第二部

第25話 巨大飛行船に向かう俺が、半魚人に襲撃される話。

 荒野を疾駆する二頭立ての馬車。

 トヲルが走る馬車の幌から顔を出すと、風に髪がなびくのを感じる。


 空を見上げた。

 ヤクモ機関のエンブレムが大きく描かれた巨大飛行船、フランケンシュタイン号――。

 上空二〇メートルほどの場所に浮いているのが見える。


 数百メートルにおよぶ巨体の下部にあるゴンドラも巨大で、複層構造になっていた。二階建ての建物が浮いているようなものだ。


 幌の上に腰かけているクロウが手びさししながら歓声をあげた。

「近づくといよいよ大きいねえ!」

 まだ距離はあるが、圧倒的な威容だった。


「うむ。このように巨大な飛行船を保有し運航しているだけでも、ヤクモ機関の世界的な力がうかがえるな。ゼノテラスも規模の大きな都市だが、比較にもならない気がする」

 御者台のディアナも飛行船に馬車を向かわせながら見上げている。


「あんなのがどうやって空に浮いてるんだろう。クロウみたいなのが集まって持ち上げてるのかな」

「何だそれひどいや。空が飛びたいなら自力で飛ぶべきだよねえ」

 トヲルのつぶやいた疑問に、空を飛べるクロウがいきどおる。


 ディアナが苦笑している。

「いくらヤクモ機関でもそこまで過酷な労働を人に強いたりはしないだろう。空気よりも軽い気体があるのだ。それが世界的に希少な資源であるがゆえに、フランケンシュタイン号がかの機関の力の象徴たるのだな」

「なるほど……?」

 分かったような分からないような心持ちで、トヲルは飛行船を眺めた。


 と、飛行船の浮かぶ空に小さく黒い影が見えたような気がした。

 影は次第に大きくなっている。

 近付いて来ているようだ。

「あれは――」


 トヲルが言い終わる前に、その影は急速に接近し、馬車のかたわらに大音を立てて落下してきた。

 大きく巻き上がる土煙。


「な、何だッ?」

 驚く馬たちを御しながら、ディアナが土煙を回り込むように馬車を駆る。


 土煙の中から猛スピードで飛び出して来る影。

「怪物か!」

「任せて! ディアナ、馬車を停めちゃ駄目だよ!」

 クロウが腰の太刀を抜き放ち、走る馬車の幌の上で引手下段に構えた。

 襲いかかる影の手には大槍。

 怪物ではない、相手は人――。


「うらああああッ!」

 女性だ。

 燃えるようにみどり色の両目が光る。


 クロウが幌から飛翔し、空中で二人はぶつかった。

 唸りをあげて振るわれる豪槍をクロウは器用に受け流し、返す刃で相手に斬りつける。

 剣閃は槍の柄で防がれた。

 凄まじい速度で、クロウと襲撃者の武器が幾合もぶつかりあう。


 走り続ける馬車と空を飛ぶクロウを、襲撃者はまるで飛び跳ねるように軽快に追随している。


「トヲル!」

「分かってる!」

 トヲルは馬車から乗り出し、襲撃者の足元に右手を向けた。

 相手の足が、地面に着く瞬間――。


「〈ザ・ヴォイド〉!」

 彼の消失の能力によって地面が大きくえぐれた。

 足を踏み外してバランスを崩した相手が、追跡の勢いが乗ったまま地面を転がった。


「うおおおッ、このやろう! 待てうらああ!」

 転がった状態から受け身を取り、さらに馬車を追跡してくる。

「しぶといなあ! ちょっとぐらいのケガは覚悟してよねッ!」

 馬車を守るように位置取ったクロウが、迫りくる襲撃者に剣先を向ける。


 御者台からディアナが声を張る。

「きみは何者だ! 人違いじゃないのか!」

「ふざけんな、野盗風情が! その馬車はアイカの馬車だろうがッ! アイカをどうした、うらああッ!」


 ……アイカ?

 アイカの知り合いなのだろうか。


「い、いや、落ち着いてくれ。わたしはアイカの――」

「アイカの身代金が目当てかッ! そうはいくか、このおれが全員ぶちのめしてやるッ!」

 とまどうディアナをよそに、女性は穂先を真っ直ぐに突っ込んで来た。


「うっさいのよ、さっきから」

「うぎゃあっ!」

 突っ込んで来る勢いのまま、彼女は弾かれたように後方に吹き飛んだ。

 幌の隙間から人差し指がのぞいている。指先に血が滲んでいた。

 傷口から血液を高速で射出して相手を撃ったらしい。


 クッションとぬいぐるみの山から伸びている細い腕に、トヲルは声をかけた。

「……起きたのか、アイカ」

「うん。この短時間でそんな寝入るもんでもないし、この騒々しさじゃ寝てらんないわよ」

 不機嫌そうなアイカがクッションの下からもぞもぞと這い出て来た。


「あれは知り合い……で、いいのか?」

 問いかけるディアナに、アイカはうなずいた。

「まあ、ね。ディアナ、車戻してくれる?」


 速度を落として馬車を回頭させると、来た道をゆっくりと引き返す。

 アイカは指先の傷を舐めつつ荷台を降り、馬車と並んで歩いた。

 トヲルも彼女の後に続く。


「おおー……! 無事だったか、アイカ! 我が妹よーッ!」

 まだだいぶ距離があるのだが、仰向けに倒れたまま、女性はこちらに向かって声を張り上げている。


「お姉さんいたんだ、アイカ」

「いないわよ。全然似てないでしょうが」


 近付くにつれ、倒れている女性の様子が見て取れた。

 ゆるく波打つセミロングの黒髪。

 黒いブラトップとショートパンツという露出度の高い衣服を身にまとっており、肩から詰襟の軍服らしきものを羽織っていた。

 その粗暴な言動に似合わず美しい顔立ちをしていたが、確かにアイカとは似ても似つかなかった。


 女性に近付きながら、アイカは言う。

「……あのコはヤクモ機関の研究者。あたしの同僚よ」

「研究者……」

 アイカの言う“ヤクモ機関の研究者”は、一般的な研究職のイメージとは一線を画している。ニコラス・ゼノテラス市長などは、アイカのことを“工作員”と認識していたようだ。

 アイカの同僚ということなら、先ほど見せた異様な戦闘能力もうなずける。


 アイカは倒れている女性のそばに立って見下ろした。

「あんたの妹になった覚えは無いっつうの。何なの、いきなり」


「もちろんおまえを助けに来たんだ! アイカのことを待ってたら、知らん顔の女がおまえの馬車を走らせているもんだからな! てっきり野盗野伏りの類に襲われて馬車を盗み出されたもんかと思った! 愛する妹を救うのは姉貴のおれしかいないだろう!」


 アイカは腰に手を当てて溜息をついた。

「このコたちはあたしの助手。あたしは荷台で寝てただけよ。問答無用で襲いかかって来るなんて、あんたの方がよっぽど野盗じみてんだけど」

「助手? ぼっち趣味のアイカが、助手? ありえんな!」

「ありえるわ。誰がぼっち趣味か。つうかいつまで寝そべってんのよ」

 と、アイカはつま先で相手をつついた。


「んーそうか! それが本当なら悪かった!」

 と、ネックスプリングで跳ね起きる。

「おれはヴィルジニア、ヴィルジニア・セルヴァだ! アイカの助手ってことならぶちのめす必要はなさそうだな!」


「当たり前でしょ……あたしを待ってたってことは、あんたが機関からの出迎え?」

「まあそういうことだ! あらためて案内させてもらおう!」


 抜き身の太刀をぷらぷらと提げ、何やら物足りなそうな表情で空中を漂っていたクロウが、不意に叫んだ。

「わはははっ! まんまひっかかったな、ヴィルジニアとやら! アイカの心はすでに我々が掌握しているのだよッ!」

「な、何ィッ! やっぱりアイカは騙されていたのか!」

「悔しければこのぼくを倒して――あいたあッ!」

 クロウが言葉の途中で額を押さえてのけぞった。


「ったく、おちょくるんじゃないの。これ以上話をややこしくしてどうすんの」

 半目になっているアイカ。彼女がクロウを血で撃ったらしい。




 ヴィルジニアと名乗る女性は、槍を肩に担ぐと先に立って歩きだした。


 向かったのは最初に彼女が上空から降り立った場所だ。

 直径数メートルはある金属でできた円い板が、地面に置かれているのが見える。


「全員、この板の上に乗ってくれ! 馬車ごとで構わんぞ」

 御者台のディアナが不審な表情を見せつつも、馬車をゆるゆると板の上に進めた。


「この金属板がどうなるのだ?」

 ディアナの問いに、ヴィルジニアは得意げな笑みを浮かべる。

「まあ見てろ!」

 彼女は右手を広げると、金属板の上に乗せ、円を描くように撫でた。


 その途端、円い金属板がふわりと宙に浮きあがる。

 馬車ごとトヲルたちを乗せた金属板は、そのまま飛行船に向けて空中を進み始めた。

「と、飛んでる……!」


「これがおれの力だ。特性〈フライングソーサー〉、種族〈マーフォーク〉ってな!」


「……なるほど、きみも人外種だったのだな」

 と、ディアナは御者台から眼下に広がる景色を眺めながら言った。


「ふうん、ものを浮かせることができるんだ。やっぱり空を飛べる力はサイコーだよねえ」

 クロウは自分で宙に浮いて、金属板の裏側を興味深そうにのぞき込んでいる。


「あいつも人外種みたいだな?」

「というより、あたしたちみんな人外種よ。金属板の裏側に行っちゃったコはクロウ・ホーガン。種族〈天魔〉ね」

「わたしはディアナ・ラガーディアだ。種族は〈ワーウルフ〉」

「トヲル・ウツロミ、種族〈インヴィジブルフォーク〉だよ」

「おわッ? 何かいる!」

 急に声を出したトヲルの声がした方を見て驚くヴィルジニア。


「ごめん、ごめん。俺は透明人間なんだよ」

 トヲルは自分の端末を操作して、彼の立体映像アバターである蛸のキャラクターを表示させた。


「透明人間、〈インヴィジブルフォーク〉――か! 何やら〈マーフォーク〉と似ているな! 蛸の人外種というのも親近感がある!」

「ヴィルジニアの〈マーフォーク〉は半魚人って意味だからね。水産物繋がりってとこかな」

「半魚人?」

「ああ、この通り、指の間に膜あるし、首の下にも一応エラがあるぞ。ただ半魚人って響きはちょっとカッコ悪いから好きじゃない! あと水産物もやめてくれ!」

 彼女は掌を思いっきり広げた。指の間の付け根に薄い皮膚の膜がある。

「何でよ、分かりやすいじゃない。ね、トヲル?」

「いや、うん。それ以前に俺は蛸じゃないんだよ」


 トヲルたちを乗せた金属板はゆっくりと飛行船の後方から接近していき、後部デッキの上に静かに着地した。

 飛行船の上からは、遠くゼノテラスの街影まで見晴るかすことができる。


「これは絶景だ……!」

 上空を吹き渡る風になびく銀髪を片手で押さえながら、ディアナが感嘆の声を漏らした。

「ふふふん。どうだ、空を飛ぶっていいもんでしょう」

 遅れて飛んできてデッキに降り立ったクロウが胸を張った。

「なぜクロウが自慢げなのだ」


 ヴィルジニアが艦内へ続く扉を明けながらトヲルたちに呼びかけた。

「馬車はそのままデッキに置いていていいから、こっちに来てくれ。機関長は中の作戦指令室で待っているぞ!」



 飛行船は、高級メンバーズクラブのように落ち着いた内装をしていた。

 ヴィルジニアが肩からかけているものと同じ詰襟服を着た人員が、せわしなく行き来する。低い声音で交わされる短い会話。

 優美な空間に、ある種独特な緊張感が漂っていた。


「ゼノテラスを管理下に置く手続きのためにここに来たにしては、何やらものものしい雰囲気だな」

 隣を歩くディアナがつぶやくように言った。

「そうかな? 俺はいかにもヤクモ機関という巨大組織らしい空気を感じるけど」


 ヤクモ機関。

 IDとSFの技術を確立させ、この世の社会基盤を作り上げた最高峰の研究機関。それはまた同時に、この世に怪物が生まれるきっかけを作り上げたことでもある。

 ゆえに世界の管理者とも、世界の破壊者とも呼ばれる世界的組織だ。


 この飛行船フランケンシュタイン号は、いわばその中枢。

 ヴィルジニアについて廊下を進むうちに、トヲルは次第に緊張してきた。


「機関長って……どんな人なの?」

 トヲルの問いに、アイカは少し考えて答えた。

「んー……ひとことで言うなら、いけ好かないじいさん、って感じかな」

「ただの悪口じゃないか」


 先を歩くヴィルジニアがあっはっはと快活に笑う。

「機関長を好きな研究員なんかいないからな! 控えめに言ってクソジジイだからしょうがない! よし、ここだ! 連れて来たぞ、機関長! よいしょー!」

 大声で喋りながら彼女は廊下に面したひと際大きな扉を勢いよく開けた。


 作戦指令室というその部屋は中央に大机を据え、周囲に椅子を並べた広々とした空間だった。

 とても空を飛ぶ乗り物の一室とは思えない。


 正面の壁一面がガラス窓になっていて、飛行船から見下ろす広大な景色が広がっている。

 その窓辺に、こちらに背を向けて立つ小柄な人影があった。


 人影は小さく溜息を吐いた様子だった。

「……誰がクソジジイじゃ、ヴィルジニア」


「聞こえてしまったか! 悪気はないんだ、怒った?」

「悪気はあるじゃろう、噓をつくな。じゃがお主らの言動にいちいち腹を立てていては身がもたん。久しぶりじゃな、アイカ・ウラキよ。そしてお主らが――アイカ・ウラキの助手たちか」

 と、人影は振り返った。


 黒い軍帽を目深に被っている。

 詰襟服の上に黒いインバネスコートをゆるりとまとっており、赤いステッキを突く手には白い手袋を着けていた。

 トヲルも小柄な方だが目の前の人物は、そのトヲルの胸元ほどの身長しかなさそうだ。


「よく来たな。わしがヤクモ機関機関長、エル・F・ロッサムじゃ」

 そう言って片手で軍帽を少し持ち上げたその顔は、幼い少年にしか見えなかった。


 少し長めの黒髪と小作りな面差しが、女性と見まがうような中性的な印象を強めている。

 とてもアイカやヴィルジニアの言うような老人には見えなかった。

「機関長、あるいはエル、と呼んでくれて構わん。機関員もみなそう呼ぶ。よろしく頼む」


「よ、よろしく……」

 挨拶を返しながら、トヲルは思わずアイカの横顔を見た。

 視線を感じたのか、アイカが口を開く。

「……見た目は七歳のまんま、歳取らないらしいのよ。でもたぶん、年齢はこの世界の誰よりも上なんじゃないかな。エルは原初のIDだし」

「原初の――ID?」


「IDの第一世代の、そのまたオリジナルの個体じゃからな、まあそう表現しても間違いではなかろう。特性〈雷電〉、種族〈アダム〉――」

 エルはそのあどけない顔に老成した笑みを浮かべる。

「こう見えて人外種じゃ。もっとも、わしが生まれた当初にそんな言葉はなかったがな」


 幼い見た目とは裏腹に、不思議な威圧感のある人物だった。



つづく

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