4-32 死人の森の断章8 境界に立つ者




 チリアットとコルセスカが舞台上で次の一幕を演じている。開幕早々に現れた神によって二人はヒュールサスという古代に実際に存在したらしい国へ向かうことになった。森の獣道を進み、川を下り、冒険の旅を続けていく二人。その道中でちょっとした出来事に遭遇する、というのが今回のシーンの概要だ。


 台本は最初の方しか渡されていない為、劇の全体像はざっくりとしか掴めていないのだが、現在分かっている事をまとめるとこうなる。


 グレンデルヒ率いる【変異の三手】及びその傘下に入っている【死人の森】によって窮地に追い込まれた俺とコルセスカは、状況を打開し、トリシューラとその王国ガロアンディアンを救う為に過去を再演することで過去を改変するという呪術儀式を行うことになった。


 演劇による過去改変。問題は、何を改変するのか、ということ。

 先程の一幕から推測するに、チリアットが演じる俺は過去に遡り、幼き日の死人の森の女王と出会った。ここで生まれた縁が、現在の状況を成り立たせている女王の肩入れという結果を生んでいるのではないだろうか。


 つまりこれからチリアットと俺は、死人の森の女王と何らかの協力関係、ないしは契約を結び、遠い未来に助けて貰えるようにしなければならない。

 そしてもう一つ。俺が自身の罪を償い、物言わぬ屍となっているカインを【再生者オルクス】として復活させなければ、今の状況は成立しない。


 おそらくは、先程の一幕で女王とカインに関しては『現代と繋がった』のだと思う。あとは流れに沿って行動すればいい。

 しかし、その後はどうなる?


 これだけでは今の状況を作っただけだ。俺は現代に戻り、グレンデルヒを打倒しなくてはならない。その為には、まだ何か鍵となる過去改変が必要になる。

 勝つための布石。俺とコルセスカの存在を取り戻し、グレンデルヒと力士ゾーイを打ち負かし、トリシューラを奪還する。そんな、起死回生の布石。


 そんなものが本当に設定できるのだろうか。

 いずれにせよ、他に選択肢が無いのも事実。

 協力してくれている星見の塔の魔女たちのことを信用するしかない。


 と、チリアットが次の台詞を思い出そうとしてつっかえてしまっているのに気がつく。俺は左手を動かし、彼の左大腿部に最初の数文字を書いてやる。それでも出てこないようだったので、やや強引だが意識に直接台詞を流し込んだ。慣れない感覚に呻き声を上げてしまうチリアットだったが、今度は何とか台詞を口に出せたようだ。


 プロンプターというのは、役者が台詞を忘れた時に合図や切っ掛けを出して思い出させる役割の裏方である。場合によっては舞台袖から台詞を書いた紙を見せることもあるとか無いとか。劇の台詞や演出というのは常に、直前まで、最悪の場合は開幕後ですら変動し得るので、絶対に必要な役割だとはヴィヴィ=イヴロスの談だが――本当だろうか? この劇団の方針が無茶なだけでは、と思わされてしまう話である。


 そんなこんなで、危なっかしいがかろうじて、という案配で進行する舞台。

 街道を進む二人は、劇団の一座と遭遇する。

 劇の中で劇団と遭遇するとは、また妙な寓意を感じなくも無いが、あまり深くは考えないことにする。呪術師の考えた台本なんてどうせ訳が分からないものに決まっているのだ。いちいち深読みなどしていられない。


 旅する劇団は、二人と同じくヒュールサスを目指しているようだ。

 近く行われる祭りで、彼らは舞台公演を行うことになっているのだと、ヴィヴィが演じる劇団員が解説してくれていた。


 なんでも、この辺りで崇められている生と死の神は演劇の神でもあるらしい。

 劇とは神事であり、神へと奉納する儀式でもあるのだとか。

 まさに今、演劇という呪術儀式を行っている所だった。この世界においてはそれは古くから認識されている常識なのだろう。


 その日は野宿となった。夜盗を警戒する彼らは、護衛に辺りを見張らせて夜営の天幕を立てている。二人は劇団員たちの厚意によって天幕に招き入れられる。

 夜半、寝床の提供と引き替えに見張りを引き受けた二人。

 一緒になった若き劇団員が、来るべき舞台に向けて一人稽古をするので見てくれないかと頼み込んでくる。


 快諾した二人は、その男がどのような一人舞台を見せてくれるのかと興味津々に見つめる。すると、男は意外な事を言い出した。

 曰く、


「さあさ、お立ち会い。これより演じますのは【未来回想】の物語、未だ誰も見たことのない、遠い先の物語にございます」


 とのことだが、それがどのような意味合いを持っているのか、俺も含めた観客は揃って首を傾げる。

 演劇という呪術が再演によって過去の改変を可能とするのなら、未来を演じることは、未来の改変に繋がるのだろうか?


 だとすれば、それはどこまで可能なのだろう。

 制約は? 制限は? 限界は?

 もしかしたら、これこそが勝利のための布石なのか?


「つまり、おままごとミミクリをするの?」


 幼い少女らしく、コルセスカが小首を傾げる。

 彼女の言葉こそよく意味がとれないが――何かのキャラクター表現だろうか――何から何までわからないことだらけだ。

 俺の疑問を置き去りにして、過去を演じる劇の中で、未来を演じる劇が始まる。




 四英雄が一人、盗賊王ゼドは満身創痍だった。

 盗賊の王、という二つ名が示すように、正面切った戦いが得意な武闘派ではけっして無い男だ。しかし、だからといって弱いかと言えばまるでそんなことはなく、あくまで四英雄の中では戦闘は不得手な方だというだけの話にすぎない。


 そして、四英雄最強とも謳われるグレンデルヒ=ライニンサルはコルセスカをも凌ぐ武闘派である。

 どのような状況でも力を発揮できるスペシャリストにしてオールラウンダー。

 万能の才人、それがグレンデルヒだ。


 音速の突進、超音速の銃弾を容易く回避し、すれ違いざまに反撃の拳を叩き込む。そればかりかカード型端末に封じられた呪術を解放して追撃を加え、突撃槍と一体となって戦うゼドを引きずり降ろし、床に叩きつける。


 倒れた身体を蹴り上げ、浮いた所へ掌打、肘打ち、飛び上がっての膝蹴り、倒れる直前にまたしても追撃をかけて延々と打撃を加え続ける。

 空中に浮かせられたまま練武場の端まで追い詰められたゼドは、グレンデルヒが放った渾身の一撃によって壁に叩きつけられ、今度こそ昏倒した。


 圧倒的な実力。

 シナモリ・アキラの存在を奪っているにも関わらず、その力は一切使っていない。グレンデルヒの動きはサイバーカラテのものではなかった。それは彼が自ら築き上げた体系でありながら、しかしサイバーカラテの動きをも超越している。


 サイバーカラテは凡人が膨大な物量と雑多とも言える程の多様性によって極限の汎用性を突き詰めた集合知の武術。

 対して、グレンデルヒのそれは超人が最適効率を追求して『無駄』を削ぎ落とした芸術的な天才的武術。


 かつて、ゼドはサイバーカラテ道場師範代のシナモリ・アキラと引き分けた。

 だが同じシナモリ・アキラの存在(つまり肉体)を用いて、これほどの差が出るということは、つまりサイバーカラテではグレンデルヒの天才性に及ばない事を意味している。


 絶望的な結論。

 このままでは、グレンデルヒによって巡槍艦は陥落し、ガロアンディアンは終焉を迎えるだろう。何故か連絡が途絶したままのトリシューラも、見つけ出されるのは時間の問題だろう。力士ゾーイが消えたことなど問題にならないほどの、それは圧倒的な勝利であった。


 だが、その時。

 それでも立ち上がろうとする者が、一人だけ存在した。

 トライカラー(黒と白と茶)の犬頭。耳の垂れた、ビーグル犬に似た獣人。


 【マレブランケ】の新参者、グラッフィアカーネが、獰猛な唸り声を口から漏らしながら、凄絶な殺意を放射していた。

 彼が見据えているのはただ一人。

 不快そうに眉を顰めて、グレンデルヒが虹犬の若者を見た。


「何か、用かな?」


 グラッフィアカーネは唾を吐き捨てて答えた。


「【マレブランケ】に入ればいずれその機会が訪れるだろう――か。本当だ。それも思っていたよりずっと早い」


 力士に投げられたダメージが残っているのかふらつきながら、それでも凶暴な殺意が両足を動かす。懐から片側が鈴になった金剛杵を取り出すと、ガラガラと鳴らす。音と共に稲妻が放射された。


「グレンデルヒ=ライニンサル! 待っていたぞ、この時を!」


 踏み込みはまさしく雷光そのものだった。

 カーインを下した時のような待ちの姿勢などまるで見えない。

 殺意そのものとなって疾走するその全身が、電撃に包まれて床に敷かれたマットを焼き焦がしていく。


 グレンデルヒの表情が、微かな警戒の色に染まる。

 英雄は、ここにきて後退を選んだ。大きく距離を置こうとして、足ががくりと崩れる。合気の要たる『崩し』は既に始まっていたのだ。


 合気が操作するのは生体電流だけではない。脳の電気生理学的反応、筋電位に及ぶまで、ありとあらゆる生体に干渉することにより、自他の脳神経系すら掌握するという呪術である。


 達人は特殊な予備動作や呼吸法を用いて相手に強烈な暗示をかけ、操り人形のようにしてしまうという。若きグラッフィアカーネは、それを特殊な呪具を用いることで擬似的に再現していた。


 直接触れること無くグレンデルヒの体勢を崩した虹犬は、そのまま間合いへと踏み込むと蓬髪の英雄を掴み、豪快に投げ飛ばした。

 外世界の達人級たる力士には敗れたものの、グラッフィアカーネはカーインすら下した柔術の達人である。その一投はグレンデルヒをして驚嘆する完成度、そして自然さであった。あえて受けてもいいと思わせてしまうほどに。


 床に叩きつけた蓬髪の男、その喉元へ一直線に突き込まれる金剛鈴こんごうれいが、ガラガラという音、すなわち雷鳴を模した呪文を鳴らしながら稲妻の刃を形成していく。グレンデルヒが展開した呪術障壁と激突、拮抗して火花を散らす。


「サイザクタートの仇だ! 幼馴染みを二度も殺した地上の英雄どもめ! お前とアズーリア・ヘレゼクシュだけは、この手で殺してみせる!」

 

 グラッフィアカーネは目を血走らせて絶叫した。

 激怒する虹犬を興味深げに見ながら、倒れたグレンデルヒは口を開く。


「そうか。友の仇、か。なるほどなるほど、人には様々な事情、物語があるものだな――ところで、そのサイザクタートというのは誰だろうか? 倒した相手はなるべく覚えておくようにしているのだが、弱い相手はいちいち記憶していなくてね」


「貴様あぁぁっ!!」


 吠えるグラッフィアカーネが、突如として発生した斥力によって弾き飛ばされる。転がりながらも受け身を取って体勢を立て直すが、直後に呪術による追撃が彼を襲う。痛みに呻きながらも、前を見据えた。


 そこには、超然とした佇まいで浮遊するグレンデルヒが不敵な笑みを浮かべていた。その手の中に、いつの間にか見慣れぬ魔導書が現れていた。


「健闘を讃えて、私も少しばかり本気でやろうか。この【神々と128人の魔法使いたち】は『制御盤』でね。意味がわかるだろうか? まあ私としては」


 壮絶な呪力が放射され、夥しい量の文字列が世界を歪めていく。

 グレンデルヒが、口の端を吊り上げた。


「できるだけ粘って、楽しませて欲しい所だ」


 


 

 不可解な劇中劇が何の説明も無いまま幕を閉じ、一夜が明けた。もちろん、劇の中での話だ。実際には背景と光量が変化しただけである。

 しかし、気になるのは劇の内容。

 あれは明らかに、現在進行形で起こっている俺たちが消えた後の戦いの状況だ。


 もしかすると、実際には誰も立ち上がれず、圧倒的なグレンデルヒの力によって全滅してしまうのが本来の未来なのかもしれない。

 それを、ここで『ゼドたちが時間稼ぎをしてくれている』という劇を演じることで、実際にグレンデルヒの勝利を先延ばしにしているのか。


 あれが実際に起きている未来なのか、それともああして演じられたことで、『グラッフィアカーネの抵抗』という状況が構築されたのか。

 何もかもわからない。

 ヴィヴィも詳しく説明してくれる気が無いようだし、とにかく目の前で起きていることをそのまま受け入れるしかないだろう。今の所は。


 そうして色々と諦めていた俺だったが、呪術によって仮想的に存在する『思考台本』をもう一度確認して目を疑った。

 内容が、変化している。

 何が起こっている?


 その疑問を抱く前に、変化した内容それ自体にも驚かされた。

 だって、その内容というのが。


「おお、なんと立派な外壁だろうか! ここがヒュールサスか!」


 チリアットの、やや緊張した声が俺の思考を遮る。ぎこちないが、声量は十分である。俺が言うのもなんだが、素人芝居としては上等なのではないだろうか。

 そして俺は、場面が問題の変更箇所であることに気がついた。

 慌ててチリアットの思考に変更を伝える。


 かろうじて俺のフォローは間に合った。

 チリアットとコルセスカの目の前に、大きな、ずんぐりむっくりした影が差す。

 巨体を揺らす『それ』は、獣と人の中間のような姿をしていた。


「こんにちは、おじいさん。あなたは一体だあれ?」


 幼い少女が問いかけると、やや遅れて反応が返ってきた。


「こんな年寄り犬の名が気になるのかね、お嬢さん」


 彼が、虹犬種と呼ばれる獣人種族であることは、一見してすぐにわかる。

 だが、特徴的な身体的特徴が一つ。

 それは、その犬のような頭部が三つ存在する事。

 中央の、皺だらけの頭が口を開く。

 

「儂はサイザクタート。このヒュールサスのしがない門番さ」


 老いた三頭犬は、先程聞いたばかりの名前を口にして、穏やかに微笑んだ。




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