第24話 街を離れる俺が、出立の挨拶を告げる話。
ヤクモ機関との面会の場は、リサによって二日後の午前に用意された。
場所はゼノテラス城壁外に停められている巨大飛行船、フランケンシュタイン号の艦内だ。
アイカの馬車で面会の場に向かった後は、その足でエクウスニゲルに向かうことになる。
翌一日は、それぞれにとってゼノテラスで過ごす最終日となった。
アイカは旅の支度と称して、食料や日用品の買い付けをするのだそうだ。
「野菜とお酒……ベーコンは外せない。燻製と……あとソーセージもうまかったな」
リサが必要物資は用意すると申し出ていたが、馬車を使ったキャンプを趣味としているアイカからすれば、準備段階からその楽しみが始まっているのだろう。嬉々として自ら街中に向かっていった。
ディアナは兵団を正式に辞するため、手続きと身辺整理に兵団本部へ向かった。
トップであるニコラスの不在に加え、数多く殉職した兵士たちの状況確認、崩壊した市庁舎付近の安全確保と、兵団本部はてんやわんやだ。
もはや退団の手続きも意味をなさないように見えたが、そこは律儀なディアナらしく、けじめをつけておきたいのだろう。
「兵団のみなには心配や苦労をかけた。ちゃんと説明してからゼノテラスを去ろうと思う」
辞すると言えば、クロウも訓練学校を退学する。
「退学手続き? 済んだ済んだ」
彼女は武器として太刀を腰に
勝手に寮を抜け出してフェードアウトしたトヲルが言えた義理ではないが、本当にちゃんと手続きを済ませたかどうかあやしいところだ。
クロウのことだから、いいんじゃないこれくらい、で色々ほったらかしているような気がする。
ともかく、一度全てを捨ててゼノテラスを出たトヲルと同じく、クロウも今日一日は他に予定がないらしい。
そこで二人そろって孤児院のシスター、クリスを訪ねることにした。
今度は勢いで街を捨てたわけではない。
彼女にきちんと挨拶をしておきたかった。
*
孤児院に向かう道すがら気付いたのは、首に黒いマーカーを着けた人々が多く行き交っていたことだ。
「……ID改正特別法は停止から撤廃に向けて動くらしいんだけど、リサでも実現には時間はかかるみたいだねえ。ニコラスとは無関係に特別法を支持してる議員もいるらしいし」
クロウはトヲルが表示させている蛸のアバターに向けて言った。
「正式に法律として成立してる訳だからね。それにしても、人外種が街にこんなにいたってことが意外だ。人外種と言っても外見だけじゃ分からない人も多いんだな」
トヲルとクロウが育った孤児院は、ゼノテラスの郊外、城壁の近くにある。
外観は広い庭をもった巨大な
とはいえそこに大勢の子どもとシスターが暮らしているのでどうしても手狭になる。肩を寄せ合うように過ごしていた記憶が思い起こされた。
「おらあ、飯の時間だ、くそガキどもー! ちゃんと手を洗って来ねーと尻引っ叩くぞー!」
孤児院の庭の前に立つと、やたらと口の悪いクリスの声が届いてきた。
庭で遊んでいた子どもたちがきゃっきゃと笑顔で応じている様子から、相変わらず乱暴なのは口調だけのようだ。
子どもたちを屋内に追いやりながら、クリスがトヲルたちの方を振り返った。
口元に笑みを浮かべる。
「……よお、来たな。騒がしい所だが中に入れよ」
クリスは孤児院の居間に二人を通した。
紅茶のカップを出すクリスの首元に、黒いマーカーが装着されているのが見える。
「シスター、その、首のマーカーは?」
「そうだよ、何で着けてるの? シスターは人外種じゃないでしょ」
「ああ? これはただの黒いチョーカーだよ。ガキどももみんな着けてる」
居間の隣で、食卓を騒々しく囲んでいる子どもたちの首にも同様に黒いチョーカーが巻かれていた。
「見た目はあのしょうもないマーカーと区別つかねーだろ? 人外種にマーカーを着けるのが義務化されたところで、こうすりゃ誰が人外種かパッと見は分からなくなるってことだ」
クリスはソファにふんぞり返ってにゃはは、と笑った。
「誰が考え出したんだか、辺りで黒いチョーカーが出回り始めてな。あたしらもそれに乗っかることにした。逆に何でお前らはマーカー着けてねーんだ。かえって目立つだろ、それじゃ」
「いやまあ、確かに……」
「こんなことになってるとは思ってなかったしねえ……」
孤児院へ向かう道で、マーカーらしきものを身に着けた人を多く見かけたのはこれが理由だったらしい。
実際は人外種ではない人が大多数なのだろう。
「……例の特別法が成立しちまったのは、確かにこの街のくそったれな一面だろう。この黒いチョーカーにすら敵意も向けて来る連中もいるだろうさ。けどまあ、それでもこういうことを考えるような馬鹿と、それに乗っかるような馬鹿も一定数はいるってことだ。胸張れるような街でもねーが、あながち捨てたもんじゃねーんだ、この街は」
だからな、とふと寂しげに目を伏せたクリスは紅茶のカップに口を付けた。
「これに懲りず、たまにはまた帰って来てくれよ。ここを故郷だと思っていて欲しいんだ。あたしの目の黒いうちは、お前らに嫌な思いをさせるつもりはない。あたしは特性〈ロンジェヴィティ〉って長命だ。心配しなくても結構先まで目は黒いぜ」
「シスター、気付いてたんだ……」
「育ての親を舐めんなよ。お前らがゼノテラスを出て行こうって考えてんのはお見通しだよ。市庁舎があんなことになって、副市長の緊急会見があった翌日に二人そろってやって来て、クロウなんざ姿まで変わってるじゃねーか。何もないと考える方がウソだろ」
クロウが翼をぱたぱたさせた。
「お、さすがシスター、目ざといねえ。このかっこいい眼帯と白い翼が気になるかい?」
「……お前が適当な性格で良かったよ、ホント」
トヲルは紅茶のカップを置くと、居住まいを正して言った。
「やっぱり俺は妹を探しに行くよ、シスター。クロウもついて来てくれるって。ここ数日で色々あってヤケにもなりかけたけど、今は違う。自分の力のことも分かったし、頼れる仲間もいるから、安心して欲しい」
クリスは微笑んだ。
「そうか……分かるよ、こないだ学校で会った時とは声の感じからして違うからな。引き留めやしないさ。今日は時間あるのか?」
二人はうなずく。
「よし、なら久しぶりに飯食って泊まっていけよ。お前らの好きなもの作ってやるから」
本当に久しぶりだ。
トヲルは胸が一杯になる思いだった。
「やったあ、それは楽しみだねえ!」
「……あれ、ていうかお前らの好きなものって……何だったっけ」
「そこは覚えといてよ、しまらないなあ。ぼくはねえ、ラム肉。野菜と一緒に炒めたの」
「あー、農家のおっさんに沢山もらった時やったアレか。よく覚えてるな。トヲルは?」
「俺? 俺は……たまごプリン、かな」
「え、トヲルってば何ぼくよりかわいこぶったものを好きとか言ってんの。ちゃんと肉の種類で答えなよ」
「何で肉一択なんだよ。別にかわいこぶってもないから。孤児院出てからシスターが作ったの食べてないし」
シスターは笑い出した。
「分かった分かった、飽きるほど作ってやるよ。残したら許さねー」
トヲルとクロウは、クリスや子どもたちと一緒に久々の賑やかな夜を過ごしたのだった。
明けて翌日は、ヤクモ機関の飛行船に向かう日だ。
朝、身支度を済ませたトヲルとクロウは孤児院の門の前にいた。
見送るクリスの後ろに、子どもたちがぞろぞろと続いている。
クロウは腰に手を当てて言った。
「おーし、並んで立て二人とも」
言われるままに二人が門の前に並ぶと、クリスはまず手探りでトヲルの頭に触れた。
頭を撫で、手を滑らせて両肩を叩く。
「意外と背、伸びてるなー」
次にクロウの翼に触れ、彼女の黒髪を撫でた。
「うん、きれいだ」
そう言うと、クリスは二人を同時に抱き締めた。
「いいか、お前らはサイコーだ。あたしのサイコーの、自慢の家族なんだよ。何があってもそれだけは変わんねーから。お前らを育てることができて、お前らを見送ることができて、あたしは幸せだ!」
「……俺も、育ての親がシスターで良かった」
「……ジズダああああ」
クロウが隣で急に泣き始めるものだから、トヲルも涙をこらえるので必死だった。
「おいおい、年頃の娘がそんな無防備に泣くんじゃねーよ。いい女が台無しだろうが」
「だって、らってえええ。むええええ……」
ろれつが回らないくらい大泣きしているクロウを、子どもたちが笑って指差している。
「帰って来る時は連絡しろよ、またお前らの好きなもの作って待っててやる。忘れるな、ここがお前らの家なんだからな」
「うん……」
「ううう」
「よし、それじゃあ……行ってこい!」
クリスは身体を離し、もう一度、トヲルとクロウの肩を強く叩いた。
「いってきます!」
「いっでぎまふぅ!」
こうしてトヲルとクロウは、手を振るシスターや子どもたちに見送られて孤児院を後にした。
*
待ち合わせ場所の中央門前に向かうと、準備を整えたアイカの馬車が停められていた。
「おはよう、ディアナ」
「ああ、二人ともおはよう」
両手剣を背負い、鎧を身にまとったディアナが荷台の幌に背もたれている。
「あれ、ディアナ、鎧が新しくなってるねえ」
孤児院を出る時に大泣きしていたクロウだが、すでにすっきりとした顔をしていた。
ディアナの鎧は兵団の白基調の制式装備ではなく、黒基調の、より高品質な品に見える。
「リサが兵団を抜けるわたしに
ディアナは荷台から袋を二つ取り出した。
「見送りに出れずすまない、とのことだ。昼食会ではのんびりしていたようにも見えたが、本来の彼女が置かれた立場からすればそのくらい多忙なのが普通なのだろうな」
トヲルもクロウも、訓練学校の制服を着ている。ゼノテラスを出た後もそのままというのは、少し居心地が悪いかもしれない。
トヲルはありがたく受け取ることにした。
制服の揃いに近い、シャツ、ジャケット、ネクタイ、スラックスが袋の中に収められている。
クロウの袋にはスラックスの代わりにスカートが入っているようだ。
「ふうん……手回しが良すぎてちょっと引くレベルだねえ」
それはその通りなのだが、クロウははっきり言い過ぎだと思う。
ディアナがクロウの腰にある刀に目をとめる。
「おや、クロウも剣を使うのか?」
「え? うん。近接武器が得意だけど、これがぼくと一番相性が良くてねえ」
「片刃の剣――いや、太刀か。興味深い、時間を見つけて手合わせを願いたいものだ」
「ふふふん、ぼくは訓練学校でスレイヤーS評価だったんだから。負ける気がしないねえ、かかってきなさい」
荷台の奥で作業していたアイカが幌から顔を出した。
「おはよ、みんな揃った? そろそろ行こっか」
「アイカは相変わらず朝から元気だね。いつ寝てるの」
「いつってほら、川辺のキャンプ地であんたに会った時と、市庁舎であんたに起こされた時……寝てたじゃん?」
「……ん?」
何か妙なことを言った気がした。
クロウやディアナも怪訝な顔を浮かべている。
「何よ?」
「え、それ以外は?」
「……あたし〈ヴァンパイア〉だから夜でも眠くなんないし」
「まさか寝てないのかッ? というか市庁舎の時にいたっては睡眠じゃなく気絶だろ!」
「大丈夫大丈夫、あたし〈ヴァンパイア〉だから」
「何でも〈ヴァンパイア〉で済ますな!」
「死ぬぞ、アイカ!」
トヲルとディアナの剣幕にアイカは少し怯む。
「い、いいでしょ別に、もう行くわよ」
御者台に乗ろうとするアイカを、クロウが羽交い絞めにする。
「アイカは寝てなってば」
「ち、ちょっと……ってひゃああッ」
荷台の奥にあるクッションの山に投げ込んで、上からクッションやぬいぐるみ類を乗せてぎゅうぎゅうと押し込んだ。
じたばたともがいた様子のアイカだったが、しばらくすると動きが止まって穏やかな寝息が聞こえてきた。
「よし、寝たねえ!」
「……力技過ぎないか……大人しく寝てくれたからいいけど……」
「まあ、可能な限り休ませておこう」
手綱はディアナが取った。
トヲルは奥でクッションにまみれて寝ているアイカを起こさないように荷台に乗り込み、クロウはふわりと浮き上がって荷台の幌の上に腰かける。
中央門の通用口が開かれた。
門番の兵士たちが敬礼で馬車を見送ってくれている。
妹のメイの手掛りは依然として無いに等しい。
エクウスニゲルで手掛りが得られる確証もない。
それでも今のトヲルには、行く手を真っ直ぐ見据える覚悟ができていた。
馬車が向かう先には、朝日を受けて光る巨大な飛行船が見えた。
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