第28話 仲間達と準備を整えた俺が、失われた故郷へ向かう話。

 飛行船の中を探検してくると告げたクロウと別れ、トヲルとアイカは物資集積所となっている広間に向かう。


 広間では〈マーフォーク〉用のオイルを受け取ったらしいヴィルジニアがいた。

 ブラトップにショートパンツという軽装なので、オイルを全身くまなく塗っているようだ。

「お! アイカいいところに来た。ちょっと背中にオイル塗ってくれないか!」

「やーよ、手が汚れんでしょ。トヲルに頼みなよ」

 あっさりとトヲルに押し付けるアイカ。

「へ……俺?」


「そこにいるのか、トヲル。アバターが無いと不便だな! これ、頼めるか?」

 彼女はオイルの瓶をかたわらの机に置いた。

「これを塗ると水が無くても平気なんだ?」

 瓶の中身を掌に開けると、とろりと粘度のある乳白色の液体が出てくる。


「ああ、しかも塗った後で水浴びしてもすぐには落ちない優れものだ!」

 と言いながらヴィルジニアは後ろ髪を手でたくし上げた。

 手伝いを引き受けたものの、女性の肌を直接触るのは何だか気後れする。


「……」

 頼まれごとをするだけだと自分に言い聞かせ、思い切って背中のあらわになった部分に、オイルを載せた掌を当てた。


「んひゃうああッ!」

「うわッ?」

 びくんと仰け反ったヴィルジニアの声に驚くトヲル。


「……何つう声出してんのよ、あんた」

「いや、何も見えない状態から急にオイルが肌に付くんだぞ! びっくりするだろ、そりゃ! しかもこの手つき、うひゃッ、そこ、ぞくぞくする、ふゃはははッ!」

 〈マーフォーク〉とはいえ、触った感触は普通のIDの肌と変わらない。

 くすぐったがってくねくねと身をよじるヴィルジニアの背中に触れていると何だか妙な気分になってくる。

「じ、じっとしててよ、ちゃんと塗れないだろ!」

「も、もういい、もう大丈夫だから! 充分塗れてるから!」

 ヴィルジニアは彼の手から離れて部屋の隅に逃げていった。肩で息をしている。

「はー、やられた……おれをここまで弱らせるとは……おのれトヲルめ……さすがはおれの弟よ」

 手伝ったのにトヲルは恨みがましい目で見られている。


「そういうオイルって掌で温めてから塗んのよ?」

 木箱をひとつ抱えて戻ってきたアイカが言った。

「先に言ってくれるかな……その箱は?」

 布でオイルを拭いながらトヲルは尋ねる。


「うん。あんた市庁舎で斬られて怪我してたでしょ。丸腰はどうかと思ってさ……咄嗟に防ぐようなものが必要じゃない?」

 市庁舎で遭遇した首の無い兵士に剣で斬りつけられ、トヲルは腕を負傷している。

「そりゃそうかも知れないけど……俺、武器の扱いはちょっと……。近接武器も遠隔武器もまともに扱えないんだよ。自慢じゃないけど訓練学校じゃ軒並み最低評価のD評価だったんだ」

「マジか。超劣等生じゃん」

「うっ……」

 クロウにまったく同じことを言われた覚えがある。


「けどあんたにもう武器は必要と思うの。〈ザ・ヴォイド〉があれば下手な武器なんかかえって邪魔でしょ? だから〈ザ・ヴォイド〉の能力を充分に発揮できるような状態を保つのが、トヲルにとってはキーポイントになるってワケ」


 特性〈ザ・ヴォイド〉――存在を消失させる能力。

 確かに武器としては過剰ともいえる攻撃力を示すことはできる。その分、扱いは難しいのだが。


「そのために必要なのは武器じゃなくて防具ね。つってもディアナみたいな鎧を着けて動き回るような体力も無さそうだから――」

 アイカは箱の蓋を開ける。

「最低限、手足を守るガントレットとグリーヴを装備するのがいいと思う」


 中には黒光りする金属製の籠手と脛当が箱の中に納められていた。


「あんたの特性〈ザ・ヴォイド〉は掌をかざすっていう行為をトリガーにしてるんだし、両手が使えなくなる事態は避けたいじゃない? そういう意味ではトヲルはそもそも武器をもたない方がいいワケだけど」

「確かに……」


「あと今のところ〈ザ・ヴォイド〉は、射程が伸びるにつれて精度も下がる傾向がある。精度を求めるなら目標に近付かなきゃなんない。つまりあんたの特性にとっては移動する足も生命線になるってこと」

「なるほど……俺なんかよりずっと俺の特性を把握している気がするな、アイカは」

「まあ、研究員ってのはそういうのが仕事だからね」


「まったく、アイカはそういう細々したことを考えるのが好きだよな!」

 ヴィルジニアが部屋の隅から戻って来た。

「あんたも一応、同じ研究員でしょうが」


 手に取ってみれば、ガントレットもグリーヴも軽くて丈夫そうだ。これもヤクモ機関の先進技術の一部なのだろうか。アイカの細腕でも木箱を運べた訳だ。


 その時、奥の部屋の扉が開いてイェルドが顔を見せた。

「……終わりやしたぜ。会心の出来でさあ」


 それを聞いてアイカは笑みを浮かべた。

「準備おっけーって感じか。悪いけどイェルド、それ後部デッキの馬車の所まで運んでくれる?」

「おやすい御用で」


 次いでアイカは部屋の伝声管を開いて呼びかける。

「はろー、クロウとディアナ、聞こえる? 出発するわよ、後部デッキに集合!」

 彼女の声が、飛行船中に響き渡った。



 ディアナは最初から後部デッキにいたらしい。

 馬車の馬をブラッシングしていたそうだ。


「悪いわね、あたしの馬車なのにやらせちゃって」

「なに、兵士時代からの習慣のようなものだから気にするな。馬にブラシをかけているとわたしも落ち着くのだ。大人しくていい馬達だよ」

 と、ディアナは馬の首をぱんぱんと叩いた。

「このコ達もディアナになついてるみたい。カーミラとローラっていうの、よろしくね」

 二頭の白馬は返事をするかのように小さく鼻を鳴らした。


「こいつは預かってたディアナさんの大剣だ。どうぞ、あらためて見てくだせえよ」

「うむ……」

 イェルドから剣を受け取ったディアナは、軽く振り、構え、刃に指を這わせつつ目を走らせた。

「これは素晴らしい仕上がりだな。前よりも手になじむ感じがする」

「かなり堅牢な作りの剣だが、ディアナさんの特性でしょうかね――凄まじい負荷が剣にかかっていて全体のバランスが崩れてたもんで、整えさせてもらいやした。グリップ部分も傷んでいたので交換させてもらいやしたぜ」

「なるほどな、期待以上の出来だよ。ありがとう」

 ディアナはうなずいて大剣を背中のホルダーに戻した。


「んで、こっちがヴィルジニアさんから頼まれていた大槍とバックラーね」

「お、いつも助かる!」

「ヴィルジニアさんはこまめに手入れに出してくれるんで、大した手間もかからずこっちも助かりやすよ」


「バックラー……?」

 直径はヴィルジニアの前腕部ほどの円盾だ。

 彼女は早速バックラーを左腕に装着している。

「おれの本来の戦闘スタイルは槍と盾なんだよ。これで誰にも後れを取る気がしないな!」

 ほとんど半裸のような格好をしているヴィルジニアにとって、唯一とも言っていい身を守る術になるのだろうか。


 クロウがふわふわと空中を漂いながら後部デッキの手すりの上に降り立った。

「よいしょっと。ホント大きいねえ、この飛行船。ぼくの刀が仕上がったって?」

「どうもお待たせしやした。こいつでさ」

 イェルドがクロウの太刀を手渡した。


「おお……鞘も柄もきれいになってるねえ」

 くすんでいた鞘と柄紐が、本来の濡れたような黒色を取り戻している。

 クロウは鯉口を切って鞘払うと刀を陽の光にかざした。二、三度振り回す。

「すごい、いい感じだよ! やるねえ蛸のおじさん!」


「目釘なんぞが緩んで鞘鳴りしてたんで締め直しやした。新品同然でさあ」

 クロウは満足げに太刀姿を眺めている。

「よし、この機会に名前を付けよう。これからこの刀はドーンブリンガーだ!」


「……それ、あんたの特性の名前じゃん」

「うん、この太刀を特性〈ドーンブリンガー〉発現のトリガーにする!」

「……どういう風に?」

「それはこれから考える。純白の翼を広げ、天空を駆ける黒髪・隻眼せきがんの乙女、その手に輝くは伝説の名刀ドーンブリンガー! かっこいいよね!」

「うむ、かっこいい!」

 クロウだけでなく、ディアナも興奮した様子だ。


「伝説も何も、今あんたが名付けたんでしょ?」

「ディアナって、何か子ども向けの英雄譚ヒロイックテイルとか好きそうだよね……」


 イェルドは苦笑している。

「とにかく気に入ってもらえたようで、何よりでさ……。それとトヲルさん、端末をお返ししやすぜ」

 トヲルは受け取った端末でアバターを起動させた。

 見慣れた蛸のキャラクターが浮かび上がる。


「映像にアタリ判定を付けたので、蛸の口の部分を叩くと機能選択画面が開くようになってやす」

 言われるままに蛸の漏斗ろうと状の口を叩くと、痛がるポーズを取った蛸の周囲にいくつかのアイコンが表示される。


「いくつか機能を追加しやした。使っていくうちに気付いてもらえるでしょうが、差し当ってはコンパス機能とオートマッピング機能――エクウスニゲルの施設を探索する時にゃあいい目印になるんじゃねえかと思いやすぜ」

「……こんな短時間でそんな機能まで……ありがとうございます」

「何の何の、俺が作ったアバターを長年使ってくれた特典とでも思ってくだせえや」


 後部デッキの扉が開き、赤い杖をついた機関長エルの姿が現れた。

 インバネスがあおられて、小柄な彼の身体は風にもって行かれそうになっている。

「……出立の準備はできたようじゃな」

「定時報告はいつも通り?」

「うむ、文書通信で欠かさぬようにな。エクウスニゲルの動きについて何かこちらでも得られた情報があれば、同じく文書通信で伝えるようにする。……トヲル・ウツロミよ」

 エルはトヲルに呼びかけた。

「お主の故郷を失った時、かの地は混乱のさなかにあった。同時期にお主が妹と生き別れたことは、単なる偶然とも言い切れん。気休めに聞こえたらすまんが、妹のこと、諦めるでないぞ」

「もちろん――」

 トヲルは力込めて言った。

「俺はメイを絶対に諦めるつもりはないよ。ありがとう」


 御者台にディアナが乗り、アイカとトヲルは荷台に上った。クロウは幌の上に腰かける。

 馬車の下に敷いていた金属の円盤にヴィルジニアが手を当て、円くなでると円盤がふわりと浮き上がった。

「それじゃあ、行って来るよ」

 見えないと思いつつもトヲルが手を振ると、どういう仕組みか、蛸のアバターが一緒に手を振った。

「よろしく頼むぞ」

「いってらっしゃえやし!」

 エルとイェルドに見送られ、馬車を載せた円盤は飛行船の後部デッキからゆっくりと地上に向けて降下して行った。



 飛行船を後方に見ながら、馬車はエクウスニゲルに向かって走る。


「ディアナはエクウスニゲルまでの道のりは分かるんだよね?」

 荷台の中で地図を広げつつ、アイカが言った。

「そうだな、作戦で何度か向かっているからかつて街のあった場所に行くまでは問題はない。このペースで走り通して、七、八時間といったところだろうか」

 御者台からディアナが応じる。


 アイカの指が、地図上の道筋をなぞった。

「日が沈んでから現地に着くのはいまいちだし、そこまで急がなくていいわ。適度に休憩を取りつつ、手前で野営して、明日到着する予定でいきましょ」


 しばらく進むと馬車はゼノテラス側を流れる川にぶつかった。

「……そういえばアイカと最初に出会ったのがここの川辺だよね」

「うん、大して日にちは経ってないけど、何だか懐かしいもんね」


 道を折れ、川沿いの道を進む。

「そうか……不思議な感じだ。きみとアイカがここで出会っていなかったら、わたしはここでこうしていなかった。もしかしたら命を失っていたかも知れないのだからな」

 ディアナは風になびく銀髪を押さえつつ、川面を眺めている。

 クロウもうなずいた。

「ぼくも兵団訓練学校を辞めるなんて考えもしなかっただろうねえ」


 荷台のステップに腰かけているヴィルジニアが真顔でつぶやく。

「アイカが寝込みを襲われたのはここって訳か」

「え? うん……」

「そうか、屋外で……おのれトヲルめ!」

「俺じゃない! ここでアイカを襲おうとしてたのは怪物のオーガだよ! ……いやというかそもそも俺はアイカを襲ってないんだってば!」


 道の脇を流れる川は次第に幅と深さを増してきた。

 川沿いの道は緩く坂を登り、川を崖下に見下ろすような細い道に変化した。川の反対側は山裾まで続く森が迫ってきている。


「……何だか見通しが悪い道だな。こんな場所で、それこそオーガとかに遭遇したら危ないよね」

 幌の上にいたクロウが呆れたように言った。

「トヲルってば……何でそういうこと言っちゃうかなあ」

 腰の太刀を抜き払う。

「……え?」


 険しい表情のアイカがディアナに告げた。

「ディアナ、馬車をお願いね。停まらないように何とか進めて」

「分かった、護衛は任せる」

 ディアナの声にも緊張感がにじむ。彼女は小さく鼻を鳴らした。

「……多いぞ。来る!」


「……え?」


 前方の森の木々が、激しい音を立ててへし折れて行く。

「……!」

 ディアナは鞭を入れて馬車を加速させた。倒れる大木の下を馬車がくぐり抜ける。


「な、何だッ?」

 後方を振り返ったトヲルの視界を、巻き上がる土埃が覆い尽くす。

 倒れた木々の隙間から巨大な手が伸び、傍らの木の幹を掴むのが見えた。



つづく

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