何の取り柄もない透明人間の俺が、妹を救いに行く話。〜〈ザ・ヴォイド〉=消失の能力に目覚めたので、あらゆる障害を消失させて世界ごと妹を救うことにする〜
第30話 仲間達と野営した俺が、救出作戦に秘められた事情を聞く話。
第30話 仲間達と野営した俺が、救出作戦に秘められた事情を聞く話。
トヲル達の馬車は大きな湖のほとりを走っている。
「この湖を大きく迂回して、対岸に見える丘を越えるとエクウスニゲルが見えて来る。あと一、二時間ほどの道のりだな」
御者台のディアナがそう言った。
アイカは幌から顔を出して、山の端にかかる夕陽を反射する湖面を眩しそうに眺めた。
「……時間もいい感じだし、今日はこの辺でキャンプにしよっか?」
「キャンプなんて訓練学校の演習以来だなあ。楽しそうだねえ!」
幌の上でうきうきと上体を左右に揺らしているクロウにディアナは苦笑しながら言った。
「わたしは兵団で野営を何度も経験しているが、作戦行動の一部だったから楽しさとは無縁だったよ。今も作戦行動中ではあるのだろうが……ここはアイカの言うメリハリというものを大事にすべき所だろうか?」
「そういうこと。よしよし、分かってきたじゃん、ディアナ。あ、そこの浜辺が良さそう。あの辺に停めてくれる?」
馬車は道を外れ、湖の近くに向かった。
周囲から薪になりそうな乾いた木々を集めているうちに夕陽は山の向こうへ消え、空を残照が照らすばかりになった。
アイカとディアナが手慣れた様子で、焚き火を作りあげている。
次第に大きくなっていく炎を見つめながら、トヲルは隣に立つディアナを見た。
「兵団のキャンプって、食事の用意とかも自分でしてたの?」
「もちろん、当番制でな」
アイカが火の中に木をくべながら言う。
「じゃ、今晩のキャンプごはんはディアナにお願いしちゃおっかな」
「みながそれでいいなら、わたしは別に構わないが……」
「へえ、ディアナの手料理か。ちょっと楽しみだ」
トヲルの言葉に、ディアナは照れたように言った。
「て、手料理などと。無骨な陣中飯だ、大したものは作れないぞ」
「よし、だったらその間におれは魚でも獲って来るか!」
馬車を停めてから早々に波打ち際に寝そべっていたヴィルジニアは、そのまま水の奥へと滑り込んで行った。
*
ディアナは馬車にストックしてあったロングパスタを使うことにしたようだ。
彼女の料理が仕上がる頃、ヴィルジニアが湖の中から戻って来た。手にした槍に何匹もの魚を串刺しにしている。
「いい魚を見つけた。こいつがまたうまいんだ」
ディアナのパスタがそれぞれの皿に盛られるかたわらで、ヴィルジニアは慣れた様子で魚を金串に通し、たっぷりと塩を振って焚き火の横の地面に立てて炙り焼きにし始めた。
「……いい匂いだねえ。お腹空いてきたよ」
クロウは皿のパスタを興味深そうにのぞき込んでいる。
「ヴィルジニアの魚はもう少しかかりそうだし、冷めないうちにディアナのパスタいただきましょ」
アイカがワインを注いだ全員分のカップを配り終えて言った。
揚げニンニクとトウガラシ、刻んだパセリ以外の具材が見当たらないシンプルなパスタだ。
だが濃厚な香りに誘われるようにパスタを口に運ぶと、充分な塩加減とパスタのうま味、ニンニクとオイルの香りが口いっぱいに広がった。
「うま……ッ」
「んー、おいしい! やるじゃん、ディアナ!」
「ホントだねえ、これはいけるよ! 作ってる様子見てたかぎりじゃ、味がしないんじゃないかって心配してたけど」
「シンプルな工程だからより調理人の腕が出るのだな! 流石はおれの妹よ!」
全員から手放しの賞賛を受けて、ディアナは照れながらパスタをつついた。
「く、口に合ったようで何よりだ。トウガラシのアーリオ・オリオといって、手早くスタミナ補給できるので兵団でもよく作っていたのだ」
「確かに、このニンニクも元気が出そうっていうか――」
そこまで言いかけたトヲルは、思わずアイカの方を見た。
吸血鬼の彼女は口いっぱいにパスタを頬張っている。
「……君はニンニク食べて大丈夫なのか?」
「え……やっぱり〈ヴァンパイア〉だからニンニクが弱点なの? アイカ死んじゃうの?」
不安げなクロウを横目に、アイカはパスタを吞み込んでワインを口に運んだ。
「……この状況で死んだらあたしどんだけマヌケなのよ。ニンニクなんてどうってことないから。あたしをその辺のヴァンパイアと一緒にしないでくれる?」
「そういえば、アイカが日光で焦げちゃう所も見たことないなあ。それにヴァンパイアは川を越えられないって学校で習った気もするけど……」
「さっきみんなで川渡ったばかりでしょ」
「……アイカってばホントにヴァンパイア? 実はなんちゃってだったりして」
「失礼ね、むしろ色んな弱点を指摘されてる怪物どもの方がなんちゃってヴァンパイアでしょ、普通に考えて」
「まあ、アイカの弱点らしい弱点はオバケが怖いぐらいなもんだろうな」
「だから怖くない! そもそもオバケなんていない! いないものを怖がるワケないし!」
アイカはフォークをヴィルジニアに突き付けた。
「それで言うとディアナだって、わんこなのにニンニクとか食べていいの? 中毒とか起こしたりしたらやばいじゃん」
「わたしはわんこではなく、狼――いや、狼でもないのだが、〈ワーウルフ〉だから問題はないだろう。というか、これまで気にしたこともなかったな」
そう言ってディアナも普通にパスタを口にしている。
ニンニクで中毒を起こしていたら、兵団の野営の時点でディアナは無事では済まなかっただろう。
「ところで――」
ディアナはワインを口に含んで話題を変えた。
「行方不明となっている研究員のゾーイ・リュンクス、だったか。彼女をアイカは知っているのか?」
「そうね、ヤクモ機関の研究員の数は限られてるから、基本的にお互いを知ってる。つっても一緒に仕事をすることはないし、接点はあまりないけど」
「おれ達研究員は機関から一騎当千の戦力を認められてて、そんな研究員の配置が
ヴィルジニアから魚の串焼きを受け取ったディアナは、言われるままに頭からかぶりついた。
「うん……! 確かに骨も皮も気にならない。むしろ香ばしくて身の味を引き立たせるな。塩加減も丁度いい」
「だろう? みんなも食べてくれ、もう全部焼けてると思う」
すでに全員パスタを平らげている。
ヴィルジニアにうながされて、トヲル達も焼き魚の串を手に取った。
「一騎当千……ってことは、そのゾーイって人もアイカやヴィルジニアみたいに戦えるってこと?」
脂の多い身に、皮目に振られた塩味とワタの部分の苦味が口の中で絡み合う。
何だかワインが進みそうな味だ。
「おれほどじゃあないが、少なくとも簡単にやられるようなタイプでもないだろうな。消息不明にしても、何か理由があるんじゃないかと思うんだ」
と、ヴィルジニアは串に刺さった焼き魚をひと口で半分以上かじり取った。
「それで? あんたの調査対象は何だったの?」
アイカが言った。
「……ん?」
「ゾーイの捜索にあんたが選ばれてた理由をまだ聞いてないわ。そもそものあんたの仕事が関係してるんじゃないかと思ってさ」
「ああ――そうだな」
焼き魚の残り半分を口に頬張り、ヴィルジニアは金串を地面に突き立てた。
「おれが調査してたのは、ヤクモ機関の離反勢力だ」
「離反……勢力?」
「ありていに言えば、裏切り者だな」
「裏切り者……あの、ヤクモ機関にか」
ディアナの言葉に、ヴィルジニアはうなずいた。
「知ってると思うが、ヤクモ機関はIDに関する不正や問題を独自に調査し、取り締まりを行ってる。だが中にはそれじゃ生ぬるいって考える連中も出てくる訳だ。急進派って奴だな」
「急進派……」
「ヤクモ機関の圧倒的な力で全世界を支配征服! 不正や問題は問答無用で摘発! 最大化した戦力で全ての怪物を殲滅! で、かつての人類の繁栄を取り戻す! 程度の差はあるけど、だいたいこんな感じだ」
「ふうん。ヤクモ機関なら、やろうと思えばできちゃうかもねえ」
「でもそれはヤクモ機関の思想とは相反してんの。基本的にヤクモ機関は全ての可能性を肯定する。その上で人類社会に脅威をもたらすと思われる事案を取り締まる。機関はそうして世界の管理者としての立場を担ってきた」
アイカが魚の身をひと口かじった。
「もちろん、怪物であふれた今の世界の在り方までを肯定してるワケじゃないけどね。だからって強引に統制したり変革すれば必ずひずみが生じ、多くの犠牲が生まれるのは間違いないから」
「HEXのように――か」
「まあね」
ディアナは食べ終えた魚の串を地面に刺した。
「だが、ヤクモ機関が生み出したSFやIDの技術が全世界にここまで広まったのも、その思想があったからかも知れないな」
「ま、機関の腰が重い
「仮にさっき言ったような急進派がヤクモ機関を乗っ取ればおおごとだ。けど機関長のエルは見た目はただの幼児だが、あれでとんでもなく強くてな。たぶん、誰も敵わない。それは誰でも分かるから、急進派は離反していくしかないんだ」
トヲルはリンゴをかじっていたエルの姿を思い浮かべた。
口振りは老成していたが、あの小さな体で機関の全てを支えているということか。
「うむ……ヤクモ機関から離反したのであれば、それはもはやヤクモ機関ではないし、機関の力を使うこともできないだろう。わざわざ調査の対象とするような――脅威となりえるのか?」
ヴィルジニアは、鋭いな、とディアナに言う。
「ヤクモ機関が、いわゆる離反勢力を無視できない理由は――その離反勢力のなかに“カンナヅキ”がいるんじゃないかと考えてるからだ」
「カンナヅキ……って?」
トヲルはアイカの方を見た。
アイカは硬い声音で答える。
「……ヤクモ機関の創設者達のことよ」
「そ、創設者ッ?」
「いやいや、もしそんなのが離反勢力ってのなかにいたとしたら、ヤクモ機関をもうひとつ創れちゃうじゃない」
軽口のようにも聞こえるクロウの言葉に、アイカは真顔で首を振った。
「まあ――ちょっと考えられないんだけどね。ヤクモ機関創設は怪物がもたらした世界の大崩壊の前っつう大昔の話だし」
「もう誰も生き残ってないってこと?」
「うん……機関長のエル以外はね」
束の間、トヲル達は言葉を失った。
「……創設者、なのか。あの子どもは」
ディアナがつぶやく。
「だから子どもなのは見た目だけなんだってば。色々と規格外なのよ、あのじいさんは」
ヴィルジニアは新しい焼き魚に手を伸ばす。
「アイカの言う通り、記録にあるカンナヅキで残ってるのは、確かに機関長だけだ。けどその本人が言うには、機関設立の初期に
「記録に残ってないカンナヅキのひとり――ヴィルジニアの探ってる離反勢力ってのが、それ? 何だか信じらんない話ね。あんた、あのじいさんに担がれてんじゃないの?」
「おれもそう思う。あのジジイならやりかねない」
と、魚の身にかぶりつく。エルは散々な言われっぷりだ。
「いや、でもさ。それって――」
トヲルは飛行船での会話を思い出していた。
――ヤクモ機関と同等かそれ以上の知見を有し、実践する能力をもった何者かの存在と、その何者かによる働きかけがなければ――。
「ブリーフィングで言われてた、HEXの開発に技術供与した何者か――の存在そのものなんじゃないか」
アイカの紅い瞳に、焚き火の炎が映っている。
「記録に残ってないカンナヅキのひとり……記録に残ってないカンナヅキのひとり……か。名前とか分かってんの?」
ヴィルジニアは端末のメモに目を走らせた。
「ええと、何だったかな。そう、マルガレーテだ。マルガレーテ・フォン・ファウルシュティヒ」
マルガレーテ・フォン・ファウルシュティヒ。
記録に残ってないカンナヅキのひとり。
「マルガレーテ……名前からすれば女性か」
ディアナは整理するように言葉をつむいだ。
「つまり……ゼノテラスにHEXという技術をもたらしたのがヤクモ機関の離反勢力で、その離反勢力を率いているのが、ヤクモ機関の創設者カンナヅキのひとりであるマルガレーテ・フォン・ファウルシュティヒ。あの機関長はそのように考えているということなのか」
アイカがその後を継いだ。
「……で、そのマルガレーテ率いる離反勢力がエクウスニゲルに潜んでいるかも知れなくて、調査に向かったゾーイ・リュンクスはそこで消息を絶った、と」
「全部つながってるとしたら、そうなるよな。もちろん、全部無関係かも知れないんだけどさ」
ヴィルジニアは二匹目の魚も平らげて、両手を頭の後ろに組んだ。
「その……マルガレーテって人はどんな特性の持ち主だったの?」
トヲルが問うと、ヴィルジニアは頭の後ろで手を組んだまま、困ったように虚空を見つめた。
「……それが、よく分からないんだよ」
「よく分からない?」
「まず特性の名前が無いんだ。何しろ、マルガレーテがヤクモ機関を去ったのが、〈タマユラ〉の作り出される前だったらしいからな」
IDには魂の在り方にふさわしい特性が宿る。
そこに〈タマユラ〉が人類の生み出した文化や概念をもとにして象徴的な名称を付与する。
そうした仕組みができる前の話ということだ。
「名前が無くても、どんな特性かは見て分かるでしょう? ぼくみたいに空を飛ぶとかさ」
「まあ……確かにぱっと見ですぐ分かるような特性は多い。例えば、エルの特性〈雷電〉だって電気を操る能力だ。分かりやすいよな。それでもエルの目から見たマルガレーテは、何と言うか……やっぱり
「どういうこと?」
「エルの言葉をそのまま使えば、何にもできなさそうに見えたし、何でもできそうにも見えた――ってさ。あの機関長がここまでマルガレーテを警戒してるのは、それが理由なのかもな」
ヴィルジニアの言葉に、それぞれが黙って考え込んだ。
やがてアイカがつぶやく。
「確かに……何だかよく分からないわね」
「よく……分からない……」
あらためて口にすると、何やら不気味に響いた。
焚き火の周囲が、すっかり闇に包まれているせいかも知れなかった。
つづく
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