何の取り柄もない透明人間の俺が、妹を救いに行く話。〜〈ザ・ヴォイド〉=消失の能力に目覚めたので、あらゆる障害を消失させて世界ごと妹を救うことにする〜
第29話 馬車で故郷へ向かう俺が、怪物の集団暴走に遭遇する話。
第29話 馬車で故郷へ向かう俺が、怪物の集団暴走に遭遇する話。
倒れた木々の合間から伸びた巨大な手。
かたわらの木の幹を掴みながら、手の持ち主がその巨体を現した。
「でかい……オーガッ?」
馬車を進めながらディアナがトヲルの声に答える。
「いや、ボアヘッド――あれはオークだ」
辺りに甲高い雄叫びが響き渡った。
豚頭人身の巨大な怪物は、馬車の前、横、後ろと次々と森の中から姿を見せ、地響きを立てながら猛然と馬車を追って来る。
オークはへし折った大木を、馬車目がけて力任せに投げ付けてきた。
うなりをあげて上空から馬車に飛来する大木。
「ざ――〈ザ・ヴォイド〉!」
トヲルは幌から身を乗り出して片手をかざした。空中で大木の半分が消失し、残り半分が崖下の川へと転落して行く。
「おお! いいぞ、トヲル、我が弟よ! オークの大群か、おれが相手になってやろう!」
ヴィルジニアは槍を構えて馬車の荷台に足をかけた。
「いや、この気配……それだけじゃないみたい」
アイカが後方に向けて目を
オークの足元でうごめく無数の小さな影。
決壊した川から泥水があふれ出て来るように、森の奥から膨大な数の影が噴き出して来る。
「ゴブリン――か! あんなにたくさん……!」
「オークはゴブリンと群れを作んのよ。まずいわね、これ――怪物の
ゴブリンの小さな身体を数体、オークが無造作に掴み上げ、こちらに向かって投げ付けた。
奇声をあげながら、ゴブリンが空中から襲いかかって来る。
鋭い剣閃が奔り、宙に浮いたまま数体のゴブリンは両断されて地面に落下した。
太刀を構えたクロウが馬車のそばを飛んでいる。
「見たか、生まれ変わったぼくの太刀筋! 恐れおののけ、我がドーンブリンガーは血に飢えているぞ!」
「呪われてる設定なの? 君のドーンブリンガー……」
ゴブリンの群れは木々を伝って馬車を猛追している。
大群の動きに木々が揺れ、まるで森全体が追いかけてきているかのようだ。
木の上から馬車の上に跳び乗ろうとして来るゴブリンを高速で射出された血液がとらえ、微塵に粉砕した。
アイカが御者台に登って傷を付けた指先を構えている。
「ディアナは運転に集中して。馬車はあたしとトヲルが守る。クロウとヴィルジニアは追いかけて来る群れの相手をお願い。
「心得た!」
ディアナが馬に鞭を入れる。
「よし、蹴散らして来る! ついて来いクロウ、我が妹よ!」
「ついにぼくまで妹になっちゃったあ」
ヴィルジニアは言い放つなり、馬車の後方から跳び出した。同時に左腕のバックラーを円盤投げの要領で投げる。
飛翔するバックラーの上に飛び乗ったヴィルジニア。
バックラーは彼女を乗せたまま、滑るように低空を飛んでオークとゴブリンの群れへと突っ込んで行く。
前方に向けて、空間を掌で円く撫でた。
「うらあああッ! 喰らい――やがれええッ!」
滑空するスピードをそのまま乗せて、ヴィルジニアが怪物の群れに槍を叩きつける。
まるでそこで爆発が起こったかのように、ゴブリンの
そこをすかさずクロウが風を切って距離を詰め、空中で怪物達を斬り裂いていく。
「な、何だ、あの力! オークの巨体があんな軽々と」
オークが投げ付けてきた岩の塊を〈ザ・ヴォイド〉で消失させたトヲルは、思わず口にした。
森の上から飛び掛かって来るゴブリンを血の弾丸で射貫くアイカ。
「あれがあのコの特性〈フライングソーサー〉よ。ま、あたしの知る限りトップクラスでタチの悪い特性かもね」
特性〈フライングソーサー〉。
それが名称通り円盤を浮かせる能力だとしたら、円いバックラーで滑空しているのはその能力によるものだろう。
アイカの口振りからすると、それだけの能力ではない、ということだろうか。
アイカは荷台の前方、トヲルは荷台の後方に構え、襲いかかって来るゴブリンや、飛来する岩や大木から馬車を守り続けた。
川沿いの道を疾駆する馬車。
群れをなす怪物の目は血走り、口からは体液が垂れ流されていたが、それでも追跡を止めなかった。
高速で走る馬車を体力の限界を越えてまで追いかけ続けるなんて、生き物としては異常な行動だ。怪物の生存本能からもかけ離れているだろう。
だからこその――
「……吊り橋だ!」
ディアナが強張った声で告げた。
木製の長い吊り橋が、川を越えて向こう岸まで掛けられている。道は吊り橋に向かって一本道だ。
馬車が通るだけの幅は充分にある。強度も問題ないだろう。
だが――。
「後ろの怪物の群れが殺到したらもたないんじゃないか?」
「……」
トヲルの言葉にアイカは顔を一瞬曇らせたが、すぐに口を開いた。
「行くしかないでしょ! 吊り橋が落ちる前に渡り切る。ディアナ、お願い!」
「分かった、カーミラ、ローラ、もうひと踏ん張りだ!」
ディアナは、声をかけつつ馬に鞭を入れた。
馬車は吊り橋を軋ませながら川の上を渡り始めた。
十数メートル下に、白い波を作って流れる川が見える。
怪物の群れは、ヴィルジニアとクロウによって吹き飛ばされ、着実に足止めされている。だがそれでもなお、圧倒的な物量によって怪物の波はじわりじわりと吊り橋へと接近し続けていた。
馬車が吊り橋を中央にさしかかった辺りで、怪物の群れが橋を渡り始めた。
橋が激しい軋み音とともに大きく揺れる。
「このやろうッ! 分かんないのか、怪物ども! このまま吊り橋に乗ったらおまえらも川底に落ちるんだぞ!」
と叫ぶヴィルジニアの槍がひと振りでオークの群れ数体を吹き飛ばす。
「分からないんだろうねえ、この様子じゃ」
クロウは脚や胸元にしがみ付いて来るゴブリンを刀の柄で殴りつけ、手首を返して斬り裂いた。
先を行く馬車を振り返る。吊り橋はあと三分の一ほど残っている。
ぶつり。
嫌な音を立て、吊り橋のロープがどこかで千切れた。
ぶつり、ぶつり。
馬車が吊り橋を走る騒音のなか、嫌な音が連続して耳を打つ。
「……ッ!」
焦る気持ちを抑え、トヲルは向こう岸だけを見据えた。
馬の蹄が向こう岸の道を踏む。
荷台の車輪も吊り橋から道に乗り上げた。
「渡り切った!」
ディアナが叫ぶ。
「……よし、トヲル! 橋を落として!」
アイカの声に、トヲルは右手を吊り橋に向かってかざした。
「〈ザ・ヴォイド〉!」
吊り橋のこちら側の床板がロープごと消失した。
張りを失った吊り橋は、怪物の群れを一部載せたまま川底へと崩れ落ちていく。
怪物達の断末魔が、川底の水音にかき消された。
アイカは小さくため息をついて、指先の血を舐めた。
「やれやれ……ゼノテラスには悪いけど、橋はまた掛け直してもらうしかないわね」
「
ディアナは馬車の速度を緩め、川を飛んで越えて来るクロウとヴィルジニアを待った。
「やあ、無事に渡れて良かったねえ」
刀を血振りするクロウの呑気な声が届く。
ヴィルジニアは川を渡り切ると足元のバックラーを蹴り上げ、手に取って左腕に装着しなおした。
「いざとなったらおれが馬車ごとこちら岸に吹っ飛ばしてやったさ。大事な妹と弟達だからな!」
「大事なら吹っ飛ばそうとすんじゃないわよ」
馬車に戻って来る二人を迎えながら、トヲルは川の向こう岸に目を向けた。
川底への転落をまぬがれて残ったオークの群れが、落下した吊り橋を前に盛んに雄叫びをあげている。
森の木々を渡っていたゴブリンの群れも、この川幅を越すことはできないでいるようだ。
無事、振り切ることができたらしい。
胸を撫で下ろしつつ視線を外そうとしたその瞬間――。
怪物の群れの後ろ側。森の木々の隙間に、人影が見えた気がした。
「……?」
気のせいではない。確かにいる。
遠目ではっきりとはしないが、身体つきからして男性だろう、かなり長身だ。
着ているものは白い着物の着流し、頭部はゆったりとした白い頭巾で覆われ、顔立ちははっきりとしない。
男の横に立つのは小柄な幼女。長い金髪に、赤いドレスを着ている。
彼岸の、しかも怪物の群れが殺到している場所にふたつの人影が端然とたたずんでいた。
この距離だが、じっとこちらに目を向けているような気配を感じる。
トヲルは言葉を発することもできず、その人影を見つめていた。
「どうした、トヲル」
ヴィルジニアの声にトヲルは我に返り、
「いや、あそこに――」
と再び向こう岸に目を向ける。
木々の隙間にいたはずの人影は消えていた。
*
荷台を引いて全力疾走した馬達を休ませるため、トヲル達は通りかかった小川のそばでひと休みすることにした。
先ほど渡った川に流れ込んでいるのだろうか。透明な清水が流れ、深さは無い。馬達は全身を上気させながら、小川の水に口を付けていた。
その横で、ヴィルジニアが当然のように水浴びしている。
「隙あらば水の中に入るわね、あの〈マーフォーク〉は。橋の下に飛び込んだりしなくて良かったよ」
御者台に腰かけてロリポップを咥えているアイカは呆れたようにその様子に目を向けていた。ヴィルジニアは気持ちよさげに濡れた髪を後ろに撫でつけならが言った。
「状況が状況だったからな、ちゃんと我慢した!」
「飛び込もうとはしてたんだな……」
「……で? トヲルが人影を見かけたって?」
アイカに話を振られて、トヲルはうなずいた。
「白い着物に白い頭巾の男と、赤いドレスの女の子……ちょっと視線を外したらいなくなったから、見間違いかも知れないけど」
「人影、ねえ……ゾーイの報告もそんなんだったけど……」
アイカはからからとロリポップを口の中で転がした。
ヤクモ機関の研究員、ゾーイ・リュンクスはエクウスニゲルの調査中に消息を絶った。経緯を語った時の機関長のエルの声がよみがえる。
――消息を絶つ前によこした最後の通信が『人影を確認した』――じゃった。
「白づくめの男の姿――は、まだしも、赤いドレスの女の子というのは異質だな。仮にもここは彼岸で、我々はまさに怪物の群れを振り切ってここにいるのだからな」
ディアナはそう言って馬の汗を拭ってやっている。
小川の水で濡らした布を首元に当てていたクロウが、ふと口を開いた。
「……幽霊……なのかも知れないねえ」
かりっ。
アイカが咥えたロリポップを噛み砕いたようだ。その音に全員の視線が集まったが、彼女は特に表情を変えていない。
気を取り直してトヲルが応じた。
「いきなり何を言い出すんだか……」
「だって白づくめの男に、赤いドレスの女の子だっけ? 何かいかにもな姿じゃない」
「幽霊だなんているはずがないよ」
「そうかなあ、いてもおかしくないでしょ。彼岸ではたくさんの人が亡くなってるんだから……例の消息を絶った研究員の人が見たのも、トヲルが見たのと同じ幽霊かもよ」
「俺が見た人影が幽霊って決まった訳じゃ――何してるのアイカ?」
「な……ななに、何が? べ、別に何も?」
いつの間にかアイカは荷台の奥から巨大な熊のぬいぐるみを引っ張り出して胸の前で抱きかかえている。
「いやだってそのぬいぐるみ……」
「か、川のそばだから少し肌寒くなっただけだし。それ用のぬいぐるみだし」
彼女は何ごともなかったかのように新しいロリポップを取り出したが、指先がおぼつかなく、なかなか包み紙が開けない。
「ひょっとしてアイカ……」
クロウが満面の笑みを浮かべて言った。
「怖いの? 幽霊」
それを聞いたアイカが動きを止め、短く言った。
「怖くない」
「嘘だ、あきらかに様子おかしいもん。怖いんだ、幽霊とかそういう話」
「は、はああ? 怖くないし! つかオバケとかいないし! ひ、人の魂は科学的に分析されて単なる概念じゃなく、コントロールできるエネルギーとなってんのよ? 今やソウル・フラクチュエーションっつう完成された技術まで昇華してんのはあんたらだって知ってるでしょ。あたしらみたいなIDはもちろん、様々な装置を媒介として社会のインフラとして成り立ってるワケ! さまよう魂だとか浮かばれない魂だとかって曖昧なもんが存在する余地とかもうないの! だからオバケもいない! いないものを、このあたしが怖がるワケないじゃんッ?」
「……急にめっちゃ喋るな……」
「アイカ……ぬいぐるみを握りしめすぎだ。熊の顔が何か可哀そうなことになっているぞ」
「まあ、あいつは昔っから幽霊とかオバケとかそういうのが苦手なんだよ。血が流れてない存在っていうのを基本的に理解できないんだよな」
あっけらかんと告げるヴィルジニアに、アイカはクッションを投げ付けた。
「うっさい、ばらすな! 怖くないっつってんでしょ!」
「ん? でも種族〈リッチ〉のニコラス市長や彼が操る動く死体とは普通に対峙していたような――」
トヲルはアイカの様子を思い浮かべて言いかけたが、言葉を途中で吞み込んだ。そう言えば、彼女は始終青ざめていたような気がする。
嫌悪感を必死に我慢していたのかも知れない。
最強の〈ヴァンパイア〉の弱点がオバケとは、何だか可愛らしい気もする。
トヲルは取りなすつもりで言った。
「ま、まあ……アイカ、気にしないでよ。誰だって苦手なものや嫌いなものはあ――」
言い終わる前に、巨大な熊のぬいぐるみがもの凄い勢いで彼の顔面に直撃した。
つづく
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