第15話 事件の真相を聞いた俺が、人狼の真の姿を見る話。

 ジェフリーをスキャンした端末が、彼の固有IDを告げる。

 特性〈サンドブラスト〉、種族〈サンドフォーク〉――。


「じ……人外種だとッ!?」

 ディアナが叫んだ。

「トランスト、だ。一緒にすんじゃねえ」

 即座にジェフリーが言い返す。


「トランスト……?」

「IDのバージョンアップだと言っただろうが。正式な名称があるんだよ。選ばれた者だけが成し遂げることのできた進化だ。無秩序に湧いてくるてめえらバケモン共とはハナッから別物ってことだ」


 進化。

 ジェフリーは人外種ではなかったはずだ。

 それが今、〈サンドフォーク〉という種族名を宣言された。固有IDが完全に変異しているということだ。


「それが証拠に、触れたものを砂に変える特性と触れた相手を眠らせる特性は自由に切り替えられる。あそこのカラス女が眠ってんのも同じくオレの特性によるものだ」


 ジェフリーは親指で背後の大型ビジョンを示した。画面には依然としてクロウのぐったりと横たわる姿が映し出されている。


 トヲル自身もジェフリーによって眠らされた後、懲罰房に閉じ込められている。

 そこで兵団本部の地下廊下で石壁が砕かれて床が砂まみれになっていたことを思い出した。

 ジェフリーの話が本当なら、あの地下廊下も恐らく彼の能力によるものだったのだ。


 まさしく、固有IDの再構成だ。

 疑いようもない――。

「HEX……それが、HEXなのか……!」

 トヲルが呻くように発した言葉に、ジェフリーはわずかに片眉を動かした。


 煙草を吸い、細く煙を吐き出す。

「……そのコードネームを知ってんのか。兵団本部のSF管理室も荒されちゃあいたが、まさかデータセンターの端末に侵入を許した程度でそこまで嗅ぎつけやがるとはな。よっぽどの技術者を抱えてるらしい」


 彼の昏い目付きが鋭くなった。

「今さら言い訳は通じねえぞ、ガキ。吐けよ、てめえ誰に飼われてやがる? 今度は眠らせる代わりに、手足……いや、指を一本ずつ砂にしてやるよ。高速で磨り潰されるようなもんだ、訓練積んだ兵士ですら痛みで絶叫するぜ」

 ジェフリーはゆっくりと一歩を踏み出した。

 トヲルは思わず後ずさる。


「……部隊壊滅の被害者となった兵士達の身体の一部が欠損していたのもきみの特性によるものか。欠損ではなく、砂に変えられたことで地面に紛れてしまったのだな」

 ディアナはジェフリーに立ち向かうようにその場を動かなかった。

「酷いことを……!」


「言っとくが、あの中隊の処分は計画の既定路線だ。中隊全員が計画の被験者として選ばれた訳だが、HEXに適合したのはオレだけだった。他の連中はできそこないだったんだよ。遅かれ早かれ、連中はHEXのもたらす変異によって肉体か精神のどちらかが崩壊するのを待つだけの状態でな。処分役をオレが買って出たに過ぎねえ。眠らせて、砂にするだけの作業だ。適役だわな。まあもっとも――」


 ジェフリーは口の端を歪めた。

「オレも自分が被験者だったと知らされたのはHEX適合の結果が出た後だったがな。勝手に人のことを実験材料にしやがるクソ以下の計画だが……結果的にHEXに適合して計画の全容を知らされたからには、その立場は存分に利用させてもらうことにした。兵団も頭が悪いぜ、こんな後ろ暗え計画なんざ進めたもんだから今や誰もオレに意見できやしねえ。兵団がオレのものになるのも時間の問題だな」


 確かにこのことがおおやけになれば、兵士や市民の兵団に対する信頼は失墜する。

 兵団にとって〈HEX計画〉の実態は徹底的に秘匿されなければならない事実であり、ジェフリーはその弱みにつけ込んだ。ディアナの処刑が異様に早く決まったのも、そんなジェフリーの思惑が通ったものに違いない。


 ジェフリーはディアナから数メートルほど離れた場所で足を止めた。

「どけ、ディアナ。てめえにはもう処刑でくたばるぐらいの利用価値しかねえんだ、今さら邪魔立てすんな」


 ディアナはおもむろに背中のホルダーから両手剣を抜くと、床に突き刺した。

 柄に両手を置き、仁王立ちになる。

「そうはいかない。トヲルはわたしが守らねばならないからな」


「あア?」

「あの時……中隊が壊滅したなかわたしだけが生き延び、訳が分からないまま処刑を受け入れる気分になりかけていたのも事実だ。トヲルはわたしをそこから引きずり出し、救ってくれた。その恩義に報いることこそがわたしの使命なのだ」


 トヲルは月の光をまとって立つ彼女の背を黙って見つめた。


「……おいおい、いつまで騎士ごっこを続けてる? この期におよんでまだ銀騎士なんて二つ名にこだわってやがるのか。お前はもう兵士ですらねえんだぞ」


「そうだな……銀騎士という呼び名を自ら名乗ったことはないが、わたしのこの力は全てトヲルの為にあると誓いを立てた。その誓いのもとに剣を取ることを、あるいは騎士の矜持と呼んでもいいのかも知れない。確かに、わたしはもう兵士ではない――」

 ディアナは、そう言って口元に笑みを浮かべた。


「ディアナ・ラガーディアは、騎士だ」


 ジェフリーは表情を奇妙に歪めたまま、動きを止めている。

 やがて小さく笑い声を挙げて言った。

「……ふざけやがって。処刑を待ちきれねえって言うなら、望み通り今ここでお前の首を吹っ飛ばしてやるよ。くたばるのが多少早まるだけだ。処刑執行の発表時期を適当に操作すればいいだけだしな」


「……やってみるがいい」

「何だと?」


 彼女の銀髪がゆらりと月の光を受けて揺らめいた。

「忘れた訳ではないだろう? わたしの特性〈ルナ=ルナシー〉のこと。迂闊だよ、ジェフリー。わたしを待ち受ける場所にこのような月の光が降り注ぐ空間を選ぶなんてな」


「忘れてねえよ。だがその程度でオレの優位性が揺らぐか? お前こそ首に巻かれたマーカーを忘れんな。オレの指先ひとつでそいつは爆発するんだぜ。お前の特性は月の光を浴びたら身体能力が向上するんだったか。いくら動きが良くなろうと、この状況で何ができるよ。そこから一歩たりとも動けやしねえだろうが」


「少し違う」

 ディアナは目を伏せ、静かに告げた。

「何が」

「月の光を浴びたら身体能力が向上する、ではなく、月の光を浴びると身体能力が向上する、だ。月の光を浴びている間ずっと、わたしの身体能力は向上し続けているのだ。無論、こうして話をしている間も、ずっとな。そしてその身体能力の向上に限界が存在しない。わたしの特性とはそういうものなのだ」


「……限界が存在しない、だと? ありえねえだろ」

 ディアナは自らの能力をワイングラスに注がれたワインで例えたが、ワイングラスのサイズには言及しなかった。

 もし、グラスのサイズが果てしなく巨大だったとしたら――。


「〈ルナ=ルナシー〉とは、すなわち月狂(げっきょう)。だが部隊壊滅事件における報道のされ方はあきらかな誤解だ。月下、狂気に陥るのは特性をもつわたしではなく、わたしと対峙した者の方だからな。人は――特性を発現したわたしの絶対的な力を前に、絶望と恐怖に狂うのだよ。ジェフリー、きみは真の〈ルナ=ルナシー〉を目の当たりにして、正気を保っていられる自信があるか?」

 ディアナの淡々とした声音に、それでもジェフリーは気圧された風に半歩後ろに下がった。


 その下がった自分の足に腹を立てたように、彼は歯を噛み鳴らす。咥えた煙草がねじれた。

「それがどうした! オレが軽く指を動かすだけでお前の首は飛ぶ。どれだけ身体能力が上がってた所で、止められるはずがねえッ!」


「きみの過ちは、人質を取ってマーカーを装着させるだけでわたしを制御できると思い込んだことだ。この部屋に月の光が届いていなければ、きみは時間経過とともに優位に立てていたかも知れない。だがそうしなかった」


 ディアナは言葉を継いだ。

「あるいはきみがわたしを眠らせて捕らえた事件の夜。特性〈サンドブラスト〉――その新しい力によって他の兵士達と同様に急所を削り取られていたら、わたしもなす術なく命を落としていたかも知れない。だがそうしなかった。きみは――きみ達は、わたしを事件の容疑者に仕立て上げる為に監禁するだけにとどめた。トランスト、と言ったか。新しい力を得て驕ったようだな。選択を間違い続けたのはそれが原因だ」


「黙れッ! 何も間違っちゃいねえ、計画通りだ! いいか、その床に突き刺さってる剣を掴んだ時点でオレはマーカーを起爆させる。分かり切ったことだ、どれだけ素早く動いたところでその場所からは絶対に間に合わねえ、絶対にな!」


「だから――」

 伏せた目を上げた。ディアナの両目が、黄金に爛と輝いている。


「やってみるがいいッ!」

 ディアナの鋭い声が議場の空気を凛然と震わせた。


 彼女の気迫に、今度こそジェフリーは怯んだ。

 自らを守るように端末を持った右手を前に突き出す。しかしその手は小刻みに震えていた。

「な、舐めやがってこのバケモンが……くたばりやがれえええッ!」

「ディアナッ!」


 次の瞬間、地を震わせるような轟音が耳を劈(つんざ)いた。 


 それはマーカーの爆発した音ではない。

 ディアナが動いた音だった。


 彼女は向かい合ったジェフリーの背後に移動している。

 先ほどまで彼女がいた場所からその場所までの床は地割れのように砕けており、裂け目には熾火おきびがくすぶっていた。

 トヲルの目には銀色の光が奔ったようにしか見えなかった。


「あ……?」

 呆然と立ち尽くすジェフリーの目の前に、どさりと彼の右腕が落ちて来る。その手には端末が握り締められたままだった。


 ジェフリーの右肩から先は、ディアナの剣によって斬り飛ばされていた。

「……ッがああああッ!」

 絶叫と共に右肩を左手で押さえて膝を突くジェフリー。


「く……そがッ! くそがああッ! あああッ この……ッバケモンがあああッ!」

 歯が折れんばかりに食いしばった口元から唾液が飛ぶ。


 ディアナは長大な両手剣を軽く血振りすると、ジェフリーに向き直った。彼女の怜悧な眼が、彼の血走った眼を見据えている。

「次は左手を使って端末を操作してみるか? きみの右手が掴んでいた端末をきみの左手が拾えるかどうか、試してみてもいい……だが、絶対に間に合わない。絶対にな」

 ディアナはジェフリーの言葉を借りて言った。

 彼は肩で息をしながら、ディアナを睨み上げる。

「だからもう諦めろ、きみはわたしに敵わない」

「……バケモンは……どこまでもバケモンか!」


「わたしはきみを許さない。ただ殺しはしない。まだ聞きたいことは沢山あるのだ。この事件の全てを明るみに出し、都市と兵団をあるべき姿へと戻した後にしかるべき裁きを受けさせる」

「……あるべき……姿? 眠てえことをほざきやがる。いくら上ッ面を取り繕おうと、一度歪んだ人の性根は裂けて捻じれて地べたを這うもんだ! バケモンと人が相容れることなんざ金輪際ありえねえ!」


 ジェフリーの右肩から溢れ出る血液で、彼の右半分は真っ赤に染まっていた。うずくる足元には血溜まりが広がる。


「……そうだとしても、人は何度でも上を向ける。差し伸ばされた手を取れる。人はそのための努力の仕方を知っている。ジェフリー、血止めをすべきだ。降伏しろ」

「舐めやがって……バケモンなんぞに降るくれえなら死んだ方がマシだ……!」

 トヲルのいる場所からは、ジェフリーのうずくまる背中が見えている。


 彼のうなじの部分に、何やら赤く光るものが見えた。

 見間違いかと思ったが、光は益々強くなるようだった。ゆっくりと明滅している。

 その赤い光の明滅が、徐々に速くなっていく。


「ディアナ……ジェフリーの様子がおかしい」

「……え?」


 ジェフリーの肩から流れる血が止まった。


 代わりに、傷口からさらさらと砂が流れ落ちて行く。砂は血液を吸い取って置き換わるかのように血溜まりを覆い始めた。


 ジェフリーがゆらりと身を起こした。

 肩の傷から溢れる砂がゆっくりと床の上に広がって行く。その傷口を抑えていた左腕も、ざらりと砂となって流れ落ちた。


「ジェフリー……!」

 足元に広がって行く砂を避けるようにディアナは距離を取った。砂溜まりが広がるにつれ、ジェフリーの身体も膨らんでいくように見える。


 顔を上げた彼の両の眼球が砂となって流れ落ち、昏い穴を見せる。

「くそが……何が……HEX適合だ……何がトランストだ……ふざけ……やがって」

 がさがさと、聞き取りづらいジェフリーの声。


 その口の中から砂の塊が溢れ出た。

「やっぱり……バ……ケモォォンンンじゃああああねえええええかあああああッ!」

 砂の塊と化していくジェフリーの声が唸りとなって響き渡る。


 竜巻のような砂の渦が、議場の高い天井に至るほどに巻き上がった。渦はみるみる巨大化していく。


 ディアナは跳躍して、渦から距離を取った。トヲルのいる側まで戻る。

「あれは……ッ?」

「分からない、でも!」


 明滅していた赤い何かの光。もしかしたらあれがHEXなのか。

 HEXの暴走――IDの崩壊――人格の喪失。


「か……怪物が生まれる……!」


 議場の天井まで至る巨大な渦は形を変えていく。

 腕が伸び、首が生え、目口の部分に窪みが生じた。その全容はまるで地面から巨人が生えているかのようだ。

 口と思しきただの窪みから、轟然と咆哮が放たれた。


 ジェフリー・デミトラ、特性〈サンドブラスト〉、種族〈サンドフォーク〉。

 自らをトランストと称した彼は――。


 怪物サンドフォークと化した。



つづく

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