第27話 救出作戦に参加した俺が、仲間達と準備を整える話。

 フランケンシュタイン号には、作戦に向けて補給の準備ができているそうだ。

 ブリーフィングを終えてエルと別れたトヲルたちをヴィルジニアが案内することになった。

 しかし、悪いがつきあってくれと告げたヴィルジニアが後部デッキの方に引き返し始めたので、彼らはやむなく彼女の後に続いて歩いている。


 デッキには水を張ったバケツがいくつか置かれていた。

 ヴィルジニアはそれを手に取るなり立て続けに水を頭からかぶった。

「ぷはあッ! いや生き返るぜ! 水を用意してもらってて正解だった!」

 濡れた髪を手で後ろになでつけながら彼女は歓声をあげる。


「うわあ、急に何、どうしたの? さてはヤクモ機関に古来から密かに伝わる安全祈願の儀式ってやつだね!」

 クロウが好奇心丸出しの表情を見せる。

「無いわよ、そんなの。ヤクモ機関を何だと思ってんの」


「悪い悪い、中に戻るか! 〈マーフォーク〉ってのはかなり水に依存して生活する種族でな。おれも水浴びしたり風呂に入ったり、日に何回も肌を濡らさないと落ち着かないんだよ。特に肌が汚れるとつらい!」

 作戦指令室でも水浴びしたいと口走っていたが、彼女が露出度の高い衣服を着ているのもこのためのようだ。


 濡れた身体をそのままに、ヴィルジニアは再び艦内に戻りながら続けた。

「けど今回みたいに長期の調査に向かう時なんかはそうも言ってられないからな! ヤクモ機関に特殊なオイルを用意してもらうんだよ。それを肌に塗っておくと、水から離れても割と普通に過ごせるんだな。それをこれからもらいに行く」


「アイカがよく舐めている赤いロリポップのようなものだな」

 ディアナが言うとアイカはうなずいた。

「そうね、あれもヤクモ機関が特別に作ってるもんなの。長いこと旅してたからそろそろ在庫が心細くなってたんだ。どこかの街に送ってもらおうかと考えてたから、ここで補給を受けられんのは助かる」


 トヲルはふとアイカを見つめた。

「……そう言えば、しばらくあのロリポップを舐めている姿を見ないな。残りが少なくなったから我慢してたの?」

「そうじゃないわよ。あんたの血を飲んだばかりだから舐めなくても平気なだけ」


「……は?」

 前を行くヴィルジニアが足を止めた。


 振り返り、もの凄い勢いでアイカの両肩を掴む。

「はああああッ? 血を飲んだあああッ?」

「うわ掴むな、服が濡れるでしょ」

「おまえに血を飲ませるのはおれの役目だろうが! このやろう、浮気したな!」

「いや何よ浮気って。別にあんたの役目だって決まってるワケじゃないし……」

「誰の! 誰の血だッ!」

「だからトヲルの……」

「トヲルって――お、お、ぅ男じゃねーかッ! やりやがった、姉の見てない所で妹は純潔を散らしやがったあああッ!」

 ヴィルジニアは自分の頭を抱えて天井を仰いだ。彼女の激しいリアクションに、トヲルはすっかり声を失っている。

「大声で何叫んでんのよ、あんたはッ!」

 アイカの頬は紅く染まっていた。


 ヴィルジニアはアバターを頼りに、今度はトヲルの両肩を掴む。

「姉としておれは知るべきだ! いつだ、どういう流れでそんなことになった!」

「どういう流れって、アイカが気を失ってたから気付けのつもりで――」

「き、気を失ったアイカを無理矢理にかッ?」

「いや言い方……」


 クロウが笑顔で親指を立てた。

「女の子の寝込みを襲うなんてやるねえ、トヲル!」

「だから言い方おかしいだろ、二人とも!」


 かたやディアナは何やらショックを受けたような表情で自分の腕を抱いている。

「トヲルは……〈ワーウルフ〉のわたしなどよりずっとオオカミだった、ということか……」

「そこで何うまいこと言おうとしてんのッ?」


「そうか……アイカがおれ以外の、しかも男の血をなあ……」

 遠い目で窓の外を見ているヴィルジニアをよそに、アイカは先に立って歩き始めた。

「そのコはもうほっといていいから。こっちよ、エクウスニゲルは馬車でも数時間かかるんだし、あんまりのんびりしてらんない」


 飛行船のゴンドラを一階層降りた場所に、食料や武装など、様々な物資が山積みされている広間があった。


 手前のカウンターで、大男が端末に向かって作業している。スキンヘッドに鋭い目つき、引き結んだ口元、かなりの強面だ。


 男が顔を上げた。

「お……こりゃあ、アイカさんじゃあねえですか。艦内で姿を見るたあ珍しい、どういう風の吹き回しで」

「ま、色々あってね。ついでだから例のアメちゃんもらいに来たの」

「そいつあ相変わらず忙しそうで何よりだ。在庫はしこたま作ってある、好きなだけ持って行ってくだせえよ……で、そちらは?」


 男の鋭い目が、こちらに向けられた。

「このコたちはあたしの助手。ディアナに、クロウ、あと見えないと思うけどここにトヲルがいる」


「へえ、お嬢がつるんでるなあ初めて見やした。俺はイェルド・ステンバーグってんで。気軽にイェルドと呼んでくだせえや。ま、どうかよろしく頼んます」

 イェルドと名乗る男が禿頭を下げるので、トヲルたちも慌てて頭を下げる。強面の割には折り目正しい人物であるようだ。


「イェルドはヤクモ機関の技術員。調査に必要な装備を開発するのが仕事なのよ。ほら、ゼノテラスの調査でも使った骨伝導式のイヤホンとか、ネットワークに侵入したパスコードとか……覚えてるでしょ?」

 と、アイカが説明した。

 SF技術の発達しているゼノテラスでも見かけない技術だったが、ヤクモ機関独自のものだったらしい。


「言えば何でも作ってくれるんだよな!」

「そりゃあ無茶ぶりってもんですがね、ヴィルジニアさん。特性〈神工鬼斧しんこうきふ〉って奴のお陰で、俺あ手先がちっとばかり器用にできてやして。筋道が用意されてりゃあ物作りには苦労しねえタチなんで」

 謙遜しつつも、イェルドはまんざらでもない表情を浮かべている。

「世の中にゃあ、本当に何でも作っちまうような特性があるって聞いたこともあるんでね。それにゃあ及びやしねえが、できる範囲のことをやらしてもらってまさあ」


 アイカたちのような研究員をサポートするような人材なのだろう。

「ん……? そのアバターは……」

 イェルドの顔がトヲルに向けられた。

「ああ、俺は透明人間だから、目印に使ってるんですよ」

 蛸の立体映像が浮遊している状態が気になったとみてトヲルは説明したが、イェルドの興味はアバターの蛸そのものの方にあったようだ。


「ほお……いや、間違いねえや。こいつは俺が昔小遣い稼ぎに作ったアバターじゃあねえですか」

「これを――イェルドさんが?」

「ええ、どっかの店が企画した販促物でね、今はもうその店も廃業したって聞いてたもんで、まだ使ってくれてるような人がいたってのは驚きだ、ありがてえ話でさ」


「へえ、こんな所にトヲルの生みの親がいたなんて凄い偶然だねえ。その、やっぱり――」

 クロウは露骨にイェルドの頭部に視線を注いでいる。

「……親に似るんだねえ」

「俺蛸じゃないってば……いやイェルドさんだって蛸じゃないけれども! 頭のことからかっちゃ失礼だろ、クロウ!」

「きみの発言もかなり失礼だと思うけど……」


 イェルドは低く笑い声をあげた。

「俺の頭は剃ってるんで気にしねえでくだせえや。それにその蛸、自分をモデルにしたってなあそこのクロウさんの言う通りでね。よし、こいつも何かの縁だ。ちょっくらトヲルさんの端末借りていいですかい? そのアバターの機能を拡充してみやしょう」

「そ、そんなことできるんですか」

「まあ簡単なことしかできねえですが。そちらのお二人の得物の方も良けりゃあ俺が手入れしますぜ? 見たところかなり使い込まれてる。こしらえも新調せにゃならん頃合いでしょう」

 彼はクロウの太刀とディアナの大剣を指差した。


 思わず顔を見合わせる二人に、部屋の木箱を勝手に物色していたアイカが声をかけた。

「頼んでみたら? イェルドはヤクモ機関の技術員だし、町場の研ぎ師より腕はいいんじゃないかな。顔怖いけど」

「顔は関係ねえでしょう」


「うむ、ここは好意に甘えておこう。状況の不透明な場所へ攻め込むのだから装備は万全にしておくに越したことはない」

 と、ディアナは背中の大剣をホルダーから外した。

「そっかあ。ぼく、自分の刀を研ぎに出したことないんだよねえ。訓練以外で使うこともなかったし」

 クロウも腰の太刀を鞘ごと取り外す。


「ならなおさらしっかり手入れしとかねえと。悪いようにゃしませんので安心してくだせえや。じゃあ、ちょいとしばらく待ってておくんなせえ。ああ、補給物資なら適当に持っていってもらって構いませんぜ」

 言い残してイェルドは奥の部屋に姿を消した。


 アイカは彼に言われる前からすでに例のロリポップが詰まった箱を運び出そうとしている。

「持ち出す量がえぐいな、アイカ……」

「いいでしょ、別に。このアメちゃんあたししか食べないんだし」



 イェルドの作業が終わるのを待つ間、トヲルは飛行船の一室を借りて着ているものを着替えることにした。

 リサ・ゼノテラスが用意してくれた新しい衣装だ。

 トヲルは部屋の姿見の前に立つ。


 透明人間である彼が装いを変えても結局見えることはないのだが、訓練学校の制服を脱ぐことはトヲル自身の気分の切り替えでもある。


 ジャケットとシャツ、スラックスにネクタイという組み合わせは学校の制服と同じだ。

 色は臙脂えんじ色と黒を基調としている。

 リサのことだから、〈ヴァンパイア〉であるアイカをイメージしているのかも知れない。


 身に着けた衣服は見えなくなり、脱いだ衣服は見えるようになる。

 トヲルが彼自身だけでなく身に着けたものまで透明に見えるのは、視覚の認知が阻害されているからでは、とリサは推測を立てていた。


 つまり、実際には見えているが認知することができない存在が、種族〈インヴィジブルフォーク〉――。


 ならば。


 その認知を自在に操作ことができるようになれば、姿を見えるようにすることも可能なのだろうか?

 トヲルは自分の姿が映らない鏡に向かってゆっくりと手を伸ばす。


 と、その時勢いよく部屋の扉が開いたので、トヲルは思わず息を呑んだ。


 鼻歌交じりにクロウが部屋に入って来た。

 手にしているのはトヲルと同じく、リサに用意してもらった新しい衣装だ。ベッドの上に衣装を投げると、ジャケットの前と翼側のボタンを外して脱ぎ捨てた。

 履いていたスカートを脱ぎ落とし、さらにシャツのボタンを外し始めた所で、硬直していたトヲルは声にならない悲鳴を上げた。


 クロウはトヲルに気付いていない。

 アバターはイェルドに預けたままだ。


「うおあああああッ!」

「うわあああああッ? 何なに、何ッ!」


 トヲルは全力で走り寄って、彼女のボタンを外す手を掴んで止めた。

「な、何やってんだ、クロウ!」


「あれ、トヲルか、いたんだねえ!」

「いるよ! さっき俺着替えて来るって言ったろ!」

「ぼくも着替えようかと思ってね」

「同じ部屋に入って来るなよ! とにかく早く服を着てくれ!」


「いや……着るけれども。脱がなきゃ着れないよ、手を放してよう。というか、この距離で手を掴んでるってことは、きみはぼくのはだけた胸元を至近距離で見てるってことじゃあ……」

「見てないよ! 顔そむけてるよ!」

「それこっちからは分かんないんだよねえ」


 トヲルの両手を押さえ、顔をそむけた不自然な体勢のトヲル。

「お、俺は部屋を出て行くから! 俺が出るまで脱ぐんじゃないぞ!」

 何か言いたげなクロウの両手を手放すなり、トヲルは逃げるように部屋を出て扉を閉めた。


 扉を背にして、トヲルは深く息をついた。

 

 アイカは血の気配で、ディアナは鋭い嗅覚で、見えなくともトヲルの居場所を特定してくれている。そうした助けがないクロウは、蛸のアバターが目印として無ければ彼の姿を見失う。

 訓練学校時代は暮らす寮が別だったからこうした事故は避けられていただけで、一緒に過ごす時間が増えればその危険は増すということだ。


 そういえば、ヴィルジニアも彼の存在に気付いていなかった気がする。

 ともに行動するうえでは、これからは注意しなければならないだろう。 


 着替えを終えたらしいクロウが、部屋から出て来た。トヲルの服と同じく、臙脂えんじ色と黒を基調としている。


 彼女は腰に手を当てて、ため息混じりに首を振る。

「トヲル、きみにはがっかりだよ。黙って見てればぼくはきみの前で裸になってた訳だよ? わざわざ叫んで止めに来るとか、もったいないとか思わないの? 学校屈指のスタイルを誇るぼくの裸だよ、見たくないの? 信じられないんだけど」

「何を言い出すのかと思えば……どこで怒られてんだ、俺は」


「実に男子の風上にも置けないよねえ。嘆かわしい、ぼくはきみをそんなふうに育てた覚えはないよ」

「育てられた覚えもないし、育ててくれたシスターの育て方が完全に正しいだろ」


「自分の能力をやましいことに使わない、だったっけ」

 背後からアイカの声がして、トヲルはびくりと振り返った。

「あ、アイカ! いつからそこに」

「今よ。あんたを探してたの」

「見てない! 俺はクロウの裸なんて見てないからな!」

「いやそこは聞いてたし。何あたしに言い訳してんのよ、あんたの動悸、ヤバいことになってるわよ」

 アイカは呆れた様子で言う。

「いい機会だからあんたの装備も見直さなきゃと思ってさ。来て、さっきの広間に行くわよ」

「ううん……納得いかないなあ。アイカのことは寝込みを襲うくせに、ぼくの着替えには興味ないなんて」

 クロウが不満気な表情で言う。

「……じゃあ」

 それを聞いたアイカが、つと振り返った。


「ここまでは、あたしの勝ちってことだ」

 意味ありげな笑みで、アイカは牙を見せる。


「ぐぬぬ! 負けない」

 クロウは胸の前で握りこぶしを作った。


「もう……どっから突っ込めばいいんだか……」

 トヲルはそっとつぶやいた。



つづく

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