第22話 意識を失った俺が、事件の顛末を聞く話。
そこには、初めから何もいなかったかのように、夜空の下にただ崩れた壁と天井の瓦礫があるだけだった。
トヲルの特性〈ザ・ヴォイド〉。
存在を消滅させるその力によって、死をもたら巨大な黒い霧と化したニコラス・ゼノテラスはその場から姿を消した。
「ふー……」
トヲルの口から細い息が漏れる。
途端に彼の全身を激しい震えが襲った。
相手に特性を使うことに迷いは無かったし、覚悟もできていた。
それでも〈ザ・ヴォイド〉という特性がもたらした圧倒的な結果に、彼は急激な息苦しさを感じた。
思わず膝を折り、地面に手を突く。
「ふー……ッ、ふー……ッ」
視界が揺れる。背中を丸め、懸命に息を整えた。
「やったねえ、トヲル! やっぱりきみは凄い奴だよ!」
その彼の背中に、無造作にのしかかって来るのはクロウだ。
「く、クロウ……動いて平気なのか? というか、苦しい……」
「ふふふん。どうだ、今度はちゃんとトヲルのいる場所を当てて見せたぞ」
頬に感じる、ふわりとした感触。狼のディアナが繊細な毛並みに覆われた額を当てていた。
「見事だ、トヲル……よくやった」
「ディアナ……」
手元に感じた柔らかい感触に顔を上げると、正面に膝を突いたアイカがいた。
両手でトヲルの手を包み込んでくれている。
「……頑張ったね、トヲル」
彼女はそう言って目を細めた。
「……うん」
次第に呼吸が落ち着いてきた。
三人の暖かさを感じつつ、目を伏せて思う。
――俺にこの力があって、良かった。
リサがトヲルの前に立った。
「……あらためて、目を疑うような特性ですね、トヲル様。畏怖の思いすら感じます」
彼女は以前の飄々とした様子に戻って続けた。
「あー、いやもー神様と人間レベルというか、これだけ圧倒的な差を付けられたんならうちの馬鹿な父親も本望でしょう! しかも相手はルックスも神様レベルの美少年ときたもんだからわたしとしても眼福です! お父様の分も、この街の人々の分も、わたしが変わってお礼を言わせていただきたい! ありがとうございました! 本当に、あり――」
彼女は空を仰いで、両手で顔を覆った。
「……ありがとう……ございましたー……!」
リサのつかみどころのない印象は変わらない。
それでも、彼女が全力で――自分の父親すら切り捨てる覚悟で――この事件に取り組んでいたことだけは確かだと感じられた。
「……ん。何かトヲル、身体熱くない?」
トヲルの背中にもたれかかっていたクロウがそう言った。
「いや何かというか……熱がもの凄いぞ!」
「きっと特性を使い過ぎた反動ね。何せ数日前までまともに使ったことの無い力だったんだから無理もないわ」
「休める場所を手配します、急ぎましょう――」
周囲に聞こえる声をぼんやりと聞きながら、トヲルはゆっくりと目を閉じた。
*
目を覚ますと、トヲルはベッドの上に横たわっていた。
どれだけ眠っていたのだろうか。
枕元の窓からは明るい日差しがカーテンを透かして入ってきていた。
質の良い調度品で統一されている、見慣れない部屋だった。
首を巡らすと、ベッド脇にアイカが腰かけて自分の携帯端末を操作している。
吸血した時に浮かび上がった紅い紋様は消え、髪型もサイドテールに戻っていた。普段通りの彼女の出で立ちだ。
「……気がついたみたいね」
「ここは……?」
「市長官邸だってさ。ゲスト室ってところかしら」
「アイカが看病してくれてたのか……」
「そんな大袈裟なもんじゃないけどね。過労みたいな感じだし、休めば回復するのは分かってたもの。横にいて脈拍をモニターしてただけ。それに――」
と、彼女は端末をしまって言う。
「あんたを助手にしたあたしにも責任はあるしね」
「助手として役には立てたかな――うっ」
アイカがベッドの上に仰向けに倒れてきた。後頭部がトヲルの腹部に落ちて来て呻き声が出る。
「まあ、あの川辺であんたに出会えたのは、あたしにとっても幸運だった。ニコラスのあの力、正直、あんたがいなかったら詰んでたかも。それでなくても甚大な被害が出てたかも知れない。あらためてお礼を言わせてもらうわ。ありがとう、助かった」
アイカは寝そべったままトヲルに顔を向けて言った。
「約束通り、この後はあんたの目的を手伝ってあげる。妹の――メイ、だっけ。とりあえず目的地はエクウスニゲルか」
「アイカはそこに何か手掛かりがあると思う?」
「んー……無いとは言えない、って感じかな」
意外な回答だった。
トヲルがエクウスニゲルを目指していたのは半ば勢いで、確かな根拠がある訳ではない。十年近く彼岸にあるエクウスニゲルに、まだ何か残っているものがあるのだろうか。
「あたしも詳しくは知らないけど、エクウスニゲルは、ちょっと特殊な場所だって聞いたことある。どうせなら後でリサに聞いてみるか。ゼノテラス兵団の管区だったし、何か情報もってるかも」
その時、部屋のドアがノックされた。
「アイカ? 様子はどうだろうか。リサが昼食の用意ができたと言っているのだが」
ディアナの声だ。
「うん、ちょうど今トヲルが起きたとこ」
アイカは身を起こして言った。
「行けるよね?」
トヲルはうなずいた。
疲労と回復の結果だろうか、ずいぶんと空腹を感じていた。
「……元気そうだな、安心した」
部屋を出ると、廊下に立っていたディアナが笑顔を見せた。狼から人の姿に戻っている彼女は、鎧ではなくシャツとパンツというリラックスした服装をしていた。
「透明人間なのに分かるんだ?」
「わたしは鼻が利くからな。匂いで分かることも多いのだ」
「ふうん……?」
その横にクロウも壁にもたれて立っている。
トヲル同様、よく休めたのだろう。顔色も良くなっていた。
ただ浅黒い肌、長い黒髪が以前のままである一方、漆黒だった背中の翼は、HEXが消失した今でも純白だ。同じく白く色が変わっていた彼女の右目の方は黒い眼帯で覆われていた。
「クロウ、もう大丈夫なのか。その目……?」
「うん、お陰ですっかり元気になったよ。右目も実は平気なんだけど、〈ドーンブリンガー〉を上手くコントロールできるようになるまで、念のため隠してる。暴発したら困るものねえ」
「というか大惨事だよ」
「天空を駆ける純白の翼を得た
翼をぱたぱたさせてはしゃぐクロウの能天気な様子は見ていて気が抜けてしまうが、そこが子どもの時から変わらない彼女の美点でもある。
「うむ、かっこいい!」
なぜかディアナが賛同していた。
昼食の会場に向かう道すがら、トヲルが休んでいる間のことをディアナが語ってしてくれた。
リサはその夜のうちに緊急会見を開いたのだそうだ。
市庁舎の最上階および本会議場の崩壊については、市長のニコラスが導入を進めていた“対怪物新兵器”の誤作動による事故とされ、ニコラスはその事故に巻き込まれて死亡したと説明された。
また、先日の部隊壊滅事件の原因もディアナの特性が暴走したものではなく、その新兵器の実験によるものであり、首謀者はやはりニコラスだとされたらしい。
それらの責めを負い、ニコラスはすでに死亡していたものの、市長としての立場を剥奪されたという。
「……HEXについては一切が伏せられていたよ。まあ真実とはほど遠い説明だったが、事情を知らない市民にとっては、諸悪の根源たるニコラスの自業自得という形で決着がついた、ということになるな。一連の事件の調査は継続され、引き続き関与した者たちを処罰していく方針とのことだ。リサのそもそもの目的でもあるだろうし、これは信じてもいいと思う」
「被害に遭った中隊兵士の遺族と、
と、アイカ。
「わたしはそもそも脱走しているし、いまさらという気もするが、悲惨な目に遭った兵士たちの家族が少しでも報われるといいな」
ディアナは哀しげな笑みを浮かべた。
昼食の会場は市長官邸の中庭だった。
豊かな緑に彩られた開放的な空間にパラソルとテーブルが据えられ、さまざまな料理やよく冷やされた白ワインなどが並べられていた。
「うわあ、お昼から豪勢だねえ!」
歓声を上げるクロウは、なかば地面から浮き上がっている。
「あー、いらっしゃい、みなさん! ちょうど焼けてますよー、ゼノテラスはベーコンも特産ですが、そもそも畜肉のレベルが高いんですよー、どうぞ召し上がれ!」
中庭の奥で、リサがエプロン姿で自らコンロの前に立ち、汗をかきながら金串に刺した塊肉と野菜のグリルを調理していた。
「いやー、本当はディアナ様の名誉回復と街を救ったみなさんの
中庭にはリサの側近だろうか、平服姿の兵士たちがスタッフとして複数働いているばかりだった。
「むしろその方が助かるわ。あたしの仕事柄、あんまり顔が知れ渡っちゃうのも面倒だし」
冷えたワインの注がれたグラスをスタッフから受け取りながらアイカは言った。
「しかしきみがここでこんなことしていていいのか? 市長が空席である今、副市長のきみが実質ゼノテラスのトップだろう」
ディアナに言われたリサは歯を見せて笑った。
「あーはい。でも今は何より優先すべき時間ですし。明日から本気出します。ほらディアナ様もグラス持って。グラス、行き渡りましたかー?
トヲルやクロウにもワインのグラスが配られた。
「えー今回の事件ではみなさんにも大変な思いをさせてしまいましたし、多くの被害者も出てしまいました。混乱した市政や兵団にも懸案は山積みです。それでも、だからこそ今この時だけは、全力の感謝とお祝いの場にさせてください。よろしいですか? それでは、みなさんの無事と事件の収束を祝して――かんぱーいッ!」
乾杯の声と共に、グラスに満たされたワインが明るい日差しに揺れる。
飄々とした雰囲気を崩さないリサだが、その口から紡がれる言葉は全て彼女の本心であるようだった。
「はいどうぞー、トヲル様。お肉」
リサはそう言ってトヲルに肉の刺さった金串を差し出した。
「リサさんって……俺のこと見えてますよね?」
「え? あーはい。トヲル様は種族〈インヴィジブルフォーク〉でしたよね。姿を消すことができるっていう」
串焼きを振る舞いながらリサは何でもないことのように答えた。
「姿を消すんじゃなくて、姿が見えないんですよ。今もずっと。アイカやディアナは血液とか匂いとかで分かるみたいですけど、クロウとかは全く見えてないですし。目印にアバターを使ってるくらいで」
トヲルは自分の端末から立体映像のアバター――蛸のキャラクターを表示させた。
「お、出た、トヲルの本体」
「だから俺の本体は蛸じゃない」
「あー……なるほど、そういうことですか。あくまで推測ですけど、わたしの特性とトヲル様のIDが干渉し合っているのかも知れませんね」
「干渉? そもそもあんたの特性って何なの」
アイカは肉のグリルにかぶりついている。
「あー、わたしですか。スキャンしてみせましょうか。引かないでくださいね」
と、リサは少しためらった後に自分に端末を向けた。
自動音声が流れる。
「リサ・ゼノテラス。特性〈ソレキョコウエンカツノ
束の間、その場の全員が言葉を失った。
「……は?」
「い、いやいや、そんな顔やめてくださいよ! 故障じゃないんです。なぜかめちゃくちゃ長いんですよわたし、特性の名前が。〈タマユラ〉でチューニングした時も周囲にドン引きされましたから。なので自分では普段は略して特性〈ぬらりひょん〉って呼んでます」
「原形残ってないじゃん」
「わたしは人外種じゃないんですが、もし人外種だったらこんな名前ついたんじゃないかって思うんです。響きが可愛いでしょ、〈ぬらりひょん〉」
どの辺りがどう可愛いのか、トヲルにはいまいち理解できなかった。
「結局、どのような特性なのだ」
「あー、人の認知を阻害するという力ですね。みんなわたしのことが見えているつもりでも、どこにいるかをちゃんと知覚できないんです。その気になれば、わたしの動きを追うこともできないですし、触れることもできない、という感じ」
アイカがリサの動きを予測できなかったり、彼女に剣はおろか銃弾すら命中しなかったりしたのはこの特性によるものだったようだ。
「……敵に回ると厄介な相手みたいね」
「や、やだなー、アイカ様ったら。わたしは敵じゃないじゃないですか。で、トヲル様もきっと似たような性質のIDなんじゃないでしょうか。人の視覚による認知を阻害していて、それがわたしの特性と干渉しちゃってる、とか」
「視覚による認知の阻害……確かにトヲルが身体だけじゃなく身に着けてるものや触れたものまで透明になることの説明にはなるけど……だとしたら、んー……」
と呟いて、アイカは黙り込んでしまった。
まさかこんな形で自分のIDの新しい側面が分かってしまうとは。
透明な身体ではなく、見ることができない身体――?
トヲルは自分の見えない掌を顔の前にかざして、空を透かしてみた。
透明にしか感じられないけれど。
と、そこで空に違和感を覚えた。
視界の端から巨大な物体が高速で近づいて来ているのが見える。
明るい日差しに包まれていた中庭は、たちまちその巨大物体の影に覆われてしまった。
「な――何だあれッ?」
「巨大飛行船……? アイカ、あの表面に描かれたエンブレムは!」
考え込んでいたアイカも、ディアナに言われて空を見上げた。
数百メートルはあるかと思われる
唸るような音を響かせながら、その巨体が上空を通り過ぎていく。
その機体の底部には八つの雲がデザインされたエンブレムが大きく描かれていた。
「……ヤクモ機関のフランケンシュタイン号……? 何でここに」
「あー、言い忘れてました」
リサも上空の巨大飛行船を見上げながら言った。
「事件を受けて、ゼノテラスはヤクモ機関の管理下に置かれることになったんですよね。いやー、すっごい迫力ですねー」
彼女には、まだトヲルたちに語っていない事情がありそうだった。
つづく
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