3-47 松明の騎士団②
話題は移り変わり、食卓には食後のお菓子が並べられていく。
待ってましたとばかりに私はスプーンで黒いプディングを切り分ける。
このほんのりとした甘味と苦味、そして僅かな酸味。亜大陸産のカカオ豆、おそらく品種はトゥルサ原産の――。
などと、お菓子に夢中になっていると、右から肘でつつかれる。何なんだろう。今はお菓子に集中したいのに。私がお菓子を楽しむ瞬間を邪魔するなんて決して許されない。たとえそれが神やお師様であったとしてもだ。
ぎゅうっと足を踏まれ、さらにぐりぐりとねじられてようやく私は顔を上げた。食べ終わったのである。
場の話題は、壁面に映し出された光学立体幻像についてのものらしい。グロートニオン結晶の輝きが遠くの景色を映し出している。
一人称――主観の映像。誰かの視界。金鎖システムが共有する修道騎士の記憶らしい。おそらく現在進行形。
おどろおどろしい風景から、第六階層の映像なのだとわかる。足を運んだ事は無いが、記録映像は何度も見せられた。
右手には長く白い骨のような槍。
見覚えがあった。その確かな足取り、揺るぎない視線。
迫り来る異形の怪物――
顔はわからないし、どうせ見てもよくわからない。けれど、振る舞いから私はそれが誰の視点なのかわかってしまった。
松明の騎士団総団長。あるいは騎士修道会【松明を掲げる者ピュクティエトの貧しき同胞たち】の総会長。最弱常勝の聖騎士。守護の九槍が第一位。
松明の騎士、ソルダ・アーニスタ。
今、彼は第六階層に挑んでいるのだ。それも、たった一人で。
流れるような動きに迷いは無い。鎧は最小限で視界を妨げぬ為に兜も無し。速度こそ命と言わんばかりに疾走し、第六階層の奧へ奧へと突き進む。
恐るべき複合種たちの上位個体、
それまで引き連れてきていた複合種と激突させて体勢を崩し、まとめて槍で串刺しにする。鮮やかな手並み。そこまでの動きは完璧に訓練されたように最適化されていた。
そうして到着する。第六階層の最深部。
ここまで辿り着けるのは地上でもごく一握りだけだ。
暗がりの中で、途方もなく巨大な何かがみじろぎした。
「また、あなたですのね。わたくしもう飽き飽きですわ」
どこか高貴な響きが感じられる、年若い少女の声。
第十六魔将。第六階層の掌握者。
その力は、私がかつて戦った魔将エスフェイルとは一線を画する。
『大魔将』イェレイドがその殺意を膨れあがらせていく。
直後、死の衝撃が松明の騎士に襲いかかった。
緊迫した状況にもかかわらず、それを遠く離れた場所から眺める神官達の声は暢気なものだった。
「今度はちゃんと回避できてますな。反撃が命中しましたぞ。おっ、そこだっ、いけっ」
「最初の頃に比べたらかなり戦えるようになっとりますなあ。ほれ、開幕の連続攻撃にもかなり対応できるように。パターン化というのでしたか。序盤はかなり安定しているように見えますぞ。この調子で挑み続ければいつかは倒せるのでは」
「しかし、団長どのが挑み続けるせいで、第六階層の長大化と罠の無体さに歯止めがかからなくなってきているとの訴えが探索者協会や下位の修道騎士たちから寄せられて来ております」
「ふむ。確かにそれは困りものだ」
「あっ、やられてしまいましたぞ」
「ふむ。やはり大魔将は手強いですなあ。第十二魔将ズタークスターク以来の強敵だ」
巨大な質量が襲いかかり、映像が途絶する。
それはソルダ・アーニスタの死を意味していたが、誰も心配している様子は無い。わかり切った結末だったからだ。
「第六階層の攻略に団長どのが必要不可欠なのはわかるが、第四階層の防衛戦における損耗率も激しいと聞く。あのお力は防衛戦で貴重な人員を守るためにこそ振るわれるべきでは?」
「ソルダ団長にはしばらく防衛に専念していただいて、第六階層の攻略は若き英雄どのに任せたらいかがかな」
「それは名案ですな」
「さよう。この閉塞した状況を打破して頂くためにも、アズーリアどのには奮起していただかなくては」
話題の矛先が再び私に向けられる。
望むところ、と答えようとした私に、左右からの制止。
「お言葉ですが、修道騎士アズーリアは未だ力不足かと。団長殿とは違い、アズーリア・ヘレゼクシュは敗北すればそれで終わり。貴重な第一魔将も回収できなくなりましょう。十分な準備が整うまでは待っていただきたい」
「捕捉すると、フィリスは相手の情報を集めれば集めるほどその力を発揮できる。現段階で大魔将イェレイドの相手をするのは余りに情報不足。その為には、更なる威力偵察による情報の収集が必須」
ラーゼフとハルベルトが口々に異論を唱える。確かに二人の言うことも正論だった。私は勢いだけで戦おうとした事を恥じた。
「しかしですな、待つと言ってもどれだけ待てばよろしいのですかな。十分な情報とはどこまでを指すのです? 具体的な指標が無いと、こちらとしても今後の指針が立てられないのですが」
それに対してはハルベルトが答えた。
自信に満ちた、不遜な宣言だった。
「一巡節――半年以内にアズーリア・ヘレゼクシュの序列を可能な限り引き上げる。隊を率いることができる立場にまで。そして、英雄は己の部隊と共に第六階層に挑むの」
「ほう。それでは、半年で序列を三十位から――そうですな十位くらいまでは引き上げると。そういうことでよろしいのかな?」
「そんな謙虚な事は言わない。目指すのは、一桁」
場がざわついた。
当然だろう。ハルベルトは、私を守護の九槍にすると宣言したのだ。
松明の騎士ソルダ・アーニスタ、聖女クナータ・ノーグを始めとして、勇士カーズガンやあの第七位、そして天才キロンなどが並ぶあの奇跡の担い手達と同格の存在にしてみせると豪語した。
それは、誰かを追い落とすという宣言でもあり、場合によっては不敬ともとられかねない発言だったが。
「ははは、これは威勢のいい。確かに英雄というからには守護の九槍になって頂かないと困りますな」
「しかし現在の九槍はいずれも英傑揃い。第十位との差は余りに大きい」
「さよう。果たしてたった半年で序列を上り詰められますかな」
ハルベルトはこれにも自信に満ちた答えを返す――いや、これはもしかしたら。
信頼、なのだろうか。
「問題ない。英雄アズーリアは半年後、守護の九槍として第五階層に拠点を移し、第六階層の攻略を開始する」
だから、それまでに十分な情報を集めておいて欲しいと付け加えて、ハルベルトは口を閉ざした。
大言壮語。その期待は重い。けれど、そこに込められた想いが嬉しくて、私は胸に不思議な熱が湧き上がってくるのを感じていた。
あたたかでやわらかな、この気持ちは一体何だろう。
ハルベルト。私のお師様。
彼女の期待に、応えたい。
それに、第五階層に拠点を移して本格的な攻略を行うのだとすれば。
聖女クナータは彼が生きている事を教えてくれた。
シナモリ・アキラ。彼と再会出来るかもしれない。
未来への想いが、私の心を浮き立たせていた。
それは突然の事だった。
食堂の扉が開いて、ふらふらと焦点の定まらない瞳で歩み寄ってくる小さな姿。
「聖女様! お気を確かに、どうかお戻り下さい!」
女官が背後から取りすがるのも構わずに、聖女クナータは忘我の境に入ってその場に現れた。
一体何事かと色めきだつ面々をぼんやりとした瞳で眺める。
虚ろな十字の瞳には意識があるのかないのか定かでない。
託宣だ。それも、予定にない気紛れの霊感。
乱数が導き出した未来の回想。
「あなたと、あなたと、あなた。あとあなた。あとは、あとは――」
クナータはその場にいる大神院の神官達を順番に指差していく。その中には、夜の民である群青様も含まれていたから、彼女は分裂した一人を複数回指差すことになった。
そして、その細い指先が私に向けられる。
「お誕生日のお祝いかしら。あなたたちは、ついこの間に生まれたんですものね――あら、どうしてかしら。わたし、アズーリアとは古いお友達なのに――? みんな、この間生まれたと記憶しているのだけれど。もう、おかしいの」
戦慄。そして巨大な恐怖が空間を埋め尽くした。
未来から過去へと向かう聖女の認識は常人のそれとは異なる。我々にとっての生誕とは彼女にとって生命の終着点であり、逆に死とは生命の出発点。
つまり、誕生したという記憶が示すものは。
「し、死の宣告」
「ありえん。このような予定にない死者の託宣があるわけがない! それも、ここにいるのはいずれも槍神教の要ばかりなのだぞ!」
「数からして暗殺。いやテロか?」
「地獄の侵攻ということも」
「この難攻不落の時の尖塔を落とせるものがいるわけがない!」
「まさか、この中に味方を追い落とそうと企む誰かが」
「滅多な事を口にするものではない! そもそも原因は? 聖女様、不作法とは知りつつお尋ね申し上げる。我らはどのようにして生まれたのでありましょう?」
聖女クナータは、何か恐ろしいものを目にしたように――否、巨大な異物を頭の中に詰め込まれたように苦しみだした。呻きながら、どうにか言葉を絞り出す。
「この間の、大きな葬送式典。第一区、この大樹の梢。天の御殿に一番近い場所で、魂を空に送るの。迷える魂を黒衣の天使が導く。それで、みんなみんな生まれたのよ。星空のような魂の流れ、金色の瞳、骨の花――ああ、それから空を舞う魔女。歌が、歌が聞こえたわ。死の囀り、それから綺麗で素敵な――その最中に、沢山の、たくさんのひとが、あ――ああ!!」
十字に輝く瞳から血が溢れていく。歪み続ける記憶を振り返りすぎてしまったのだ。高い負荷に彼女の脳が悲鳴を上げ、血涙は美しい衣装を汚していく。
そして、糸が切れたように聖女様は意識を失って崩れ落ちた。
誰もが呆然と、その光景を眺めることしかできなかった。
その予言を、受け止めきれずに。
かつての回想とは異なる未来。
未来への展望が示された、その矢先。
「私が――死ぬ?」
死は誰にも平等に降りかかる。
生まれた以上、死を避けることはできない。戦いの中に身を置いていれば、それはなおさらだ。
けれど、私はまだ目的を遂げていない。
妹を、取り戻すことができていない。
それなのに。
死の絶望に狂乱するその場の中で、私もまた蒼白になって震えそうになったその時。
ぎゅっと、私の右手が握りしめられた。
両手で強く私の掌を包む。小さな、けれど確かな感触。
ハルベルトは、まっすぐに私を見つめて宣言した。
「運命なんて下らない。それに抗ってこその英雄でしょう」
その言葉が、あまりに力強かったから。
私は黒玉の瞳をまっすぐに見つめて、静かに頷いた。
「ありがとう。ハル、私は死なない。絶対に」
決意と共に、私はハルベルトの手を握り返した。
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