第16話 人狼と共闘した俺が、更なる敵と対峙する話。

 砂の巨人、怪物サンドフォークは本会議場の床、机や椅子、調度品を砂の中に取り込みながらさらに巨大化してゆく。


 トヲルはその姿を見上げながらつぶやいた。

「……本当にHEXで怪物になるなんて」


 ディアナは両手剣を顔の横に構える。

「やむを得ない。ここはゼノテラス中心街のさらに中心地だ。こんな場所で怪物が暴れ出したらその被害は計り知れない。この場で制圧しなければ――」


 砂の浸食は壁側にも至り、クロウが映し出されていた大型ヴィジョンも飲み込まれた。

 膨張し続けるその巨体は本会議場の天井を覆いつくす。

 天窓から差し込んでいた月の光も遮られてしまった。


 大きく広げられた腕の一部が鋭い槍の形になってディアナ目がけて勢いよく伸びる。

 彼女は跳びすさりながら剣で砂の槍を軽々と切り裂いた。


「〈サンドブラスト〉の砂塵化能力は剣撃には及ばないようだな。斬ることはできる……だが――」

 切り裂かれた槍は砂に戻って霧散し、サンドフォークの身体へと取り込まれていく。

「攻撃として効果があるどうかは、疑わしいところか」


 今度はディアナの背後から砂の槍が迫る。

「〈ザ・ヴォイド〉!」

 トヲルが手をかざすと、槍の先端が消失し、残った部分は霧散した。


「消失させれば飛び散った砂が再び取り込まれることを防げるかもしれない。けれどこんなんじゃ焼石に水だ。今もこの場所の床や壁を砂に変えて取り込み続けてるみたいだし」


 巨大な斧のような形に姿を変えた砂が、二人のいる場所を横薙ぎにする。

 正面から踏み込んだディアナの剣がそれを砕いたが、砕かれた斧はやはり砂に戻って霧散する。

 さらに真上から振り下ろされる大槌のような巨大な砂の塊。

 トヲルは手をかざし、その砂の塊ごと消失させた。

「キリが無い!」


 砂の巨人は、ドーム状になって二人の居場所を取り囲んでいた。

 四方八方からサンドフォークの身体の一部が触手のように伸びて二人に襲いかかる。


 ディアナとトヲルは背中合わせに立ち、互いの死角を補いながら武器と化した砂の塊の攻撃を防いだ。


 アイカの戦力があれば状況は全く変わって来るだろう。しかし今なお彼女が姿を現す気配はなく、通信からの応答もない。


「アイカ……!」

 トヲルの口から彼女の名がこぼれた。

「気持ちは分かるが、目の前の敵に集中するのだ、トヲル。今はこの砂男を片付けてから確かめるしかない!」


 ディアナに視線を向ける。

 彼女は次々に迫る砂の塊を瞬く間に斬り砕いていくが、月の光を浴びて淡く光を放っていた彼女の瞳と髪が、少し輝きを落として見えた。

 サンドフォークによって月光が遮られている為だろう。


「その……ディアナ、君の“リセット”って――」

 ディアナが正面の砂の塊を斬り飛ばし、トヲルがその背後に迫る触手を消失させる。

「……この調子で動き続ければ、もってあと一時間といった所だ。相手の攻撃を避けること自体は難しくないが、このまま闇雲に戦っていては先にこちらが力尽きてしまう。何か急所のようなものが分かればいいのだが……!」


 急所――。


「……HEX」

「何?」

 トヲルはジェフリーが怪物に変じる前、彼のうなじの辺りが赤く明滅していたことを思い出していた。あの光の点滅が彼の暴走と無関係だとは思えない。


 もちろんあの赤い光がHEXとは言い切れないし、そもそもHEXがどのような形状の装置なのかも分からないが――。


「ジェフリーが暴走した時、赤い光の点滅が見えた。もしその光を放っていたのがHEXで、この暴走がHEXによるものだとしたら……」

「それを破壊すれば活路は見える、か……? 試してみる価値はあるな」


 ディアナはサンドフォークの巨体に目を凝らした。

 月の光が遮られた暗闇であるだけでなく、周囲には砂嵐のように砂塵が吹き荒れていて視界はほぼゼロに等しい。

 しかし砂嵐の向こう側――サンドフォークの頭の下辺りに、かすかに点滅している赤い光点が見えた。


「あそこだ! トヲル、援護を頼む」

「〈ザ・ヴォイド〉ッ!」

 七、八メートルほど斜め上方。 

 ディアナの指し示す方向へトヲルは両手をかざす。


 巨大な空間から砂塵が消失し、束の間、赤い光点までの視界がクリアになった。

 次の瞬間、銀色の光線が奔り、ディアナの立っていた場所が亀裂と共に陥没する。

 銀色の剣閃は真っ直ぐに目標の赤い光点を捉え、正確に斬り裂いていた。


 触手のように伸びる砂、巻き上がる砂塵の動きがそこで止まる。


 大きく跳躍して空中に舞っていたディアナが銀色の光の残像を引きながら着地した。

 次いで土砂降りのような音を立てて辺りに砂が降り落ち始める。


「一瞬で……改めて凄い力だな、ディアナの〈ルナ=ルナシー〉は」

「狙いは正解……ということで良かったのだろうか」


 降り注ぐ砂の雨を片手で避けながら、ディアナはトヲルの元へ歩み寄って来た。

 濛々と舞う砂埃を透かして、再び天窓から月光が差し始める。


「見てくれ、わたしの剣が斬ったのはこれだ」

 ディアナの掌に、直径三センチほどの装置が載っているのが見えた。


 黒曜石のようなツヤのある黒いパネル。

 形は六角形をしていたようだが、斬撃を受けて一部が砕け、変形している。パネルの裏側から細かい端子のようなものが無数に伸びていた。端子部分は血液で汚れている。


「インプラント――のように見えるね。こんなものがジェフリーのうなじ辺りに埋め込まれていたのか」

「結果的にこれが怪物の急所だったと見て良さそうだが……つまりHEXとはこのようにIDに移殖されることで機能する装置、ということか」

「これがHEXだと断定はできないけど、可能性は高いと思う」

「アイカに見せれば……もう少し何か分かるかも知れないな」


 そうだ。

 アイカから依然応答が無いままだ。トヲルは表示させっ放しだったアバターを消し、改めて端末に呼び掛ける。


「アイカ! 聞こえるか、応答してくれ」

 端末から反応はない。


「本人は状況が動いたら合流すると言っていたし、何か彼女の身に不測の事態が起きているかも知れない……別行動という話だったが、ここは探しに行くべきだな」

「そうだね……ん?」


 イヤホンに注意を向けていたトヲルの耳に、何か軋むような音が入った。


 通信の音声――ではない。

 見回すと、天井の辺りが不自然に傾いていた。


 壁まで飲み込んでいたサンドフォークの浸食は、本会議場を構造から破壊していたようだ。

「ディ、ディアナ! 何だかここはまずい! 急ごう!」

「あ、ああ」


 天井が軋む不気味な音が次第に大きくなる。

 トヲルはディアナの手を取って入口に向かった。入口は、ジェフリーが投げ付けたマーカーが爆発して出来た瓦礫で塞がれている。


「〈ザ・――ヴォイド〉ォッ!」

 片手でディアナの手を引きつつ、もう片手を瓦礫にかざした。

 外に続く穴が目の前に広がる。


 背後から迫る議場の天井が崩れ落ちる音。


 トヲルの〈ザ・ヴォイド〉によって空けられた穴を二人が転がるように通り抜けると同時に、地響きと共に崩れ落ちてきた瓦礫で穴が塞がった。


 砂混じりの粉塵が穴から噴き出て来る。

「……ッ!」


 暗い議場前ホールにたたずみ、トヲルとディアナは思わず顔を見合わせた。

「……お、思ったよりギリギリだったな」

「うむ……きみの〈ザ・ヴォイド〉が無かったら危なかったかも知れない」

 ディアナは小さく息を吐くと、両手剣を背中のホルダーに戻した。



 ぱち、ぱち、ぱち……。


 暗い空間に、不意に手を叩く乾いた音がした。

 議場前ホールの上方に中二階が設えられており、そこに複数の人影があった。


 拍手しているのはそのなかのひとりだ。

「誰だ!」

 ディアナは背中の大剣に手を伸ばす。


 拍手をしていた人影が降参するように両手を挙げ、よく通る声で言った。

「失礼、あまりに見事な手際だったものでね。挨拶と賞賛が前後してしまった」


 傍らに立つ人影がランタンを灯し、声の主に向けた。

 照らし出されたその人物は、スリーピースのスーツを着こなした男――。


「初めまして、こんばんは。市長のニコラス・ゼノテラスだ」


「ゼノテラス市長……!」

 ゼノテラス城塞都市市長にしてゼノテラス財団理事長――ニコラスは端正な顔に微笑を浮かべて言った。


「まずは、感謝を。かのジェフリー・デミトラの暴走を即時に制圧してくれたこと、大いに助けられた。非常事態に備え隣の兵団本部では即応部隊を待機させていたのだが、出動の手間が省けた。まあ本会議場は潰れてしまったが、状況と比較して最小限の被害だったと評価できる。いや、ありがとう。さすがは銀騎士の呼び声高い元中隊長、ディアナ・ラガーディア君だ」


 悪びれもせずそう語るニコラスの様子に、トヲルは軽い混乱を覚えた。

 このように平然と姿を見せるとは、この男が黒幕ではなかったのか。


 いや――。

 小さく首を振った。

 こんな時間にこんな場所にいる時点で、全てを知ったうえでの行動であることは間違いない。


 ニコラスは演説をするかのように言葉を続けた。

「君達の会話はずっと聞いていたのだがね、実際デミトラ君の指摘も正鵠(せいこく)を得ているのだ。〈HEX計画〉のことだよ。本人の同意もなく中隊規模の兵士達を計画の試験運用に利用したのはいかにも性急だった。結果的にデミトラ君しか適合しなかった訳だが、計画を進めた我々のことを、彼のように脅迫しようと考える者が出て来ても不自然ではない。結果を求める余りの勇み足と言うべきもので、現場を責められはしないのだがね。試験運用によって得られた膨大な知見が計画を大幅に前進させたのも事実だ。とはいえ、愚策だったことは否定しようもない。巻き込んですまなかったね、ラガーディア君」

「ど……ッ、どの口が言うッ!」


 ディアナの声が聞こえていないかのようにニコラスは表情を崩さない。

「だが、これでひとまずは片が付いた。計画は最終段階へと至り、HEXはより洗練された成果物として形となった。増長するデミトラ君の存在が懸念事項として残るばかりだったのだ。本人は我々の弱みを握って兵団を意のままにしているつもりだったのかも知れんが、まあ……歯車に噛みこまれた砂粒は取り除くしかない。彼ももう少し身の振り方を考えていれば、怪物とならずとも済んでいたかも知れないものを……」


 まさか。

 トヲルは思わず叫んだ。

「か、彼が怪物と化したのは、あんたの差し金か!」


「おっと……驚いた、そこにいたのだね。なるほど、君がトヲル・ウツロミ君か、透明人間の。今の質問については、おおむね肯定しよう。デミトラ君は計画の懸念事項で、対処すべき問題として早い段階から処分することは決定していた。だが狙って怪物にしようとした訳ではないよ。どの道、処分するのであればHEXの知見を少しでも増やしておくに越したことはないと考えた。HEXを活性化させることで一般的なIDは劇的に変化し、トランストとして種族名と共に新しい特性を得ることができる。では、トランストのHEXをもう一度活性化させるとどうなるか――気になるだろう? 何しろ適合者は彼しかいなかったものだから、試したことが無かったのだ」

 ニコラスは両手を広げて言う。

「結果、ああなった」


 ディアナが背中の剣の柄を抜き放つ。

「そんな興味本位で人の人格を奪ったと言うのか……! それが人の上に立つ者のやることか!」


 ニコラスは微笑を浮かべたまま言う。

「無論だ。私には彼岸の怪物を駆逐し、人の生存圏を取り戻すという使命がある。他ならぬ城塞都市ゼノテラス市長としての使命だ。HEXの完成はその使命に向けた大いなる躍進となるだろう」


 その表情は、メディアで演説する時と変わらない。彼の言葉と、彼の思想と、彼の行動は、彼のなかで何ら矛盾を生じていないのだ。


「興味本位などというそしりは正直心外だが、私のことはどう思おうと構わない。価値観は人それぞれだ、無理にすり合わせようとするなど時間の浪費だからね。それより諸君の扱いについて話そうじゃないか。先ほど私が諸君に感謝を伝えたのは全くの本心だ。だが悲しいかな、部外者として計画にここまで踏み込んだ者を野放しにしては置けないし、それでなくてもラガーディア君は軍法会議で処刑が決まっている身の上だ。悪く思わないでくれたまえ、〈HEX計画〉はその暗部が部隊壊滅事件という悲劇に置き換えられることにより、生まれ変わった無謬むびゅうの姿で改めて人々に周知される。人外種の特性を安全かつ計画的に付与することができるHEXと、HEXを備えたトランストによる部隊は、彼岸に巣くう怪物どもを殲滅する大いなる力となり、輝かしい未来を示す福音として人々に希望をもたらすことだろう。だから――」

 ニコラスは片手を胸に添え、痛ましそうに眼を伏せた。

「邪魔者は消えてくれたまえ」


 ランタンの光が消え、視界が暗転した。

 トヲルは暗闇に目が慣れないままだったが、ディアナは何かを気取ったらしく、彼の肩にそっと手を触れた。


 次の瞬間、議場前ホールと正面入り口に繋がる廊下の照明が一斉に灯された。

 ニコラスの姿は既にない。

 代わりに中二階を含めたトヲル達の周囲は武装した兵士達で埋め尽くされていた。


「……ッ!」

 ランタンの小さな灯でははっきりしなかったが、明るい照明の下で見れば普通の兵士達でないことはすぐ分かる。


 首から上が、無い。


 それなのに動いて武器を構え、包囲の輪を狭めて来る。

 ディアナの喉の奥から呻き声が挙がった。

「壊滅したわたしの中隊だ……!」

「え……」

「死亡した兵士達はみな身体の一部を欠損していた、と以前伝えたな」

 彼女は蒼白な顔で両手剣を構える。


「……つまり、首のことだ」



つづく

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