何の取り柄もない透明人間の俺が、妹を救いに行く話。〜〈ザ・ヴォイド〉=消失の能力に目覚めたので、あらゆる障害を消失させて世界ごと妹を救うことにする〜
第10話 吸血鬼や人狼と食卓を囲んだ俺が、固めの盃を交わす話。
第10話 吸血鬼や人狼と食卓を囲んだ俺が、固めの盃を交わす話。
合流場所としてアイカがディアナに指示したのは、兵団本部にほど近い中心街にある宿だった。
「それじゃあ無事の脱出を祝して――」
アイカはビールの満たされたジョッキを片手に取った。
「かんぱーいッ!」
「いやいやいやいや」
トヲルとディアナが同時に制止する。
「あれ、どうかした?」
「どうかしてるのはアイカだよ。全然祝杯挙げるような状況じゃないだろ」
「わ、わたしは部隊壊滅の犯人として市中に報道されているのだ。とてもこのような公共の場でくつろぐことなどできそうもない」
銀騎士という二つ名まである兵士のディアナは、一般人にも顔が知られている。
彼女は今、頭全体を覆うような兜を目深に被っていた。
兵団制式の装備をどこからか調達してきたらしい。幸い、街中には兜を被ったままプライベートを過ごす兵士も多いため、道中特に見咎められることなく宿まで来れたようだ。
「だからこうして個室でご飯食べれる宿にしたんじゃない。これなら人に見られる心配もないでしょ」
「う、うむ……」
ディアナはそこでようやく兜を脱いだ。兜にたくしこんでいた特徴的な銀髪が流れ落ちる。
「よし、ゼノテラス名物の厚切りベーコン、熱いうちにいただくわよ!」
アイカは鉄板で音を立てている大振りなベーコンとキャベツのグリルにフォークを入れた。満遍なく振られたスパイスが食欲をそそる香りを放っている。
釣られるようにフォークを手にしたディアナだが、思案気な表情をアイカに向けた。
「いやそうではなく……我々が抜け出したことは遅くとも明日の朝には知れ渡ってしまうぞ。そうなればいよいよゼノテラスから抜け出すのは困難になる」
「そうだよ、夜のうちにアイカの馬車を使ってここから離れるべきだろ?」
「あのさ、トヲルは知ってるはずだよね。あたしの目的は、ゼノテラスで起こった部隊壊滅事件の調査だってこと」
と、アイカはベーコンを口一杯に頬張った。
「だから……それはディアナさんが犯人ではなく、あのジェフリーという兵士が仕組んだものだってことが分かったんだろ」
口をもぐもぐさせている彼女を見ながらトヲルは言う。
「わたしのことはディアナでいいぞ、トヲル。敬語も不要だ。何と言ってもきみとアイカはわたしを救い出してくれた恩人だしな」
「わ、分かったよ……ディアナ」
ベーコンの脂を強い塩分ごと飲み下すようにアイカはビールに喉を鳴らした。
「……っはああッ! いやうんまぁー……やっぱベーコン仕入れて帰ろ」
「アイカ……」
アイカは人差し指でテーブルをとんと突いた。
「ジェフリー・デミトラが何を、どうやって仕組んだか? 首謀者は誰で、何が目的なのか? ディアナが犯人じゃないことは今やもう自明だけれど、それだけで事件の調査が済んだとは言えないってワケ。ディアナはともかく、あたし達がここでゼノテラスを抜け出してどうすんのよ。いいから食べなさい、冷めたらもったいないでしょ」
うながされて、トヲルはベーコンを口に運んだ。透明な彼の分の食事は、アイカが人数を誤魔化して注文したものだ。
確かに旨い。
孤児院や訓練学校の寮の食事では出ることの無い、ビールに合わせた濃い味付けが後を引く。
「つってもディアナも今ゼノテラスから抜け出すのは得策じゃないと思う。脱獄したことで捜索の手は掛かるでしょ。城壁の外での逃亡生活はいくらあんたでも負担は大きいし、見つかる危険性も高い。むしろこの件が片付くまで身を潜めて置くことをあたしは勧めるわね」
ディアナもベーコンにナイフを入れ始めた。
「……この件が片付くまでと言うが、それは簡単なことではないぞ。首謀者にしても、ゼノテラス兵団のかなり上層部である可能性が高い。軍事裁判や処刑すら
「だから?」
「……兵団全体を敵に回すことになるかも知れないのだぞ」
「もし兵団全体が敵に回るんだったら、その兵団全体を潰せばいいだけでしょ」
「……つ、潰す? 兵団を? 無茶だよ、アイカ。もう酔ってるのか?」
呆れ気味にトヲルが言う。
「兵団は巨大な組織だ。都市そのものと言っても過言ではない。それを簡単に潰すと言って――」
アイカはジョッキを呷り、テーブルに音を立てて置いた。
「ディアナ、その兵団ってのは、あんたの同僚を大勢殺戮した挙句、あんたに罪を着せて闇に葬ろうとした連中なのよ。もう戻ることだって叶わない。あんたが遠慮してどうすんの」
「そ、それは」
その赤い瞳の鋭さに、ディアナが思わず怯む。
「確かに兵団は城塞都市のインフラと言っていい。ゼノテラスほどの規模となればその影響力だってでかい。だからこそ不正の芽があるとしたら今のうちに摘んでおかないと、その都市のインフラが完全に機能不全になってしまってからじゃ遅いって話。そうなった時の被害は中隊全滅規模どころじゃないってこと、想像に難くないわよね。あたしの言ってること、酔っ払いの戯言に聞こえる?」
「いや……」
アイカはトヲルの方も睨みつけた。
「てかトヲルもさ、今さら何ビビってんの。あんたがあたしの助手になったのは幼馴染の安否が気になるからでしょ。それを放って逃げ去ろうっての?」
「そ、そんなことはないよ」
「元からあたしはひとりでやり遂げるつもりでゼノテラスに来た。都市の兵団と一戦交える程度の覚悟なんてとっくに出来てんの。まあジェフリーって奴に手酷くやられた上にわんこに追っ駆けられて、割とハードな数時間だったワケだし……嫌気差したからここで助手辞めるってんなら止めないけど?」
トヲルは半ば反射的に応じた。
「辞めないよ。び、ビビったのは事実だけど……それだけだ。俺だって、覚悟ができてない訳じゃない」
アイカはトヲルの目を覗き込むように見つめて、小さく息を吐いた。
その赤い瞳から鋭さが消える。
「……思ったよりしぶといわね。この辺でヘタれるかと思ったけど。ならいいわ、ほらベーコン食えこの野郎」
フォークに刺したベーコンをトヲルの顔があると思しき場所に押し付ける。
「食うよ、食うから、自分のペースでっ」
そんなアイカの様子を見ていたディアナが、思い切ったように口を開いた。
「アイカ、わたしも協力させてくれないか」
「ディアナはこの件の被害者なワケだし、無理しなくていいよ。身を潜めるならこの部屋使ってもいいしね」
「いや……きみの言う通りなのだ。今さらわたしが怖気づく理由はなかった。少なくとも、ジェフリーはわたしの部隊の仲間を殺戮した仇だ、このままにしては置けない。命を救ってくれた恩もある。ぜひきみ達の仲間に入れて欲しい」
アイカはキャベツをフォークで刺す。
「何だかあんたが銀騎士って呼ばれてる理由が分かった気がする……トヲルはどうよ」
「うん、ディアナがいてくれると俺も心強い」
「じゃ、別に断る理由も無いわね。あたしも興味あるし……特性〈ルナ=ルナシー〉、種族〈ワーウルフ〉、ゼノテラス兵団最強のIDってヤツにね」
ディアナは照れたように口の中で言葉を籠らせた。
「べ、別にわたしの特性は平凡だぞ……月の光を見れば身体能力が向上するというだけだ……」
兵団本部の中庭で警備の兵士を瞬く間に昏倒させたあのスピードが、やはり彼女の能力が発現したものだったようだ。
「ホントにそれだけかしら……ま、そこはおいおい研究させてもらうけど。じゃあトヲルに続く研究サンプル二号ってことで。ごめん、間違えた。弟子二号ってことで」
「ああ、よろしく」
「……かなりはっきりと研究サンプルって言ってんだよなあ……」
「こうなったら今度こそ乾杯が必要よね。固めの盃ってヤツ。ほら二人ともジョッキ持ってジョッキ」
「俺、ビールと言うか……お酒全般、飲んだこと無いんだけど」
「乾杯だけだ、トヲル」
「改めて――かんぱーい!」
「か、乾杯」「乾杯!」
三人のジョッキが勢いよくぶつかった。
*
その夜。
食事の下げられたテーブルに着いたアイカは、携帯端末にキーボードを接続して操作していた。
部屋の扉が開かれる。
鎧もアンダーウエアも脱ぎ、薄手のガウン一枚になったディアナが入って来た。
「風呂が使える宿とは助かった。風呂の無い懲罰房に押し込められていたからな、生き返ったぞ」
「そりゃ良かった……てかそれ余計に目立たない?」
銀髪だけでなく顔面までぐるぐる巻きにしていたタオルをせっせと外しているディアナに言う。宿の人間に顔を見られるのを警戒していたのだろう。
「トヲルはまだ起きていないのか?」
銀髪にブラシを入れるディアナの視線の先には、テーブルに突っ伏しているトヲルがいる。
アイカは小さく肩をすくめる。
「ジョッキ一杯軽く飲み干してたからいけるクチだと思ったんだけど、二杯目でいきなりぶっ潰れるとは思わなかったわ」
「ちなみにゼノテラスの法律では飲酒は二十歳になってからだ」
「どうでもいいわよ、そんなの。こちとら人外種だっつうの。ワインあるけど、ディアナも飲む?」
アイカは傍らに置いてあったグラスを掲げた。赤い液体が中で揺れている。
「……いただこう。しかしいいのだろうか、このようにくつろいでいて」
「メリハリ、メリハリ。ずっと緊張しっ放しだと、いざと言う時に瞬発力が出ないよ」
アイカはワインを注いだ別のグラスをディアナに手渡した。
ディアナはアイカの手元を覗き込む。
「それは……兵団本部のデータセンターと連携させたというきみの端末か」
「そう。まだ表層を浚ってるだけだけど……いくつか内部レポートを拾えた。ディアナ、あんた〈HEX計画〉って聞いたことある?」
「ヘックス……? いや、聞いたこともないな」
「戦闘部隊とは関係のない計画なのかしら。変ね」
「変、とは」
アイカは椅子に背を預け、ワイングラスを揺らした。
「手始めにあんたが疑いをかけられることになった部隊壊滅事件のことを探ってたの。残されてる記録は大体報道の通りなんだけど、今回の派兵に関して〈HEX計画〉の名前が付されてる記録があった。通常の派兵とは別扱いなのかなと思って」
「そうだとしたら中隊長だったわたしも知っていて然るべきだろうな。しかしあの時の作戦趣旨は怪物の勢力集中拠点への威力偵察を兼ねた強襲と都市近縁部への圧力低減――通常任務の範疇だったはずだ」
「んー、ヘックス――六、十六進法、魔女、あるいは、呪い。マルチミーニングなあたりが特性の名称っぽいけど」
「特性〈HEX〉……やはり耳馴染みのない響きだ。わたしの中隊にもそんな特性持ちはいなかったと思う。そういえば、〈タマユラ〉は底辺が六角形の六角柱の形状をしていたな」
「ヘキサゴン、ヘキサゴナルプリズム、か。いまいちピンと来ないな」
アイカはワイングラスをテーブルに置くと、キーボードに指を這わせた。
「ただ、〈HEX計画〉の名のもとに派兵された部隊が壊滅してること、当の中隊長が何も知らされていないうえに部隊壊滅の
「ありがとう。……トヲルもこのままにしてはおけないな」
トヲルはテーブルに突っ伏したまま動かない。
「こいつはソファで寝るから気にしなくていいよ」
「うむ……ベッドはひとつだしな。悪いが我慢してもらうか。せめてソファに運んでやろう」
と、ディアナはトヲルの背中と足に腕を回し、軽々と身体を抱き上げた。
「よいしょ……トヲルが小さい頃にこうして抱き上げたことを思い出すな。随分重くなった……しかし透明なのに重さを感じるとは、妙な感覚だ」
「ガウン一枚のディアナに抱かれるなんて、トヲル起きてたらパニクってるわね。てかそれ顔に胸当たってない?」
「何を言って……ううわッ!」
ディアナの悲鳴が聞こえ、ごすんっと重たい音が床に響いた。
アイカは端末の画面に落としていた視線を上げる。
ディアナが呆然と立ち尽くしていた。
「す、すまない、トヲル床に落とした」
「いや人ひとりをそんな感じに落っことすもんかな……今の音、頭から行ってんじゃん。どうかしたの、実は寝たフリしてたトヲルが胸を触ってきたとか?」
「そ、そうではないが、今一瞬、トヲルの姿が見えた気がした」
「はあ?」
アイカは床に倒れて眠ったまま呻き声を挙げているトヲルを覗き込む。
「あたしには血流以外視えないけど」
「わたしも匂いしか今は感じ取れないのだが……ほんの一瞬、視認できた気がするのだ。何だかずいぶんと美少年に見えたが、子どもの頃の彼の面影もあった」
「……」
アイカは半目になってディアナを見つめた。
「さては酔ってんな? 意外とエロい妄想すんのね」
ディアナの頬がみるみる紅く染まっていく。
「よ、酔ってないしエロくもない! も、妄想でもないと思うのだが……」
うなされているトヲルを改めてソファに横たえる。アイカは顎先に指を添わせて透明なトヲルを見下ろした。
「んー、特性しかり種族しかり、こいつに関しては分かんないことだらけだかんね。透明じゃなくなるなんてことも起こり得んのか……それとも欲求不満なディアナの見た幻覚か」
「欲求不満でもないッ!」
ディアナの上ずった声が部屋に響いた。
つづく
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