4-8 白骨迷宮



「陛下。お願いがございます」


「貴方は陛下って言ったり大姐って言ったり先生って言ったり、呼称が安定しないよね。まあ何でもいいけど」


 トリシューラであることすら認識していれば。

 言外の意味を含ませながら、振り返りもせず答えた。


 赤い髪の少女はドローンを操作して家畜化された男女を搬送させて行く。向かわせた先は巡槍艦ノアズアーク。


 ガロアンディアン――どころか世界最先端の技術の結晶であるあの場所ならば、壊された心身を少しずつ『修復』することも可能である。

 心とは、脳を含む肉体の全てでありその認識が及ぶ連関全てだ。少なくともトリシューラはそう定義している。


 例えばトリシューラにとってそれは機械としての自らの意識と部品、更にはそこから派生して彼女の創りだしたもの、そしてある瞬間においては使い魔たるシナモリ・アキラもその中に含まれる。


 破壊された脳細胞を『ちびシューラ』を原型としたプログラムと機械に置き換え、人格を傷つけるばかりのここでの記憶を全て消去した後、そこにいるのが果たして元の『その人』なのかどうかは定かでない。


 そして、彼ら彼女らはその後もトリシューラによって飼われることになる。

 何かしらの文化的な活動を行わされ、ミームを生産するだけの家畜となる人生。

 それは果たして、外から見たときに先程までの状況とどれだけ差があるのか。


 このカルカブリーナは、何をそんなにかしこまっているのだろう、とトリシューラは思う。

 らしくない――期待した性能スペックとは違う行動。

 それは敬意のつもりなのか。彼の履歴、性格傾向のデータは把握している。


 三ヶ月前のエルネトモランの『事件』でのこと。

 第八魔将ハルハハールの魅了呪術によって離反したロシン=バズイ隊の中で、ただ二人理性を保っていた二人のうち一人を殺害し、松明の騎士団を裏切った男。


 その後、魔将側が劣勢に陥るや否やサイバーカラテアプリを用いて裏切ったロシン=バズイ隊を鎮圧。

 動きだけ見れば最適解だと言える。魅了された裏切り者たちの中で一人理性を説いた所で泥沼の戦いになり、無意味に死ぬだけだ。


 元々近接戦闘を得意としていなかった彼は、サイバーカラテを身につけ、更に不意を突くことで状況を打開した。

 だが、仲間殺しは事実だ。それも、異獣と化した相手をやむを得ずに殺すというようなものではない。


 修道騎士の共有記憶に全ての証拠は残されていた。

 行動は正当であり他に手段は無かったという声と、罪は罪であり裁かれるべきであるという声が上がり、議論が交わされた。


 が、正規の裁判を待つこと無く結果は出てしまった。

 槍神教のとある派閥によって捕縛された彼は、苛烈な拷問を受けたのだった。

 開頭され脳髄を洗浄され全身の骨を砕かれ更には皮膚という皮膚を火炙りにされた彼は、死にかけで当時まだ序列十位であったバル・ア・ムントに救出された。


 全身の皮膚の大半を失った状態で生命活動を維持することはできない。

 呪術でかろうじて生きながらえさせることは可能だが、莫大な維持コストを個人で賄い続ける事は到底不可能だった。


 そこでリールエルバが手を差し伸べる。

 裏切り者として処断された男はガロアンディアンに送られ、そこでトリシューラの特殊な処置を受けて失った皮膚を取り戻したのだった。


 第五階層の住人が獲得する物質創造能力。それによって、自分で自分の皮膚を絶えず維持することで彼はかろうじて生命活動を行えている。

 彼は第五階層から出れば即死する身であり、アキラ同様、根っからのガロアンディアン人となる他に道は無い。


 【マレブランケ】の一員カルカブリーナとして新たに生を受けたその男を、トリシューラはそこそこ重用していたが、同時にある程度までしか信用していない。

 冷静に状況を把握し、保身と危険性の天秤を良く見極めようとする慎重な性格。

 それは長所であり短所でもある。


 どちらも同じ性質に由来するものだ。無理のない指示、無理のない配置をすれば正常なパフォーマンスを発揮するだろう。むしろ扱いやすいタイプだった。


「どうか、俺を降下する部隊に加えて下さい」


「【鬼火】を助けたいんだね?」


 しかしどうしたことだろう。

 そんな彼が、危険に満ちた地下へと積極的に向かわせて欲しいと自分に頭を下げている。おそらくは、窮地にある誰かを助け出す為に。

 らしくない。データを参照しながらそう思う。


 無論、理屈はわかる。

 バル・ア・ムントは彼にとって恩人だ。

 加えて、もう一つ、より大きな事情があった。


「俺は槍神教が運営する孤児院で育ちました。あの人もそこの出身です。時間を見つけては、あの人は顔を出してガキどもの面倒を見てくれていた。俺も世話になりました」


 補足すれば、バルは修道騎士としての少ない給料を孤児院に寄付していた。

 休みの日は職員の手伝いとして(つまり給金は出ない)働く男の評価は高い。

 人格者、あるいは模範的な修道騎士である彼は名実共に序列十位の座に相応しいと言えるだろう。


「お兄さん――ううん、年齢差を考えればお父さん、といった所なのかな」


「それは――その」

 

「変に照れてると真剣さが伝わらなくって無視されるかもよ? 私、前に痛い目を見て以来、行動重視だから」


「そ、そうです。親の顔は知りませんけど、親父みたいだと思ってました!」


 素直でよろしい、と少女はそこでようやく振り返った。

 跪くカルカブリーナはゴーグルを額に持ち上げて、視線をトリシューラに向けている。強い意思のこもった眼差しだと、表情筋の動きと強ばり方から判断する。


 個人の歴史から生起される『物語』は呪文の領分だ。

 個人の性能から予測される『機能』という杖の領分からは逸脱した動き。

 間近に迫った言語魔術師試験、その実技科目を思う。

 一級になれないのは、実技で点を取れないから。


「うん、いいよ」


 ――少しだけ、思うところがあったけれど。

 柔らかく微笑んで、トリシューラは嘆願を聞き入れた。


「そもそも、アキラくんを回収しなきゃだし。私が直接降りるよ。護衛である貴方にも当然ついてきて貰う」


「ありがとうございます」


 礼には及ばない。本当に、最初からそのつもりだったのだから。

 ちびシューラから送られてくる情報から、下の状況は把握している。

 問題は無い。アキラは大丈夫だ。


 けれど、彼と過ごした時間の積み重ね、僅か三ヶ月ほどの出来事と。

 それまでに彼を想って待ち続けた長い長い時間を参照すると、何か合理的な優先度を超えて、行動を急かすような衝動が生起される。


 これが高位の呪文だろうか。

 機械語から低水準言語、中間言語、高水準言語、自然言語へと翻訳を繰り返すという膨大な処理を積み重ね、ようやく呪文という処理の本質に間接的に迫ることができるトリシューラに、言語魔術師としての才能は乏しい。


 人ならぬ身で擬似的に紡がれる呪文。

 似たような適性を有する競争相手、メートリアンに杖では圧勝しながらも呪文では僅かに負け、そして追い越して、という事を繰り返しながらここまで来た。


 三ヶ月ほど前から、あの白い好敵手はその資質を更に急成長させている。まるで止まった時間が急激に動き出したかのように。

 同じく準一級である彼女は、きっと今回の試験で一級になるだろう。

 自分が落ちていてはお話にならない。たとえ専門分野でなくてもだ。


わたしたちからは遠いようで近い呪文げんごか――アキラくんにとって、それはどんな意味を持つのかな?」


 小さく呟く。

 ちびシューラにも伝えない、トリシューラの中でだけ完結する問い。

 緑色のまなざしは、深く開いた穴の奥へと吸い込まれていった。

 



 激昂しているにも関わらず、撤退の判断は迅速だった。

 槍を持って車輪のように回転するバルが死人を蹴散らし、俺の左腕がロドウィの腹部を激しく打ち据え、続く肘打ちが会心の手応えを返す。


 修道騎士が突き出す燃えさかる赤い穂先が珊瑚の角と激突し、無数の泡は彼が持つリールエルバ特製の護符によって防御される。

 松明の騎士団屈指の剛力と槍捌きは全力のロドウィすらたじろがせるものだった。不利を悟った巨大な蛙は跳ねながら闇の中に逃げていった。


 恐らく諦めてはいないだろう。機会を窺い、必ずまた襲撃を仕掛けてくるはずだ。腹を決めた復讐者の執念深さと厄介さは悪鬼の件で実感している。

 人造の狂怖種ホラーもまた乱戦の際に手傷を負ってどこかに消えていた。


 周囲の死人を倒し、ロドウィと戦っているうちに最初に落ちた場所からかなり離れてしまったようだ。

 バルの照明だけが頼りだが、そこは更に複雑さを増した地下迷宮の第二層。

 上に戻るためにはどうにかトリシューラと合流しなければならない。


 幸い、ちびシューラの同期は切れていない。

 位置情報をやり取りしながらお互いを目指していけばじきに合流できるだろう。

 問題は無い。

 ひとつを除けば、だが。 


「ええと、バル・ア・ムントさん」


「バルで構わんよ。ガロアンディアンの頂点たる女王陛下の直属の使い魔なんだ。あまり腰を低くしていても格好がつかんだろう――あー、というか、よくわからんのだがこの『さん』というのはどの程度の意味合いの敬称なんだ?」


 難しい事を訊ねられた。

 つってもこの世界にも敬称は色々あるだろうしなあ。


「いや、まあ、割と大雑把ですよ。親しくても使いますし、目下の相手にも目上に相手にも使います。どっちかっていうと丁寧さを示す感じでしょうか」


「おお、そりゃ便利だ」


 少なくとも、現代日本ではそうだと俺の知識が言っている。

 『ら有り言葉』を始めとした日本語保存運動――多分にナショナリズムと結託した『正しい日本語教育』を施された世代である俺は、前世紀とほぼ変わらない言語感覚を有している。


 古めかしい言葉遣いをする子供を、両親は少し戸惑いながらも砕けた言葉遣いで育てていたのだと、コルセスカが教えてくれたことがある。

 吸血をした後、キロンとの戦いで失われた記憶の断片から再生できた内容を少しずつ語るのが恒例行事となりつつあった。


 内心で首を傾げる。

 吸血鬼というものは、どいつもこいつも情が深いものなのだろうか。

 厳密にはコルセスカは夜の民とやらではないらしいが、しかし。


「で、その引きずってる奴のことですが」


「あー。まあ、な」


 燃えるような髭面が、気まずそうな表情を作る。

 バルは気を失った刺客――クレイをここまで連れてきていた。

 気絶した大の男を片手で運びながら戦うその腕力と技量は大したものとしか言えないが、しかしどうなんだこれは。


「殺すべきです」


「まあ、待ってくれねえか」


「情報を聞き出せる可能性、それとロドウィと人造ホラー、更に死人や想定外の脅威が襲ってきた時の戦力として使える可能性がある――」


「おお、そうそう、それだそれ!」


「――そういうことを考えても、トリシューラを害しようとするその男は危険です。恐らくロドウィを上回る一級の肉体言語魔術師で、あの白眉のイアテムと同格と推測可能な【変異の三手】の副長の一人。生かしておく危険の方が大きい」


 というか、恐らくバルがクレイを助けようとしているその理由は後付けだ。

 それよりも優先すべき『直感』が修道騎士を動かしている。

 何か、覚えのある話なので何となくそれが理解できた。


 バルは視線を黒衣の男に向けて、静かに口を開いた。


「こいつ、巻き込まれそうになった――その、あいつらを庇っただろう」


「善でも悪でも、それがトリシューラの敵なら殺すだけです。逆に問いますが、その男が自己犠牲の精神を持たない人間だったら、悪だから殺していいのですか。更に言えば、その行動だけで善か悪かを判断できますか」


「だがよ、行動したのは確かだろう。他がどうであれ、そこだけは揺るがねえ」


 重々しく、バル・ア・ムントは即答した。

 俺はあまり、こういうことは考えないようにしているのだが。

 歳の差を感じた。


 俺の言葉を――恐らくは、もっと様々な矛盾やどうしようも無さを身に染みて感じ、考え抜いてきた先に彼は立っているのだろう。

 今指摘したような事は、すぐに考え、それでもなお行動したに違いない。


「生きてりゃあ、何かしら違う道があるかもわかんねえだろう。最後には殺す事になるかもしれねえけどよ。いやまあ、お前さんが立場上その拳の行き先を決めなきゃなんねえってのは重々承知だ」


 参ったな。

 リールエルバの側近と対立し、後々に禍根を残したくない。

 優先順位は明らかなので、まあ殺すんだが。


 どうにかバルを殺さず無力化して無防備なクレイの首をへし折るとしよう。

 越えられない壁があるにせよ、実力的にはあのキロンに次ぐほどの猛者である。

 容易くはないだろうが、仕方無い。そう考えた時。


(アキラくん。手持ちの端末に【陥穽】あったでしょう。それで捕縛しといて)


 ちびシューラの発言に思わず眉根を寄せる。

 いいのか、本当に?


(うん。ちょっと思うところがありまして。敵側の情報が欲しいのも事実だしね)


 それが主の命令とあらば、俺は従うまでだ。

 トリシューラの意向を伝え、カード型端末を使ってクレイの上半身を拘束する。光の帯が胴ごと腕を雁字搦めに縛り上げた。


 ロドウィの呪術による負傷はバルが持っていた高位治癒符によって応急処置が済んでいた。

 相変わらず凄まじい効力だった。


 ただ、トリシューラのお陰で治癒符の価値は下がりっぱなしだが、市場に氾濫したせいで『神秘の零落』とやらが起こり、肉体は癒せても精神を癒す効力は低下しているらしい。クレイは目を瞑ったままうなされるように苦しんでいた。


 念のため両手首を折り曲げると、彼は額に脂汗を浮かべて唸る。

 これであの手刀は使えないだろうが、手持ちの技があの肉体言語だけとも思えない。油断は禁物だ。


 トリシューラたちがこちらに向かっているとのことなので、合流すべく移動することになった。バルはクレイを担ぎつつ甲冑の光で前方を照らし、俺がちびシューラの誘導に従って行き先を告げる。


 地下迷宮は、ひどい腐臭に満ちていた。

 足下には原形を留めていない腐肉が散乱し、足を踏み出すと脆くなった骨が容易く砕かれていく。


 しかし壁を構成する骨は意外なほど強固で容易くは破壊できない。

 バルが持っていた壁を撤去するための呪符は既に尽きていた。

 あったとしても、とても量が足りないだろう。


 横に五人程度並べばもう狭苦しくなってしまうほどの道幅。

 天井だけが異様なほど高く、暗がりに包まれて先が見えない。

 たまに襲ってくる死人を撃退しながら進んでいく。


 トリシューラと合流する為には元来た道を戻ればいいだけなのだが、奇妙な事に骨が組み上がって出来た壁は少しずつ動いているらしく、迷路の構造は刻一刻と変貌しているようだ。

 

(んー、そっち右、じゃないや。今道が変わったっぽいから、一つ前の十字路に戻って左、あ、また変わった)


 ちびシューラの誘導もどこか歯切れが悪い。

 むしろ一カ所で待機していた方がいいだろうとごく当たり前の結論に至り、近くにあった広い部屋に留まることになった。


 そこだけ、骨ではなく石造りの部屋だった。

 燐光を発する呪石や幾何学的な形状の呪具が溢れた、何らかの呪術的な施設。

 腐臭よりも薬液の匂いが鼻につく。


「公社はこんなとこにまで施設を作ってたのか?」


 トリシューラの執務室を思わせる、生物的な部位の数々が並んでいる。

 液体の中に浮かぶ人体や臓器、壁一面に陳列された肉塊、どのような生物のものかもわからぬ異形の骨、軟体動物の剥製――ここは一体何の為に存在する施設なのだろうか。


「いえ、これは多分【変異の三手】の施設でしょう」


 バルの疑問に答えながら、推測の根拠を述べる。というか、露骨過ぎて逆に自信が無くなってくるのだが。

 三本の手が生えた三角形の図像がそこかしこに刻まれている。

 

 そう思わせようとする偽装にも思えるが、何か呪術的な力を働かせるために必要なことのようだ。

 この図像のおかげで、神だか天使だかの加護が部屋に充溢しているとちびシューラが説明してくれた。


「ここで待ってりゃいいんだよな。やれやれ、全く迷宮ってのはいつまで経っても慣れねえな。面倒で仕方ねえよ」


「どちらかというと、防衛任務が主だったと聞いていますが」


「ああ。ま、第二階層の攻略辺りまでは前線に行かされてたがね。それ以降は内輪で武功の調整だの派閥同士の争いだのとうるさくてな。何の因果か、当時の団長が弱らせた巨人を倒して十位になっちまってよ。それ以来は前線の防衛指揮と地上勤務を行ったり来たりだ」


 確か、この壮年の修道騎士はそこそこ古参だったはずだ。

 元帥位たる迷宮の主が『帰還』する前から戦い続け、魔将や巨人たちの猛攻を凌ぎ続けたという猛者。


 松明の騎士団という組織について訊ねるとすれば今だ。

 アズーリアのこと。

 キロンのこと。

 そして、現在の団長であるという――。


「お、目覚めたな」


 バルの言葉通り、呻き声を上げながらクレイが目を開いた。

 瞬時に状況を理解して、拘束から逃れようとするが、その前にバルが短剣を抜きはなって鼻先に突きつける。


「悪いが大人しくしてくれ。でないと殺さなきゃならなくなっちまう」


 自分で言い出した事だからと、バルはいざという時は自分で始末をつけるつもりのようだった。

 クレイは逃れられない事を理解して、端整な顔を屈辱に歪める。


「――殺せ」


「残念だが、そういうわけにもいかねえよ。協力的になってくれれば脳髄洗ったりしなくて済むんだがな」


 短剣が顔に近付けられていく。

 クレイは上半身を起こしたまま仰け反ろうとして、体勢を崩した。

 後頭部が壁に当たる。


「ん?」


 思いのほか柔らかい感触だったのか、クレイは訝しげな声を上げて振り向いた。

 壁一面に、無数の乳房が並んでいた。

 義肢技術があまり一般的でないとはいえ、神経や筋肉が通っていない脂肪の塊、見た目だけそれらしくするものなら存在する。


 クローン技術的なものは幾通りか種類があるらしく、錬金術という呪術の一分野でそういった研究が盛んに行われているらしい。

 ここにあるのは、その技術を応用して培養された人体の部位のようだった。


 あるいは呪術的な儀式に使うものもあるというから、きっとそういった用途のためのものだろう。ちびシューラが地母神がどうのと言っているがよくわからない。

 それにしても、これだけ大量に並べられると逆に一切いやらしさを感じない。

 

 俺は一定以上の性的な興奮を覚えると自動的にコルセスカによって感覚が遮断されるのだが、それすら必要としないほどだ。

 人体というのは突き詰めれば肉の塊でしかなく、ただ『それだけ』を大量に突きつけられても何ら魅力を感じないというわけである。というか何か気持ち悪い。


 というわけで、壁一面に並ぶ乳房を見た俺とバルは完全に無反応だったのだが、意外な反応が一つ。

 クレイが失神した。


「は?」


 え、その反応はマジなの?

 しばらくうなされていたが、比較的すぐに目を覚ました。

 今度は壁のものを見てもどうにか気力で意識を保ったようだが、顔から血の気を引かせて目を逸らす。


「おのれ、何と卑劣な――」


「なぜ俺を睨む」


 というかこいつの所が作ったものだろうに。

 あれかな、管轄が違うとか?

 それとも単に現場を知らないだけか。


「あ、浅はかだな。くく下らんいい色仕掛けもどきなどどどお俺には通用――」


 声、めっちゃ震えてるんだが。

 俺はクレイの馬の尻尾のような黒髪を引っ張った。


「ほれ」


「やめろっそれを近づけるんじゃないっ」


 反応が面白すぎる。

 弱った相手を強引に壁際に追い詰めていく俺を、バルがやんわりと窘めてきたがあえて断る。

 これは多分、有効な尋問手段だ。


「き、貴様、シナモリ・アキラ! いずれ必ず斬る! 絶対に殺してやる! ここから出た後、首と胴とを切り離してやるからな!」


「はいはい、お前がその前に乳離れできたらな」


「俺が乳離れできていないとでもっ」


 クレイの眼光が一層鋭さを増した。

 弱点はこの辺かな。


「何、親を大事にするのはそう悪い事でもない――ところでお前、クレイ=ライニンサルって言うらしいけど、グレンデルヒ=ライニンサルの関係者か?」


「何故俺の名を!」


 宣名しただろうが。

 アホなのか。こいつはまさかマジのアホなのか。

 こんなんが副長で【変異の三手】は大丈夫なんだろうか。


「グレンデルヒ=ライニンサルに息子がいるってデータは無いそうだが、お前は四英雄の一人とどういう関係だ?」


 訊ねるが、当然のように黙り込む。

 バルが顎髭をいじりながら口を開いた。


「隠し子って線はどうだ。見たとこ十代後半だろ。そんくらいのガキこさえててもおかしくはねえ」


「なるほど。じゃあそれで確定かな。それで、お前の大好きなパパの話が聞きたいんだが――」


「違うっ! 俺はあのような屑を好いていないし、あんなものは父親ではない!」


「そうか。クレイくんは何故かグレンデルヒを嫌っている、と。【変異の三手】に所属していて姓が同じなのに」


 自分が余計な情報を喋ってしまったことに気付いて、クレイがはっとして口を抑えようとする。

 が、両手首を折られている事にそこで気付いたのか、痛みに眉をしかめて動きを止めた。


「しっかりと乳離れができていてパパに反抗したいお年頃のクレイくん。ならママのことも大嫌いなのかな?」


 痛みの瞬間、気の緩んだ意識の間隙に滑り込ませるような問いかけ。

 露骨に小馬鹿にしたような口調を意識して作りつつ、相手の動揺を誘う。

 ちなみにこれは俺が言ってるように聞こえるが全部ちびシューラの代弁である。

 ほんと性格悪いな。


「俺は――」


 意外にも、クレイは妙な反応をした。

 俯き、固く口を閉ざす。髪を引っ張って壁に近づけても必死に耐えるだけだ。

 彼にとっての聖域があるとすれば、きっとここなのではないか。


 トリシューラにとって、『がらくた』は禁句だった。

 それと同じく、クレイにも触れられたくない核心のようなものがあるのだ。

 その後も、【変異の三手】の目的は何かについて尋問を続けるが成果は上がらない。まあその道の専門家ではないので仕方無い。


 しかし、一つだけクレイが答えた事柄があった。

 それは、イアテムが口にしていた【ダモクレスの剣】とは何か、ということ。


「あれはこの虚栄の王国を切り裂く剣だ。選定された担い手が女王を斬り殺すことで、かの剣を支えるか細い糸は断ち切られ、『滅び』が墜ちてくる」


「つまり、特定の誰かがトリシューラに攻撃を加えるっていう儀式なんだな? 特定の段取りを踏むことで発動する大規模な呪術ってわけか」


 だとすれば、トリシューラの意識総体レベルが九段階なので八回までなら殺されても大丈夫、などと言ってはいられない。

 一度でも殺されれば、トリシューラが完全に滅びを迎える前にガロアンディアン全体が壊滅的な被害を被る可能性がある。


 物理、呪術双方の面で機能する防衛システムが存在するとはいえ、相手側もそれを理解して強力な儀式呪術を用意しているはずだ。

 戦略級のマジックミサイル、あるいはそれ以上の大量破壊兵器が投下され、未曾有の災厄が引き起こされると考えた方がいい。


 トリシューラは己の存在を世界に示し、自らを完成させるために行動を起こした。だがその事で、自分以外に守るべきもの――王国とそれを構成する国民が生まれてしまっていた。


 ガロアンディアンの崩壊が即トリシューラの破滅に繋がるわけではない。

 だが致命的な失敗は彼女の存在に大きなダメージを与え、本来の目的が遠ざかることを意味する。


 やはり、トリシューラは未だ不死の魔女からはほど遠い存在なのだと実感する。

 三ヶ月前、俺たちは最大の強敵であったキロンを打ち破った。死をも踏み越えた俺たちに敵はいないとまで思えた。


 だが、【変異の三手】は確実にトリシューラの弱点を攻めてきていた。

 これはトリシューラの戦いでもあり、ガロアンディアンという王国そのものの戦いでもあるのだ。

 クレイが、刃のような視線で俺を睨め付ける。


「この呪術を作り上げたどこぞの呪術師は異世界かぶれらしくてな。貴様の世界から様々な引用を行い、この世界の呪術と組み合わせているのだ」


「そいつは、トライデントの細胞なのか?」


「何だ、それは?」


 クレイが訝しげな顔をする。本当に知らないように見える――が、演技かもしれないしそもそも彼に知らされていないだけかもしれない。


(異世界かぶれね。末妹候補だとライムとかブルーとか――あとオーカー、アレかぁ。うーん、別口って線もあるんだよね。異界からの引用は『星見の塔』の専売特許ってわけでもないから。それにしても剣かあ、うーむ)


 ちびシューラはぶつぶつと呟いていたが、結論らしきものは出ないようでそのまま沈黙する。

 クレイからもこれ以上の情報は引き出せそうもない。

 沈黙に包まれた室内が突如として揺れ、轟音が響く。


「来やがったか、一体どいつだ?!」


 バルが言っているのは、ロドウィと人造ホラー、あるいは死人のどれが襲いかかってきたのか、ということだ。

 答えは、無数の泡が爆発したことで明らかになった。


 珊瑚の角を持つ蛙、ロドウィが襲撃を仕掛けて来たのだ。

 バルが槍を回転させて爆圧を防ぐ。槍術というとキール隊のトッドやキロンの正確無比な槍捌きを思い出すが、バルの槍は正確さに加えて豪快さがある。


 重量のある尖端部を縦横無尽に振り回し、迫り来る無数の泡を吹き散らし、爆発ごと吹き飛ばす。燃え上がる穂先はロドウィの角と寸分違わぬ美しい赤。使い手の気質を反映してか、纏う呪力の性質は泡と炎という違ったものだったが、それらは全く同じ『珊瑚』に根ざした力だった。


 異獣であるジヌイービの角を加工した槍。ロドウィの呪術を無効化できているのはその材質ゆえらしい。泡に対する防御をバルに任せて、俺は既に起動準備状態にあった左腕を換装。


射影三昧耶形アトリビュート六十八番ヴィヴィ=イヴロス


 左手首に環状のパーツが装着される。そこから細い軸が伸びていき、先端の球体から光の粒子が広がっていく。

 左腕とほぼ同じ大きさの武装が出現。


 手で持つ訳ではないが、それは旋棍に似ていた。

 ただし、それは打撃武器ではない。

 腕と平行に肘の辺りまで伸びる、分厚い片刃の剣である。


 迫り来るロドウィの巨体を迎え撃つ。

 珊瑚の角による刺突を、手首から迫り出した旋棍刃トンファーブレードが受け止めた。

 公社四姉妹の一人、アニスが使っていた武器を思い出してロドウィが激昂する。


「舐めた真似をっ」


 絶叫を無視して、腕を振って斬撃を繰り出す。

 ロドウィの掌が盾を表現し、展開された不可視の防壁が攻撃を防ぐ。

 ならば、これはどうだ。


 刃の角度を直角に変える。左側で刃が高速回転を開始。風を纏った刃が相手の防御をガリガリと削っていく。

 一気に押し切って、踏み込みながら右の掌打を放った。

 後方に跳躍して打撃の勢いを殺したロドウィは『遠当て』の構えをとる。


 厄介極まりない攻撃をバルが超人的な槍捌きによって『穂先で打撃を逸らしていくような素振り』を見せつけて防いでいく。


 気迫に満ちた武術の型を見せつけるロドウィに対抗するには、こちらも大げさな演武を行えばいい。

 俺もまた、サイバーカラテのインストラクション動画を撮影している時のような心持ちで技を繰り出す。


 しばしの間、お互いに演武合戦を続ける。

 距離を置いたまままるで近距離で戦っているかのような動作を繰り返す俺たちは、傍から見れば何かを演じているようだったかもしれない。


(解析完了――演武動作の最適化を実行)


 ちびシューラの声が脳内で響くと同時に、サイバーカラテ道場が提示する型に変化が加わる。

 サイバーカラテには基本となる型の演武が無数にある――というより、ありとあらゆる型のデータの集積こそサイバーカラテ道場の土台なのだ。


 それらの最適な組み合わせ、微細なアレンジ、様々な派生系の合成。

 演武の多彩さ、見せ技の『華』においてサイバーカラテは他の追随を許さない。

 加速する型の振る舞いは真に迫り、やがてロドウィの『説得力』を凌駕する。


「発勁用意」


 演武による戦い。この土俵で俺の負けは無い。

 足下を踏みしめ、伝達された力を虚空へと解き放つ。

 張り詰めた空気が引き裂かれ、最適化された右の掌打がロドウィを打ち据えた。


「NOKOTTA!」

 

 巨体が仰向けに吹き飛ばされていく。俺は彼に触れていないにも関わらず。

 俺はただ演武を行っただけだが、相手の認識が自らにダメージを与えたのだ。

 演武における負けを無意識に認めてしまい、ロドウィの肉体言語が定めたルールによってこちらの『遠当て』が成立。つまりは自滅だ。


 勝利――のはずだが、これで本当に終わりだろうか。わざわざ仕掛けて来たからには、何か必勝の策があるはずだ。

 予感は当たった。ロドウィは素早く身体を起こすと、一つだけ泡を出現させて弾けさせた。小さな泡の中に押し込められていた巨大質量が出現。


 人造ホラーだ。様々な種族をごた混ぜにしたような異形が、ロドウィの動きと連動するように蠢く。

 いや、実際にあれは連動しているのだ。蛙がジェスチャーというかパントマイムめいた動きをするたび、人造ホラーも同じように動く。


「暗き深淵よ、我が呼びかけに答えよ。水底とは死、泡とは生、息吹こそ記憶――ハザーリャよ、この者に力を与えたまえ!」


 ロドウィの詠唱と同時に、人造ホラーが壮絶な呪力を発する。

 俺にもはっきりと知覚できるそれは、耳を劈く絶叫となって部屋を揺らし、どぎつい原色の光となって部屋中を照らした。

 そして。


(やばっ、アキラくん逃げてっ)

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