を起こそうとしたということだった。


 王子の名はヴァージル。反乱は失敗に終わり、傷を負った王子は地上へと逃げ延びてその行方は杳として知れない。さらに太陰の体制を覆さんと起こされた争乱の傷跡は深く、王から最も大切なものを奪っていった。


 それは王が溺愛していた、大層可愛らしい妻である。

 世にも愛らしい兎の王妃は狂王子の手にかかりその儚い命を落とし、それ以来というもの王はすっかり塞ぎ込み、誰とも会おうとしないのだという。


 さらに悪いことに、王子ヴァージルは完成しかけていた神々の図書館、すなわち混沌とした言葉に秩序を与えるための仕組みを破壊していったのだった。

 これにより多くの叡智が失われ、再建にはどんなに急いでも数百から千年以上の歳月がかかるとされていた。


 お供の兎は、自分が故郷を離れている間に起きた出来事に衝撃を受けていた。

 内乱により、兎は友人を失ったのだという。

 哀れに思ったアルト王は兎の為に、そして神々の図書館の再建のために、太陰に援助を行うことを決めた。


 内乱の傷跡が残る王都には竜王国からの支援を示す慰霊碑が建てられ、神々の図書館の再建は大幅に早まった。

 太陰はこれに感謝を示し、神々の図書館が再建されたあかつきには竜王国が真っ先にその恩恵に授かれるように取り計らうことを約束した。


 だが、すべては遅すぎた。

 太陰から地上へと戻ったアルトが見たものは、些細な言葉の違い、物事の見方や仕草の捉え方、どうでもいいような誤解の積み重ねが偏見を助長し、異なる者同士が際限なくいがみ合うという光景だった。


 世にその災害の絶えたことは無い。

 それこそが言震。

 言葉の地層が歪んで起きる、認識という地盤の衝突である。


 多種多様な種族が共存する竜王国にあって、それは途方もなく深い断絶を産み、亀裂から覗く深淵はあらゆる希望の光をことごとく吸い込んで無に帰していった。

 解決方法はもはやどこにもなかった。

 竜王国は行き詰まり、失敗してしまったのだ。


 アルトは絶望の中、必死にもがき続けた。

 先はない。しかし、今このときも竜王国は存在している。

 であれば、たとえ終わりが見えていようとも続けなければならない。


 亜竜の王は、多種多様な種族たちを束ねるための最後の手段に出た。

 竜王国に住まう全ての臣民たちの命を脅かす外敵の存在を示すことで、結束を固めようとしたのである。

 アルト王は、自らの半身を討伐することを宣言した。


「聞け! 暴虐なるダエモデクと恥知らずにも悪竜に組する外道どもは、我らの尊き理念、共存と共生という理想を踏みにじろうとしている! このような事を許してはならぬ! 万人を敬い、隣人を受け入れ、自らの身を削ってでも相手に歩み寄ることこそが正しきあり方である。だがそうした振る舞いそのものを否定する邪悪な相手を尊重すれば、崇高なる理念そのものが否定されてしまう。ゆえに我々は、断腸の思いで彼らを否定せねばならない! 全てに寛容な我らは、不寛容のみを例外とする!」

 

 乱れに乱れていた国内を纏めるため、ダエモデクの王国へと攻め行った竜王国。

 『征伐』はかつて無いほどに大規模なものとなり、『解放』された領土は分割され、種族別に分け与えられた。

 国内で入り交じっていた数多くの種族は各地へと散っていった。


 竜王国に比べれば、ダエモデクの王国に住まう民たちはひどく原始的な生活を送っており、山賊同然の兵隊たちはまさしく雑兵であった。

 精鋭ぞろいの竜王国が誇る騎士団によって蹴散らされていく王都の守り。

 王城とは名ばかりの、山にぽっかりと口を開けた洞穴にたどり着いたアルトは、ダエモデクと一騎打ちをして見事に打ち負かした。


 鱗という堅牢なる鎧を失っても、アルトの力はまるで衰えたところがなかった。

 それどころか、数多くの種族と深く接することで多様な知識や技術を身につけていたアルトは真の姿を顕すまでもなくダエモデクを圧倒できたのだ。


 霊長類の姿のままダエモデクを見下ろすアルトは、それでも幼い頃に抱いた情を断ち切る事が出来なかった。

 アルトはダエモデクを洞窟の奥の隠し通路に逃して、戦いが終わったことを臣民たちに宣言しようとして、振り返った。


 そして――彼はもはや自ら戦いを終わらせることができないことを知った。

 勝利したアルトに襲いかかった、波濤のごとき大音声。

 それは、ダエモデクを追え、殺せというものだったのだ。


 いずれにせよ、始まってしまった戦いを終わらせれば次は国内の問題に目を向けなくてはならなくなる。

 その上、ダエモデクの王国を飲み込んだ事によって急激な勢いで膨張した竜王国は以前にも増して不安定になっているのだ。

 

 いかに種族を分割して混乱を整理したといっても、それは結局対立を先送りにして薄く広く伸ばしただけに過ぎない。

 今度は竜王国が内側から分裂し、種族ごとに国が興り、諸勢力が入り乱れての争いになることだろう。


 それはこれまで数限りないほどに繰り返されてきた、歴史の再演だった。

 敵を求めなければ、戦い続けなければ、勝利の美酒で国民を酔わせなければ、巨悪を打ち倒し正義を示し続けなければ、竜王国は夢のように瓦解する。

 敵が、悪が必要だった。


 アルト王は、隻眼で闘志を露わにする臣民たちを見た。

 騎士たち、一兵卒に至るまで、皆が正義が悪を打ち倒すという物語によって一つになっているのを見た。戦いは言葉を介さずともわかりやすい価値を示してくれていた。それは生き延びる事、祖国を守ること、勝利することだった。


 王は洞窟の奥へと向き直ると、今も逃げているであろうダエモデクに聞こえるほどの大声で、征伐の続行を宣言した。

 精鋭たる騎士団に追撃を命じると、自らは王城の完全な征服を指揮する。

 岩山に口を開けた洞窟がダエモデクの根城で、全てだった。


 その天辺に、竜王国の紋章が描かれた旗が立てられた。

 勝利の凱歌が響き渡る。

 戦いは続き、今暫くの間だけ竜王国は身の内の病を忘れ、狂騒に酔いしれるのだった。


 兄弟のような幼馴染みを追い立てねばならなかったアルト王の胸に、どのような想いが去来していたものかはわからない。

 だが、その決定的な勝利の後、暫くの間一人になりたいと言った王は、結局その夜の宴に顔を出すことは無かったという。


 一説によれば。

 その夜、アルトはダエモデクの宝物庫に足を運んでいたという。

 強欲なダエモデクは、各地から財宝を強奪しては溜め込んでいたのである。

 それが親友を偲ぶためだったのかはわからない。


 だが、その日以来アルトが三叉の槍を手に戦うようになったという逸話が伝わっていることは事実である。

 その三叉槍は古の時代の覇王メクセトが残した伝説の武具で、銘をこう言った。 

「私はディーテ。貴方を助ける為に遠い場所からやってきました」


 それは、喋る武器だったのだ。





「準備が出来た。すぐに向かいたまえ」


 チリアットの昔語りを遮るように、ヴィヴィ=イヴロスが声をかけてきた。

 手には長い棒。先端に人形が付いたもので、棒を持って動かす人形劇用の小道具に見えた。


「今、舞台上では『女王』が人形劇を上演している。糸で上から人形を操ってね。あちらが上からならこっちは下からだ。この人形を奈落から付きだして、乱入してしまうといい」


 奈落というのは、舞台の一部が下降して開く穴みたいな仕掛けのことらしい。

 なるほど、それならば人形劇という介入しづらい状況にも違和感なく割り込めるだろう。今回は『女王』の一人舞台になってしまうかとも危惧したが、こちらにも挽回の余地は残されている。


(よし、チリアット、昔話は中断だ。台詞は覚えたな?)


「ええ。何しろ俺にも縁の深い話ですので。それに、どうやら人形劇の方も、今しがた話したあたりに差し掛かろうとしております。入り込むならば今ですな」


 ヴィヴィ=イヴロスに人形を受け取って、俺たちは揃って舞台の下へと入り込む。暗がりの中を蓄光テープの明かりを頼りに進んでいき、照明の光が射し込む場所を目指す。頭上から響くコルセスカの――『女王』の声を聞きながら、割り込む機会を窺う俺たち。


(ここだ!) 


 俺の意思に応じて、チリアットが人形の付いた棒を真上に突き上げる。

 乱入した人形によって舞台が書き換えられ、状況が変動していく。

 だが、それだけでは終わらなかった。


 舞台上に、かたかたと音を立てながら現れる第三の影。

 糸も棒も無しで動くそれは、絡繰り仕掛けの人形だった。

 口が開いて、聞き覚えのある男女二重の声が響き渡る。


(やっぱり出やがったな、ゾーイにグレンデルヒ!)


 かくして戦いは続いていく。

 舞台を変え、時代が移ろうとも、勝利のために走り続けなければならないという必然だけは同じように人を駆り立てる。

 人形を介して、三者三様の闘争が幕を開ける。



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