何の取り柄もない透明人間の俺が、妹を救いに行く話。〜〈ザ・ヴォイド〉=消失の能力に目覚めたので、あらゆる障害を消失させて世界ごと妹を救うことにする〜
第14話 幼馴染を人質にとられた俺が、敵陣に乗り込む話。
第14話 幼馴染を人質にとられた俺が、敵陣に乗り込む話。
トヲルが宿の屋上へ出る扉を開くと、ディアナが一心に両手剣を振るっていた。
形を確認するように細かく足を運んで体勢を入れ替えている。
月光を受けて剣閃が光るたびに、空を切る鋭い音がした。まるで剣舞のように美しい。
日が沈み、月が出てからはディアナは月の光を浴びると言って宿の屋上に出て行った。
それから、ずっと両手剣を振っていたらしい。
やおら動きを止め、剣を背中のホルダーに戻して軽く息を整える。
「……トヲルか。特訓はもう済んだのか?」
紫色をしていた彼女の瞳は、今や金色に輝いていた。
特性〈ルナ=ルナシー〉が発現した状態だ。風に靡く銀髪も月の光を吸い込んだようにほのかに光を放っているように見える。
「何とか及第点をもらったよ……最終的にはあの赤い球体、俺のこと攻撃して来るし、鬼指導だった」
「それだけ本気だということなのだろう。それで、彼女は?」
「別行動って話だったからね、先に市庁舎に向かうって。例のイヤホンを預かってるよ」
トヲルはアイカから預かった骨伝導式のイヤホンの片側をディアナに手渡した。
片耳の後ろに装着し、ディアナは口を開いた。
「アイカ?」
『通信良好。二人とも、準備はおっけー?』
イヤホンからアイカの声が届く。
『約束の九時まであと三〇分ってとこか。とりあえずあんた達は時間に間に合うように本会議場に向かって。あたしは先行するけど、念のため本会議場には入らず周辺を探ってみるよ。じゃ、後でね』
通信が切れると、ディアナはトヲルの方を見た。
「トヲルは道沿いに向かってくれ。人目があるからわたしはこの屋上から屋根伝いに市庁舎を目指すことにする」
「分かった」
短い返事にも緊張感がにじむ。
それを感じ取ったか、彼女は小さく微笑んだ。
「わたしは元兵士だが、既に兵団に未練はない。気休めになるかどうかは分からないが、今わたしの力は全てきみとアイカの為にあると誓おう」
「……ありがとう、心強いよ」
「うむ。ではきみの幼馴染を助けに行くとしようか」
ディアナは銀髪を指で後ろにかきやり、軍靴の音を高く鳴らして跳躍した。
まるで空を飛ぶかのような軌跡で隣家の屋根へと渡っていく。
最強の吸血鬼に、人狼の銀騎士。
無力感にひとり自棄になって街を飛び出したトヲルだが、気付けばこれ以上ないくらい強力な仲間が近くにいる。
そして、自らの特性〈ザ・ヴォイド〉――。
相手が何者だろうときっとクロウを救い出してみせる。
トヲルはディアナを追うように宿を後にした。
ゼノテラスの中心街は夜九時を前にしても変わらぬ賑わいを見せていたが、官公庁の並ぶ区域になると人通りは急激に減った。
役所の定時を過ぎ、仕事を終えた人々の流れは既に自宅や繁華街に向かっているのだろう。
辺りは静けさに包まれていたが、ディアナが脱走して非常事態であるはずの兵団本部まで平素と変わらぬ様子なのは不気味だった。
市庁舎は全ての灯火が落とされ、夜の闇に溶け込んでいた。
正門も正面玄関の大扉も開きっぱなしになっていて暗い正面ホールが通りからも望める。
入口を眺めながらトヲルがたたずんでいると、付近の屋根から身軽に跳び下りてきたディアナがかたわらに立った。
「出迎えの準備はできている、ということか」
「このまま真っ直ぐ正面から入るしかなさそうだね」
トヲルとディアナは並んで正面玄関を潜った。端末に向かって声をかける。
「アイカ、ディアナと市庁舎に入った」
『うん。あたしは上の階層を探ってるけど、びっくりするほど誰もいない」
「今のところ安全ってこと?」
『どうかな……退庁時間を過ぎてるとは言え、ここまで徹底的に人がいないのはむしろ気になる。あたしの<クイーン・オブ・ハート>があれば離れていても人の気配くらいは感じ取れるはずなんだけど』
「罠、か」
『罠と言うならこの状況が一から十まで罠なんだけどね、それでも不確定要素はできるだけ潰しておきたいからもう少し探ってみる。そっちの状況が動いたらすぐに向かうから』
アイカはそう言って通信を切った。
玄関ホールから続く広い廊下に二人の足音が響く。
「……何かあった時の為に、きみにはわたしの特性についてきちんと説明しておこうと思う」
と、ディアナが言った。
闇の中では彼女の光る虹彩は一層引き立ち、光の残像が緩い帯を描いている。
「月の光を浴びると身体能力が上がるっていう?」
「そうだ。わたしの特性は穴の空いたグラスに注がれたワインのようなものだと考えて欲しい」
「穴の開いた……グラス」
「うむ。わたしにとって月の光を浴びることは、そのグラスにワインを注ぐようなものだ。ワインが満たされている間、わたしの特性は発現している」
外見的には、今の彼女のように瞳や髪が光を纏っている状態になるのだろう。
「注がれるワインの量――浴びた月の光が多ければ多いほど、わたしの身体能力はより向上する。そして全力で動くことがワインを飲むことに相当する。動き続けることで、向上した身体能力は元に戻っていくのだな」
一般的なIDでも動き続けることで体力は尽き、身体パフォーマンスは減衰する。その顕著なパターンと考えてよさそうだ。
「ただしグラスには小さな穴が空いていて、ワインを注ぐのを止めればグラスの中のワインは穴から漏れ出して徐々に減っていく」
「別に動いてなくても、月の光が遮られると向上した身体能力も少しずつ元に戻っていくということ? じゃあ月の光が届くようになれば、また身体能力は回復するのかな」
察しがいいな、とディアナはうなずいた。
「その通りだよ。月の光の下にいる限り、わたしの特性は発現し続けることだろう。一方でグラスが完全に空になってしまうと、その回復すら叶わない。わたしはそれを“リセット”と呼んでいる。“リセット”後は一度陽の光を浴びなければ――つまり、次の月夜までわたしの特性は発現しなくなり、かつ“リセット”直後は反動で通常状態よりも身体能力が著しく落ち込んだ状態になる。わたしの特性の致命的な弱点と言えるな」
暗い廊下の中には月の光は届かない。こうしている今も彼女の身体能力は元に戻っていっているということだろう。
仮に戦闘になれば“リセット”への時間はより短くなるのだ。
「……余計な時間はかけられない、ってことだね」
「ああ。ただそういう特性と昔から付き合ってきたから、わたしも短期決着には慣れている。変に気にする必要はないが、作戦をともにする以上は知っていて貰いたかった」
広い廊下の突き当りはホールになっていて、ひと際大きな両開きの扉が見えた。
あの先が目指す本会議場だろう。
「それにしても凄いな、ディアナは自分の特性についてそこまで正確に把握しているんだ」
そう言うと彼女は苦笑した。
「これでも元中隊長だからな、兵士の義務のようなものだ。自分の特性について緻密に理解していなければ、作戦中に部隊を危険に曝しかねない。だからこそ――特性〈ルナ=ルナシー〉が暴走して部隊が壊滅したなどという言説があり得ないことだとわたしは断言できるのだ。まあ、ルナは月、ルナシーとは狂気という意味だ。人々が誤解するような名称ではあると思うが」
議場前ホールに至った二人は両開きの扉の前で足を止めた。
「アイカ? 本会議場の前まで来たよ」
トヲルは端末に声をかけた。
しばらく待っても返事がない。
「アイカ?」
ディアナも呼びかけるが、アイカからの応答はなかった。
「何かあったのだろうか?」
「……あのアイカが下手をうつとは思えないし、声を出せない場所に忍び込んでいるのかもね。俺も兵団本部に潜入した時そうだった」
「彼女を信じて進むしかないか。あまり時間もかけられない」
ディアナは重たげな扉に両腕をかけ、静かに押し開いた。
*
本会議場は、議長席を入口正面の高い場所に据えている。
議長席を中心に議席が半円のすり鉢状に並び、周囲を更に傍聴席が取り囲む広大な空間だった。
二、三階を吹き抜けにした高い天井には壮麗な意匠の天窓が設けられ、そこから青い月の光が議場に降り注いでいた。
照明は全て落とされているが、お陰で議場の様子はよく見える。
月の光が差し込んでいれば、ディアナの“リセット”も避けられる。トヲルは少し安心して傍らのディアナを見やった。彼女も天窓を見上げているが、その表情は固いままだった。
二人は中央の通路を議場の中心に向かって進む。
「来たな」
と、低い声が響いた。
声の先には議長席の前にある演壇に足を乗せて座っている人影がある。
「無断で懲罰房を抜け出した割には、呼び出しには素直に応じて来たか」
人影は演壇の上に立ち上がった。
「ジェフリー……やはりきみか」
ジェフリーの口元で煙草の火が灯った。演壇の上からこちらを見据える目元は昏い。
「きみか、じゃねえよ。澄ました顔をしてやがる。今日の処刑を逃れて勝った気でもいるのか? 勘違いすんな、今日の軍法会議でお前の処刑は予定通り決議された。処刑なんざいつでもできるんだよ。こうして姿を見せやがった以上は全部予定通りに進めるだけだ。……で? 例の透明人間のガキもそこにいるんだよな」
トヲルは端末を操作してアバターを表示させた。蛸のキャラクターが立体映像でその場に浮かぶ。
「……クロウはどこだ」
ジェフリーは紫煙を大きく吐き出した。
「ふざけたアバターだな。地下の扉をあちこち破壊して回ったのもお前か……余計な手間をかけさせやがって。もう少し痛めつけてから閉じ込めるべきだったな」
「く、クロウはどこだ!」
「黙れ、勝手に喋んじゃねえ。仕切るのは俺だ」
ジェフリーは手元の端末を操作した。
彼の背後に議場の大型ビジョンがあり、そこに映像が表示される。映し出されたのはどこかのオフィスのように見える。
「く、クロウッ!」
訓練学校の制服姿のクロウが、会議用テーブルの上に投げ出されたような形で横たわっていた。
力なく黒い翼を広げ、その目は閉ざされている。
「うるせえ、寝てるだけだ。首の部分を見てみろ」
クロウの首元には黒いチョーカーのようなものが巻き付いていた。
「人外種用のマーカー……か?」
「ああ、ゼノテラスのバケモンどもを制御するための装置だ。俺の手元の操作ひとつで爆発するようになっている。いくらバケモンでも首が吹っ飛べばくたばるだろ。まずそのことをよく頭に刻み込んどけ。妙な考えを起こすんじゃねえぞ」
「う、嘘だ! マーカーにそんな機能なんか無いはずだ!」
アイカの首にも同じものが巻き付いている。
外そうとすると爆音でアラームが鳴ると自称市の職員のリサが言っていた。マーカーの爆発はそのリサが冗談めかして吐いた嘘に過ぎない。
ジェフリーは煩わしそうに舌打ちをすると、軍服の懐から同じマーカーを取り出した。
勢いをつけて投げ飛ばす。
黒いマーカーは緩い弧を描いてトヲル達の頭上を越え、入口付近に落ちた。
ジェフリーが手元の端末を操作した次の瞬間、鋭い閃光を伴う爆発が議場の空気を震わせた。
壁や扉が崩れ落ち、入口が瓦礫の山に塞がれる。
「……ッ?」
「これで分かったか。ここにもう二つマーカーがある。お前らで着けろ」
ジェフリーは二人目掛けてマーカーを投げ付けた。トヲルは身動きが取れずにいる。
本当に――爆発するのか。
では今アイカの首に巻かれているマーカーも同様だと言うのだろうか。
「ディアナ、透明人間のガキにはお前が着けるんだ。俺から見えない部分で余計なことされても面倒だからな」
「……」
彼女はマーカーを拾い上げ、まず自らの首元に合わせた。
小さな音を立てて吸い付くように彼女の首にマーカーが巻き付く。
次いでトヲルの透明な肩口に触れ、手探りでトヲルの首にマーカーを当てがった。
トヲルは思わずささやいた。
「……ディアナ、アイカの首にもこれが……?」
ディアナはトヲルに静かに告げた。
「同じものかどうか、確かに気掛かりだが今は確かめようがない。ここはジェフリーの言う通りにしておこう。クロウを人質に取られている」
冷たい感触と共にマーカーがトヲルの首に巻き付いた。
同時に透明になって視認できなくなる。
「身に着けたもんまで透明になんのか、気味の悪いIDだな。まあいい……お前には質問に答えて貰うぜ。素直に答えりゃ、今ビジョンに映ってるカラス女も解放してやる。だがディアナは諦めろ。首謀者ディアナ・ラガーディアの処刑ってのがこの部隊壊滅事件の締め括りに必要なんでな」
「質問に答えた後、トヲルやクロウが無事に解放される保証などどこにある?」
ディアナが鋭い声を挙げた。
「馬鹿が、ねえよそんなもん。だがトヲルと言ったか? このガキに拒否なんざできやしねえ。そうだよな? あのカラス女は大事なお友達だもんな」
そう言ってジェフリーは演壇から下りた。
トヲルは言った。
「答えられることなら答えるけど、俺からあんたの望んだ答えなんか出て来ないよ。あの時懲罰房にいたのは偶然だ。別にあんたを探ろうとしてた訳じゃない」
ジェフリーは黙ったまま、咥えた煙草の隙間から紫煙を吐いた。
いきなり右手の拳を振り上げ、傍らの演壇に叩きつける。
その演壇が飛沫のように飛び散った。
拳の触れた場所から砂のような細かい粒子になって床に崩れ落ちていく。
「……!」
「解放してやると言ったが、無事にとは言ってねえ。言葉は選ぶんだな」
ディアナが粉砕された演壇を凝視している。
「ジェフリー……何だその力は……? きみの特性〈サンドバッグ〉は――」
「ああ。知っての通り、触れた相手を眠らせるっていうくだらねえ能力だったな。こいつはまあIDのバージョンアップってヤツだよ」
「な……ッ?」
ジェフリーは自らに端末を向けた。
「知ってるか? 最近は端末でIDをスキャンできんだよ。」
リサの使っていた〈クシミタマ〉というアプリのことだろう。端末が自動音声を発した。
『ジェフリー・デミトラ。特性〈サンドブラスト〉――』
自動音声には続きがあった。
『――種族〈サンドフォーク〉』
彼のIDに、種族名が宣言される。
それは彼自身がバケモンと呼んで蔑んでいた、人外種としての烙印だった。
つづく
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