第12話 珈琲を淹れる練習をする俺が、吸血鬼の正体を聞く話。

 リサの笑顔をアイカは無表情に見返した。

 入口を挟んで握手をしたままの二人の間に、沈黙が降りている。


 その時、トヲルの持っていた携帯端末が通信を受信して呼び出し音を発し始めた。

「……!」

 けたたましい呼び出し音が部屋中に響く。彼は慌てて音を切った。


 恐る恐る入口の方を見るが、アイカは小さく肩を竦めて握手の手を離しただけだった。

「仕事の呼び出しみたい。もういいでしょ? 用が済んだんならさっさと帰ってよ」

「あー、はい、朝早くからお騒がせしました。ゼノテラスへようこそ。どうぞごゆっくりー、アイカ様」

「アイカ様言うな」

 アイカはリサが手を振りながら階下へ降りて行くのを見送ってから、ドアを閉めた。


 トヲルは声をかけようとしたが、アイカが唇の前に人差し指を立てているのを見て、口をつぐんだ。

 彼女はその場でボレロを脱ぎ、袖口や襟をぱたぱたと探っていたが、やがて指先ほどのサイズの黒い装置を見つけるなり、床に落として踵で踏み潰した。

 ボレロを着直す。


「……おっけー、二人とも喋っていいよ」

 そう告げるとアイカは大きく溜息を吐きながらソファに身を沈め、ポケットから赤いロリポップを取り出して包み紙を破りだした。

「……ったく、厄介なのに目を付けられたなあ」


 クローゼットから出て来たディアナが怪訝な表情をしている。

「……てっきりわたしを捜索している兵団の手の者かと思っていたが、どうも違ったようだな。本人が言ってた通り、ただの市の職員だったのだろうか」


 アイカはロリポップを口に咥えてうべなった。

「そうね、ディアナの追手ではなさそう。あんたを嵌めた連中の仲間だとしたら、もっと強権的な手段を使ってきてもおかしくないし。とはいえただの市の職員なんかじゃないのも確かよ。あたし、血流の変化で相手の動きがある程度先読みできるんだけどさ……端末を使ったスキャンに、このマーカー、二度もあたしの不意を突いてきた。しかも――」

 と、先ほど踏み潰した黒い装置を見やった。

「同時に盗聴器まで仕込んで来るとはね。あの妙に間の悪い喋り方が素なのか演技なのか分かんないけど、特別な訓練をかなり積んでるんだと思う、あのコ」


「こ、これが盗聴器? ゼノテラスはSF技術が進んでるって聞いてたけど、こんな小さな装置まで作ってるのか」

 潰れた小さな虫のように見える装置を、トヲルとディアナは覗き込む。

「軍事用の技術だろう。それこそ兵団研究開発局の仕事だ。わたしの追手ではないにしても、別任務の兵士である可能性はあるな」


「もしくは行政府の情報機関職員か……市の職員だなんて、よく言ったもんね。とにかくあたしの情報はほとんど向こうに知られちゃってる一方で、こっちにはリサって名前の情報しか残ってない。その名前だって本名かどうか定かじゃないし。やられっぱなしって感じ」

「……確かに、どことなくずぼらな雰囲気に似合わず、厄介そうな相手だな」


「一応、さっき握手した時にあたしの血液を付けといた。気配は遠ざかってるから、素直に帰ってはいるみたい。でもまあ、あたしがこうして目を付けられた点は警戒しなきゃ。このマーカーだって何が仕込まれてるか知れたもんじゃないし……この調査、早いとこケリつけた方が良さそうね。あーもう、かぶれたりしないかな、このマーカー。あたし肌弱いのよ」


 不機嫌をあらわに口の中のロリポップをからころと鳴らしているアイカに、トヲルは言った。

「……俺、コーヒー淹れてみようか?」

 アイカはトヲルの方を見て微笑んだ。

「そうね、お願い。実践なくして上達はないもんね。バリスタを目指す助手の成長は積極的に後押ししてかないと」

 バリスタを目指した覚えはないけどね、とトヲルはつぶやいた。



 部屋に据え付けられているコンロでお湯を沸かすトヲルの背後で、ディアナの声がする。

「それで……アイカ。先ほどの〈HEX計画〉の被験者のことだが」


「うん、これを見てみて欲しいの。計画の被験者リストよ」

 アイカは端末の画面を示した。リストに目を走らせたディアナの表情が曇る。

「……壊滅した部隊に間違いは無さそうだ。小隊長として編成されたジェフリーの名前もあるな。わたしを除く全員が被験者だったということか?」


「HEXがIDを人外種に再構成する技術だとしたら、もとから人外種のディアナが対象から外れんのも理解できるわね。こうなると、部隊壊滅事件はあんたに罪を着せて世間の人外種への憎悪をあおるだけのもんじゃなかった――って可能性が高いと思わない?」


 ディアナは口元に手を当てて考え込んでいる。

「確かに計画の一環だとしたらジェフリーが語ったような身勝手が許されるとは思えないな。そのHEXというのが暴走して部隊が壊滅したのか……? いや、違うな。わたしはジェフリーに眠らされている。彼は何かを目論もくろんでいた。自らの昇進もほのめかしていたから、何らかの任務を請け負い、それを遂行したと考えるべきか」


 トヲルはコーヒーミルで豆を挽きながら言った。

「ID改正特別法施行とか人外種用のマーカーとか、事件後の行政府の段取りが妙に良かったのも計画のうちだったからってことかな。市長の会見の翌日にはクロウは姿を見せなくなってたし、やっぱり全部ひと繋がりになってるとしか思えなくなってきたよ」


 アイカは自分のマーカーを突っついた。

「ま、確かによくできてるよ、このマーカー。外し方はおろか継ぎ目すら分かんない。一朝一夕で準備したもんじゃなさそうね」


「……クロウとは?」

「トヲルの幼馴染で、人外種のコ。同じ訓練学校にいたけど、会見の翌日から幽閉状態なのかも知んないんだって。トヲルがあたしの調査を手伝ってんのはそのコのことが気がかりだからでもあんの」


「昨晩二人が話していた幼馴染というのがそのクロウか。……何しろ兵団の人外種が起こしたとされる事件をきっかけに開かれた会見だからな。それを受けて訓練学校にいる人外種にも警戒心が向けられてもおかしくはない。つくづく迷惑をかけてすまないな」

「いや、ディアナが謝ることじゃないよ。君だって被害者なんだし」

 トヲルは挽いた豆をドリッパーに敷きながら言う。


「待てよ、市長の会見……か。兵団の最高司令官はその都市の首長だ。ゼノテラス兵団のトップはゼノテラス市長……」

 ディアナがアイカの方を見ると、アイカは小さくうなずいた。

「うん。市長の職掌には兵団研究計画局の統括も含まれる。トヲルの言う通り全部ひと繋がりだとしたら、無関係とは思えないよね」


 トヲルの脳裏に、市長の会見の様子がよぎる。

 スリーピースのスーツを隙なく着こなし、豊かな金髪をオールバックにした若々しい姿。

 城塞都市ゼノテラスの中核を担うゼノテラス財団の理事長にして、市長。


 ――ニコラス・ゼノテラス。


 アイカは小さくなったロリポップをかりっと噛み砕いた。

「そんじゃ兵団本部の次に殴り込みに行くのはその隣にある建物、ゼノテラス市庁舎ってトコでおっけー?」

「どうやらそのようだな」

「兵団よりは侵入しやすそうだね」


 トヲルとディアナの反応に、アイカは苦笑した。

「二人とも、今朝は素直じゃない」

「当然だ。昨晩、固めの盃を交わしたばかりだろう」

「うん、今さら覚悟は変わらないよ。それに助手としてはひとりで殴り込みに行きかねないアイカを放ってはおけないよね」

「そう、なら良かった。つか人を暴れ馬みたいに言うな」


 ドリッパーにお湯を注いだトヲルは、言った。

「できたよ、コーヒー」


 ディアナが物珍しそうな反応を示す。

「先ほどから何の作業をしているのかと思っていたが、いい薫りだな。とても芳ばしい。実はコーヒーというものを飲んだことがないのだが……苦いのだろう?」

「その苦さがいいんだよ」

 知った風なことを言うトヲルの方をアイカは横目で見ている。


「良かったらディアナ、先に試してみてよ」

「いいのか? では遠慮なく」

 ディアナはカップを手に取り、艶やかに揺れる黒い液体に口を付けた。

 途端に眉間に陰が差し、まっず、と声が漏れる。


「ご、ごめん、やっぱりまずかったかな?」

「いやその……まずいというか、わたしが慣れていないだけなのだろう。苦くて渋くて酸っぱくて、複雑な味なのだな、うん……」

 ディアナは引きつった笑みを浮かべ、更にもうひと口カップをあおった。

「わ、悪くはない……ぞ?」


「カップ持つ手が震えてんじゃん。ディアナはトヲルに甘いなあ……貸して」

 アイカはディアナからカップを受け取るとコーヒーを口に含んだ。

 そのまま飲み込まずにカップに戻す。

「……いやまっず。でも最初のよりかは多少マシかもね。はい、返す」

「返すな! 口から戻しただろう今!」

「ええ……これを全部あたしが飲むの? 酷くない?」

「アイカがだいぶ酷いけどな、俺に対して」


 心底不味そうに黒い液体を舐めているアイカをしばらく見ていたディアナが、

「市庁舎に殴り込みに行く前に教えて欲しい、アイカ。……きみは、一体何者なのだ?」

 と投げかけた。


 彼女に上目遣いの視線を向けるアイカ。

「何者も何も、あたしの肩書はID研究者よ。そう言ったでしょ? 全世界で自然派生的に普及したIDの実態を調べるのが基本的な任務」

「そこは疑っていない。だが兵団や都市を敵に回すことすら厭わないその姿勢――覚悟や使命感と言うべきだろうか――ただの研究者とは思えないのだ」

「大袈裟ね、あたしは仕事をしてるだけよ」

 なおも無言で見つめて来るディアナに、アイカは言葉を継いだ。


「ま……強いて言うなら、あたしの所属してる研究組織はID管理統制も担ってんの。組織から自己の裁量でIDに関する不正や問題を調査、取り締まる権限を与えられてるから、今回みたいな役回りになることもあるってだけよ」


 研究所が不正や問題を取り締まる権限を与える?

 トヲルにはピンと来ない組織実態だったが、ディアナの反応は違っていた。


「……IDの管理統制を行っている研究組織? それはまさか――ヤクモ機関のことではないのか」

「そう、それ」

「ヤクモ機関って……IDとかSFとかを研究してるとかって言う?」

 訓練学校や孤児院でトヲルが聞いた知識としてはその程度だ。


「それは実態のごく表面的な部分だな。IDとSFの基幹技術を開発・実用化し、現代社会の規格を作り上げた巨大組織と表現すべきだ。その影響力は兵団や城塞都市といったくくりを越えた絶対的なもので、世界の管理者とも呼称される」

「アイカが、世界の管理者……?」

 トヲルはカップを持ったままのアイカをまじまじと見た。


「あたしじゃなくて、ヤクモ機関。それに世界の破壊者とかって呼ばれてたりもするよ。IDを生んだってことは怪物を生んだってことでもあるしね。昔はどうか知らないけど、IDがここまで自然派生的に広まって、怪物が世界中に溢れた現代じゃ管理統制つっても限界あるワケ。それでもIDが原因で更なる人類社会の崩壊を招くような事態は防がなきゃなんない。だから組織としてはIDに関する問題や不正は見過ごせず、結果的に組織の調査機関としての性格が強くなってきてんのかな。それにしてもディアナ詳しいじゃん」

「兵団の作戦ではヤクモ機関と連携することも多いからな。ではアイカからヤクモ機関へ援軍を要請することもできるのか?」


 アイカが小さくかぶりを振る。

「調査の全ては研究者個人の裁量だし、状況が明確になるまで基本的に組織は動かない。その上サポートの有無は機関の判断だから、期待しても無駄よ」

「そうか……確かにゼノテラスの生み出した問題はゼノテラスで片付けるのが筋というものだな。アイカという協力が得られただけでも幸運と考えるべきか」


 アイカを只者ではないと感じていたトヲルだが、この可憐な少女の本当の力は、これまで見せてきたようなレベルではないのかも知れない。


「でもアイカがそんな凄い組織の一員だとは思わなかったよ。ひとりで何だってできそうだけど、つまりこんな状況も任されるくらいの能力だってことだよね。最強の〈ヴァンパイア〉ってのは大して誇張でもなかったな」


 そう言うと、アイカは居心地の悪そうな表情を浮かべた。やにわにカップに残っていたコーヒーを飲み干し、まずいッ! と叫んだ。


「だから持ち上げればいいってもんじゃないっつうの。あたしの助手になったからには気抜くんじゃないわよ。あんた達のことはしっかり頼らせてもらうからね!」

「褒められて照れるとは可愛いところもあるのだな」

「ディアナうっさい。つうかトヲル、さっき何か通信を受信してなかった? あれ何だったの」

 話題を変えようとしているのか、アイカはテーブルにカップを置きつつそう言った。


 言われてみればリサが乗り込んで来た時にトヲルの携帯端末に着信があったが、呼び出し音を切った後はそのままにしていた。


 トヲルはポケットから端末を取り出してテーブルに置いた。

 操作して、画面に着信履歴を表示させる。


 横から見ていたディアナが画面表示を読み上げた。

「クロウ・ホーガン。ん? このクロウというのは先ほどの話にあった……」


 予期していなかった相手からの着信に、トヲルが反応を示すまで少し間があった。

「……うん。俺の幼馴染だ」

「良かったじゃないか。幽閉状態などでは無かったということなのだろう。折り返してやるといい」

「そ、そうだね」

 と言いつつも、トヲルは画面の表示を見つめたまま端末に手を伸ばさずにいる。


 理由は無いが、何だか嫌な予感がする。


「トヲル――」

 呼びかけられて、彼はアイカの方を見た。彼女の表情も心なしか険しい。

「クロウに連絡してあげて」


 トヲルは小さくうなずいて、端末を手に取った。



つづく

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