第8話 囚われの俺が、囚われの恩人を救い出す話。
遠くから呼びかける声がする。
『――ヲル! トヲル! ちょっと大丈夫!? トヲルってば!』
イヤホンから、アイカがトヲルを呼ぶ声だ。
「……うぅ」
身を起こそうとして、腹部の激痛に呻き声が出た。
『気が付いた? 良かった、死んじゃったかと思った!』
「お……大袈裟だよ」
辺りは真っ暗だ。
トヲルは硬い床の上にいた。
身体の隣は冷たい石壁、逆隣は木製のベンチ。彼は壁とベンチの隙間に倒れているらしい。
視界の上の方に、小さな小窓が見えていてそこからほのかな光が漏れている。あれは、覗き窓だろう。
懲罰房、という単語が脳裏に浮かんだ。
『馬鹿、大袈裟なんかじゃないわよ。ディアナの話が本当なら、あのジェフリーって奴はすでに中隊規模の人数を殺してんのよ、どうやったのかは知んないけど。あんたを殺すくらい数に入んないでしょ』
「……」
トヲルは全身の痛みをこらえつつ、身を起こした。
殴られた胸や腹がひどく痛むが、硬い床に寝ていたために背中も結構痛い。
『殺されなかったのは多分、あんたを誰かのスパイだとあの男が勘違いしたからよ。あんたが誰に使われているかを聞き出さなきゃ、自分の身が危なくなるからね。動ける? 拘束されてたり、手足折られてたりしてない?』
「……大丈夫みたいだよ。殴られた場所が痛むだけだ。端末もイヤホンも奪われずに済んだ」
『透明だから気付かれなかったのね。運が良かったわ』
こうしてアイカの声が聞こえるだけでもずいぶん心強い。
「俺はどのくらい気絶してたんだろう?」
『四、五時間くらいかしら。外はもう夜よ。全然返事なかったけど、呻き声が聞こえたもんだから呼んだら起きてくれた。今どこにいんの?』
トヲルは立って小窓から外を覗いた。先ほどまで潜んでいた少し広めの部屋が見える。
ジェフリーの姿は見えない。当然、扉は施錠されていた。
「閉じ込められてる。多分ディアナさんが囚われている懲罰房と同じ並びの部屋だと思う」
『ぅええ、マジか。詰んだ』
「そんなあっさり」
ディアナの処刑は明日の正午。
それを防がなくてはいけないが、その方法が現時点でも思い付かない。何よりトヲル自身が囚われの身となっている今、彼自身が助けを必要としている状態ですらある。
「……」
改めて自分の無力感を噛みしめて、トヲルは大きく溜息を吐くとベンチに腰かけた。
「トヲル、気が付いたのか? 大丈夫か?」
その声は上の方から聞こえた。
天井と壁の境目に小さな通気口があって独房同士が繋がっているらしい。
「ディアナさん? 隣の独房だったんだ」
「すまない、わたしが引き止めたばかりに……」
「いや、俺も自分が透明人間だからって油断してました。まさかこんな長時間気絶してるとは思わなかった」
危機察知能力とその対応能力は、やはりジェフリーが本職の兵士であるということを実感させられる。
ディアナの声が上から届いた。
「〈サンドバッグ〉、だな」
「……え? うん、何も抵抗できずに一方的に殴られて……サンドバッグ状態ってのはああいうことを言うんでしょうね」
「いやそうではなく、〈サンドバッグ〉というのがジェフリーの特性だ。触れた相手を強制的に眠らせることが能力だと聞く。きみは気絶したのではなく、眠らされたのだ。恐らく、わたしも同じ手を使われたのだろう」
「物騒な名前の特性ですね……じゃあ他の部隊の兵士も同じように眠らされた後、殺されたんでしょうか」
トヲルの疑問に答えが返って来るまで少し間があった。
「恐らくはそうだろう。だがそれだけでも無さそうだ。おおやけにはなっていないが、死亡した兵士達はみな身体の一部を欠損していた。まるで、何かに喰われたように。かなり凄惨な現場だったという。その点はジェフリーの特性とは結び付け難い」
と、ディアナは言った。
「く……喰われた……?」
「状況だけ見ればジェフリーの思惑通り〈ワーウルフ〉たるわたしを疑いたくもなるだろう。彼岸を
アイカの声が耳に届く。
『確認だけどさ。あんたの〈ザ・ヴォイド〉と似通った特性持った奴なんかいないよね?』
「……多分。学校でも前例がないから実態不明、要観察、みたいな扱いだったし」
『そう。欠損って表現が気になったのよね。まあ現場を見たワケじゃないし、言葉のあやかも知れないけど』
欠損。
確かに、オーガの腕と空き瓶――。トヲルの特性が発現したと思しき対象は一部が欠損しているような状態だった。
待てよ、欠損……?
トヲルはふと立ち上がって、独房の扉の前に立った。施錠された部分に右手をかざす。
ヴォイドの一般的な意味は、無。
彼の特性が、何かを無に帰すという能力だったとしたら――。
イヤホンからはアイカの独り言のような呟きが聞こえてくる。
『とにかくディアナの処刑を防ぐ為にはあんたも含めてそこからの脱出しなきゃ始まらない。あたしが行って解放してやるしかない、か』
「透明人間じゃないアイカがどうやってここまで潜入するんだよ?」
『まあ一応、方法は考えてあんのよ。もともとこの調査の計画を立てる時にはあんたの存在なんて想定してなかったんだし。かなりリスキーだから最終手段として考えてたんだけどね』
この〈ヴァンパイア〉は何でもアリか。
トヲルがその方法を聞こうとした時、手元で硬質な音がした。
「あ」
欠損――。
独房の扉の施錠部分と石壁の一部が抉れて、掌ほどの大きさの隙間が円状に作られていた。隙間から扉に手をかけると、そのまま難なく横に開く。
『あ、って何よ』
「鍵が取れちゃった。ここから出られそうだよ」
『……はァア?』
*
みなまで説明せずともアイカは状況を察したらしい。
『……あんたさ、危険だから〈ザ・ヴォイド〉は使うなって、あたし言わなかったっけ?』
「いや不可抗力って言うか……お陰で脱出できたんじゃないか。君がリスクを冒してここまで潜入して来る必要もなくなった訳で」
『いや何言ってんの、不可抗力の方がヤバいじゃん。あんたそれ制御できてないじゃん!』
「でもこれでディアナさんを解放してあげることもできるし」
アイカの聞えよがしな溜息を耳にしつつ、トヲルは懲罰房を出た。
「と、トヲル? 外にいるのか? 透明人間とは、扉をすり抜けられるものなのか?」
ディアナの独房から困惑気な声する。
「いや透明以外は普通なんで、流石にそれは無理なんですけど。ちょっと扉から離れててください、ディアナさんも出してあげることができそうだ」
「え? それはどういう……」
トヲルは扉の施錠部分に右手をかざした。
上手く発動してくれ――〈ザ・ヴォイド〉。
手をかざしている所から硬質な音がした。先ほどと同じく、扉と壁の境目に、小さな穴が円く開く。
「よし、成功。行きましょうディアナさん」
「……信じられない。このような特性が存在するのか」
ためらいがちに開いた穴に中から手が掛けられ、扉が横に開かれた。
中から現れた女性を見て、トヲルは驚きと共に懐かしさを覚えた。
銀色の長い髪に、紫色の目。
その美貌は、記憶の中のディアナと寸分違わない。
兵士が装着する鎧のアンダーウェアだろうか、身体の線に密着した黒いトップスとタイツだけという出で立ちだった。
ディアナは小さく鼻をひくつかせる。
「……匂いでそこにいることははっきり分かるが、確かに視認することはできないな。久しぶりに顔も見てみたかった気もするよ、トヲル」
と、微笑んだ。
『おっけー、積もる話もあんだろうけど、そこの兵団本部から抜け出さないことには状況は変わんないわよ。トヲル、あんたのイヤホンを彼女に片方貸してあげて。会話を共有できるから』
アイカに言われるまま、トヲルはディアナに手を出すように伝えた。
掌に片耳のイヤホンを置く。
ディアナからすれば、急に掌の上にイヤホンが現れたように見えるだろう。
「きみは身に着けているものまで透明になってしまうのか?」
怪訝な顔をしつつ、ディアナはイヤホンを耳の後ろに装着した。
『こんばんは、ディアナ。あたしはアイカ、ID研究者よ。成り行きであんたを助けないワケには行かなくなったの。初めましてだけど、あたしのことは信用して貰うしかないわね』
「きみが最強の〈ヴァンパイア〉か」
『トヲルがあんたの歓心買いたくて適当言ってるだけよ』
「ちょっと」
『ま、最強を否定する気もないけどね』
「……信用しよう。この期に及んできみのことを疑っても始まらない」
『そう、じゃあ動くわよ。まずトヲルは予定通り、データセンターに端末を接続すること。夜間で職員も帰宅してるし上階のオフィスで作業できなくはないだろうけど、地下のSF管理室とやらが最も安全なのは変わらない。ディアナはそのまま出て平気? 持ち物とか』
ディアナは部屋の隅にあるロッカーを開いた。
「ああ、剣も装備もここにそろっているようだ。何しろ出撃先から直接ここに連行されて来たからな」
彼女は手早く鎧を装着していく。胸と腰、手足周りをカバーする簡素なものだ。
「ディアナさんはびっくりするほど昔のままですね。十年も経ってる気がしない。確かロン……ロンジェ……」
シスター・クリスと同じく、見た目が老けないIDなのだろうか。
「特性〈ロンジェヴィティ〉のことか? 確かにわたしも肉体的にあまり変化しないのだが、人外種の寿命と普通のIDの寿命はそもそも全く違うからな。長命という表現はあまりあてはまらない。これが〈ワーウルフ〉としての年相応の見た目と言える」
ディアナは身長程もある両手剣の刃を
「よし……行こう」
懲罰房の並ぶ部屋と廊下を区切る鉄格子の扉は再び施錠されていた。
トヲルは錠前の部分に右手をかざす。
――〈ザ・ヴォイド〉。
硬質な音がして、鉄格子に円い穴が開く。
「改めて見ても不思議な能力だ。このような特性、聞いたこともない」
「〈タマユラ〉は〈ザ・ヴォイド〉と名付けました。訓練学校でも前例がないと」
廊下に敷き詰められた砂の上には、先ほどのジェフリーから受けた攻撃で乱れた跡が生々しく残っている。
「ジェフリーの拳は、石壁を粉々に砕く程の力をもっているんでしょうか」
トヲルを殴った力も相当なものだったが、あれで手加減をしていたのかも知れない。
「彼の兵科は打撃を攻撃の主とするストライカー。確かに人並以上のパンチ力を有しているだろうが、石壁の表面だけこのように砕くのは難しいのではないか。彼の特性とも結び付かないし、何か道具をつかったのだろう」
ディアナは砕けた石壁の表面に指を這わせつつ言った。
SF管理室と表示のある扉の前で、トヲルは右手をかざした。
明確な痕跡が残るのは欠点だが、この能力にとって施錠は意味がない物となる。上階で鍵を探す手間も省けた。
――〈ザ・ヴォイド〉。
ひと際大きく、硬質な音が響き渡った。
掌サイズの穴ではなく、扉を石壁ごと抉り取ったような巨大な穴が開いている。
「少し……穴が大き過ぎたかな」
隣で見ていたディアナの顔が心なしか青ざめている。
「……ひょっとして、大きさを制御できないのか?」
「いや……大きさと言うか、この力自体がよく分かっていないというか」
「えっ?」
『だから使うなっつったのよ、馬鹿。今さら言ってもしょうがないけど!』
穴を潜り抜けるトヲルの耳にアイカの言葉が突き刺さる。反論できない。
SF管理室の中には、人丈ほどの黒い直方体の石柱が並んでいて、表面に青い炎のような無数の光が小さく瞬いていた。石柱のひとつひとつがデータセンターとなり、この光の点滅によって膨大な情報を処理しているのだろう。
「端末を接続するなら、そこにホルダーがある。兵士に支給されている携帯端末も日々兵舎の据置端末に接続して記録を取っているから、きっとやり方は同じだ」
ディアナに促され、トヲルは自分の端末をデータセンターに繋がっているホルダーに設置した。
『……おっけー、接続が確認できた。環境が構築できるまで少し待ちね』
接続の作業自体は単純で良かった。トヲルは軽く胸を撫で下ろす。
それまで入口の方に開いた大穴に視線を向けていたディアナがふと呟いた。
「ところでその穴、さっきまでわたしのいた独房くらいの大きさはある気がするのだが、まさか例の消失の能力に、わたしが巻き込まれる可能性があったということはないよな?」
「……」
『……』
「……黙らないでくれ、二人とも。頼むから」
つづく
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