第9話 人狼と組んだ俺が、兵団本部から脱出する話。

 トヲルの端末を経由した外部からの接続環境が構築されるまでの時間を使って、改めて兵団本部内から脱出する方法を検討することになった。


『独房から出たっつっても、そこは本部のど真ん中なんだからまだまだ気は抜けないってワケ。どの道トヲルとディアナが脱獄したことは明日には知れ渡ることなんだろうけど、今夜のうちは隠密にことを運んでおきたいし』

 アイカの言葉にディアナが応じた。

「兵団の兵士や職員は当直を除いて帰宅する。建物内なら、日中よりは動きやすいだろう」


「建物内なら? 外は違うんですか」

「警備は普通、外からの侵入を警戒するものだからな。各出入口には歩哨を立てているし、敷地内も常に一個小隊ほどを巡回させている。加えて、二〇匹ほどのわんこが放し飼いにされているな」

『いやわんこって。まさか子犬が転がってるってワケじゃないんでしょ』

「体高七、八〇センチくらいの軍用犬だ。俊敏で賢く、力も強い」

『やばいじゃん』

「可愛いのだぞ。わたしにはよく懐いているからまず危険はない。いやそれでも……トヲルに吠え付いて兵士を呼んだら同じことだな」


 透明人間であるトヲルも、聴覚や嗅覚の優れた動物には気配を察知されやすい。軍用犬が相手なら確実に捕捉されそうだ。

『なるほどね……トヲルをおとりにするってことか』

「待ってそんな話はしてなかったよね?」


『冗談よ。兵士や犬も邪魔だけど、敷地を囲んでる塀のことも考えなきゃね。まさか正門を突破するワケにも行かないし、敷地の外に出るには塀を越えるのがいいんだろうけど』

「塀だけで三、四メートルの高さはある。しかも塀の上には侵入者防止用に忍び返しの柵が設けられているな。だがそれごと跳び越えれば特に問題はないだろう」

 ディアナはことも無げに答える。


『え、マジで言ってる?』

「〈ワーウルフ〉の身体能力ならその程度は可能だ」

「俺には無理だよ。〈ザ・ヴォイド〉で塀を――」

『だからそれやめろっつってんでしょ。もう……』

 アイカが溜息を吐きつつ、しばらく黙った。


『……トヲル、あんたやっぱりおとりになんなさい』

「ええッ!」

『話を聞いた感じだと、ディアナが兵団本部の敷地から抜け出すのはそれほど難しくはない。問題は警備巡回中の兵士だけって感じよね』

「まあ、そうだな」


『トヲルが外に出れば十中八九、軍用犬に嗅ぎ付かれて吠えられる。兵士の注意はそっちに向くだろうけど、トヲル本人は透明だから彼らが状況を把握すんのに時間がかかるはず。そうしてトヲルが逃げ回ってる間にディアナは塀の外へと抜け出すって寸法ね。あんた達二人はそれぞれ別の方向に逃げ出すのが良さそう』

「……分かった。で、俺はどうやって外に?」

 アイカの次の言葉を待ってみるが、彼女は黙り込んでいる。


 トヲルは言葉を重ねた。

「軍用犬から逃げ回るのはいいとして、追い付かれたら終わりだと思うんだよ。俺の体力にも限界はあるし、あんまり長時間逃げ続ける自信がないよ」

『うん、そうね……』

 アイカは言った。

『まあ、そこら辺は何とかなるんじゃない? あんた透明だし』

「いや雑だな! 俺の脱出計画!」


 ホルダーに収めていたトヲルの携帯端末が小さく信号音を立てた。

『お、環境構築終わったわね。じゃあさっきの段取りで行きましょ』

「おいマジか」



 地下通路から階段を上がった一階。


 ディアナの言葉通り、建物内は照明が落とされ、日中多くの人が行き交っていた玄関ホールも森閑としていた。

 正面玄関は閉ざされ、鎧戸で塞がれている。


「南側正面玄関の屋外と、その先の正門にも警備が常駐している。流石にここから屋外に出るのは目立ちすぎるから北側の裏口に向かおう」

 ディアナが先に立って廊下を進む。


 本部の建物は上から見ると中庭を囲むようにロの字型をしているそうだ。

 中庭に出る扉の前でディアナは目顔でトヲルを促した。ガラス窓越しに覗き見た中庭は、訓練学校の講堂ほどの広さだろうか。

 手前の扉と奥の扉の横に、兵士が一名ずつ、ランタンを手にして立っていた。


「この中庭を抜けよう。最短ルートだ」

「警備が二名いますよ」

「四名だな。灯りを持っていない兵士が二名、中央の木陰にもいる」

「二人で相手するのは難しくないですか。このまま廊下伝いに行った方が……」


 ディアナは窓越しに夜空を見上げた。

「幸い、月の光が出ているから問題ない。わたしが出て無力化しよう」

 そう言ってトヲルの方を振り返ったディアナの瞳が、金色に輝いている。


 指示されるままにトヲルがそっと中庭の扉を開けると、彼女は中庭に滑り出た。

 ランタンを持った手前の兵士に対して正面から踏み込み、抵抗する隙も与えず両手剣の柄を腹部に突き込む。兵士はうずくまるようにして動かなくなった。


 中央にいた二名の兵士が物音の方を振り向いたが、すでにディアナの姿はその背後に回り込んでいる。首筋に手刀を叩き込まれ、二人の兵士はほぼ同時にその場に崩れ落ちた。


 中庭の向かい側にいた最後のひとりには背後から一気に距離を詰め、裸絞めをかけながら地面に引き倒した。そのまま意識を奪う。


 ディアナは中庭を見渡して安全を確かめると、こちらに手招きしてみせた。

 トヲルは彼女を目指して中庭を抜ける。

 警備の兵士達は、全員昏倒させられているようだ。


 月の光が出ている、と言っていたので、今のが彼女の特性〈ルナ=ルナシー〉の能力なのだろう。

 ゼノテラス市長の会見では、月の光を浴びると身体能力が向上するという特性だと説明されていた。

 確かに、はたから見ていたトヲルにしても目で追うのがやっとの素早さだった。襲われた兵士達からすれば何が起こったのかすら分からないままのはずだ。


 裏口の付近には警備はいなかった。


 そこからディアナは東側の塀、トヲルは西側の塀に向かって走り、両端の塀を越えて脱出する手筈となる。

「その……大丈夫なのか、トヲルの脱出は」

 裏口の扉に手をかけて、少し気の毒そうなディアナの顔がこちらを向いている。

『大丈夫よ、ディアナは自分の脱出に集中しなさい』


 全く大丈夫ではない。


 トヲルには塀を跳び越えることが出来ないのだが、アイカからは今なお具体的な案が示されていない。

 やめろと言われているものの、いざとなれば〈ザ・ヴォイド〉で塀に穴を開けて脱出するしかないだろう。

 目立つ痕跡を残すことにはなるが、明日にはどうせ独房の方の痕跡が知られてしまうのだ。


「……まあ、アイカが大丈夫と請け負うからには大丈夫なんでしょう」

 トヲルは力無くそう応じる。

「じゃあ、俺が先に西側に向かいます。騒ぎになったらディアナさんは東側から」


「分かった」

 小さく頷き、ディアナが細く扉を開く。

 トヲルはその隙間から外へ駆け出した。


 外は要所に照明が置かれ、夜でもなお影となっている部分は少ない。透明なトヲルはまだしも、ディアナが敷地を抜けるには見通しが良過ぎるようだ。

 彼のおとりとしての動きはかなり重要になって来るだろうが、反面あまり早いタイミングで騒ぎを起こすと逃げ回る彼自身の体力がもたなくなってしまう恐れはある。


 地面は石畳なので、トヲルが履いている訓練学校制式のブーツなら少なくとも足跡や足音は目立たない。ある程度は身を潜めて移動し、敷地の西端に近付いた辺りで騒ぎを起こすのが理想だ。


 建物に沿って走って数秒、角を折れた所で巡回中の兵士と鉢合わせでぶつかりそうになった。

 兵士は壁に張り付くように避けたトヲルの存在に気付かず歩いて行く。


 息を潜めて脇をすり抜けようとした時、目の前に黒い影が立ち塞がり、思わず足を止めた。

 低く唸り声を挙げている、巨大な黒犬だ。


 確かにディアナの言う通り体高七、八〇センチくらいだが、後ろ足で立ち上がればトヲルの身長は優に超える。

 図らずも、エクウスニゲルのワーウルフを思い出した。


 ほとんど距離を稼がないまま見つかってしまうとは。


 大声で吠えかかられるのと、トヲルが逃げ出すのはほとんど同時だった。


 数歩踏み出した所で、真後ろから軍用犬にのしかかられた。

 勢い余って地面に倒れる。

 がちりと肩の辺りで犬の顎が閉まる音がした。首か腕かに噛み付くつもりだったのだろうが、透明なので狙いを外したらしい。


 なおも牙を剥いて襲い掛かる犬の身体を両手で押し返し、さらに足で蹴り飛ばして四つん這いから起き上がると、塀に向かって走る。

 軍用犬はしきりに吠え立てながら、トヲルを猛然と追いかけて来た。


 吠え声は敷地の至る所から挙がり始め、視界のあちこちから黒い影が湧いてくる。

 影から距離を取るように方向を変えつつ走り続けた。


「何だ! 何ごとだ!」

 犬達が騒ぐ声に、兵士達も近寄って来る。


 早くも肺が悲鳴を上げ始めているが、足を止める訳にもいかない。

 くそ、恨むぞアイカ!


 西側端の塀が近付いてくる。

 周囲から犬や兵士が迫って来るなか、これ以上方向転換できそうもない。

 このまま真っ直ぐ進んで、〈ザ・ヴォイド〉で穴を開けるしか――。


 片手をかざそうとした時、塀に沿って梯子状のものが並んでいるのが見えた。


 規則的に浮かぶ赤い棒状の足場。

 トヲルは既視感のあるその足場に、夢中でしがみついた。


 追い付いて来た軍用犬の一匹が、背中から飛び掛かって来る。

 が、その犬は何かに弾かれたように空中で動きを止めて地面に倒れた。


 トヲルは梯子をすでに数段駆け上っており、起き上がって再び襲いかかる犬の跳躍は届かない。次々と駆け寄ってきた軍用犬の群れが、足元でしきりに咆哮を挙げた。


「何だ? どうした、何かいるのか?」

「いや……急にこいつらが騒ぎ出したんだが」

「猫でも紛れ込んだんじゃないか」


 集まってきた兵士達にトヲルの姿を見ることはできない。興奮して一斉に吠えまくる軍用犬達に、彼らも困惑気だ。


 足場は塀の柵を越えるようにアーチ状になっていた。トヲルが塀を乗り越える梯子に足を掛ける頃には、上り端の赤い足場は既に霧散して、兵士達の目に入ることもなかっただろう。


 トヲルは塀の外側まで続く足場の一番下の棒にぶら下がり、そこから跳び下りた。全身を震わせるようにして荒い呼吸を整える。


「……お疲れー、大変だったね」

 すぐ隣で、アイカが塀に凭れてロリポップを舐めていた。


 その呑気な声音に、トヲルはがっくりと両手を膝に置いた。

「梯子……用意してくれてんなら……そう言ってよ……終わったかと思ったよ。犬怖い」


「ディアナの方の逃走路は単純だけど、おとり役のあんたはどういう動きになるか見えなかったからね。あらかじめ伝えといたとして、あるはずの梯子を探して動きが鈍ったら危険でしょ。だから黙ってた代わりにあんたの逃走路をあたし自身がフォローしてたの」


「……どっかから……見てたの?」

 アイカは人差し指を空に向けた。

「梯子作れんだから、空中に自分の足場だって作れるわよ。一応、犬の動きもあたしが牽制してあげてたんだから。死なない程度に血で撃ってね。じゃなきゃとっくに追い付かれてたわよ、あんた」

 最後に飛び掛かってきた犬が空中で弾かれたような動きをしたのは、アイカに撃たれたものだろう。


「いつの間に……ゼノテラスの城壁を越えてたんだ……」

「もちろん、あんたが襲われて連絡つかなくなってからよ。二人組でやってんだからあたしが動くしかないでしょうが。〈ザ・ヴォイド〉で牢破りするとは思ってなかったし」


『こちらディアナ。トヲルの陽動のお陰で無事東側の塀を越えられた。そっちは大丈夫か?』

 イヤホンからディアナの声が届いた。

「おっけー、ばっちり計画通りじゃない? トヲルも上手いこと塀を越えたわ……今そこでバテてるけど。ちょっと兵団から距離を取りましょう。落ち合う場所はその後伝える」

『了解した』

 イヤホン越しに聞こえるディアナの声は息ひとつ乱れていない。対してトヲルは両膝に手を置いたまま肩で息をし続けている。


「てか大丈夫? あんた訓練生だったのにホント体力いまいちなのね」

 アイカはトヲルの丸まった背中をぽんぽん叩く。


「おい! そこに誰かいるのか!」

 ランタンの光が二人に向けられる。

 咄嗟にアイカがランタンを持った人影に向けて指先を振った。相手は膝から崩れ落ちるようにその場に倒れる。

 巡回中の兵士のようだ。


「……あっぶな、そりゃ警備は塀の外側にもいるか」

「こ、殺したの?」

「まさか。あたしは自分の血が付着した相手の血流も操作できんの。ブラックアウトって言ってね、頭部の血流が減らすことで相手の視界を奪うことができんのよ。力加減が難しくて、やり過ぎると失神させちゃうんだけど……」

 アイカは人差し指に浮いた血を口に咥えて舐め取っている。


 この力を利用すれば確かに潜伏・潜入に使えるかも知れない。かなり強引な方法なので、アイカがリスクと言っていたのもうなずける。


「……失神してるように見えるけど」

「うん。だからこれはやり過ぎたパターン」

「えええ……」


「とにかく早いとこここから離れるわよ、トヲル」

 サイドテールにした金髪を揺らしながら小走りに脇道へ向かうアイカの後を、トヲルは慌てて追い駆けた。



つづく

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