3-45 松明の騎士③



 大機竜から少女の手を借りて這いだした少年が、弱々しいながらも戦意を宿したままの瞳でこちらを睨み付けた。命ある限り、彼は戦うのだろう。

 ソルダは決然とした面持ちで長槍を振りかざした。その穂先に、炎が灯される。

 それはあたかも松明の炎の如く。


「松明の騎士の名に於いて宣言する。君たちは今この瞬間から人ではなく異獣となった。勢力変更の直後であるため、即座の攻撃はしないものとする。あのヲルヲーラにだって文句は言わせない。さあ、転移門へ向かい地獄へ渡るがいい!」 


 この地上と地獄の戦いで、敵味方を識別する呪術を行使できるのは三人だけだ。

 すなわち、審判である翼猫ヲルヲーラ、上方勢力の頂点たる松明の騎士ソルダ、下方勢力の元帥たる迷宮の主セレクティフィレクティ――ベアトリーチェ。

 一度『人ではない』と定められて地獄に降りたなら、もう一度ラベルを貼り替えられない限りもう二度と地上には戻ってくることができない。いかに居場所が無くなったとしても、生まれ故郷を捨て去れという宣告は無慈悲に過ぎた。

 ソルダの冷酷な宣言に、竜神信教の信徒たちは様々な反応を見せた。怯え、困惑、敵意、思索――もはや地上に彼らの生きる場所は無い。最後に逃げ込んだこの場所にまで槍神教の追撃は及んだのである。


「どうした、それとも戦ってここで死に花を咲かせるのが望みか! いいだろう、それならばこの松明の騎士が相手となろう。戦士の本懐を遂げるがいい。戦えぬ者を巻き添えにしながら!」


 ソルダの言葉に、大機竜に搭乗していた少年が何かを言い返そうとした。しかし、すぐ傍で自分を支えている少女を見て、決意を固めたように唇を引き結ぶ。一度だけ強くソルダを睨み付けて、それから少女と共に集団の方へ向かう。一つの意思を抱えて。


「地獄へ堕ちていけ! そしてジャッフハリムの帝都を目指すんだ! セレクティフィレクティとレストロオセなら難民を無下にはしないだろう。さあ行け、走れ! 振り返らずに、地上の事を忘れて生きろ!」


 ソルダの言葉はどこまでも残酷で――しかし彼に許された範囲の中での、精一杯の慈悲なのだと思えた。

 やがて、短い話し合いを終えた竜神信教の信徒たちは走り去っていった。ソルダの言葉通りに、振り返らず。


「偽善、欺瞞、自己満足――わかってはいるんだけどね」


「わかっているならしなければいいのです。ばかなあるじさま」


 毒づきながらも、フラベウファの口調はどこか明るい。己のあるじを心底から誇り、敬愛するような声の調子が、外見上の年相応に可愛らしく感じられる。


「地獄で彼らは上手くやっていけるんでしょうか」


「さて、どうだろうね。竜神を崇める彼らは火竜メルトバーズのことも良く敬うだろう。その点では大丈夫だろうけれど――」


「結果は、神のみぞ知る、ということですか」


 私にとっては何とはなしに口にした言葉でも、他の誰かには滑稽に感じられることがあるらしい。

 まさにその時、ソルダとフラベウファの二人がもの凄い勢いで吹き出して、揃って肩を揺らしていた。私は何がそんなに可笑しいのかわからずに狼狽する。


「あの、一体どうしたんでしょうか」


「いや、いいんだ。こっちのことだから、気にしないで――」


「くすくす、クナータ様から聞いていた通り、中々面白い方ですね」


 わけがわからなかった。兜の内側で目を白黒させる私をちらちらと窺いながら、二人は盛大に笑い転げた。


「もう、何なんですか、一体!」


 流石に憤慨してそっぽを向いた私に、謝罪の声と共に一輪の花が差し出される。


「ごめんよ、あんまりにも気の利いた冗談に聞こえてしまったものだから。僕たちだけの間で通じる符丁みたいなものなんだ。気を悪くしたよね。お詫びに、これを進呈するよ」


 ソルダが私に差し出したのは青と白が綺麗に調和した小さな花。

 随分と目的から離れてしまったけれど、これこそが今回の私の目的だった。

 これを受け取れば私は試験の合格となる。けれど。

 私は花を受け取る際に籠手に包まれた右手を胸に当て、敬礼をしようとした。気付かなかったとは言え、礼を失する行為は修道騎士としては許されない。

 けれどソルダ・アーニスタ卿は柔らかい声のままで私の行為を制止した。


「ああ、いいよ。僕が自分で隠していたんだからね。名前の一部だから嘘は吐いていないけれど――ソルダ=ルセス・アルスタ=アーニスタだなんて長いだろう? 普段はソルダ・アーニスタで通してる。いっそソルダと呼び捨てにしてくれても構わないよ」


「そのようなこと――!」


「じゃあ団長とか総会長かな」


「では、団長殿。数々のご無礼――」


「いや、君は礼儀正しかったよ」


「気付かなかったとはいえ――」


「わざと隠してたんだって。実は君の噂は聞いてたんだよ。あの第一魔将の適合者が現れたってね。それで、実際に見てみたくなったんだ。そしたら竜骨の森で竜神信教に動きがあるって言うじゃないか。なら任務と一緒に君を試してしまえと考えたんだ」


「では、これまでのことは」


「ほとんど仕込み――流石に大機竜が出てくるとは想定外だったけれど。それと、探索者っていうのは本当だよ。内緒だけど、これでも正式な探索者資格を持っているんだ。かなり前に姉さんと一緒に試験を受けてね」


 私はぽかんとしてしまった。この少年は、一体何なんだろう。

 ソルダは私の左手に摘まれた花を見ながら言った。


「君には青がよく似合うね。青は素敵な色だ。そして白も。それらのイメージを呼び起こしてくれる、冬の季節が待ち遠しいよ」


 ソルダはどこか遠くを見つめているようだった。

 有名な話だ。エルネトモランを始めとした各地に伝わるおとぎ話。

 松明の騎士フォグラントと冬の魔女コルセスカ。

 火竜メルトバーズを地獄の奥底に氷漬けにして封印した二人の英雄譚。

 そして、悲恋の物語でもある。

 届かなかったてのひらが、強く引き合う魂を求めて現代に甦った。

 転生――時を超えて、いずれ二人は巡り会う。

 絶対なる聖女の予言で、運命の恋人たちは聖なる結婚を約束されている。


「早く、会えるといいですね」


「――ありがとう。そうだね。僕も、彼女に恥じない英雄にならなければ」


 溢れ出した想いが、堪え切れずに瞳からわずかにこぼれ落ちた。少年は悲しみと切なさを無理矢理に抑え付けて、服の袖で目を擦る。顔を上げた時、ソルダの表情には快活な雰囲気が戻っていた。


「予言にある試練を全て乗り越えて、僕は必ず彼女に巡り会う。だから僕は戦い続ける。英雄として、松明の騎士として」


「試練、ですか」


「幾つかあって、大体は怪物退治だよ。ほとんど終わってるんだけど、最大の難関が残っててね」


 彼ほどの勇士が言う難関とは、一体どんな試練だというのだろう。

 私の疑問に、ソルダは端的に答えた。


「異界の悪魔――まことの名を持たないという異質さの塊。いかなる伝承にも登場したことのない名無しの怪物。僕はいつかその最強の悪魔と対決し、勝利しなければならない」


 強い戦意を漲らせる少年の純粋な想いを感じ取って、私は改めて思った。

 彼を応援したい。

 最弱の聖騎士が最強の悪魔に立ち向かう。その英雄譚の結末が、華々しいものになればいい。私はそんなことを考えながら、少し気安いかなと危ぶみながらも言葉を紡いだ。


「良かったら、結婚式には呼んで下さい」


「ああ、もちろんだよ。きっとこの上なく壮大で、幸福な式を挙げてみせる」


 誓いの言葉は、まるで少年の胸に燃える恋情のようだった。

 それが私、アズーリア・ヘレゼクシュとソルダ・アーニスタの出会い。

 修道騎士として一歩を踏み出す直前の一幕。

 残っている確かな記憶。

 追想する私の意識はしっかりとしている。闇の中を往く私の足取りは確かだ。

 その後に繰り返される訓練、実戦、防衛戦に斥候としての強行偵察、キール隊のみんなとの出会い、六人での訓練と実戦、積み重ねられた信頼――そしてあの悪夢のような第四階層の防衛戦。決意と叛逆。第七位の命令に逆らっての第五階層への突入。そして、そして――。

 そう。この時点から未来の記憶は確かだ。

 松明の騎士団の修道騎士として戦ってきた記憶は確かにある。

 私の動機の根源、意思の源泉である幼い頃の記憶、妹との思い出も存在する。

 さて。

 妹を失い、声を無くした私のそれから。寄生異獣フィリスを宿し、修道騎士としての第一歩を踏みだし始めた私のそれ以前。

 その間、一体私は何をしていたのだろう――?

 確かだったはずの記憶が、揺らいでいく。

 疑問に思う事すら無かった、空白の期間。

 何故か不自然な思い出とも認識ともつかない『この期間は空白ではなく何らかの思い出が存在する』という何だ、これは、文字列――違う、これは呪文だ。

 私の脳に、心に、アストラル体に書き込まれた呪文の羅列。極めて複雑で高度な記憶の捏造と認識の操作。

 私はこんなにも不確かだ。

 そもそも私はどうして声が出せるのだろう。

 どうして色がわかるのだろう。

 どうしてこんなにも実体がはっきりとしているのだろう。

 おかしな事は幾らでもある。フィリスのお陰だと思考停止してその切っ掛けを忘れていた。考えないようにしていた。認識できないということすら認識できなかった。

 そもそも。

 この左手に宿った【フィリス】とは一体何なのだ――?

 疑問、疑問、疑問。

 深い闇の中に落ちていく。

 悪夢の泡が浮かんでいく暗闇の底に、誰かがいるような気がした。

 それは少年。フラベウファのような三角の耳は白く、その美貌は輝かんばかり。

 しかし、どうしようもなくその少年はおぞましかった。

 私にとって、彼は避けられない運命そのものだと見ただけでわかってしまったから。

 運命――それは美しいばかりではなく、抗いがたいほどに強引に人の意思や感情をねじ曲げる恐ろしい怪物なのだと、その時になってはじめて私は知った。

 

「ああ、そこにいたんだね、フィリス。そして大切なアズーリア」


 少年にはまるで雄々しい所が無い。線の細い、ソルダに輪を掛けて女性的ですらある美貌の少年。

 けれど私には、彼を取り巻くアストラルのたてがみが見えた。

 ああ、彼はどうしようもなく獰猛だ。

 少年は、獅子だった。


「ずっと昔、君は僕に会いに来てくれた――これから会いに来てくれる。運命が僕たちを引き合わせようとしているのが感じられるよ。いつか、僕たちは巡り会う」


 嫌、嫌、嫌だ!

 怖かった。自分の意思が、自分の運命が強引にねじ曲げられてしまうなんて嫌だ。

 私は私だけのものだ。

 記憶も、感情も、この想いも。

 けれどそれは空虚な嘘でしかないと私は知っている。地上においては全てのものが槍神教と大神院によって管理されている。この地上に自由は無い。あるのはかりそめの自由。箱庭の楽園。人柱たちの悲鳴を聞かなかったことにして笑い合う、おぞましい理想郷。けれど真の自由は私達には過酷すぎて、この心地良い幸福を抜け出すことがどうしてもできないでいる。


「大丈夫――待ってるから。最も自由で残酷な、世界の真ん中で会おう。君のもう一つの運命と一緒に、再会の喜びを分かち合おう」


 少年の柔らかな声は、私にとっては恐怖でしかない。私はこの少年に出会ってはならなかった。あの全てを見透かす瞳と耳で、あの雄々しい鬣と荒々しい牙で、私は存在ごと食い尽くされて解体される。


「君は少し深いところまで潜りすぎたみたいだ。大丈夫、送ってあげる。君の居場所に帰るといい」


 少年はそういうと、すうっと息を吸い込んだ。この闇の中で、一体どれほど吸い込める大気があるというのか。それとも彼が吸ったのは物質的なものではなく――もっと抽象的な。


「遡って、【オー】」


 同じ呼び声、異なる名前。

 その聞いたこともないたった一つの音が、フィリスの対極なのだとどうしてか理解できてしまって、私は恐怖に震えた。

 少年の左手が吸い込まれそうな闇に、右手が眩いほどの光に変貌していく。

 闇の左手と光の右手から凄まじい呪力が湧き上がり、私の左手が何かを求めるように暴れ出そうとする。柔らかい闇と光が私ごとフィリスを包み込んで、そのまま上へ、上へと運んでいく。

 そうして私の意識はゆっくりと薄れ、浮上し、そして覚醒した。

 全ては暗い追想と闇の中。

 曖昧な意識は、微睡みと目覚めの狭間に消えていった。



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