第26話 巨大飛行船に迎えられた俺が、世界の管理者と出会う話。

 エルはすでにトヲルたちの情報を得ているのだろう。確認するようにゆっくりとそれぞれの顔を見回す。


 ふとヴィルジニアの所で目を止め、彼は眉をひそめた。

「……お主、何やら薄汚れてはおらんか」

「これか! こいつらと一戦交えた時に、ちょっとな!」


 もの凄い勢いで地面を転がっていた彼女は、衣服を含めてすっかり土埃をかぶっていた。

「出迎えに向かわせただけでなぜそうなる……」

「成り行きというやつだな! 水浴びしたい!」

「少し黙っておれ」

 エルはげんなりした顔をのぞかせつつ、アイカに向き直った。

「……さて、アイカ・ウラキがわしに面会を求めてきた理由なら、リサ・ゼノテラス女史から聞いておる。エクウスニゲルのことを知りたいとな」


「うん、トヲルの故郷。あたしの仕事を手伝ってくれたお返しにこのコの妹探しを手伝うことになってんの」

 アイカはトヲルの肩に手を置いた。

「エクウスニゲルが何か特殊な場所だってことはうっすら認識してたけど、あんまり興味なかったからよく知らないのよ。ヤクモ機関が関わってたって話だし、機関長が出張って来てるんなら直接訊いた方が早いかなって」


 エルは黙ってトヲルの方を見た。

 視線の先には、トヲルが表示させている蛸のアバターがある。

「うむ、トヲル・ウツロミ、じゃな。日頃、機関に全く寄り付かんアイカ・ウラキが珍しく助手を連れて来たとあっては、本来であれば茶でも振る舞い、腰を据えて語ってやるべき所じゃ」

 含みのある言葉に、トヲルは尋ねる。

「本来であれば……? 何かあったんですか?」


 エルはすぐには答えず、

「わしに対して敬語は無用じゃぞ。機関長は機関の取りまとめ役に過ぎん。ヤクモ機関は横並びの組織ゆえにな」

 と告げた。


 アイカが顎先に指を当てる。

「……あったのね、何か」


 エルはアイカの方に視線を戻した。

「……機関の動きがいつもと違うって感じはしてた。今回のゼノテラス、事件そのものの重大さはあるにしても、腰の重い機関にしては妙に対応が迅速だったのが気になってたのよ」

 彼はそのまま視線を窓の方に移す。


「――実は、ヤクモ機関の研究員がひとり、先日から消息不明になっておる」

「し、消息不明……」


「名はゾーイ・リュンクス。調査のためにエクウスニゲルに潜入しておったが、その後の足取りが掴めておらん」


「エクウスニゲルに……潜入……?」

 トヲルの口から声が漏れる。


「その消息不明となった研究員の捜索ですでにこちらへ向かっていたため、ゼノテラスの事件に対する動きが迅速に見えた、ということか」

 と、ディアナ。

「そういうことじゃ……アイカ・ウラキの働きでゼノテラスに戦力を割く必要はなくなり、市政を管理下に置く事務手続きのみとなったゆえ、現在この艦はエクウスニゲル捜索の作戦に注力しておる」

 雰囲気がものものしいと言ったディアナの指摘は、事実、作戦行動中の空気を感じ取ったものらしい。


「エクウスニゲルの調査って……あそこに何があるんだ? あそこは、もう――」

 トヲルの言葉に、ディアナもうなずく。

「十年前に放棄された彼岸の地だ。怪物の拠点とならぬよう、その後の作戦によって残った家屋なども全て兵団によって撤去されている。何もない更地になっているはずだ」


 もう――何もないのか。

 トヲルの記憶の中にあるエクウスニゲルは、炎に浮かぶ破壊された街並みだが、それすらもすでに残っていないということだ。


 だとしたら、その何もない場所に潜入調査とはどういう意味だろう。

「それは――、何じゃどうしたヴィルジニア」


 部屋の端でヴィルジニアがぶんぶんと片手を振っている。エルが水を向けても手を振り続けているので、彼は額を指で押さえて言った。

「……もう喋って良い」

 少し黙れと言われたから律儀に口を閉ざしていたらしい。


「よしきた! 口で説明するよりこいつらにおれの仕事を手伝ってもらった方が手っ取り早いんじゃないかと思うんだが、どうだエル!」

「……どういうことよ」


 ヴィルジニアは、勢いよく自らを親指で差した。

「ゾーイ捜索に向かうことになってるのがおれなんだよ! 手を貸してくれるっていうんなら、おまえらを一緒に連れてくって話だ! 今日にでも出発する予定だったし、丁度いいタイミングだろ?」

「そ、それは渡りに船な話だけど……」

 トヲルがエルを見やると、彼は思案げに口元に手を当てている。


「ふむ……確かにあてにしておらなんだアイカ・ウラキを戦力として作戦に加えられるのは都合がいい。彼女の助手としてエクウスニゲルが故郷のトヲル・ウツロミがこの場におるというのも、何かの縁じゃろうな。わしとしても異存はない――が、ひとつ断っておくぞ」

 エルは続けた。

「機関の作戦行動に参加するからには、ゾーイ・リュンクスの捜索を第一に優先してもらう。当然、お主らに必要な情報は与えねばならん。じゃが、不必要な情報を与えることはないし、質問しても答えることはない。ゆえにトヲル・ウツロミよ、お主の知りたい情報が全て得られるとは限らん。それでもヴィルジニアの提案を受けるか?」


 アイカは腕組みしつつトヲルに言った。

「……だってさ。あんたはあたしの助手だけど、ここでどうするかはあんたに任せる。この件については、あんたの判断にあたしは従うわ」

「うん……」


 トヲルは不思議な思いを抱いている。

 彼にとってのエクウスニゲルは、幼い時に怪物によって滅ぼされた故郷で、妹のメイと生き別れた場所だ。

 そしてそれ以上の意味はもっていなかった。

 エクウスニゲルに行けば妹の手がかりが掴める――かも知れない、というあやふやな状態でその地を目指していたに過ぎない。


 しかし世界の管理者たるヤクモ機関、そして目の前のエルは確実にそれ以上の何かを知っている。

 そしてエクウスニゲルでは、何かが起こっている。

 本当に、妹の手がかりが分かるかも知れない。


「受けるよ」

 トヲルの口は、興奮に震えながらも笑みを浮かべていた。

「もちろん提案を受ける、受けるに決まってる……! 俺をエクウスニゲルに連れて行ってくれ!」


 ヴィルジニアは歯を見せて笑った。

「お、いいね。そう来なくちゃあな! おれのことは姉貴と呼べ、トヲル、我が弟よ!」

「いや俺、妹がいるから……」


「よろしい、ではブリーフィングを始めるぞ」

 エルそう告げると、手にしたステッキで床をトンと突いた。



 部屋の大机に、大きな地図が広げられる。

 机の中央に盛られていたリンゴの実が重しとして地図の四隅に置かれた。


「食べながらですまんが、朝食がまだでな。お主らも好きに食べて良いぞ」

 エルはさらにもうひとつリンゴを手に取っている。


「まずはゾーイ・リュンクスがエクウスニゲルへ調査に向かった背景を説明する。きっかけはもちろん、ゼノテラスでの一件じゃ」

 と、小さな口でリンゴをひと口かじった。

「城塞都市の首長によるIDに関する不正行為の疑い――。リサ・ゼノテラス女史から機関に通報があったちょうど同じころ、アイカ・ウラキからも報告があがってきた」


 アイカは壁際にたたずんでいる。

「……HEXのことね」


「うむ。固有IDを変異させ、新たな特性を付与する装置――事実とすれば到底見過ごすことなどできん。じゃが同時に、果たしてそのような高度な技術が、いち城塞都市の研究機関によって確立することが可能じゃろうか。むしろその点が気になった」


 ディアナが口を開く。

「ニコラス・ゼノテラスは、虐殺とも言うべき非道な人体実験を実行していた。HEXの基礎となった変異因子も、ヘンリー・エドワーズというゼノテラスの兵士から得られたのだとアイカから聞いている。それらがその技術確立を可能にしたのではないのか?」


「ディアナ・ラガーディア、お主は事件の冤罪えんざいをかけられたのであったな。実に災難じゃった。確かにお主のあげた要素がHEXの完成に寄与した部分は大きいじゃろう。しかし一方で、その程度で到達できる技術レベルでもない、とわしは考える。火種が無ければ炎は生まれん。これは、そうした次元の話と言って良い」


 アイカの細い眉が動いた。声に険しさが混じる。

「……技術供与した何者かがいた。そう言いたいワケ?」


 エルはもうひと口、リンゴをかじった。

「……IDはヤクモ機関が生み出した。HEXとはそのIDの根本を揺るがす技術じゃ。これはヤクモ機関と同等かそれ以上の知見を有し、実践する能力をもった何者かの存在と、その何者かによる働きかけがなければなしえんもの――ヤクモ機関は、そのような見解をもっておる」


 ヤクモ機関と同等かそれ以上――?

「本当にいるのかなあ、そんなの。HEXだって、偶然の産物かも知れないじゃない?」

 クロウが机のリンゴに手を伸ばしながら言った。


「それも否定はできんな。なればこそ調査して確かめねばならなかった。もし実在するのであれば、早急に手を打たねばならん。フランケンシュタイン号がこの地にたどり着くまでには時もかかる。事件の中心地であるゼノテラスはアイカ・ウラキに任せ、その周辺の調査を研究員の中で当時もっとも近縁地にいたゾーイ・リュンクスに託すことになった。そして――調査に入ったエクウスニゲルの地で、彼女は消息を絶った」


「でもどうしてエクウスニゲルだったの?」

 ここまでの経緯を聞いても、やはり純粋にその疑問がトヲルの頭に浮かんだ。


 椅子を踏み台にして机の上によじ登ったエルが、ステッキで地図の一点を示す。

「今――フランケンシュタイン号が浮かぶのはゼノテラスそばのここじゃな。ここから南西に約一〇〇キロ進んだ辺りに、エクウスニゲルの街があった。お主の考えるエクウスニゲルとはここのことじゃろう。知っての通り、怪物の襲撃を受け、すでに存在しない」


 ステッキの先端がゆるい円を描いた。

「じゃがそもそもエクウスニゲルとはこの地域の名称でな、北西の山間部に向けて大きく広がるこの範囲全体をそう呼ぶ――」


 エルのステッキが描いた円の端を叩く。

「この山間部に、かつてヤクモ機関の研究施設があったのじゃ。固有の兵団をもたんエクウスニゲルが怪物の襲撃から長年逃れることができておったのも、ヤクモ機関が防衛のための戦力を一定数配置しておったからじゃ」

 

 エクウスニゲルのゼノテラスへの移管はヤクモ機関がどこからか委託されたもの――リサはそう予想していたようだが、実際ははじめからヤクモ機関が管理していた土地だったということになるのだろう。


 ディアナは首をかしげている。

「しかしかの地には幾度か作戦でおもむいてはいるが、研究施設など聞いたこともない。アイカは知っていたのか?」

 アイカは軽く首を振った。

「ううん。ヤクモ機関の研究施設はごまんとあんの、研究員でも知らない施設の方が多いわ。特にあたしなんかはフィールドワーク中心だしね。研究施設にそもそも縁がないし」

「うむ……いや、確かに兵団としてもあえて山間部に向かう理由はなかったから、知る機会もなかっただろうが……」


 エルのステッキが、小さく×を描く。

「さもありなん、ゼノテラスに移管された理由が研究所の閉鎖じゃからな。ゼノテラス管区となった時点ですでに研究施設としては存在しておらなんだ。十年前、その研究施設は重大な機能不全におちいった。復旧も絶望的と判断されたため、施設は放棄――街の防衛をゼノテラスに託さざるを得なくなったのじゃよ」


 十年前。

 トヲルの故郷が襲われ、妹と生き別れたあの日と同じ時期。

 ヤクモ機関の研究施設も怪物に襲われた?


 いや、違う。


 話の時系列からすれば、研究施設が閉鎖された後にエクウスニゲルはゼノテラスに移管されたのだ。

 街が怪物に襲われたのはさらにその後だ。だからゼノテラス兵団が救助に駆け付けた。


 研究施設の重大な機能不全――何があった?

 

「ゾーイ・リュンクスが向かったのは、その放棄された研究所じゃ。もしHEXの技術をもたらした何者かが拠点とするには格好の場所と考えられたゆえにな」


 ヴィルジニアが頭の後ろで手を組んで息をついた。

「結果、連絡がつかなくなった、と。こりゃあ、思ったより剣呑な話だな」


「つっても状況からしたら連絡がつかなくなったってだけでしょ? そこから即、捜索が必要って判断に繋がるとは思えないんだけど」

 と、アイカは机の上に立つエルを見上げる。


「そうじゃな。ゾーイ・リュンクスは調査中、文書通信による定時報告を欠かしておらなんだ。そして消息を絶つ前によこした最後の通信が『人影を確認した』――じゃった」

「ひ――人影?」


「ゾーイ・リュンクスは明らかに何者かと遭遇しており、彼女の消息不明はその何者かに起因するもの――最悪の事態が想定されるゆえ、ヤクモ機関として動くべきと判断されたのじゃ」

 エルはリンゴを大きくかじった。


「今回の作戦の目的はゾーイ・リュンクスの捜索および救出じゃ。作戦は研究施設跡地への潜入を伴うじゃろうが、施設の調査は作戦の目的には含まれておらん。あくまで捜索と救出を最優先事項とすること。また、彼女が消息不明となった状況から、現地では何らかの敵対勢力との遭遇戦が発生する可能性も想定される。極力戦闘は避けてもらいたいが、そうなった場合でも充分対処できるよう、準備は抜かりなく頼む。良いな」

 不穏な空気を感じつつ、トヲルは机の地図に視線を落とした。


 エクウスニゲル――失われた彼の故郷で、何かが起きている。



つづく

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