何の取り柄もない透明人間の俺が、妹を救いに行く話。〜〈ザ・ヴォイド〉=消失の能力に目覚めたので、あらゆる障害を消失させて世界ごと妹を救うことにする〜
第19話 吸血鬼と共闘した俺が、天魔の涙に触れる話。
第19話 吸血鬼と共闘した俺が、天魔の涙に触れる話。
クロウの放った熱線によって崩れた天井や壁の上を、アイカは身軽に越えて行く。
その彼女を追いかけるトヲル。
「HEXは適合してるって、ニコラスは言っていた。クロウはまだ人格残してるよな? 怪物になってないよな?」
アイカは空中で頭を抱えているクロウを見上げた。
「あの苦しんでいる様子からすれば、恐らくはね。でも自分の特性を制御できてないし、苦痛それ自体が人格を崩壊させかねない。あんまりのんびり構えてらんないよ。トヲルはあのコに声をかけたげて」
トヲルは小さくうなずく。
「クロウッ! 俺だ、トヲルだ!」
「ト――ヲル――」
舞い踊る無数の羽毛の向こうで、クロウの白く輝く両眼が少し揺らいだ。
少しでも彼女に近づこうと、トヲルは崩れた壁の先端によじ登った。
「ごめん、遅くなった! 来たよ!」
「その声、トヲル……ホント……遅いんだからなあ」
クロウの顔に表情が戻ったが、目はトヲルの方を向かなかった。
「ぼくを置いてどこかに行っちゃうなんてひどいや。でも最後に会えてよかったよ。だましてごめんね。あの兵士が悪い人だって分かってたけど、きみの首に爆発するマーカーが巻かれてるって聞かされてさ、断れなかったんだ」
実際には呼び出された後にマーカーを着けるはめになったのだが、ジェフリーはその事実を曖昧にしてクロウに伝えていたのだ。
「謝るな、別にだまされてなんかないよ。俺たちは君を助けに来たんだから! だから最後とか言うな!」
虚空を見つめるクロウの顔が泣き笑いのように歪んだ。
「あの……ね、トヲル。ぼくは……もうダメ……っぽい。何かもう……まともに……ものを考えられない――」
彼女の両目が急激に光の強さを増す。
夜空を切り裂くように放たれた鋭い光線が、彼女の首の動きに合わせてフロアを薙ぎ払っていく。
トヲルの身体をマントで包んで跳躍するアイカ。先ほどまでトヲルが立っていた瓦礫の先端が熱で溶け落ちていた。
アイカは空中に血でできた足場を作り、とんとんと足場を渡りながらクロウとの距離を測っている。
「まずいわね、ぎりぎりで意識を保ってるって感じ。あの首に付いてるHEXを壊せば元に戻るかな?」
「ジェフリーの暴走はHEXを破壊することで止まったけど、そのまま崩壊した。クロウに同じことして、何かあったら……」
「的も小さすぎるわね。何より――」
アイカは大きく跳んで、クロウの熱線を避けた。跳んだ先に作った足場に着地する。
「無意識に動くものを攻撃してんのかしら、近づくのすら難しそう」
「君の血が付いた相手の血流は操れるんだろう? クロウの血流を操って無力化することはできないの? ほら兵士にやってみせた、ブラックアウトだっけ」
「さっきからやってみようと血を飛ばしてはいるんだけど、どうも防がれてるっぽい」
「防がれてる?」
「あのコの周りでたくさん舞ってる羽根よ。あれが邪魔してあのコに飛ばした血が届かないの。多分、あの羽根の射程に入ったものに自動的に反応するようになってんのね。今のあのコは攻撃力だけじゃなく防御力も高いってこと」
確かに羽毛は地面に落ちることなく彼女を取り囲むように舞っている。
クロウの両眼から熱線がほとばしる。段々“チャージ”時間が短くなってきている気がする。
空中の足場を移動するアイカのマントにつかまったまま、トヲルはクロウの動きを見つめた。熱線を放つ時だけ、彼女を取り囲む羽毛は翼の辺りに移動してるようだ。
そう言うと、アイカは顎先に手を当てて考え込んだ。
「熱線を放つと、羽根の盾が無くなる……か」
二人はクロウの背後に回っている。長い黒髪が揺れ、クロウのうなじ部分が覗いた。
HEXが、赤く点滅しているのが見える。
「あ、アイカ! HEXの色が!」
「色? ……青じゃなくなったね」
「ジェフリーが暴走した時と同じだ……あの後、彼は怪物に!」
「そう」
アイカは口を引き結んで空中で足を止めた。
「これ以上、様子見は難しそうね……思い切って決めるしかない。トヲル、あたしを信じられる?」
突然の問いかけに面食らいつつも、トヲルは答えた。
「何を今さら……当たり前だろ」
「うん、あたしもあんたを信じるし、あたしはあたしを信じる。あんたも、あんたを信じなさい」
クロウがゆっくりとこちらを振り返る。
「あんたの〈ザ・ヴォイド〉でHEXを消失させるのよ。あのコのIDにダメージを残さずに暴走を止めるとしたら、やっぱりそれしか思い付かない」
HEXは肉体ではなく魂に作用する装置だとニコラスが言っていた。それができれば確かにアイカの言う通りかも知れないが――。
「大丈夫よ、さっきあたしのマーカーも外せたでしょ?」
「ま、マーカーとは訳が違うよ。HEXはクロウの首に移殖されてるんだ。どれだけレンジを小さく見積もっても、首の部分を巻き込んでしまう」
「違う、今までみたいに球状の空間を消すんじゃなくて、HEXの
「そんなこと……」
「あたしはできる――と、思う。それにあまり迷ってもらんない。あたしには彼女の鼓動が聞こえる。HEXの所為でしょうね、とんでもないスピードで心臓が動いてる。色んな意味でそろそろあのコは限界よ」
トヲルは両眼から白く光を放ち始めるクロウに向けていた視線を、自分の透明な掌に落とした。
掌を強く握る。
「……分かった、やる。でも距離が気になる。少しでも精度を上げるために、少なくとも特訓で使った宿の部屋の広さくらいには近付きたい」
「そうね。それにあの周囲を守っている羽根を何とかするためには、クロウには熱線を放ってもらう必要がある」
アイカは紅いマントを翻らせた。クロウのいる場所に向けて、点々と小さな足場が血液によって空中に作られていく。
「あたしが熱線の盾になって正面からぎりぎりまで接近する。あんたはその隙にHEXを消す。簡単でしょ。言っとくけど、文句は――」
「……信じるよ」
アイカ本人の口から、熱線を直接受け止めるのは無理、という言葉が出たのを聞いたばかりだ。
それでもトヲルは反対しなかった。
アイカは牙を見せて笑顔になる。
「よし。じゃあ行くよ」
アイカが空中の足場に向かって足を踏み出す。トヲルは彼を包み込むように広がるマントにつかまって身体を支える。
クロウの目がまばゆいばかりに輝き、強い閃光となって辺りを照らした。
熱線。
マントで受け止めるとばかり思っていたが、彼女はトヲルを包む部分以外のマントを霧散させた。アイカの周囲に、濃く紅い霧が漂う。
紅い霧の中を直進する光線を、アイカは両手を広げて、その掌で受け止めた。
「うあああああ――ッ!」
両手で熱線を受け止めたまま、クロウに向かって突進する。
「行ッけええええ、トヲルッ!」
残ったマントが、トヲルを軽々と放り投げる。
トヲルの身体はクロウの頭上に舞った。
落下する。
「……助ける。クロウを、助ける!」
視界の先には、クロウのうなじ部分で赤く光るHEX。
歯を食いしばり、その赤い光に向かって右手をかざした。
「〈ザ・――ヴォイド〉オオオオオ――ッ!」
きいいん、と硬質な音が耳の奥で鳴った。
*
トヲルは空中でクロウの身体をつかんだが、彼女はトヲルもろとも落下し始めた。六枚あったクロウの白い翼がばらばらと夜空に舞い散っていく。
眼下に崩れた天井や壁の瓦礫が迫る。
「……ッ!」
次の瞬間、視界の端に銀色に輝く光がよぎって、トヲルは何やらふかふかしたものに包まれた。
そのまま着地に至り、トヲルとクロウは静かに地面に下ろされる。
「……え?」
目の前にいる銀色に輝く光は、一頭の巨大な狼だった。
月の光を受けて揺れる、柔らかそうな銀の毛並み。
紫色の怜悧な瞳が、優し気にトヲルを見下ろしていた。
「トヲル! クロウはッ?」
突然現れた狼の美麗な姿に思わず呆気に取られていたトヲルだったが、空から降りてきたアイカの声に我に返った。
見るとクロウのうなじから、HEXが跡形もなく消え失せている。褐色の柔肌にも、傷らしい傷は残っていない。気を失っているものの、クロウの呼吸は穏やかだった。
色は白いままだが、背中の翼も元の一対二枚に戻っている。
「消えてる……成功……したのか?」
アイカも近寄ってクロウの首元に触れ、ほっとしたように小さく息を漏らした。
「血流も一気に安定してる。傷ついた血管も無さそう。後はこのうっとうしいマーカーだけって感じね」
「そうか……そうか」
思わず力が抜けた。トヲルの口からもため息が漏れ出た。
アイカはそこでかたわらにたたずむ巨大な銀狼に目を向ける。
「ていうかあんたたちを空中で受け止めたこの狼って……ひょっとしてまさか……でぃ、ディアナってワケじゃ……」
狼は当然のようにうなずいた。
「ああ、わたしだ。遅くなってすまない」
「しかもそれで喋れんのッ?」
「無論、〈ワーウルフ〉だからな」
「どうなってんのあんた、何これ、凄い、もふもふじゃん! ひゃあ、もふもふ!」
もふもふと連呼しながら、アイカは狼の首元をまさぐり始めた。
「や、やめろやめろ、くすぐったい!」
「君の言ってた“リセット”って……こういうこと?」
「あ、ああ。この通り力の反動で人の姿を保てなくなる。獣としての身体能力は得られるが、剣術を使えなくなるのでやはり戦闘力は著しく下がるな」
アイカから逃れようとしながら狼のディアナは答えた。
胸と腰のアンダーウェアだけ残して装備が全て外れている。彼女の簡素な鎧は、獣化で肉体が変化した時に勝手に外れるようにするためのものだったらしい。
「それにしてもアイカ、ディアナをなでまくってるけどその手は平気なの? まさか熱線を素手で受け止める無茶するとは思ってなかった」
「別に無茶じゃないよ。見た感じこのコの放つ熱線は、指向性のエネルギー光線――軌道上の大気に漂う粒子が多ければ拡散して威力が落ちるはず。マントで受け止めるより高密度の霧の方がマシかと思ったワケ。どこまで威力を落とせるかは、まあ賭けだったけど」
ディアナをなでさする手を止めたアイカは自分の掌を見た。
「一応、血を手袋にしてコーティングしてたし。ちょっと火傷したかな?」
やっぱりこの〈ヴァンパイア〉は何でもありだ。
「ディアナも無事で良かった。それで、一階にいた兵士たちは……」
「ああ、そのことだが――」
ディアナが語りかけた時、トヲルが身体を支えていたクロウが小さく呻き声をあげた。
「クロウ! 気がついたか」
「……トヲル……」
弱々しく目を開いたクロウは、トヲルの声の方に顔を向けた。左目は以前の黒色に戻っているが、右目にはまだ白い光がかすかに揺れていた。
探るように片手を伸ばすクロウの手をトヲルが握ると、力無く笑みを見せる。
「ここにいたのか……また会えたねえ、トヲル」
そう言うなり、彼女はトヲルの首元にしがみ付いた。その目からぼろぼろと涙が流れ落ちた。
「良かったよ。もうダメかと思ったよ。良かったよお……」
トヲルは肩を濡らす熱い涙を感じて、下唇を噛んだ。クロウの背中にそっと手を回す。
「……ごめんな、クロウ」
何もかも嫌になって、訓練学校からも、ゼノテラスからも逃げ出した夜。
都市の外で出会ったアイカは、逃げ出した自分を情けないと卑下するトヲルに言った。
――あんたが嫌になってあんたが捨てたもんだったんなら、それがあんたのリアルでしょ。全く情けなくもないし、てか普通じゃない?
普通。
それは透明人間なだけでその他の能力が凡庸なトヲルにとって、決していい印象の単語ではなかったはずだが、その時はとても心地よく響いたことを覚えている。
前を向く気になれた。
それでも――。
クロウの小刻みに震える細い背中に触れて、トヲルは心の底から思い知った。
それでも、クロウに黙って学校を捨てたことだけは、間違いだった。
無理にでも彼女に会っておくべきだった。透明人間のトヲルには決して難しいことではなかったのだから。
きっと、心のどこかにクロウに対する嫉妬心があったのだ。
学校の首席で特別視されている彼女と、いないものとして扱われていた自分の間に、自分で気づかないうちに壁を作ってしまっていたのだ。
――同じ人外種のきみが学園にいるのは心強いんだよ。
クロウははっきりと、そう言ってくれていたのに。
「本当にごめんな……黙って出て行くなんて、君への裏切りだよな。心細い思いさせて、怖い思いさせて、きつい思いまでさせて、悪かった……」
クロウは小さく首を振る。
「……いいよ、許す。だってきみは、ちゃんとぼくを助けに来てくれたじゃないか。必ず来てってお願い、聞いてくれたじゃないか……最後にきみを信じることができて良かった。トヲル――」
彼女はほとんど泣き声のような声をあげる。
「ありがとうねえ……ッ!」
トヲルは歯を食いしばって涙をこらえ、何度もうなずいた。
熱線がもたらした熱気と砂塵を、穏やかな夜風が辺りから吹き払っていく。
泣きじゃくるクロウを抱き支えるトヲルの姿を眺めながら、アイカは優しく微笑んだ。隣のディアナの毛並みを指で梳く。ディアナも今度は嫌がらずに、二人に向けた目を静かに細めるのだった。
つづく
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