何の取り柄もない透明人間の俺が、妹を救いに行く話。〜〈ザ・ヴォイド〉=消失の能力に目覚めたので、あらゆる障害を消失させて世界ごと妹を救うことにする〜
第17話 人狼と別れた俺が、敵地の最奥部に至る話。
第17話 人狼と別れた俺が、敵地の最奥部に至る話。
トヲルとディアナは兵士の集団に取り囲まれている。
正面の兵士たちは剣先を、中二階の兵士たちは引き絞った弓矢のやじりを二人向けていた。
兵士たちは全員、首から上が無い――。
「な、何で首が無いのに動いているんだ。首を必要としない人外種……?」
とは言ってみたものの、これほどの人数が全員同じ人外種というのも考えにくい。
「あるいはHEXにはそうしたことを可能にする機能があるのかも知れないが……少なくとも彼らは明らかに死亡している。わたしは鼻が利くから間違いない、辺りに漂うこれは死臭だ。死体が――動いているのだ」
一般的なIDが頭部を失うほどの重大な損傷を受ければ、SFの維持が困難となり、IDの恒常性が保てなくなる。
魂と肉体の連携が切れた状態――死に至るのだ。
兵士の包囲が更に一歩、狭められる。
「恐らく、これがあのニコラスの特性による力だな」
「そんな……死体を動かす特性……ってこと?」
よりによって、城塞都市の首長にそのような不気味な特性が備わっていようとは。
「……トヲル、右奥に昇降機がある。ニコラスはあれを使って上階に向かったのだろう。道はわたしが開くから、きみは先に彼を追え」
言われた方にトヲルが視線を向けると、兵士の群れの向こう側、五〇メートルほど伸びる廊下の先に昇降機の格子戸が見えた。
「先にって……」
「わたしはここで兵士たちの足止めをする」
「けどディアナ、ここは月の光が届かない。例の“リセット”が……」
「心配無用だ。動いているだけの死体に、わたしが遅れを取ることはない。“リセット”までもってあと一時間弱、それまでには片を付けてみせる。ニコラスはジェフリーの動きを掌握していた。人質に取られたきみの幼馴染のことを知らないはずがない。このまま逃がす訳にはいかないだろう?」
「……分かった。でも無理しないで、君の身体能力なら包囲を抜けることは簡単なはずだし」
「そうだな。だが――」
ディアナは哀し気な目を兵士たちに向けた。
「計画に利用されたうえに理不尽に命を奪われ、さらにその死体すら道具にされている彼らがあまりに不憫だ。ここで引導を下してやるのも、中隊長だったわたしの務めだろう」
「ディアナ……」
中二階の兵士たちが引き絞った矢を放つ。
同時に、ディアナの両手剣が目にも止まらぬ速さで動いた。叩き切られた矢の残骸が床に散らばる。
上階の兵士はすでに次の矢を弦にかけ始めていた。
「三つ数えたら動く、いいな。ひとつ、ふたつ、みっつ――」
目の眩むような閃光が奔った。
右奥の昇降機に向かって、ディアナが瞬間的に移動する。
取り囲んでいた兵士たちはその勢いに文字通り吹き飛ばされた。
包囲に開かれた穴を抜け、トヲルはディアナを追った。
その背中目掛けて矢が射かけられる。
トヲルの行く手にいたはずのディアナが気付いた時には彼の背後に回り、飛来する矢を斬り落としていた。
「後ろは気にせず走れ!」
「……!」
トヲルはそのまま昇降機に向かって駆ける。
階数を示す矢印は最上階を示していた。
上昇ボタンを押すと、シャフトの奥から籠が降りて来る低い機械音が聞こえ始めた。
背後からディアナの剣と兵士たちの武器がぶつかり合う音がする。トヲルは焦れる思いで階数表示の矢印が地上階に向かって回る様子を見つめた。
「トヲル、アイカのことも頼めるか。何があったのか分からないが、彼女なら何か上で手掛かりを残しているかも知れない!」
殺到する兵士たちを両手剣で斬り伏せながらディアナはトヲルに叫んだ。
一階に到着した籠に、彼は格子戸を引き開けて乗り込んだ。
「任せて!」
昇っていく昇降機の格子戸の隙間から、小さくうなずいて微笑むディアナの姿が見えた。
*
目指す階層は最上階だ。
昇降機に乗り込んですぐ分かった。階層表示の最上階に、小さく血痕が付着している。ぬかりの無いアイカが足跡を残したのだろう。
罠であることは覚悟していたことだが、全て相手の思惑のまま事が運んでいる。
完全武装した首無しの中隊――夜間とはいえ、あんな目立つ集団が外から入って来たとは思えない。
トヲルたちの突入を見越して、市庁舎内で準備していたのだ。ジェフリーの暴走に備えていたという兵団の即応部隊なる存在とは無関係だろう。
奇妙なのは、先行していたアイカがその存在に気付いていなかったことだ。びっくりするほど誰もいない、と言っていた。
――あたしの〈クイーン・オブ・ハート〉があれば離れていても人の気配くらいは感じ取れるはずなんだけど――。
アイカの言葉が蘇る。その彼女があの大勢の兵士たちを見逃したのだろうか。
そこでトヲルは気付いた。
……違う。
アイカは人の血液の流れを察知することができる特性の持ち主だ。
血が流れていない存在は彼女の特性の察知能力には引っかからない。動く死体の気配など、そもそも彼女は察知することができないのだ。
ニコラスの特性と思しき死体を操る能力と、アイカの血液を操る能力は相性が悪い。
トヲルの胸の内で、嫌な予感が広がっていった。
最上階に着いた昇降機の格子戸を開いてホールに出る。
抑えられた照明が辺りをほのかに照らしていた。人の気配は無い。首無しの兵士も、ここには配置されていないようだ。
毛足の長いカーペット敷きの廊下は歩いても足音は立たなかった。
同じ幅の廊下が縦横に通る迷いやすそうな構造のフロアだったが、壁の床に近い部分に血痕が等間隔で付着していた。アイカの目印だろう。
点々と続く血痕を追って薄暗い廊下を渡り、そのまま角を曲がった所でトヲルは声を挙げそうになった。
槍を携えた首無しの兵士が二名、行く手を阻むかのように廊下の両端にたたずんでいる。
特性を発現させようと右手をかざすが、兵士がピクリともしないことに気付く。
右手を構えたまま、ゆっくりと兵士の脇をすり抜けて廊下を進む。
自立していることを除けば死体そのものでしかない。
透明なトヲルに気付いていないのだろうか。
そもそも首が無い兵士たちが、視覚に頼っているとは思えないし、議場前ホールの兵士は明らかに彼目がけて矢を放って来ていた。
動きを見せない首無し兵士に注意を向けつつ、通路の先を見やると両開きの扉が見えた。半開きになっていて、中の明かりが廊下に漏れ出している。
トヲルは扉に駆け寄って、中の様子をうかがった。
「……!」
首無しの兵士二人に両脇を抱えられ、引き立てられている金髪の少女がいる。
意識を失っているらしく、手足はぐったりと垂れ下がっていた。
サイドテールとボレロとスカート、見慣れた出で立ち。
目にしたその姿に信じられない思いが勝り、トヲルは一瞬声を失った。
アイカ――。
その正面に立っているのは、先ほど姿を消したニコラスだった。
アイカに向けて自分の端末をかざしている。
『アイカ・ウラキ。特性〈クイーン・オブ・ハート〉――種族〈ヴァンパイア〉』
端末から自動音声が流れる。
「アイカ・ウラキ……〈ヴァンパイア〉……はて?」
何かに思い至ったようにニコラスは自分の携帯端末を調べ、小さく舌打ちした。
「……兵団司令部が警戒していたヤクモ機関の工作員か。何とも厄介なネズミが入り込んでいたものだな。存外あっさりとらえることが出来たのは幸運だったが……」
端末を見つめたまま、彼はおもむろに片手の指を鳴らす。
トヲルは後頭部に強い衝撃を受け、扉を跳ね開けながら室内に倒れ込んだ。廊下の曲がり角にいた兵士が動き出し、彼を槍の柄で殴りつけたのだ。
「うぐッ……」
「……追って来るとは思っていたが早かったじゃないか、透明人間のウツロミ君。ラガーディア君に後を任せて来たのか。確かな信頼関係が築けているのだね、結構なことだ」
ニコラスは特に驚いた様子もなく、端末をしまってこちらを向いた。
明るい室内は天井が高く、広々とした縦長の空間だ。会議室のように見える。
「私には君の姿が見えないのだが、兵士たちの死体を通じて気配を感じ取ることはできる。視覚に頼ることのできない死体たちは君のSF――生命活動のようなものを感じ取っているのかも知れないね。なかなか経験することのできない感覚だ」
うつ伏せに倒れたトヲルの首の両側から交差した槍の柄が床に突き立てられ、その場に抑え込まれる。
ニコラスはぐったりとうつむいたアイカの細い顎先を持ち上げた。
「何とも美麗なIDだな。人並外れた美貌も、人外種であるがゆえと言えるかも知れないね。……この〈ヴァンパイア〉の少女を呼び込んだのもさしずめ諸君なのだろう。無謀なようでいて、ずいぶんとしたたかなことだ。とはいえ自動制御で執務室を警備させていた死体たちに遅れを取ろうとは、詰めは甘かったようだが……?」
「アイカから手を離せ……!」
ニコラスは小さく肩を竦め、顎から手を離す。アイカは再びがくりとうなだれた。
「ああ、彼女は〈ヴァンパイア〉だったね。噛み付かれて血を吸われては敵わん。それで、わざわざ私を追ってきて組み伏せられているウツロミ君の目的はこちらの彼女だろうか? ……いや、違うか……私とて彼女の存在はここで捕えられたのを見て初めて知ったのだし。すると、あちらの彼女かね」
と、ニコラスは自分の背後に視線を送った。
会議室の広いテーブルの上――本会議場のビジョンにジェフリーが映し出していたのは、この部屋だったらしい。
先ほど画面を通じて見た体勢のまま、クロウが横たわっている。
「クロウ……!」
「デミトラ君が諸君をここへ呼び出す為に連れ込んだのだろう。君の望みは彼女の解放といったところか」
「……」
トヲルは組み伏せられたまま、ニコラスを睨み上げた。
ニコラスはクロウに端末を向けてスキャンをかけている。
『クロウ・ホーガン。特性〈エアダンサー〉――種族〈烏天狗〉』
自動音声が流れる。
「デミトラ君に繋がる事象を残しておきたくはないね。後々計画の思わぬ禍根となりかねない。まあ、解放するより処分する方が妥当な判断だろう。残念だが、君の希望には添えないな。別に構わないだろう? どの道、君も同じ扱いだ。なに、マーカーを爆破するだけだから一瞬だよ」
ニコラスはトヲルの方を振り向きもせずに言った。
トヲルはうつ伏せのまま、手を動かそうと試みる。どこでもいい、どこかを〈ザ・ヴォイド〉で消失させてこの拘束を解くのだ。
「待てよ……ウツロミ君とラガーディア君の処分は覆せないにしても、彼女には選択肢があるぞ。HEXだよ、君」
不意に彼が振り返って晴れやかな表情見せた。
「え……?」
「HEXとは専ら魂に干渉する装置でね。装着にあたって肉体への高度な手術などは必要ない。試験運用に
ニコラスはスーツの胸元から金属ケースを取り出し、中から六角柱状の器具を手に取った。
「つまりこの器具をうなじの辺りに押し付けるだけでHEXを移殖できるのだ。注射ほどの痛みを伴うが、それだけなのだよ」
トヲルの頭から血の気が下がっていく思いがした。
「や……やめろ」
「通常のIDにHEXを使用すると、人外種の特性を付与することができる。これがいわゆるトランストだ。ここの適合がまず課題だったが、数多くの
ニコラスは横たわるクロウの長い黒髪をかき分けて、後ろの首筋をあらわにした。黒いマーカーが巻かれているのが見える。
「人外種にHEXを使用したら、どうなるだろう? 彼女にHEXを使用してみようじゃないか。結果が良好であれば彼女の存在を新たな可能性として計画に組み込む。すなわち当座の処分は取り止めだ。もし失敗して暴走でもしようものなら当初の予定通り、マーカーを爆破すればいいのだから、試さないに越したことはあるまい?」
「や……めろおおおッ! 〈ザ・ヴォイド〉ッ!」
トヲルはうつ伏せの状態でかたわらに立つ兵士の足元に右手をかざした。
床が半球状に消失し、窪みに足を取られた兵士が体勢を崩す。トヲルは槍の柄を跳ね上げてニコラス目掛けて突進した。
その目の前に立ち塞がる別の首無しの兵士。
躊躇なくトヲル目掛けて斬りつけ、彼の身体は後ろざまに宙に舞った。咄嗟に身をかばった右腕の表面が切り裂かれ、床に倒れ込む彼の周囲に血が飛び散る。
その間に、ニコラスは手にもった器具をクロウのうなじ――黒いマーカーの上辺りに強く押し付けた。乾いた音がする。
ぱちん。
次の瞬間、クロウの両眼が限界まで見開かれた。
「ああ……ああああッ! うあああああああ――ッ!」
のけぞるように飛び起きたクロウの口から絶叫がほとばしる。
背中から生える黒く美しい両翼がざわざわと震えている。
耳を覆いたくなるような嫌な音を立てて、彼女の翼がばらばらに裂けた。
「あああああ――ッ!」
「クロウッ!」
身を起こそうとするトヲルの胸を、兵士が踏み押さえた。
その目の前で、クロウは自らの頭を抱え、叫びながら身もだえしている。
彼女の丸めた背中から生える翼は一枚が三つに裂けていた。
その裂けた翼それぞれが、新しい翼の形となって大きく形を整えて行く。
いまや、クロウの背中には六枚の黒い翼が生え広がっていた。
見開かれた両眼は白々と光を放っているようにも見える。
「はははッ! さてどうだろうね! これは成功か、失敗か!」
興奮した様相のニコラスが快活な声を上げつつ、端末を向けてクロウのIDをスキャンした。
会議室に響き渡る叫び声の向こうで流れる、自動音声。
『クロウ・ホーガン。特性〈ドーンブリンガー〉――種族〈天魔〉』
のけぞったクロウの光る両眼が、強い閃光となって
彼女の視界の先にあった会議室の壁が、爆炎と共に蒸発した。
つづく
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