第21話 敵の提案を退けた俺が、消失の手を相手にかざす話。

 ニコラスに視線を向けたまま、リサがトヲルたちに告げた。

「気を付けてください。死体を操るなんて言ってますけど、あの男の特性はそんなものじゃない」

「……しかし、現に先ほどは首の無い兵士たちを使役していた。今そこにいる兵士たちも、すでに絶命しているだろう」

 と、ディアナが言った。

「操るのは死体ではなく――死、そのものです」

「死、そのもの……?」


「……やれやれ、もう種明かしとはつくづくやりにくい。娘に反抗されるというのはかくも厄介なものなのか」

 ニコラスは苦笑している。

「まあ別に隠す気もないがね、リサ君の言う通りだ。ここで言う死とは、魂と肉体の連携が切れた状態のことを言う。私の特性は魂と肉体の連携を強制的に切断し、抜け殻となった肉体を支配するというものだ。言わば〈ロード・オブ・ザ・デッド〉によるIDの乗っ取りだな。当然、最初から魂の抜けたID――死体であればそのまま支配できる」


 トヲルは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

「強制的に……IDに死をもたらす特性の持ち主ってことか……?」

「そういうことだよ、ウツロミ君。特性を発現させる“トリガー”にしているのがこの銃だ。だから先ほど私の撃った兵士たちは銃弾による外傷ではなく、私の〈ロード・オブ・ザ・デッド〉によって命を失ったことになる」

 確かに、武装した兵士全員があのような小型の拳銃に撃たれて一撃で即死するというのは不自然だった。


「仮に〈ヴァンパイア〉や〈ワーウルフ〉が銃撃を無効化するほどの身体能力を有してたとしよう――実際に有しているのだろうが――、それでも私の攻撃を無効化することなどはできない。私がもたらすものは、死、そのものだからだ。ウラキ君、しくもお互いに似通った特性だな? 君の〈クイーン・オブ・ハート〉は命の象徴たる血を操り、私の〈ロード・オブ・ザ・デッド〉は死を操る」


 アイカはそういうニコラスをにらみつけた。

 血液が流れていない相手を前にするということが彼女の想定を越えているのだろう。青い顔に汗がにじんでいる。

「……一緒に並べんじゃないわよ、気分が悪いッ!」

 アイカは紅いマントを翻らせた。空中に血液でできた槍が浮かび、ニコラスに向かって放たれる。


 槍が彼の右腕を飛ばし、拳銃を握っていた右手ごと地面に落ちた。

「無駄だよ。繰り返すが、私のもともとの特性は〈イモータリティ〉なのだから。しかしスーツが駄目になってしまったのは痛いな。気に入った一着だったのだが」

 ニコラスは落ちた右腕を拾い、傷口に押し当てた。右腕は元通り繋がり、二、三度上下させて見せる。


 ニコラスは再び拳銃を構え、迷うようにその銃口をトヲルたちそれぞれに向けた。

「私を追い詰めたとでも思ったかね。そしてそれが誤りであることも理解できただろうか? ……さて、とはいえここは悩みどころだ。私が敗北することはありえないのだが、それでも人外種を四人も相手にするのはいささか手に余る。それにここにきて人外種にしてHEX適合例となったホーガン君や、不明な部分も多いウツロミ君のIDについてはより深く研究を進めたいという欲求も生まれている。ウツロミ君、どうだろう。私はここで君に選択肢を示すことができるのだが」

 銃口をトヲルに向けて止める。

 ニコラスも、立ち並ぶ死体の感覚を通じでトヲルの姿を認識することができるのだ。


「選択肢……?」

「我々に協力することを前提に、君とホーガン君の処分は見送ろうじゃないか。諸君は兵団の即戦力になると同時に、HEXのさらなる進化に貢献することが大いに期待できる。ここで失うにはいかにも惜しい。まあ惜しいと言えばラガーディア君もウラキ君も同様なのだが、よもやヤクモ機関の工作員を生かしておく訳にはいかないし、ラガーディア君は言わずもがな、処刑が決まっていたからね。やむをえまい」


 トヲルは黙って銃口を見つめた。

「どうした? 君にとっては悪い話ではあるまい」

「断る……」

「本気かね。何が不満だ、これ以上無駄な時間を費やすことなく決着が付くのだぞ」


 理解のできない思考だった。

 トヲルのなかで感情が錯綜して、唇が震えた。言葉が出て来ない。


「トヲル――」

 ディアナの背中で、毛並みに埋もれるようにして寝そべっているクロウが力無く微笑んで言った。

「どうやら全部言葉にしなきゃあの人には伝わんないみたいだねえ」


 それを聞いたトヲルは、小さく唾を飲み込んで言った。

「……ディアナは俺の命を救ってくれた。アイカは俺に前を向く力をくれた。二人は頼りになる仲間だ。そしてクロウは俺の幼馴染で、唯一無二の親友だ。みんな俺にとってはかけがえのない大事な人だ。誰かが残っていればいいというものじゃない……」

「ふむ?」


「あんたは――その大事なみんなを傷つけた! 俺はあんたを許せない! そんなあんたの提案に、誰が乗るものかッ!」


 トヲルの叫びに応えるでもなく、ニコラスは無言で銃を構えていたが、やがてゆるく首を振った。

「……合理的な判断とは言えないね。残念だよ」


 引金が引かれ、乾いた銃声が響いた。


 アイカの紅いマントが広がり、銃弾を弾き飛ばす。

 弾いた部分のマントが、黒く変色して朽ちていく。彼女は変色した部分を切り離し、血液から新しいマントを再生した。

「……あたしの大切な弟子を勝手に勧誘すんな……!」


「冷静になって考えたまえ、いったい諸君に何ができるというのかね。少しばかり私の特性を防ぐことができてもいずれは力尽きるぞ! 私の〈イモータリティ〉を前に、諸君はどこまでも無力なのだ!」

「〈イモータリティ〉ってことはどんだけやっても死なないってことでしょ……望むところよ、完膚なきまで叩き潰した後でも事件の首謀者として拘束できるんだしね!」


 アイカの周囲に血液でできた巨大な槍が無数に浮かんだ。

 一斉に放たれた槍が、ニコラスの前に陣取る兵士たちの死体、そしてニコラス自信の頭、両肩、腹、手足と次々に貫いていく。

 血液でできた足場を空中に駆け上がった彼女は頭上に両手を掲げた。その先に、ひときわ巨大な槍が生み出される。


「串刺しだッ!」


 巨大な槍がニコラスの胸部を貫き、地響きとともに地面を穿うがった。

「……ッ!」

 その大槍の突端へと空から降り立ったアイカが告げる。

「……できるもんなら再生してみなさいよ。何度でも串刺しにしてやるから……!」


 無数の槍で地面に縫い付けられたような状態のニコラス。その顔は槍に貫かれて半分しか表情が見えなかったが、笑っているように見えた。

 銃を握る右腕が再生し、槍の串刺しから逃れて動いた。動いた先にアイカによって槍が放たれる。

 ちょうど自らに銃口を向けるような形で、ニコラスの右腕は再び地面に縫い付けられた。


「……分かった分かった、これはかなわんよ。諸君の意志が強いことは充分に理解した。そろそろ終わりにしようではないか」

 ニコラスの言葉に、リサが答えた。

「あー……もう観念したということですか」


「いいや……? むしろ観念するのは諸君の方だろう。もう全員まとめて死ぬといい」

 ニコラスは串刺しの状態で、なお演説するかのような快活な声で不吉な言葉を吐いた。


「拳銃という“トリガー”がいたずらに諸君にあらがう気持ちをもたせているのかな。発砲できなくなるよう身体を拘束すれば、いかな〈イモータリティ〉と〈ロード・オブ・ザ・デッド〉でもなす術がなくなるとでも? 死を統べる者という存在を、甘く見ないで欲しいものだ。逃れ得ぬ死というものをお見せしよう。諸君と最後まで折り合えなかったこと、本当に残念に思うよ――」

 言い終えるなり、ニコラスは自らに向いた拳銃の引き金が引いた。

 発砲音と共に彼の側頭部がこめかみから吹き飛んだ――。


 ――ように見えた。

 ニコラスの破壊された頭部からあふれ出たのは、夜目にも漆黒の霧のようなものだった。霧はニコラスを包み込むように、球状に広がって行く。


「アイカ様、離れて!」

「……!」

 リサの声に、反射的にアイカがニコラスから距離を取る。

 霧に包まれたアイカの紅い槍は、みるみる黒くくすんで崩れ落ちていった。


 霧の奥からニコラスの声が響いた。

「この一帯を空間ごと死で満たすことにする。銃弾のように防ぐことなどできない絶対的な死だ。どこまで逃げようと無駄だよ。街の広さ程度なら包み込むことなど造作もないからね、きっと追い付いてみせよう」


「街の広さ……って、市民を巻き込むつもりですかッ?」

 ゆっくりと広がって行く黒い霧に、リサは叫んだ。


「やむを得ない事態だよ。手強い人外種たちを相手にしているのだ、大目に見たまえ。不幸にも巻き込まれてしまった市民は気の毒だが、まあ、私の〈ロード・オブ・ザ・デッド〉で怪物と戦う一兵として活躍する場もあるだろう。未来の市民たちの幸福のいしずえとなってくれることを望む。どのような犠牲も無駄にはしない、全ての怪物を駆逐した新たな人の世界を作る、私がその確かな一歩としてみせよう」


「……何と言う狂気だ……」

 ディアナが低く唸った。

 アイカがマントから無数の血球を作り出した。黒い霧に向けて超高速で一気に射出する。が、霧の向こうに飲み込まれ、瞬時にかき消されていった。

「……厄介ね」


 巨大化していく黒い霧の球体に押され、トヲルたちはフロアの端へと追い詰められていく。


「お父様、いくら何でも街ごと巻き込むのはやり過ぎです」

 リサが黒い霧の向こうに見えなくなったニコラスに言った。

「何があなたをそこまでかき立てるのですか」


「……ほう、ここで娘からインタビューされるとは思わなかった。そうだな、いくつかあげられるが――ひとことで言うならば、IDという名の可能性だな。現在の我々は怪物どもの侵略により確かに窮地に追いやられている。もちろん怪物が生まれた原因もIDではあるのだ。しかしそれでもなおIDとは、我々が唯一手にしている希望の光と言うべきなのだよ。そしてその光を前に、怪物の駆逐はなお通過点にしか過ぎない。我々の魂は可能性の果ての果てまで追求して、より良い世界を目指すべきなのだ。そして私にはその責務がある、そう考えているよ」

 語り慣れているのか、霧の向こうからすらすらと回答が返ってきた。


「あーいえ、お父様。IDは人ですよ、ただの」

「……ん?」

「人外種だろうと何だろうと、みんなご飯食べて、眠って、怒ったり泣いたり笑ったり、寂しく感じたり温かく感じたりする、ただの人たちです。可能性だなんて概念なんかではないですし、ましてや実験体や兵器でもない。あなたが今、何の躊躇もなく死をもたらそうとしている、ただの人たちなんですよ」


 霧の向こうのニコラスは黙っている。

「人類の勢力圏の奪還に邁進するあなたの姿は正しいと思います。かつては父親として尊敬もしていたんですよ。けれどHEXに関わるようになってから変わってしまいました。文字通り、HEXは“呪い”ですよ。ついには自らにHEXを移殖したことで命をも失い、人ですらなくなってしまった。……だからでしょうか、そういう簡単なことが分からなくなってきている」


 快活な笑い声をあげるニコラス。

「これはこれは。まるで私が怪物であるかのような言い様ではないかね。だがこの通り、私には人格がある。心臓が止まり、血が流れていないだけだ、そういう種族なのだよ。あまたの可能性のひとつだ。そこにいる人外種の諸君と同じく、トランストという別の可能性が生まれただけだ。そうだろう?」


「そうですね、人格は認められます。ですが、もはやわたしの父のそれではない。これは理屈ではなく、わたしがそう感じるもの――だからこそわたしがケリをつけなくてはならないのです。たとえ死をもって断罪しなくてはならなくても、娘のわたしがそれをなすべきなのです」


 リサは不意にトヲルに振り返り、深く頭を下げた。

「トヲル様……お願いがあります。あなたの力を貸してくれませんか。ここで彼を止めなければ、ここにいるわたしたちだけでなく、多くの罪なき人々が命を落としてしまう。娘として、父親がこれ以上罪を重ねるのを止めたい。ですがわたしには肝心のその力がないのです」


 頭を下げたまま、リサは絞り出すように続けた。

「ごめんなさい、分かっています。ニコラス・ゼノテラスには確かに人格がある。あのような姿になっても、怪物だと言いきれない。わたしはあなたに、人格がある者を手にかけろと言っている。でもどうか助けて欲しい! あなたにしか頼めない、今〈イモータリティ〉である彼を止められるのは、あなたの力しか考えられない!」


 頭を下げたリサ表情は見えない。

 だが彼女の飄々とした雰囲気がすっかり姿を消している。


 咄嗟に応えられずにいたトヲルの肩を、アイカが軽く叩いた。

「……どうやらそういうことみたい。今のあいつにはあたしの攻撃すら通用しない。でもトヲルの〈ザ・ヴォイド〉なら何とかなるかもってこと」

 と、そこで牙を見せて笑う。

「ひと思いにやっちゃってよ。助手のやったことはあたしの責任なんだから細かいことは気にしない」

「そうだな。肝心な時にきみに全てを託すことになったのは口惜しいが、心は常に側にあろう。トヲル、わたしはきみの騎士なのだから」

 ディアナがトヲルの横腹を鼻先でつついた。

「がんばれ、トヲル。悪者退治だよ」

 そのディアナの背中に寝そべったクロウが、あっけらかんとした声音で言う。


 トヲルは小さくうなずいて、黒い霧に向かって一歩踏み出した。

「ありがとう。でも俺は大丈夫だよ、これでも訓練学校で兵士を目指してきたんだ。それに妹のメイを救い出すまで、俺は死ぬ訳にはいかないんだし」


 黒い霧の球体は、加速度的に半径二〇メートルほど近くまで巨大化しており、見上げるばかりの大きさになっている。このまま巨大化すれば、球体はやがて地上に届いて街の人々を巻き込んでしまうだろう。


「――俺はやる」


 霧の向こうからニコラスの哄笑が聞こえてきた。

「そうかそうか、やはり最終的に私の前に立ちはだかるのはウツロミ君、やはり君なのだな。よかろう、来たまえ! 私の〈イモータリティ〉と君の〈ザ・ヴォイド〉、どちらが勝るだろうか、試してみようではないかッ!」


 黒い球体の前で大きく両手を広げて立った。

 可視化された死が圧力をもってゆっくりと眼前に迫る。

 吹き付けてくるのは、夜風か、それとも死の気配か。


 トヲルは静かに息を吸うと、自らの特性の名を口にした。

「〈ザ・ヴォイド〉」



つづく

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