4-18 星見の塔トーナメント①




「発勁用意! NOKOTTA!」


 清澄な空気を、サイバーカラテユーザーたちの力強い発声が切り裂いていく。

 溢れかえる汗と熱気が冬場の冷たさを押しのける様は圧巻と言っていい。比喩ではなく、立ち上る熱は湯気となって広々とした空間を暖めていた。

 間近で見ていると、今が冬であると言うことを忘れそうになるほどだ。


 霊木板を組み合わせた床は広く、試合用のジョイントマットは転倒や衝撃のダメージを効率的に吸収する防御呪術が付与されている。

 同時に八ヶ所で試合を行えるだけのスペースに、溢れ出さんばかりの人が詰め込まれており、そこには第五階層そのものとでも言うべき混沌が凝縮されていた。


 種族、年齢、性別、ありとあらゆる猥雑がてんでばらばらに声を上げ、好き勝手に行動している。高い天井に浮遊絨毯で昇って試合を念写撮影したり、試合を妨害しようとしたり、何に使うのかわからない賞品を売りさばこうとしたりしては警備ドローンに掴まって連行されていく。恐らく行き先は『反省室』だろう。


 立体映像の掛け軸が『心頭滅却すれば火もまた涼し、心頭滅却の為の催眠・幻覚呪術の購入は下記のURLをクリック、今ならキャンペーン中で大幅値下げ実施中』の文字を上から下へと流している。自走する自動販売機がペリグランティア製薬の健康飲料を販売して回り、壁一面を透過させるほど巨大な採光窓からは世界槍と広大な外界の様子が覗いていた。


 巡槍艦ノアズアークは『港』を離れ、世界槍の周囲を巡航中である。世界槍の呪力で航行しているので、離れ過ぎて墜落しないようにつかず離れず、衛星のようにぐるぐると回り続けていた。


 広々とした空間は大まかに八つに区切られ、各ブロックでは試合が行われていた。周囲を参加者や観客が取り囲み、歓声を上げている。

 観客といっても、このトーナメント会場にいるのはほぼ全てがサイバーカラテユーザー、つまりはサイバーカラテ道場の第五階層支部に通ったことがある面々ばかりだ。


 知らない顔のほとんどは通信受講者だと思われる。サイバーカラテユーザー以外もいるがごく少数派だ。

 インドアユーザーやカジュアルユーザーといった積極的には実戦をしない層、いわゆる格闘技マニアたちが、それぞれ試合についてコメントしたり独自の改善案を考案したりと議論を交わしていた。


 実戦データを収集できるこのような場所は、サイバーカラテユーザーにとって垂涎の『狩り場』である。

 こうして多角的にデータが集積され、そこに様々な視座からの考察がなされることでサイバーカラテという総体は更なる適応力を獲得していくのだ。


 サイバーカラテユーザーがいわゆる比武、武術大会を定期的に集まって行う事を好むのはこうした事情がある。

 個人が休日に知人を家に集めて行う小規模なものから、このように国が大々的に宣伝して行う大規模なものまで、それはガロアンディアンの日常に根ざしていた。今やサイバーカラテは第五階層の国民的スポーツである。


 ここは巡槍艦下層に増設された圧縮空間内部に構築された練武場。

 サイバーカラテのインストラクション動画を撮影する他、デモンストレーションや武芸の奉納儀式、道場の門下生を集めて御前試合を行うといった用途に用いられる。トリシューラが第五階層に道場を建てるまではここをサイバーカラテ道場第五階層支部として使っていたものだ。


 原則として土足が推奨されているため、蹴り技の威力はひどく険呑だ。場合によっては怪我人も出る。今も、鋼鉄が入った靴での蹴りが直撃した男性が救護ドローンによって運び出されていくという光景が目に入った。


 サイバーカラテは拡張身体としての靴、義足を用いる事を前提とした武術だ。

 感度が鈍るからと裸足に拘るものもいるが、多くの者は敷かれたマットの上で頑丈な靴や義足を動かしている。


「さっきの人、大丈夫でしょうか。心配だなあ」

 

 隣で観戦しているレオが呟く。

 体調が思わしくない俺を気遣ってあれこれと世話を焼いてくれる少年は、セージでなくとも魅了されるほどに愛らしい。


 茶白の猫耳が微かに動くたびにセージの表情が緩み、彼が甲斐甲斐しく俺にかまい付ける度に忌々しげに舌打ちする。

 更にはそれを遠巻きに見ているファルが陶然と溜息を吐いていた。

 何なんだこの構図。


「サイバーカラテの試合ではよくあることだ。流石に首や目、急所なんかへの攻撃は禁止されてるし、死人や重傷者が出たりはしないから大丈夫だろう」


 安心させるようにそう言うと、レオは「良かった」と目を細めて小さな肩を撫で下ろした。

 セージの表情が目まぐるしく変化し、それに見とれていたファルが対戦相手の一撃を喰らって昏倒する。試合中に余所見するからだ。自業自得である。


 ファルの敗北によって試合会場が空き、比武は滞りなく進行していく。

 そう――ここで行われているのは、武術の腕前を競い合う比武――そのトーナメント戦だ。


 第五階層から広く強者を募り、己の武威、流派の誇りを世界に示すための大会。

 急な開催にも関わらず、告知後にサイバーカラテユーザー以外のエントリーが殺到したのはこの世界に於いて名誉や栄達が即物的な価値に直結するためであろう。


 アストラルネットで全国中継されているため、敗北は名誉の失墜、勝利は存在の強度の上昇を意味する。

 コルセスカが言うところの『名声値』をかけた勝負は、この世界において極めて大きな意味を持っているのだった。


 トリシューラ不在の今、あえてこのような催しをするのには幾つか理由がある。

 女王陛下が不在のこの時期であるからこそ、俺を始めとしたサイバーカラテ道場の武力を定期的に示す必要があることもそうだし、【マレブランケ】の練度を高める目的もある。


 現在【マレブランケ】の構成員は五人。トリシューラは最大で十二人まで増やす予定だと言っていたが、彼女のお眼鏡に適う使い手がそうそういるはずもない。

 めぼしい人材がいれば勧誘するようにとトリシューラから言いつかってはいるのだが、今回は勧誘は二の次三の次である。


 トーナメントを行う、なによりも大きい理由は二つ。

 ひとつは、【変異の三手】に対する誘い。不安定な状況を打開し、一気に決着をつけるためである。

 敵対勢力がこちらを付け狙っている状況下で、わざわざ拠点である巡槍艦に不特定多数を招き入れるような真似をすれば、露骨な罠だとあちらも気付くだろう。


 来ないならば来ないでいい。

 ただし、俺たちは既に名指しで公開挑戦状を叩きつけている。

 来なければ一方的な勝利宣言を行い、相手の名声に攻撃を加えるだけだ。そしてそれを許せば、【変異の三手】の呪的な格は凋落する。

 

 つまりこれはこちら側からの能動的な攻撃なのだった。

 思惑は上手く嵌った。

 既に【変異の三手】に所属している探索者たちのエントリーを確認している。

 流石に手練れ揃いで、順調に初戦を勝ち上がってきていた。


 懸念としてはリーダーであるグレンデルヒと三人の副長の姿が見えないことがあるのだが、黒いローブで全身を隠している『自称夜の民』が四人いる時点で察してくれと言っているようなものだ。


 なお全員身長は平均的な夜の民どころかギネス記録級のアズーリアやラズリ以上であった。

 俺が言えた事ではないが、まじめに変装しろ。


 大会を開催したもうひとつの理由としては、俺の不調を迅速に治し、万全の体勢で襲撃に備える為、というのがある。

 この【星見の塔トーナメント】はコルセスカの発案で行われている、歴史のある呪術儀式だそうだ。


 星見の塔で行われ続けてきた、闘争の祭典。

 それが今、名前はそのままに、形を変えてこの場所に甦っているのだった。

 一定の手順に従い、とある形式をなぞることで俺の回復が可能になるらしい。コルセスカ本人もトーナメントに参加して順調に勝ち星を挙げている。


 恐ろしい事に、コルセスカは呪術を一切使っていない。

 穂先に布を巻いた試合用の三叉槍を振るって武技のみで勝ち上がっている。

 武術を競う大会であり、投射型の邪視はルール違反なので当然と言えば当然なのだが、しかしコルセスカが後衛というのは一体何だったのか、と思えてならない。


 第五階層には上下の勢力から腕に覚えのある探索者が集まってくる。

 よって、試合はかなりレベルの高いものとなっていた。

 余りにも動きが速いため、機械による判定が行われているほどだ。


 浮遊する無数のカメラアイに、立体幻像の審判が正確無比な判定を下していく。

 二頭身のデフォルメ魔女は、何故か黒い烏帽子に男性用の衣服であるはずの直垂ひたたれを身につけており、更には軍配団扇を手にしていた。いつも通りの微笑みを浮かべているのだが、装いのせいかやや奇妙な印象が拭いきれない。


(行司シューラだよー)


 柔らかな緑色の瞳が、荒々しい激闘を子犬のじゃれ合いか何かのように見守っていた。無感情な笑顔はいつも通り。予定通りなら、『本体シューラ』は今頃月で言語魔術師試験を受けているはずだが、大丈夫だろうか。


 そんなことを考えていると、頭でっかちの顔がこちらを向いた。

 視線が絡み合う。

 思考が同期していないため、何を考えているかはわからない。


 ――なぜか、奇妙な違和感を覚えた。

 それが、俺の脳内ちびシューラが復旧できずにいることが原因なのか、同期が切れたままであることが原因なのかはわからないが、とにかく奇妙な感覚としか言いようが無かった。

 

 兎にも角にも、状況は進んでいく。

 次々と脱落していく敗者たちと、勝ち上がっていく勝者たち。

 今回は敗者復活戦が無いため、負けた者は大人しく観戦に回るしかない。


 本来、戦いには相性があり、より厳密に勝率で『強さ』を判定しようと思えば総当たりのリーグ戦の方がいいのだが、そこは時間の問題、盛り上がりの問題というものがある。


 特に新生したばかりのサイバーカラテは参照する戦術理論が極めて多岐にわたり、最善手の統一見解について合意形成に至っていないものが数多くある。

 ちびシューラによるアシスト機能によってかろうじて機能していると言って良いのだが、それでもどの戦術を選択するかについての最終決定は未だ当人の匙加減次第、というのが現状だ。


 本来のサイバーカラテの理念からすれば自分自身で戦う道を選び取るようなことはあまり望ましくないのだが、そうしたデータを積み重ねていけば最終的には決定を外部に委ねることが出来るようになるので、ある程度は必要だと割り切らなければならない。


 よって、ここで『読み合い』が発生する。

 対戦相手は膨大なサイバーカラテのデータベース、プールされた戦術理論、武術体系から取捨選択して試合に挑む。


 相対する同じサイバーカラテユーザーとしては、その傾向を読んで、その武術体系に最も有効な応手を構築することが勝ち筋となる。

 未だ完成形とは言えないサイバーカラテ同士がぶつかり合うことで、選択した武術体系の相性によって勝敗が決定する、と言うことがあちらこちらで起きていた。


 インドアユーザーたちは情報戦を繰り広げ、トリシューラからのお咎めがない程度に勝敗予想で賭が行われ、メタゲームに敗れた強者が第五階層ランキング下位の相手に敗北する。


 現環境下における一つの流行はカーインの摸倣だが、同レベルで内力を操れる使い手がいない為、当人と相対してしまえば敗北するしかない。

 そのためカーイン対策がトップメタであり、更にそのアンチがそれに次ぐ数だけ存在する、という状況になっていた。


 だが、ロウ・カーインはその程度の対策などものともしない。

 「拡張身体だ」と言い張って重装甲を纏った対戦相手を重さを増した下段蹴りで攻めて足に負荷を集中させて膝をつかせる、相手の力を利用した柔法で投げ飛ばすといった当然とも言える対応を見せて勝ち星を重ねていた。


 対策をしているのはサイバーカラテユーザーだけではない、ということだ。

 カーインが鮮やかに勝利していく度に、俺の脇でレオが歓声を上げる。相変わらずの強さを見せるカーインに少しばかり心がざわついて感情が凍りかけたが、レオが喜んでいるのを見ると些細な事に思い煩うことが愚かしくなる。茶縞の耳が小さく動くのが可愛らしい。


 一方、トーナメントは順調なばかりではなかった。

 人が集まれば、トラブルも発生する。

 典型的なのは、判定に対するクレームだ。


 カメラに写されると魂を奪われる、機械など信用出来ない、という物言いがつく場合は、副審であるゼドの出番となる。

 四英雄の権威と説得力は絶大なのか、彼の判定にまで文句をつける参加者は皆無だった。


 ちなみに銃の使用は禁止であるためゼドは不参加だ。更に言えば、影響力が大きすぎるので迂闊に力関係を明確にするような大会に出る事は望ましくない。なお、同じ四英雄のコルセスカはまったく自重する気が無い模様。


 銃士になりたての【マレブランケ】の一人、カルカブリーナもまた徒手空拳での出場となったが、彼は初戦で敗北していた。

 カルカブリーナを破ったのは、黒色のフード付きローブで全身を覆い隠した参加者だった。夜の民に関しては呪術的事情があるので風貌を隠すことを咎められないのだが、まあ正体はほぼ間違い無く【変異の三手】の幹部たちだろう。


 フードの下を暴くことは簡単だが、露骨な変装であっても咎めることは人種差別だと非難されかねない。全世界に生の映像を配信している最中にそれはまずい。

 勝ち上がるにつれて、四人いた黒衣の参加者がそれぞれ仲間同士で戦う組み合わせとなってしまい、うち二人が棄権した間抜けさに免じて内側を曝くのは後にしてやろう。


 その場を辞した二人が群衆の中に消えていくのをファルとカル、公社の人員に追跡させながら、俺はいよいよ終盤を迎えつつあるトーナメントを注視した。

 勝ち上がってきた猛者たちもついに八人にまで絞り込まれ、ドローンたちがジョイントマットを組み替えて一つにしていく。


 ここからは全試合が一つずつ消化されていく。

 ショウとしての側面を考慮して、多少時間がかかっても盛り上がりを重視したいというのがコルセスカの考えのようだ。呪術儀式を成功させるためには観客の熱狂が必要になってくるらしい。


 思惑通り、準々決勝を目前にして会場は段々と盛り上がっていく。

 その観客席(といってもパイプ椅子を並べただけだが)で安静にしている俺の元に、のしのしと足音を立てて近付いてくる者があった。


 大きい。

 そして、凄まじい凶相であった。

 肉体各部の太さ、厚み、そして高さと重さにおいて、この男を上回るものはそう多くはないだろう。


 彼の容貌は、ブルドッグの頭部を持った獣人、という言葉で簡単に形容できる。

 しわくちゃの顔面は醜さと愛嬌が鬩ぎ合う何とも味のある皮の弛んだものだ。

 初対面の時、レオが『洗顔が大変そう』などと間の抜けた事を口にしてしまい、大いに笑われたのは一ヶ月――2,592,000秒ほど前のことだ。


「いやあ、負けた負けた。カーインの奴、まぁた強くなりやがったな。追いつけるのはいつになることやら」


 ベストエイトを決定する戦いで惜しくもカーインに敗れた男は、俺の隣の席にどしりと座り込んだ。加重にパイプ椅子が軋む。


 このブルドッグのような男の名はカニャッツォ。

 【マレブランケ】の一員であり、虹犬ヴァルレメスという犬の獣人――そして『下』の出身者である。


 元々公社の地下興行であった蠱毒デスマッチで、長くチャンピオンとして君臨していた男だ。ロドウィによって奴隷同然の扱いを受けていたにも関わらず公社に――というよりも幹部の一人であったアルテミシアに忠誠を誓っており、一時は俺たちを仇と見定めて対立していた。


 俺とカーインに連戦連敗し、トリシューラに屈伏させられ、とどめにレオに絆されたことで今ではすっかりガロアンディアン王国民となっている。


 古いリングネームを捨て、新たにカニャッツォという名前で再スタートし、いずれ俺とカーインを超える力を身につけてガロアンディアンの頂点に返り咲く事が今の彼の目標らしい。


 『合法化』された表の闘技場で再スタートを切った彼の格闘家人生はそれなりに順調のようだ。

 カーインに敗北したにも関わらず、その表情に暗さは無い。ただただ、前に向かおうとする意欲が漲っていた。


「お疲れさん。この間よりはいいとこまで行ってたように見えたが、やっぱ問題は足だな。後半、かなり下半身にきてただろ」


「おう、じわじわ効いてくるんだ、あの蹴りが。お前の両腕がやばいのは見ればわかりやすいんだが、カーインの奴はむしろ足のほうがやべえ」


 俺からすると、点穴を衝いてくる貫手の方がよほど怖いのだが、確かにカニャッツォの言う通りあの速く正確な蹴り技は驚異的の一言だ。

 長身であるが故の打撃の重さも侮れない。


 第五階層屈指の手練れであるカニャッツォをして認めざるを得ない実力者、それがロウ・カーインなのだった。

 隣でレオがカード型端末を操作しながら口を開く。


「えっと、準々決勝の最初の試合はカーインの試合からみたいですね。ここまで来て呆気なく負けたら恥ずかしいですけど、相手はどんな方なんでしょう」

 

 何故かカーインに対して微妙に厳しいレオである。誘拐犯だったからか。

 彼の疑問に答えるべく俺もまたレオの端末を覗き込む。

 見慣れない名前だった。

 にもかかわらず、そのカタカナの文字列に既視感がある。


「グラッフィアカーネ――ってこれ確か、トリシューラが言ってたマレブランケの予定名簿の中にあった名前だな。偶然、じゃないよな。新メンバーか?」


 聞いてない。が、トリシューラが俺に黙って事を進めるのはいつものことなので特別に驚くようなことでもない。

 既に『新たな名』を与えているのだとすれば、この人物もまた仲間ということでいいのだろうか。


 審判である行司シューラがカーインとグラッフィアカーネの名前を高らかに呼ばわり、試合会場となった練武場の中央に両者が進み出ていく。

 足を隠す立体幻像を纏った道服の男。長髪を天眼石で束ねる長身の美丈夫の名はロウ・カーイン。


 対するのはそれに比べるといくらか体格で劣る若者だ。

 身長は俺と同じ程度だろうか。

 どうやら種族はカニャッツォと同じ虹犬らしい。


 歳はそれなりに若く、レオやファルよりも少し上の十代後半と言ったところだ。

 ブルドッグ氏族ではなくビーグル氏族で、垂れ耳がどこか愛嬌を感じさせる。

 毛並みは良く、色はトライカラーの白、黒、黄褐色タンである。


 片方に鈴が付いた金剛杵と思しき武器を手にしており、それをガラガラと鳴らしているのは、何らかの呪術的パフォーマンスだろうか。

 カニャッツォがブルドッグ顔をにたりとした笑みの形にして説明を加えた。 


「実は、俺がトリシューラの姐さんに紹介したんだよ。ジャッフハリムにいた頃にちょっとした縁があってな。まあ見てな、かなり使える奴だからよ」


「あのトリシューラが認めて、プライドの高いお前が保証してるってことは相当だな。どんな戦いを見せてくれるのか、少し楽しみだ」

 

 というか、対戦カードを見ていると他にも気になる名前が並んでいるのだが、これは見間違いじゃないんだよな。

 レオが手にしている端末をもっと良く見ようとして身を寄せる。


 ガタッという音がしたので視線を向けると、パイプ椅子から勢い良く立ち上がっている人がいた。暗色のヴェールに隠れた表情が美しい。店員さんことラズリ・ジャッフハリムさんである。何故か息が荒く顔が赤い。


「ふわー」


 頬に手など当てたりして、なんだかよく分からない反応である。

 食い入るようにこちらを見つめている。


「――あっ、ええと、ごめんなさい!」


 縮こまるようにして椅子に座り直す店員さん。この謎のアルバイター探索者は何故か大会に参加しており、しかも勝ち上がってきていた。

 今は大人しく観戦しているが、いざ試合となると恐るべき鋭さで杖を操って相手をねじ伏せる。てっきり後衛だとばかり思っていたのだが、杖術の心得もかなりあるようだ。


 そして次のコルセスカの対戦相手こそ、彼女なのだった。

 大変心苦しいが、コルセスカに肩入れする以外の選択肢を俺は持っていない。

 というわけで応援はできない。誰だよこんな対戦カード作ったのは。トリシューラか。じゃあ仕方無いな。


 向かい合ったカーインとグラッフィアカーネの間に緊張が横たわる。

 行司シューラの合図と共に、カーインが疾走する。

 放たれたのは派手な蹴り技だ。


 絶え間なく繰り出される連撃を、小柄なビーグル犬の獣人は自然体のまま回避していく。身体からは完全に力が抜けており、とても戦いに挑む武人とは思えぬたたずまいだ。しかし、正確無比な蹴りの数々を全て見切っているのも確かな事実。


 と、グラッフィアカーネが手に持っていた金剛杵を懐にしまい込む。この場に合わせてか、彼は白と黒の袴を着ていた。

 流れるように動き続ける虹犬を確実に仕留めるため、より正確性と速さを求めてカーインは一撃必殺の貫手を解禁する。


 内力を送り込む量を調節すれば死ぬ事は無いといっても、かなり過激な手段だった。カーインの恐ろしさを知る者たちが一斉に息を飲み、哀れな虹犬が昏倒する未来を予感する。


 しかし、そう結論するのは早計というものだった。

 腕が霞むほどの速度で放たれた貫手が、ぐるりと回転する。

 いや、回転しているのはカーインの全身だ。


 獣人は手刀によってカーインの貫手の勢いを受け流し、その上で力を完全に無駄なく利用して中心軸を崩し、投げ飛ばしたのだ。

 接触点はつかず離れず、完璧な調和を保ってカーインを『運んで』いく。

 気付けば、カーインとグラッフィアカーネの呼気が完全に合一していた。


 脱力した虹犬の身体、その重心を軸にして円弧を描くようにして力が完全に受け流され、あたかも二人で協力して技を組み上げたかの如き状況が出来上がっていた。あまりに見事すぎて、打ち合わせの上の八百長ではないかと信じかけてしまう程に、それは鮮やかなカーインの敗北だった。


「円転の理――合気か!」

 

 思わず言葉が漏れ出した。

 グラッフィアカーネの胸元から覗く金剛杵が、濁った鈴の音をガラガラと鳴らしながら稲光を放っている。全身に青白い稲妻を纏わせた犬の獣人は、おそらく呪術で生体電流を増幅して自らの肉体を完全に制御し、更には相手の神経反射を制限することで自他の動きを完璧に合一させて技をかけたのだろう。


 生体電流を利用した合気の技は俺の基礎知識、つまりは前世にも存在している。

 サイバーカラテで言えば電磁化勁が近いが、相手の呼吸を読みとって『機』を見極める能力はどちらかと言えば俺が失った【Doppler】と【サイバーカラテ道場】のアプリ連携戦術に近いものがある。


 勝敗は決したかに思われたが、そこで物言いが入った。

 呪術で相手の肉体に干渉したのはルール違反ではないかというのだ。

 行司シューラがゼドを始めとした副審たちと話し合いを始める。


 大会ルールでは呪術によって自らの肉体を強化することは認められているが(そうしないとそもそもサイバーカラテユーザーである大半の参加者が失格となってしまうからだ)、相手に対して呪術によって干渉するのは禁止されている。

 カーインもウィルスによる相手の弱体化は禁じ手としているのだ。


 相手の使った『合気らしきもの』をどう捉えるかは微妙な所だ。武術の体系そのものに生体電流による干渉と、それによる自他の合一が含まれているとすれば、それは相手の武術体系そのものに対する否定だ。


 サイバーカラテ的に考えれば、ここはグラッフィアカーネの勝利でいいと思うのだが――そこで、意外な事に本人から声が上がった。


「いえ、ここはルールに違反した俺が退くべきでしょう。勝ちに拘りはありませんし、単にこういう催しに参加して自己紹介の代わりにしたかっただけなので」


 どこか覇気の無い口調でそう言うと、あっさりと身を翻して観客席の方へ去っていく。というか、知り合いらしいカニャッツォの隣にやってきた。俺を見ると、無言のまま目礼してくる。なんとなくこちらも目礼。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る