3-69 夢幻の果て②




 私、青嶺瑠璃あおねるり、十六歳。

 ちょっと夢見がちだけど、ごくごく平凡な高校一年生。

 そんな私だけど、実はちょっとだけ普通じゃない顔があるんです。

 どんな顔かって? それはですね。


「お疲れ様です。今日も最高のパフォーマンスでしたよ」


 私はタオルとスポーツドリンクを手渡しながら通路を歩いていく彼女の一歩後ろに付き従います。

 控え室に入る姿まで颯爽としています。

 はあ、と溜息が出そうになるほどの素敵さで、もう倒れてしまいそうです。

 実際に倒れてしまうファンだって沢山いるんです。少し前まで、私もその一人だったというのだから世の中というのは不思議なもの。

 圧倒的に美しい一つ年下の少女は一体誰なのか。

 彼女こそ、今をときめく歌姫Spearその人。

 ミリオンセラーを記録したアルバムは現在進行形で伝説を更新中。

 私は些細な切っ掛けから彼女に見出されて、何とマネージャーを務めることになっちゃったんです。


「ルリ、これ邪魔。どけて」


「はい、ただ今!」


「ルリ、疲れた。マッサージ」


「はい、お任せ下さい!」


「ルリ、膝枕」


「はい、幾らでもどうぞ!」


「ルリ、お手」


「わんっ」


 こんな感じで、とっても綺麗だけど冷たい声で命令されると私は勝手に身体が動いてしまうと言いますか――でも不思議と嫌じゃないんです。

 これって私が変なのかなあとも思うけど、あのSpearのお手伝いができるというだけで嬉しくってそれどころじゃありません。

 私は学生なので、付き人として身の回りのお世話をしたりするのが主な仕事。

 もう一人のマネージャーであるリアンさんは昔『妹系アイドル』として売り出していたけれど余り成功できず、今は事務所の裏方に回って所属する芸能人たちをバリバリ売り出しています。

 対外的な交渉とか、企画の立案とか、広報のセンスとかがとっても優れていて、実はそういうのが向いていたみたい。

 どうしてかSpearとは仲が悪くって、いつも口喧嘩してばかりだけど――普段はとっても優しくて可愛らしい人なんだって、私は知ってます。


「ライブお疲れ様です。えっとですね、この後のスケジュールなんですけど」

 

 人気歌手である彼女のスケジュールは分刻みで管理されています。

 ちょっと――どころではない我が侭さでリアンさんが立てた予定はあっけなく壊れてしまうのですが、そこをどうにかするのが私の仕事です。


「めんどくさい。レッスンだけして帰る」


「え、ええっと。ラジオのゲストなんてそんなに喋らなくても大丈夫ですから」


「どうしてあいつはトーク系ばっか回してくるの。馬鹿なの。死ぬの」


 ここにはいないリアンさんに毒を吐く姿もまた麗しい。

 濡れたような黒玉の瞳、長い睫毛、疲労が残った表情――。

 ああ、でも駄目、ここは心を鬼にして、


「意味がわからない」


 突然、控え室の鏡が砕け散って、世界が引き裂かれます。

 呆然とする私の目の前に現れたのは、黒いフードを被っているけれど、紛れもなくSpearその人で――あれ? 二人いる?

 どうして、と困惑する私の目の前で、新しく現れた方のSpearはとても長い槍のようなものを振り回します。

 危ない、と叫ぼうとしたその時。


「駄目じゃないか、邪魔しちゃあ」


 私の足下で、なんと影が喋り出しました。

 ざわざわと沢山の影が森のように伸び上がっていきます。

 全てが真っ暗闇に包まれて。

 暗転。

 世界が消える。

 不具合が発生したので、最初からやり直し。





 私の名前は青嶺瑠璃。普通の十六歳だ。

 ――とは、少し言い難いかな。

 なにしろ私は高校生でありながら、アイドルとして売り出しているから。


「マリー! こっち向いてー!」


「きゃああああああマリー様あああああ」


 学校に登校しても黄色い声、パーカーのフードで顔を隠しても見つかれば騒ぎ立てられる。

 どうにかこうにか事務所に辿り着くと、マネージャーのメイがやってくる。


「モテモテだねー、あやかりたい」

 

「やめて。本心じゃないくせに」


 素気なくあしらう。

 けれど彼女は薄く笑って、


「ふふ、まあそうだね。でもいいじゃん。どっちにしても『あたしの』であることにかわりは無いわけだし」


 そういって軽く私の髪を撫でる。

 私の髪は短めだから、彼女の片側で束ねられた長く綺麗な髪が羨ましく感じられる事がある。

 近付いたお互いの距離を更に縮めようと私はそっと一歩を踏み出して、


「だからっ、意味がっ、わからないっ」


 硝子が砕け散るようにして世界が砕けていく。

 私は鋭く誰何しながらメイを背後に庇うが、足下から突然溢れ出した影の群れに飲み込まれて、遂には意識が遠のいていく。

 暗転。

 やり直し。




 

「スピスピのステージに来てくれたみんなー、元気にしてるぴょーん?」


 快活な声。

 溢れる熱気と凄まじい歓声。

 舞台裏で幼馴染みが活躍する姿を見守りながら、私はこれでいいんだと自らに言い聞かせ続ける。

 幼馴染みは歌手を志していたけれど――事務所はその容姿を生かしたアイドル路線で売り出すことを望んでいた。

 中卒で芸能事務所に就職し、共に同じ世界で支え合って行こうと誓い合った私たちは、依存にも似た関係のまま事務所の方針に逆らうことができず、そのままずるずると不本意な仕事を続けていく。

 けれどモチベーションの低さがパフォーマンスまで引き下げてしまったのか。

 それとも売り方が悪かったのか。

 本人の希望する路線と事務所の希望する路線が折り合うぎりぎりのライン――クールな歌姫系アイドルというキャラクターは全く成功しなかった。

 中途半端こそが失敗の原因だったのかも知れない。

 路線変更も致し方ない。

 厳しい現実。

 けど安心して。何があっても私は貴方の味方。

 今度は逆。

 可愛さで攻めるの。

 見て、今は兎のキャラクターが受けてる。

 この路線でファンのハートを掴むのよ!

 兎の垂れ耳にイメージを統一しましょう。

 今までの落ち着いていて謎めいた雰囲気を反転させるの。

 可愛く華やかで快活な、兎耳が素敵な誰からも愛される偶像アイドル


「ぴょんぴょーん! みんなー、いつもありがとー! スピスピ、精一杯歌っちゃうぴょん♪」


 与えられた役割を、震えて涙目になりながらも精一杯こなす貴方が、どこまでも愛おしい。

 ああ――なんて甘美なんだろう。

 こうして、いつまでもこの手の中にいてくれたなら。

 私はずっと、貴方の傍で穏やかな気持ちでいられる。

 貴方という主役を見つめながら、その輝かしい軌跡を見届けたい。

 ――本当に、それでいいの?

 そう自問する声を、必死に無視しながら。


「やめてやめてやめて絶対にありえない」


「いいかげんしつこいな君も」


 ああ、私の目の前で争う沢山の影と黒衣の女性は、私の内心の葛藤を可視化した天使と悪魔なのだろうか?

 私は胸を押さえて、静かに目を瞑った。

 暗転。

 やり直し。




「何度やっても同じさ。僕が無限に複製し続ける夢からは絶対に逃れられない」


「だとしても、諦めるわけにはいかない」


「アズーリアはこのまま心の奥底に封じ込められる運命なんだよ。こうして、幸せな夢を永遠に見続けながらね。本人が望んでいるんだ、この甘やかな夢の中で微睡み続ける事を」


「アズがどう思ってるかなんて知らない。ハルが欲しいの。それだけ」


「身勝手だね。そんな身勝手な相手に、可愛い我が子を渡すわけにはいかない」


「子供を束縛するだけしかできない、親の顔をした怪物にあの子は渡さない」


「ではどうする? この不毛な争いを続けて消耗するのかな?」


「持久戦では敵わない――だから、そちらのやり方を利用させてもらう」


「――何だって?」


 暗転。

 やり直し。





 ドン、と壁に手を突かれて、私は前にも後ろにも逃げ場が無い事を知った。

 控え室には二人きり。

 目の前には、ぞっとするほど綺麗な一つ年下の少女。

 背の低い私よりも高い目線、黒玉の瞳、繊細な造型の顔。

 息も止まりそうな距離で、紡がれる言葉。


「お姉ちゃん」


 間違い無く、心臓が止まった。


「ハルを守って」


「やめて!」


 突き飛ばそうとして、寸前で躊躇う。

 

「どうして。これがあなたの望むこと」


「そんなことない」


「あなたはハルに妹を投影してる」


「ちがう」


 否定の言葉はどこか弱々しい。

 自分でもわかってる。

 いつになく、彼女の機嫌は悪い。

 普段はぶっきらぼうではあってもとても優しいのに――今は不快そうに眉根を寄せて、冷たい視線を送ってきている。


「どうすれば嬉しいの」


 最初は、些細な口喧嘩だった。

 彼女が、ファンの女の子を連れ出して控え室に連れ込んで――その上で私に見せつけるように、あんなことを。

 私はそれを咎めたけれど、彼女はまるで意に介した様子が無くて。

 それから言い争いになって、ファンの女の子からは何様だとか偉そうにだとか言われて、ひっぱたかれたりもしてしまった。

 そうしたら、彼女はどうしてかその子を追い出して、それでも不機嫌な態度をとり続けて私の言うことを聞きもしない。

 彼女の考えていることが、まるでわからない。


「あなたはわがまま――わからずやのほしがりや」


 わがままって、それはこっちの台詞だと言おうとして、次の彼女の言葉に遮られる。まるで、刃の様な言葉だと思った。


「どうすればいいか、わからなくてイライラする」


 それも、私と同じ。


「こんなの初めて。あなたはハルを苛つかせる天才」


 それもだ。


「あなたは、理不尽」


 こっちの台詞だ。

 ずっと、同じ事を考えていた。

 ずっとって、いつから?

 骨花に襲われていた所を助けて貰った時?

 一緒に崖から転落して、二人きりになって喧嘩した時?

 それとももっと昔――唐突に現れて本を取り上げるという悪戯をされた時?

 脳裏に浮かぶ記憶はひどく空想的でまるで覚えがないものだったけれど、不思議と懐かしくてたまらないものだった。


「どうして欲しいか、ちゃんと教えて」


「放って置いて」


 口から零れ出た言葉は拒絶。

 だって、最初から私は相応しくない。


「だいたい、私は最初から貴方に釣り合わない。こんな化け物――こんな、知能が無い――脳すら存在しない下等な生き物、貴方の使い魔に相応しくない」


 使い魔候補は他にもいる。

 たとえばリーナだ。

 クロウサー家の人間は転生者の因子を有する。

 特別なグロソラリアとかゼノグラシアとか言ったって、リーナでも別に構わないはず。それに、あのサリアみたいな凄い人にはまるで敵う気がしない。

 迎えに来てくれて、嬉しかった。

 英雄扱いされることよりも、ずっと特別だと認められたような気がして、本当はすごく自分という存在が確かになった気がして――けれど、それは脆い幻想に過ぎないのだとわかっていた。


「交換可能性に、人は耐えられない」


 ぽつりと、彼女が口にした。

 その意図がよくわからなくて、私は首を傾げたけれど――次に放たれた言葉で、私は凍り付く。


「白いガーデニア、覚えてる?」


 唇を噛んで、目を逸らす。

 もちろん、忘れるはずもない。

 予感はあった。そうではないかと思っていた。

 けれど、それは余りにも自分にとって都合が良すぎて――夢見がちに過ぎて、知らない振りをずっとし続けてきた。

 本人からその正体を明かされるまで、私は卑怯にも待つことしかしてこなかったのだ。

 だって、ずっと憧れていた人が自分を迎えに来てくれるだなんて、下手な筋書き過ぎて私でも摸倣先に選ばない。

 

「ファンレター、嬉しかった」


 言葉は穏やかだけれど喜びに満ちていて。


「まだ反応が全然無い頃から、全部聴いてくれてるって」


 それは、偶然の巡り合わせだったかもしれないけれど。


「支えて貰ってるって書いてあって、びっくりした。そう感じてる人がいるって思えたら元気が出た。こっちこそ支えて貰ってた」


 私はずっと前から歌姫のファンで――だから当然、応援の手紙を送り続けていた。何かの記事で読んで以来頭に刻み込んでいた、彼女の好きな花を添えて。


「くじけそうになった時、あなたの言葉が支えになった。ガーデニアの白さを見て、故郷のお母様を思い出した。けれど、ハルにとってあの花が思い出させてくれる大切な人は一人だけじゃない」


 自分のささやかな行動が彼女に届いていた。

 その事がたまらなく嬉しくて――けれど、同時に心に暗いものが這い寄ってくる感覚があった。

 影が差して、闇が広がる。


「君はファン――つまり沢山いる内の一人だ。『特別』じゃない」


 小さな子供の声――生まれる前から知っているような、私の根本に存在するような力強い声。

 その致命的な指摘で、私の存在に亀裂が入っていく。

 ああそうか、私は特別じゃないと嫌なんだ。

 なんて傲慢なんだろう。

 恥ずかしい。

 このまま消えてしまいたい。

 舞い上がって、ばかみたい。

 ばらばらになって、希薄になって、小さくなって。

 闇の中に消えていこうとする私の左手を、強く握る誰かの存在を感じた。


「そんな言葉に惑わされないで。あなたの存在はあなた自身で定めるの。だから」


 強引に、引き寄せられる。

 黒玉の瞳が、決意の光に輝いた。

 それは己の命を――あるいはそれよりも大きなものを賭けた決死の覚悟か。

 それとも。


「ハルと――ううん、ジルと存在をかけて決闘して。勝った方が、ハルベルトの名を受け継ぎ、存在基盤を確立する。頷いてくれないとあなたを殺してジルも死ぬ。頷いてくれたらあなたかジルのどちらかが死ぬ。さあ選んで」


 私どころか、無数の影までもが呆然としてその言葉に圧倒されていた。

 どう転んでも滅茶苦茶な結果しか生まない選択肢。

 そして、私が選んだのは――。





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