第31話 失われた故郷へたどり着いた俺が、謎の人影を見つける話。

 早朝にはエクウスニゲルに向かって出立するとのことで、昨夜は早めに休んだ。

 そのせいか、トヲルは朝の暗いうちから目を覚ましていた。


 羽織っていたブランケットをはいでローチェアから身を起こすと、御者台に腰かけて湖を眺めていたディアナがこちらを見た。

「……起きたか、トヲル。おはよう」

「ずっと見張りをしてくれてたの?」

「月が出た夜だ。万が一に備えるとしたら〈ワーウルフ〉のわたしが見張り役をやった方が効果的だろう?」

 そう言うディアナの銀髪は月の光を浴びてほのかに光を帯びていた。


「このまま陽の光を浴びたらリセットされてディアナは狼になっちゃうんじゃないの?」

「〈ルナ=ルナシー〉の力を解放させなければ反動は来ないから、姿が狼に変じることもない。リセットと言っても、月の光を浴びて向上した身体能力が元に戻るだけだな」


 馬車の荷台はアイカとクロウが使っているようだが、ヴィルジニアは湖の波打ち際で寝ていた。

 一見すると流れ着いた水死体の様相だが、穏やかな寝息と共に胸を上下させているので本人にとっては快適な寝床なのだろう。


 山の向こうから朝日が昇ってくる気配はないが、湖はやや明るくなった空を映していた。

 トヲルは焚き火から熾火おきびを掘り起こし、新しい薪をくべた。


 コーヒーを淹れてみよう。


 メイに再会できたら、コーヒーを振る舞ってみるのもいいかも知れない。どんな反応を見せるだろうか。

 それまでにちゃんと淹れられるようにならなければ。


 豆を挽きながら、トヲルは対岸の丘を眺めた。

「……十年ぶり、か……」

 彼の故郷としてのエクウスニゲルは失われた。

 けれどあの場所には、何かがあるのだ。

 妹のメイまでが失われたとは思えない――思いたくない。


 メイは、必ず救い出す。


 馬車の幌がめくれて、クロウが寝ぼけまなこで顔を出した。

「……おはよう、ディアナ、見張りお疲れ様だねえ」

「おはよう。よく眠れたか?」

「おかげさまで。トヲルも早いねえ……何してるの?」

 彼女は馬車から降りて、ばさばさと翼を震わせながら伸びをしている。


「コーヒーを淹れてるんだよ。飲んでみる?」

「え、コーヒー? 聞いたことがあるよ、飲んでみたい。トヲルそんなことできるんだねえ」

 今のところ、一度も成功していないことは伏せておく。


「ディアナも飲む?」

「い、いやわたしは大丈夫だ、気にしないでくれ」

 ディアナは露骨に視線を外している。以前飲ませたコーヒーが余程まずかったのだろう。


 豆の量、挽き具合、注ぐ湯の量、早さ――失敗を踏まえつつ淹れたコーヒーのカップを、クロウの座る流木に置いた。

「できたよ」

「わあ、いい香りだねえ」


 恐る恐るカップに唇を付けるクロウ。

 コーヒーを口に含んだ途端、彼女の背中の翼がばさっと総毛だった。

「……!」

 クロウは無言で表情を強張らせている。彼女にしては珍しいリアクションだ。


「んみぇぇッ、何コレ、苦ッ! 苦あいッ!」

 やがて案の定騒ぎ始めた。

「コーヒーは苦いものなんだよ」

「ええ? 嘘つけ、何でわざわざ苦いものなんか飲むんだよう! ぼくをハメたな、トヲル!」

「いや本当なんだってば」

 また失敗したのだろうか……?


「耐えろクロウ。トヲルがこしらえるその苦渋い汁を飲むのは、アイカの助手となるために越えなければならない試練なのだ」

「違うよ? 何てこと言うんだ、ディアナ」


「もー、朝っぱらからうっさいわね……」

 アイカがあくびを噛みしめつつ馬車から降りてきた。

「お、コーヒー淹れてんの? 気が利くじゃん、トヲル」


「アイカもグルだったんだね!」

「何よグルって……さてはまた失敗作を食らわせちゃった感じ?」

 アイカはクロウが突き出してきたカップを受け取って、ひと口コーヒーを口に含んだ。

 彼女の細い眉が少し動く。

「ど、どうかな……」


 アイカは今度は吐き出すこともなく、そのまま喉を動かして飲み込んだ。

「……うん。悪くないんじゃない? おいしくできてる」

「ホント?」

「ま、あたしが淹れるレベルにはまだまだ及ばないけどね。この感じならあんたにコーヒー係を任してもいいかも。励むとよいぞ、弟子よ」

「助手だろ」


 クロウは信じられないものを見るかのようにアイカを見つめている。

「〈ヴァンパイア〉って味覚おかしいんだねえ」

「そうらしい」

 ディアナも真顔でうなずいた。



 寝ずの番をしてくれたディアナは、アイカ達と入れ替わりに荷台で休むことになった。

 ほのかに月の光を帯びたまま、ディアナはクッションの山の中に埋もれた。


 幌の幕を下ろしたアイカは、コーヒーカップを片手に御者台に腰かける。

「ディアナをできるだけ休ませたいってのもあんだけど――」

 と、黒い影になった湖の向こうを眺めている。

「このまま馬車でエクウスニゲルに乗り付ける前に、現地の偵察をした方がいいと思うのよ」

「偵察……」

「トヲルが見かけたって言う人影が気になってさ。……ここに来る時に出くわした怪物の集団暴走スタンピードも、偶然じゃないんじゃないかって思うの」

「ああ、例の幽霊のこと?」

 なかば反射的にアイカが語調を強めた。

「だから幽霊なんかいない! 幽霊なんかいないとしたら! ……あんな場所に人影がいるなんて異常でしょ。あの怪物の群れが、そいつらが招いたものって可能性も捨てきれないじゃない」


 白づくめの男と、赤いドレスの幼女――。


「クロウ、あんたならこの湖を飛び越えて直線距離であの丘の向こうに行けるでしょ? 先に行って様子を見て来てくんないかな」

「いいよ、任せて。ぼくは訓練学校時代、スカウトの兵科はS評価だったんだから。余裕余裕!」

 クロウは胸元をぽんと叩いて言った。


「俺も行っていいかな。透明な俺が役に立てる場面もあるかも知れない。スカウトの評価はD評価だったけど」

「そうね、単独行動よりその方が良さそう。あ、でもクロウがトヲルを持ち上げて飛ぶことになんのか」


「うーん……」

 クロウはおもむろにトヲルの背後に回り、彼を羽交い絞めにした。そのまま羽ばたいて、少しだけ宙に浮いてみる。

「……飛べなくはないけど、やっぱり重く感じるねえ。トヲルを運んで飛ぶのはちょっと大変かも……途中で落っことしちゃったらごめんね」

「ごめんで済むか」


「なら……おれに任せてみろ」

 ヴィルジニアが目を覚まして起き上がっていた。水に浸かっていたので全身ずぶ濡れだ。眠たげな顔のままトヲルに片手をかざし、円く撫でた。


 次の瞬間、ふわりとクロウが高度を上げた。

「わっ……軽い! 何だかトヲルの重さを全然感じない! これ……ヴィルジニアの力なの?」

「ああ、おれの特性〈フライングソーサー〉だよ」

「でも俺……別に円盤じゃないけど」

 トヲル自身も、クロウに持ち上げられているような自重を感じなくなっている。


「このコの特性の名前が紛らわしいんだけどね。〈フライングソーサー〉って、別に円盤を操る力ってワケじゃないのよ」

 アイカが言うと、ヴィルジニアも笑みを浮かべた。

「そういうことだな。おれが操るのは――だ」

「い、引力……?」


「簡単に言えば物体同士に発生すると言われてる互いを引き合う物理作用。ヴィルジニアはその力を操ることができるのよ。究極、あたし達が今地面にこうして立っていられんのも引力によるものだからね、それを勝手に操作されるってのはかなりタチの悪い能力だと思う。今もトヲルと地面との引力を無くしてみせたんじゃないかな」


 ヴィルジニアは濡れた髪に指を入れた。

「アイカはやたらとタチが悪いって言うけどな、便利な力だぞ」

「じゃあ、ヴィルジニアはぼくみたいに空も飛べるんだ?」

「いや、浮くことはできるけど、飛ぶのとはちょっと違う。昨日みたいに思いっきり投げたバックラーの推進力を使うとか、走る馬車との引力を強くするとかで風に乗って移動する感じだな」


 初めてヴィルジニアと遭遇した時、猛スピードで馬車に追随してきたのは、彼女と馬車との間の引力を強化していたことによる動きだったようだ。

 オークやゴブリンの群れを軽々と吹き飛ばしていたのも、怪物達の引力をゼロにして重さを消した上で攻撃していたからだろう。


「よく分かんないけど、これならトヲルを運んで飛んでも気にならないねえ。落っことしても気付かないくらい」

「結局落っことされるのか俺」

「あー……ただ、おれの特性のレンジって短いんだよ。距離が離れたら〈フライングソーサー〉の力も失われるから、おれもついて行かなきゃだな」


 アイカはコーヒーをひと口すすった。

「スリーマンセルか。ちょうどいいかもね、あたしとディアナなら仮に怪物に襲われても問題ないだろうし。それで行きましょ」


「よおし、じゃあ早速――」

 トヲルがそわそわした様子で告げた。

「あの……クロウ、運ぶにしても羽交い絞めはやめてくれないか」

「どうして?」

「どうしてって……」

「密着してるせいであんたの胸がずっとトヲルの背中を圧迫してんのよ。さっきからトヲルの動悸がめちゃくちゃ速くなってる」

「……!」

 血流が読めるアイカには事情が筒抜けだったようだ。


「ふうん、ぼくは気にしないけどねえ……じゃあ首をもつよ。重さ感じないし」

「子猫じゃないんだから……手を掴んでくれればいいよ」


 思い出したようにアイカはスカートのポケットを探った。

「そうだ、例の骨伝導式のイヤホンを渡しておくね。偵察中に使うこともあるかも知れないし。それじゃ三人とも、よろしくね」

 イヤホンを受け取って、トヲルは軽くうなずいた。


 ちょうどその時、湖の対岸から朝陽が昇ってきた。

 ヴィルジニアが湖に目掛けてバックラーを投げ、その上に飛び乗って水面すれすれを滑空して行く。

 トヲルを持ち上げたクロウはそれを追うように低空を飛び立った。



 朝陽を受けて輝く湖面の上を、飛沫を上げつつトヲル達が疾駆する。

 巨大な湖の対岸までは、迂回すれば馬車でも一、二時間かかるが、直線距離で跳び越えれば数十分の距離だ。


 朝の風に黒髪をなびかせながら、クロウが歓声をあげた。

「ひゃあ、気持ちいいねえ! このまま湖を一周しちゃおうか!」

「いい考えだ!」

 ヴィルジニアはときおり槍で水面をかきながらバックラーで滑るように飛ぶ。


「二人とも目的忘れるの早すぎないか。対岸が見えて来たぞ」

 対岸も浜辺になっていて、水際近くまで林が迫っていた。

 浜辺に降り立った三人は、そのまま林を通って丘を登って行く。


 丘を登り切ると視界は開け、遠くまで見通せるようになった。


 丘を下った先も林は続き、さらにその向こうは草原と低木による荒野だった。

 荒野の向こう側に広がる山の景色には見覚えがある。


「……エクウスニゲル……」

 あの荒野は確かに、エクウスニゲルの街があった場所なのだ。

 ワーウルフの群れに襲われ、炎の中に消えた故郷のあった場所。

 妹のメイと生き別れた場所なのだった。


 以前ディアナが説明したように、街の残骸はゼノテラスの兵団によって全て撤去されてしまっているようだ。

 朝の風が荒野まで吹き抜けていく。

 

 エクウスニゲルの現状に今さら驚きはしない。

 けれど改めて目にすると、どこか寂しさを感じずにはいられなかった。


 普段は軽口ばかりのクロウも、今は風に吹かれる髪を押さえながら黙って目の前に広がる景色を眺めている。

 ヴィルジニアは槍を肩に担ぎ、つぶやくように言った。

「……何にもないな……」

「うん――」


 そう応じたトヲルは、視界に何か違和感を感じた。

 草原の向こうに、大きく土埃が立ち昇っていた。

 その土埃の手前に見える低木。

 低木の下に、人影がある。


「ふ、二人とも、あれ……あの低木の下……見えるか?」


 そこにたたずんでいるのは、白づくめの男と赤いドレスの幼女の影。


「あれって……トヲルが見たって言ってた人影? 幽霊じゃなかったんだ」

「やっぱり見えるよね? 何だろう、あの二人……何であんな場所に」

「おい……それだけじゃないぞ。あの土埃の向こうにも何かいる」


 ヴィルジニアに言われるままに土埃が立つ場所へ目を凝らすと、もう一つ人影が姿を現した。

 武装の上に黒いコートをまとった、中肉中背の男。

 三人目の人影だ。


 さらに土埃の向こうから見えて来た姿に、トヲルは思わず息を呑んだ。


 怪物の大群だった。

 それはまるで昨日遭遇した、集団暴走スタンピードのようだ。

 だが、その群れは暴走というより、黒いコートの男につき従って整然と行進をしているようにも見える。


 狼頭人身のワーウルフ、無数のゴブリン、ゴブリンを従えるオーク。ひと際巨大なオーガ――様々な怪物が、隊列を作って荒野に集結していく。

 土埃が風で流されて怪物の群れの全容が見えてきた。その数は一〇〇や二〇〇ではない。数千を数えるかも知れない大群だった。


「あの人達、怪物に襲われる様子もないし、逃げる様子もない。というか何だか……あの怪物群れをを指揮してるように見えるよねえ」

「ああ。それでなくても、ああいう色んな種類の怪物があそこまで巨大な群れを作って、しかも整列してるなんて初めて見た……異常な状況だぞ」


 トヲルは林の中から一歩踏み出した。

「俺……近付いてみるよ。透明な俺なら気付かれないと思う」

「危なくない? トヲルはスカウトの成績D評価だったでしょ。きみは透明だけど潜伏が得意って訳じゃないんだし」


「大丈夫、ある程度距離は保つよ。イェルドさんに改良してもらった端末のアバターに、指向性の集音機能がある。音が拾える距離まで近付けば、そこから会話とかを聞き出せるかも。イヤホンでみんなにも共有できるしね?」

 トヲルはアバターの蛸のキャラクターを操作して、集音機能のアイコンを表示させた。


「まあ確かに、この距離で眺めてても何も分からないしな。けど危なくなっても、あの怪物の大群を何とかしようとか思うなよ。とにかく逃げるが勝ちだからな」

「うん。その時はぼくが空中から拾いに行く。気を付けてね」

「分かった」

 トヲルは二人に告げて、丘を駆け下りて行った。



つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る