3-74 シナモリ・アキラより①
談話室は皆で話し合うのに便利だけれど、作業をしながら話すのには不向きだ。
端末を持っていなかったプリエステラは、先日ミルーニャと一緒に買いに行ったという新型機種をややおぼつかない手付きで操作している。
次々と表示されていく文字列を見ていると、かつて『葉っぱの伝言板』で連絡し合っていた時の事を思い出す。
『第五階層には関わらない方がいいってどういうこと? みんなは大丈夫なの?』
『いえ、ティリビナの民に危険がある、ということではありません。ただ、アズーリア様が連絡するのはやめた方がいいということです』
プリエステラの疑問に対して答えたミルーニャは、私の要望に対して難色を示した。ハルベルトらも同意見の模様だ。
リーナが発見した【サイバーカラテ道場】とシナモリ・アキラから私への連絡を請う文面について皆に相談したところ、ほぼ満場一致でやめておけと言われた。
考えてもみれば当然だ。
彼の存在は、槍神教が仕立て上げた私という『新たな英雄』の存在を揺るがしかねない。
不用意な接触はまずい。その上、
『第五階層は今ちょっと面倒なことになってるんですよ』
『面倒って?』
『あそこは、うちの――ペリグランティア製薬の探索事業部門である【公社】が進出して勢力を伸ばしているのですが、面倒な事にきぐるみの魔女トリシューラの活動拠点でもありまして』
きぐるみの魔女――ハルベルトの前任者にして寄生異獣の生みの親、そして槍神教の裏切り者。
更には、杖の座の候補者であるという人物だ。
『トリシューラは派閥としては使い魔と杖の派閥――ラクルラール派に属しています。つまりトライデントと同じ勢力なんです。これは彼女の庇護者である中立派のクレアノーズお姉様を人質に取られているために、やむを得ずにそういう選択をしているだけに過ぎませんが』
『でも、末妹選定の競い合いはちゃんとするんだよね?』
『それはもちろん。そこで人質を利用してトライデントを勝たせる、などという下らない真似をすることに意味はありません。ラクルラールとて仮にも呪術師の端くれなのですから、そのくらいの誇りは有しているはず』
私はラクルラールという第六位の代理には会ったことがないが、彼女もまた星見の塔の一員だ。派閥争いにかまけて本来の目的――神聖不可侵なる呪術儀式を妨げるようなことはしない、ということのようだ。
『それにあのきぐるみの魔女には人質は通じません。いえ、通じることは通じるんですが、ある段階を踏み越えて追い詰め過ぎると人質ごと反撃されます。相手が絶対に譲れないものまで要求すれば必ず反撃される。他ならぬクレアノーズお姉様がそういう教育をしているのです』
文面からは奇妙な実感が感じられた。
多分、杖の座を巡る争いで色々あったんだろうなあ、と私は思う。
『なんか、怖い人なんだね。私は星見の塔に直接行ったことは無いけど、色々な人がいるんだ』
『まあ、七十一姉妹ですからね。要するに、トリシューラとトライデントは選定では競争相手で、その裏で行われている派閥抗争では同勢力というややこしいことになっています』
ややこしいというか、面倒そうな関係だった。
むしろそのきぐるみの魔女の方が板挟みになってこれから大変そうだ。
『そして、私が所属するペリグランティア派とアズーリア様方が所属するカタルマリーナ派はラクルラール派と敵対しています』
『まとめると、派閥抗争ではトリシューラはラクルラール派という敵。でも末妹選定ではトライデントに対抗する為に一時的な共闘が可能』
ハルベルトがまとめてくれたが、まとめたはずなのにさっぱりわからない。
それは敵なんだろうか味方なんだろうか。
いや、基本的には競争相手なんだろうけれど。
『もうひとつ面倒な事実をお伝えすると、実はトリシューラは私の師であるベル・ペリグランティアお姉様から呪術医としての手ほどきを受けてます。その繋がりでちょっと相互に内通してまして』
もっとややこしくなった。
つまり、トリシューラという人はミルーニャの姉弟子もしくは妹弟子ということなのだろうか。
『ラクルラール派の情報を流す替わりに、こちらからもペリグランティア派の情報を送ったりしています。当然、表向きは敵同士ですが』
『でも、ミルーニャは確か末妹候補の支援要員なんじゃなかったっけ』
『はい。仰る通り、私は末妹候補たちの支援者でもあるので、所在が掴めないトライデント以外とは連絡係として接触することが多いのです。その際に、色々と情報交換したり内部工作の約束を取り付けたりと、色々です』
私は頭の中で展開された勢力図を整理しつつ呻いた。
幸い、頭が爆発しそうになったのは私だけじゃなかったらしい。
寝台の上でごろごろと小さく転がりながらリーナが叫んだ。ああ、長めの髪が乱れていく。綺麗なのに。
「うがああああなんでこんなぐちゃぐちゃしてるの! 普通によーいどんで四人で殴り合えばいいじゃん! いいじゃん!」
リーナが発散してくれたお陰で、私はいくらか冷静になれた。
つまり、第五階層は非常にややこしいことになっているらしい。
私たちからすれば、敵勢力のど真ん中だ。
【公社】というのがペリグランティア派らしいので、その勢力圏は安全なのだと思うのだが。
『【公社】、つまりうちの探索事業部門の部長代理であるロドウィは、少し暴走しがちな所があります。その上、トリシューラも何をしでかすか分からない女です。前に連絡したときはしばらくは大人しく様子を見るつもりだと言っていましたが、いつ暴れ出すかわからない』
『修道騎士でしかもハルベルトの使い魔である私が不用意に接触すると色々と面倒な事になる?』
『補足すると、三日前に丁度こんな映像が第六階層から送られてきた』
これはハルベルトの発言。
三日前というと、私が目覚めてみんなにもみくちゃにされた日だ。
あの日は検査したり正式な使い魔としての契約を結んだりと慌ただしかったのだけれど――第六階層で何か大きな事件でもあったのだろうか。
『きぐるみの魔女を捜索していた修道騎士トリギス率いる分隊が消息不明になった。トリギスが最後に共有記憶に上げた映像がこれ』
私はハルベルトが送信した映像を拡大して立体投影する。
さて、どんな映像だろう。
金鎖のフラベウファが通知しなかったということは、緊急性の高い情報では無いとは思うのだが。
修道騎士の共有記憶を全て閲覧するのは流石に無理だ。
膨大な情報量を処理しきれない為、普段は金鎖のフラベウファが管理し、重要度の高い情報を優先して全修道騎士に送信する。
だがその重要かどうかの尺度はあくまでも松明の騎士団全体にとって、というものであり、私にとって重要かどうかは関係が無い事を忘れていた。
「これ、アキラ?」
映像に映し出されていたのは、紛れもなくあの外世界人だった。
先程【サイバーカラテ道場第五階層支部(仮)】で見た時とは異なり、円筒形の左腕がある。先端には単純な形状の手斧。
『恐らく、アズーリア様にわかりやすいように、以前のままの姿を見せようという狙いがあったんでしょうね。あのきぐるみ女なら義肢くらい間に合わせでもすぐに用意できるはずですし』
ミルーニャの補足をぼんやりと読み流しながら、私はその光景を呆然と眺めていた。だって、これ。
「うわあ、えっぐ」
リーナが低く呻く。
アキラの左手に装着されている手斧は異常な切れ味で修道騎士たちを斬殺していく。両断される呪動装甲、飛び散る血飛沫。絶叫に次ぐ絶叫。
かつて私たちと――キール隊のみんなと共に肩を並べて人狼と戦ってきたあの驚異的な体術で。
多対一という不利をものともせず、縦横無尽に動き回り包囲されることを避け、殺傷力の高い武器で牽制しつつ有利な距離を保ち続ける。
そこにひどく奇妙な怪我(言い回しがそれしか思いつかない。引き裂かれた顔や胴体から除く金属質の肌や臓器は何だろう。肉体に呪具を埋め込んでいるのだろうか)をしたきぐるみの魔女がいることや、第六階層特有の異形の壁面が何故か崩壊していることも気になったが、私はアキラが修道騎士と――私たちと敵対しているということにひどく衝撃を受けていた。
考えてもみれば、当たり前だ。
私たちは彼を見捨てた。
見殺しにして、異獣に殺されることを容認した。
もう、あの時のように味方同士ではいられないことなんて、とっくにわかっていたはずなのに。
仲間であるカインを殺してしまい、苦しんでいたアキラを思い出す。
敵である私を殺すことを、彼はもう躊躇わないのではないだろうか。
だって敵を殺して心を痛めるのなんて、筋違いだ。
アキラは次々と修道騎士を殺害していき、序列二十八位の修道騎士、トリギスと交戦する。
トリギスの異獣憑きとしての能力――尻尾に擬態した寄生異獣が槍のようにアキラを襲うが、その時凄まじい破壊の渦が両者の間を貫く。
「王獣カッサリオ、なんでこんなところに?!」
それは、アキラに続いて私にとって因縁深い相手だった。
妹を奪い去った古代の魔女が使役する九体の召喚獣。
第一の獣であるカッサリオが不可視の衝撃波で村を薙ぎ払った光景は忘れられない。影の家々が消滅し、沢山の人が亡くなったと後で聞かされた。
私にとっては、仇の一体だ。
こちらの感情とは関係無く、状況はめまぐるしく動いていく。
何故かその場所にあの冬の魔女コルセスカが現れたかと思えば死んでいたり再生したりまた死んだり、アキラとカッサリオが戦ったり、見知らぬ長身の男性がカッサリオを攻撃してアキラの窮地を救ったり、そこにトリギスが乱入したり。
完全に乱戦だった。
映像は、アキラと謎の男性が二人でトリギスを打撃した直後に途切れている。
正面から大写しになった二人の男の顔がはっきりと見えるが、あまり違いがよく分からなかった。イルスくらいはっきりと肌の色とか顔立ちが違うと判別が付けやすいんだけど。
衝撃で意識が途切れたのだろう。彼がどうなったかは不明だ。
その時、何故かメイファーラが飲んでいた野菜ジュースの紙パックをべこっと握りつぶす。
中身が残り少なかったので大した量は飛び散らなかったが、一体どうしたのだろうか。
「もしかして、トリギスさんと仲が良かったの?」
「え? ああ、うん。ちょっと話したことがあるくらいかな」
目を泳がせるメイファーラ。明らかにちょっと衝撃だったという雰囲気ではない。彼女がここまで動揺するのは珍しい。
「その、まだ決まった訳じゃないから、気を落とさないで」
「うん、ありがと」
メイファーラは少しだけ飛び散ったジュースを拭き取りながら生返事をした。
本当に大丈夫かな。
心配に思っていると、ハルベルトが発言する。
『王獣カッサリオがいるということは迷宮の主が出現した可能性が高い。金鎖のフラベウファは第四階層への侵攻の可能性ありと判断し、守護の九槍から第三位、第四位、第六位を派遣し、第四階層の掌握者である第七位と合流して警戒に当たらせている。そして第九位を第五階層に派遣。潜伏しているであろうきぐるみの魔女を捜索させている』
『それって大丈夫なの? マリーが襲撃してくるかもしれないのに、守護の九槍が半数も不在なんて』
『それでも迷宮の主の方が警戒すべきだという判断。それに、どうも第一位は冷静さを失っているみたい』
あー、なるほど。
私たちは察した。
松明の騎士団の頂点に立つソルダ・アーニスタが、前世からの運命の恋人である冬の魔女コルセスカの事になると度を失う事は有名だったからだ。
本当なら地上の防衛を放棄して自分で向かいたかったのだろうが、大事な葬送式典を放棄するわけにもいかない。テロが予告されているのならなおさらだ。
立場上、一探索者を任務よりも優先しろとは言えないだろうし、あの人も大変だなあ。
『ま、あの怪物は殺しても死なないので心配するだけ無駄だと思いますけどね』
ミルーニャの言うとおり、私もあまり心配はしていなかった。
あのサリアの主人で四英雄、しかも聞いた話だとあのフルブライトだ。記憶の中で縦横無尽に暴れ回る氷の飛翔体は圧倒的な強さのイメージと結びついている。
映像の中でも致命傷を受けた直後に蘇生していた。ハルベルトの『比喩としての不死』とは違う、『直感的にわかりやすい不死』だ。
『話が逸れた。兎に角、そのアキラとかいう外世界人は明確に松明の騎士団と敵対している。公然と連絡をとるわけにはいかない』
『それに、推測ですけど多分あれ、きぐるみ女が召喚した使い魔じゃないかと思います。行動を共にしていたことから考えても十分にあり得る可能性です』
そうか、と私はその可能性に気付いた。
アキラは外世界人だから、四魔女の使い魔としての資格を有している。
なら彼は、杖の座のゼノグラシア――トリシューラの使い魔なのかもしれない。
『いずれにせよ、不用意な接触は危険』
『わかった』
そう答えるしかなかった。
私はハルベルトの使い魔で、松明の騎士団の一員だ。
下手な行動をして周囲に迷惑をかけてはいけない。
――かつて私はそうして大きな被害を出してしまったのだから。
第五階層に攻め入ったことに後悔は無いけれど、私は幼馴染みたちを自分の身勝手に巻き込む事に躊躇いがあった。
これは私の個人的な感傷に過ぎない。
アキラはもう敵なんだ。
だから、全部、切り捨てないと。
通信を終えて、メイファーラたちと共にラーゼフの研究室で装備の調整を済ませ、再び自室に戻ると、もうすっかり日が暮れていた。
一緒に帰ってきたリーナはミルーニャが開発した新型呪具の試運転で疲れ切って寝台にばたんと倒れ込む。
「それ、私がしたい行為なんだけど」
「いやあ、ごめんごめん。さあ、私の胸に飛び込んでおいで」
無視した。
人の部屋でよく寛げるものだと感心する。
リーナはすっかり私の部屋が気に入ったようだ。このまま入り浸られたらどうしよう。というか共同で借りてる部屋に行けばいいのに。
私は作業に没頭しようとしたけれど、なんとなく気もそぞろになって身動ぎしたり唸ったりを繰り返して椅子の背もたれに深くもたれかかった。
「ねえねえ、アズーリアさん」
「何」
寝台に視線を送ると、リーナが端末に例のページを表示していた。
アキラの顔をつつきながら、表情を妙ににやつかせて訊ねる。
「気になってたんだけどさー」
「うん」
「この人は何、あれなの。アズーリアさんのいわゆるそういうあれなのっ?」
「それはない」
「なーんだ、つまらん」
何を期待していたんだろう。
ごろりと寝台の上で仰向けになるリーナは、普段の緊張感が少しだけほぐれているように見えた。
他愛ないゴシップを楽しむことで、彼女の心労を少しでも癒せるだろうか。
ちょっとだけ、話を続けてみる。
「だって半日くらい行動を共にしただけだよ。まともに話したのだってほんの少し。どんな人なのかも良く知らない」
「えー。でもさ、世の中には会う前から前世の因縁とかで恋しちゃってる人もいるわけじゃん? 出会った瞬間に恋に落ちるくらい普通だよフツー」
「生憎、私は霊長類の顔を見分けるのがあんまり得意じゃないの。美醜は直観としてある程度わかるけど、個性はわからない。みんなの事はわかるし、最近は少しずつ慣れてきてるけど」
「そっかー。まあアズーリアは割と奥手っぽいし、そりゃそうだよね」
そういうリーナはどうなの、と訊ねそうになって、口を閉ざす。
もしかしたら、と思ってしまったから。
彼女の従兄弟であるガルズ――死んでしまった人の事に話題が及んでしまわないように、私は慎重に次の話の穂を探す。
「でもさ、アズーリア、なんかめっちゃ気にしてるっぽいよね」
「それは」
「何か色々事情があるのは聞いたけどさ、結局このアキラって人、たくさん人を殺してる悪者なんでしょ? 杖の座の使い魔ってことは敵なわけだし」
悪者――そうか。そういうことになってしまうんだ。
リーナの言葉に動揺を覚えてしまって、私は自分のどうしようもなさが嫌になった。割り切ると決意したばかりなのに。
駄目だ私。まだ彼の仲間のつもりでいる。
「ごめんね。そうだよね、敵なのに、いつまでも気にしてたら駄目だよね」
「――アズーリアは、そう思うんだね」
リーナはいつの間にか身を起こしていた。
真剣な眼差しが私を貫く。
鳶色の瞳は、どこか悲しげだ。
「それはさ。悪い事をしたら悪いって言われるのは当たり前だし、罰せられるのも当然だとおもうけど。でも、だからってそのせいで、その人がしたこと、全部が悪いってことになっちゃうのかな」
いつの間にか、リーナが言及している対象はアキラではなくなっていた。
彼女は、ガルズの事を言っているのだ。
「パレルノ山でさ、ガルズに色々聞いたじゃん? で、思ったんだ。何で私、その時すぐ近くにいなかったんだろうって。何で平然と大学行ったり遊んだりバイトで探索してたんだろうって――ううん、それはいいんだ。エストとまた会えたのはそのお陰だし。そうじゃなくて、なんて言うか」
リーナは纏まらない思考を片端から口に出して、けれどどれもしっくりとこないのか、もどかしそうに口を閉ざした。
それから、ぎゅっと両手を握って言った。
「ごめん、全然上手く言えない。頭悪くてごめんね。けどさ、私、こういう窮屈な感じ、凄く嫌」
それだけ言って、リーナは勢いよく立ち上がると部屋を出て行った。
寝台の上に、三角帽子が所在なく載っている。
「忘れ物、してるよ」
ぼんやりとした呟きを発するけれど、それを聞くのは私自身だけ。
溜息を吐いてみたけれど、胸に残った凝りは消えずに残ったままだ。
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