第13話 幼馴染から通信を受け取った俺が、脅迫される話。

 トヲルの携帯端末にかかってきた通信の呼び出し――。

 それは、ゼノテラス市長の会見があった夜から会えずじまいだったクロウからだった。


 アイカとディアナが見守るなか、トヲルはクロウへと折り返しの通信をかけた。


 呼び出し音が聞こえる。

 トヲルは何だか座っていられず、窓辺の方へ立ち歩いた。


 呼び出し音が続く。

 孤児院のシスター、クリスはクロウが監視されていると語っていた。

 やはり連絡は取れないのか――。


 呼び出し音が途中で切れる。

『トヲル?』

 端末の向こうから聞き慣れた声が聞こえた。


「く、クロウか!」

『何だ良かったあ、無事なんだね? 寮の部屋がもぬけの殻だったからびっくりしたよ。通信も繋がらなかったし、先生達も何も知らなかったし……心配したんだから』

「そ、それはこっちの台詞だ」

 ほんの数日会っていないだけだが、彼女の明るい口調がずいぶん懐かしく感じた。


 ゼノテラスを離れていた所為で、トヲルの端末は一時的にエリア通信圏外となっていただろう。あるいは寮を出た夜、トヲルからの着信に気付いて彼女は折り返し通信をくれていたのかも知れない。


『ひょっとして家出? 何か学校で嫌なことでもあったんだろう。勘弁してよねえ、子どもじゃないんだから』

「き、君こそ無事なのか? 俺はてっきり君が寮で幽閉状態にでもあるのかと思ってた。監視とかされてるんじゃないのか」


 少し間があってクロウの声が届いた。

『……ああ、監視? そりゃあねえ、人外種のぼくらにとってみれば監視みたいなのは前からと言えば前からじゃないか。大っぴらになっただけだ。予測できてたことだし、まあ諦めるしかないよねえ』


 否定しないのか。

 以前と変わらないクロウの口調が、かえって不安をかき立てる。

「なあクロウ、君も無事なんだよな?」

『いやあ、ぼくにとってはきみが無事だっただけで充分なんだよ、うん』

「こ、答えてくれよ」


 クロウは明るい口調を崩さずに続けた。

『ねえトヲル、学校に戻っておいで。ぼくは今きみを探しに行けないけれど、通信が届くってことはゼノテラスにはいるんだろう? 先生達だってそこまで問題にするつもりもなさそうだよ。めちゃくちゃ説教はされるだろうから、それは覚悟しておいてね』

「……おい、クロウ」

『ぼくは寂しいよ。幼馴染でさ、学校では二人きりの人外種なんだよ? また一緒に兵団兵士を目指そうよ。トヲルは超劣等生だけど、ぼくがしっかりサポートするからさ』

「クロウってば!」

 トヲルのただならぬ様子に、アイカとディアナが案じるような顔を向けている。


『ただねえ、トヲル。戻って来る時にひとつお願いがあるんだ』

「お、お願い……?」

 クロウの声音が少し変わった。


『……きみ今、ディアナ・ラガーディアと一緒にいるよね?』


 一瞬、彼女の言葉が頭に入って来なかった。


 ディアナ? 思わず視線を彼女に向ける。

 クロウがなぜディアナのことを知っているのだ。

『彼女を連れて来て欲しいんだ。部隊壊滅事件の容疑者だよね。きみが一緒にいるなんて意外だな、何でそんなことになってるんだろう。でもぼくが通信でこう伝えれば、きみは従ってくれるって言われてる』

「誰に……言われてるんだ」


 クロウはトヲルの問いを聞き流した。

『ぼくも言うこと聞いて欲しいと思う。場所はゼノテラス市庁舎の本会議場、今日の夜九時に落ち合うことにしようよ。退庁時間はとっくに過ぎてる頃合いだから、余計な邪魔は入らないし。待ってるよ』

「クロウ、君は――」


『お願いだよ、トヲル。必ず来てね』

 一方的に通信を切られた。


 トヲルは端末を握り締めたまま、呆然と立ち尽くしている。


「トヲル、通信は繋がったのだろう。相手に何かあったのか?」

 と、ディアナが問いかけた。


「……その」

 上手く言葉が出て来ない。


 アイカが静かに告げた。

「とりあえず座んなさい、トヲル。話を聞かせて」


 トヲルは、クロウとの会話を二人に伝えた。


 ディアナは狼狽うろたえた声を漏らした。

「……わたしを呼んでいる……だと? トヲルの幼馴染と面識などないぞ」

「つまり、今の通信の方が本当のディアナの追手ってことよ。罠……つうか脅迫ね、これは」

「脅迫……?」

「懲罰房の様子を見れば、ディアナとトヲルが同時に脱獄したことは一目瞭然でしょ。ジェフリーはトヲルのことを何者かのスパイだと疑ってた。脱獄後のディアナとトヲルはその何者かにかくまわれて一緒にいる――そう考えてもおかしくはない」

 アイカは右手の指をひとつ立てた。


「ジェフリーは訓練学校に人外種の〈インヴィジブルフォーク〉がいることを知ってて、トヲルと遭遇した時点でこのコと結び付けてた。ちょっと学校を調べればトヲルとクロウが同じ孤児院出身って接点もすぐに分かる。同じ人外種で幼馴染、およそ無関係だとは考えられない。そんでトヲルとクロウの関係性に目を付けたってトコかな」

 喋りながら右手の指をもうひとつ立てる。


「……トヲル、あんたの幼馴染のクロウは、ジェフリーと一緒にいる」

 改めて言葉にされると、じわりと背中に嫌な汗を感じた。

「……」

「当のクロウが脅されてんのか、進んで協力してんのかは分かんない。でもあんたから見ればクロウを人質に取られてんのと同じ。クロウからの呼び出しに応じないはずがないと踏んだんでしょ」

 アイカは右手を広げた。


「まさかクロウが進んで協力してるなんて……」

「そのコが真相を知らなければあり得んのよ。ディアナを本当に事件の容疑者だと考えてればね」


 ディアナが自身の銀髪に指を入れて唇を歪めた。

「返す返すすまない、わたしのことで……」

「だからあんたは嵌められた側なんだってば」


「じ、ジェフリーの目的はわたしの身柄だろう。ならばわたしだけが行けばいいのではないか」

「落ち着きなよ、ディアナ。そうじゃない。アイツはトヲルのことをスパイだと疑ってるって言ったでしょ。仮にあんたの身柄を確保したって、このコを放って置くはずはないんだから」


 テーブルに両手を突いてディアナは立ち上がった。

「いや、そうはさせない。わたしだけが行って片を付ける。トヲルに手出しなどさせるものか!」

「落ち着きなって」

 彼女の手にアイカが手を重ねる。途端にディアナの上体がふらついてすとんと椅子に腰を落とした。

「なっ……何をした?」

「あんたの頭の血流を下げて目眩めまい起こしただけ」

「危ないな!」


 アイカは椅子の背もたれに身を預けた。

「……ったく、あんたもトヲルも、あたしの助手でしょ? これからどうするかはあたしが決める」

「しかしアイカ!」

「……クロウのことより、君の調査を優先するって約束したことは覚えてる。でもごめん、いざこうなってしまうと、俺は」

 トヲルがそう言いかけると、彼女は小さく息をついた。


「そんな声出さないの。あたしがこの状況を無視するほど冷酷に見える? こうなったらクロウのこと助けに行くに決まってんでしょ、普通。当然、ディアナを差し出す気だってないし」

「アイカ……」

「良かった、きみならそう言ってくれると思っていたぞ」

「成り行きよ。しょうがないじゃん」


 肩を竦めたアイカは、それに、と続けた。

「呼び出された先が市庁舎の本会議場ってのも気になる。もともと市庁舎に乗り込もうとしてた矢先だし――案外、本来の調査の方だって進展することになるかも。脅迫であると同時に罠であることも確実だろうけどね」


「……確かに、呼び出されるまま出向いてはいかにも無防備だな。しかし指定された時刻は今夜の九時だ。できることは限られるぞ」

「加えてあたしのこのうっとうしいマーカーね。どんな機能が付いてるか知れたもんじゃないけど、少なくとも発信機ぐらいにはなってんじゃないかな。あのリサってコとジェフリーの動きは別々で、あたしの存在は今んとこジェフリーに知られてないっぽいにしても……念のためあんたらとは別行動を取った方が良さそう」


 アイカは更に椅子の背にもたれかかり、喉まで反らせた。

 その白い喉に巻き付いた不気味な黒いチョーカーは、確かにマーカーと言いつつ、単なる目印ではない可能性は充分にある。


「あー……ホンットやられっ放しでムカつくわ。このあたしに喧嘩売ってタダで済むと思うなっつうの」

「アイカが別行動か……相手の状況が不明ななかでこちらの戦力を分散させるのは少し気がかりだな」

「そうね。だから今夜の九時までに、戦力を増強するしかない」


「ヤクモ機関に援軍要請、ということか?」

「それは無いんだってば。仮に機関が動いたとしても、今からじゃ間に合わない」

「それじゃあ……」


「あんたのことよ、トヲル」

「え?」

 アイカは椅子に仰け反った状態から身体を戻し、白い牙を見せて獰猛な笑みを浮かべた。


「あんたの〈ザ・ヴォイド〉を今から使える武器にする」



 宿屋の部屋の中に、大小様々の赤い球体が無数に浮かんでいる。

 アイカが自分の血液を操作して作り出したものだ。


 いい? とアイカは壁際にたたずんで言った。

「あんたの特性〈ザ・ヴォイド〉はその名の通り、何かを無に帰すもの、って能力だと考えて差し支え無いと思うの」


「うん……」

 トヲルは部屋の中央で赤い球体に取り囲まれている。


「問題は特性が発現するトリガーもレンジもいまいち不明確で不確定で不安定なトコ。いくら強力だとしても危なっかしくてこのままじゃ武器としては使えないの。兵団本部の懲罰房破る時だって、下手したらディアナを巻き込んでたかも知んないワケじゃない」

「そうだった」

「やはりそうだったのかッ?」

 アイカの隣に立つディアナが怯えた顔を見せた。


「で、部屋に浮かべたこの血の球体を的替わりにしてその不明確な部分を確かめてこうってワケ」

「室内で大丈夫なのか? 調度品や部屋を破壊してしまってはことだぞ」

「つっても屋外だと目立つし、時間も限られてるし。慎重にやるしかないよ。チップ多めに払ってるんだから、多少は目をつぶってもらいましょ」

 部屋を破壊したらチップどころの騒ぎではなくなる気がする。


「まず、あんたの特性が何をきっかけにして発現するか――特性発現のトリガーが何なのかって話ね」

「これまでの経験からして、手をかざせば特性が発現するような気がする。でもかざせば必ず発現する訳じゃないんだよな」

 トヲルは目の前に浮かぶ赤い球体に手をかざした。特に何も起きない。


「あんた以前、不可抗力なんて口走ってたけどさ、つまりトリガーが不明確なの。例えばあたしの特性は常に発現してるから別として、ディアナは月の光を浴びること――でいいのかな」

「そうだな。月そのものを見る必要はない。月の光を直接この身に浴びることだ」

「至って明確よね。あんたの特性はそういう分かりやすい所が無い。だからトリガーを明確にすることから始めましょう」


「明確にって……どうやって?」

「IDは魂の在り様と密接に結び付いている。その特性も同様。魂の在り様――要はあんたの気分次第でどうとでもなるって話よ」


 いよいよよく分からない。


「手続き記憶みたいなものよ。指の形を変えるとか、腕の出し方を変えるとか、何か決まったプロセスを踏めば特性が発現するってことを魂に刻み込むの。ダブルピースで白目むいたら発現する、とか」

「……流石にそれは無様過ぎないか。トヲルは透明だから周りからは見えないのだろうが……。特性の名称を口にするというのはどうだろう」

「〈ザ・ヴォイド〉って口に出すってこと?」


 トヲルは右手を目の前に浮かぶ少し大きめの赤い球体にかざした。

「――〈ザ・ヴォイド〉」


 耳鳴りのような硬質な音と共に、赤い球体にトヲルの掌大の円い穴が空く。

 液体でできた球体は形を歪め、少し小さな球体に戻った。

「いける気がする」


「何だか必殺技みたいだな。物語の中の登場人物のようだ!」

 なぜか興奮しているディアナの横で、アイカは首を傾げている。

「どうだろ、わざわざ声に出すの? せっかく透明人間なのに、そのメリット捨てることになんないかな」


「いや――」

 トヲルは自分の右手を見つめた。透明な手は視認することはできない。


 もう一度、彼は右手を宙に浮かぶ赤い球体に向けた。

「俺は、自分の特性を透明になるだけで何の取柄もないものだと思い込んでた。それをアイカが俺に備わった確かな力だって気付かせてくれた。この力を使う度に感じるよ、この特性が俺だって。俺のIDは透明で、特性は何かを無に帰すような力だ。でもだからこそ俺はここにいるって声に出したいんだよ」


 アイカは静かにその赤い瞳を見開いたが、次いで柔らかく細めた。

「そう、あんたがそれでいいなら好きにしたら。それじゃあ今度はレンジの確認ね。掌サイズより大きい範囲を狙ってみて」


「やってみる」

 頭の中でイメージする。


「〈ザ・ヴォイド〉」

 耳鳴りのような硬質な音がした。


 掌の先で、ひと抱えほどの球状の空間から、赤い球体が消失した。



つづく

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