第4話 吸血鬼に珈琲をご馳走になった俺が、勘違いしてたかも知れない話。

 オーガの攻撃を受けたアイカのキャンプ地。


 彼女のローチェアやテントは、吹き飛ばされただけで破壊されてはいなかった。

 それでも撒き散らされた焚き火を片付けたり、テントを設営し直したりするのには割と時間がかかり、おこし直した火で湯を沸かす頃には夜空の端が少し白み始めていた。


 あらためてローチェアにくつろいだアイカは鼻歌交じりにハンドミルでコーヒーを挽いている。少し離れた場所には今もオーガの死骸が転がっているのだが、すでに気にも留めていないようだ。


「……コーヒーって珍しい物持ち歩いているんだね。飲むのは初めてだよ」

 トヲルは近くに転がっていた流木に腰かけてアイカの様子を眺めている。


「海の近くの都市だと割と普通に手に入んのよ。陸運と違って、海運はあんまり怪物の影響を受けてないからね」

 ドリッパーを使って抽出したコーヒーから、ふわりと良い薫りが辺りに漂い始めた。


「海の近くにまで行ったことあるのか。普段からこんな彼岸を旅して回っているの?」

「そんな感じかな。あたし、人外種とか怪物とか、そういう特殊なIDを研究してんの。まあ、研究者の端くれみたいな? そういう特殊な個体って地域や気候、その他もろもろの事象によって分布に傾向があってね。こうしてフィールドワークが欠かせんってワケよ」

「IDの研究者……」


「あと、このキャンプ生活も割と気に入ってる。朝焼けのなか飲むコーヒーがまたうまいんだ」

「オーガに襲われたりするのに?」

 とは言ってみたものの、一撃で吹き飛ばしたアイカの力があれば、それほど問題にもしていないのかも知れない。


「はいできた。熱いから気を付けて」

 目印代わりのアバターを表示させていないにも関わらず、カップは正確にトヲルの手元へ差し出された。

「……本当に俺のこと見えてるんだね」

 カップを受け取りながら、トヲルは言った。

「まあね。人から見えなくなるってのがあんたの特性?」


「そう。特性〈ザ・ヴォイド〉、種族〈インヴィジブルフォーク〉。多分、透明人間になるって能力。それ以外に特筆すべきところは、どうやらなさそうだけど」


 こうして彼岸をさまよってオーガに襲われ、あげくに見知らぬ少女と一緒にコーヒーの香りを嗅いでいるという奇妙な状況にあるのも、発端はと言えば自らの特性とその評価の低さに嫌気が差してしてしまったからだ。


 トヲルは思わず苦笑してカップに口を付けた。

 極めて苦い。

 けれど、果実のような、スパイスのような、不思議と爽やかな風味が鼻に抜けていく。無言で夜道を歩き続けた疲労と渇きが癒えていくようだった。


「あれ、想像してたより美味しい……?」

「お、初コーヒーにしてはいい反応じゃない」

 アイカは自分のカップにも口を付けた。


「あたしの特性〈クイーン・オブ・ハート〉ってのは血液に対する感覚が鋭敏になる能力なの。その結果、自分の血液を操ったり、血液を通じて他人の気配を察知したりすることができるようになんのね。あんたの姿は確かに網膜には写らないみたいだけど、あたしはあんたの全身を流れる血液の動きで視てるってワケよ。だからカップの方はあんたに渡した瞬間からあたしには見えてない」


「……さっきオークを吹き飛ばしたのもその能力の一部?」

「そうね。自分の血液を超高速で射出したんだけど、あれくらいの威力にはなる」


 トヲルはコーヒーをすすった。

「正直、うらやましいよ。本当は俺、エクウスニゲルには兵士として行くつもりだったんだ。でも俺のIDは兵士向きじゃなかったみたいでその道は諦めるしかなくなった」

「そう……? 兵士になるんだったら、あんたは充分戦えそうな気がするけどね」

「透明になるってだけの能力で、その他の身体能力は普通――というか平均以下だからね。それでも訓練を続ければそれなりの兵士になれたのかも知れないけれど、兵団も欲しいのは即戦力ってことなのかな……訓練学校でほとんどいない者扱いされてるってことに気付いてさ。透明人間ってそういうことじゃないと思うんだけどね」


 アイカはこちらを見ながら黙ってコーヒーを飲んでいる。

 出会ったばかりの相手だからだろうか。愚痴染みた言葉が自然と口を衝いた。

「そんな状態で訓練を続ける気力を保てる気がしなかった。何だか何もかも嫌になってきて、思わず逃げ出してきちゃったよ。情けないよね」


「そう。逃げたこと、後悔してんの?」

 彼女は軽い調子で尋ねる。

「いや……それは別に」

 訓練学校は後にしたものの、都市を出て、妹のメイを救い出すという当初の目的に向かってむしろ今は一歩踏み出したような感じさえする。


「なら別にいいじゃん。あんたが嫌になってあんたが捨てたもんだったんなら、それがあんたのリアルでしょ。全く情けなくもないし、てか普通じゃない?」


 ぱちりと薪の爆ぜる音がする。焚き火の灯りが少し強くなったような気がした。

「……普通」


 アイカは小首を傾げている。

「にしても兵団がそこまで高い質を求めてんのかしら。そんな選り好みしてたら人増えなくない? オーガの腕を吹っ飛ばせる力があれば確実に即戦力でしょ」

「だからそれは君がやったことだろ?」

「いやあんたさっきもそんなこと言ってたけどさ……あたしはオーガの悲鳴で目が覚めたの。その悲鳴は腕を飛ばされたから出したんでしょ。あたしが手を出したのはその後。この場には他にあんたしかいなかったんだから、あんたの仕業よ」


 トヲルは自分の掌を目の前に翳した。透明なので見ることはできない。

「まさか……どうやって」

「いや知らんけど。あたしに訊くな」


「……俺は特に何もしてないし……無理だよ、あんなの」

 アイカはカップに口を付け、上目づかいでトヲルを見つめている。

「……〈ザ・ヴォイド〉だっけ。思うんだけどあんたさ、その特性ってまだまともに発揮できていないんじゃない?」

「まともも何も、俺はこの通り、透明人間になってて……」

「種族〈インヴィジブルフォーク〉が、そもそも透明な姿だって可能性は? インヴィジブルって見えないって意味でしょ。IDの見た目と特性は無関係、とまでは言わないけどさ、ニコイチってものでもないワケよ」


 思わぬ指摘に、トヲルは考えがまとまらない。

 トヲルが透明人間なのは、特性〈ザ・ヴォイド〉によるものではない?


「例えばあたしは〈ヴァンパイア〉だから、夜目が利いたりする。八重歯も鋭くて、ちょくちょく唇とか口の中に刺さって怪我する」

「怪我するんだ、その牙」

「でもそういう〈ヴァンパイア〉の特徴って、血を操ることのできる特性〈クイーン・オブ・ハート〉とはあんまし関係ないでしょ。分かる?」

「うーん……」

 言っていることは理解できるが、いまいち腑に落ちない。


 一方のアイカは喋りかけているのか独り言なのか、ぶつぶつと言葉を紡ぎ続けている。

「インヴィジブルは見えない、ヴォイドは無い……ニュアンスが近いからややこしいわね。ていうか〈タマユラ〉のネーミングって何でこう適当なのかしらね。ストレートなのかマルチミーニングなのか判然としないのよ。あたしの〈クイーン・オブ・ハート〉なんかは完全にふざけてるとしか考えられないし。可愛いから気に入ってはいるけどさ」


 不意にアイカがトヲルの方を見る。

「あんた、オーガの腕が吹っ飛ばされる直前、何をしたか覚えてる?」

「だから何もした覚えがなくて……来るな、とか叫んだぐらいだよ」


 トヲルの言葉を聞いて、アイカは顎先に指を当ててしばらく考えた後、荷物の中から空き瓶を取り出してトヲルが座る流木の上に置いた。


「同じ感じでやってみてよ、この空き瓶を的にして」

「は?」

「ほら早く」

「く、来るな!」

 空き瓶に向かって声を挙げるトヲル。何も変化はない。


「来るなッ!」

 もう一度空き瓶に向かって叫んでみる。

 空き瓶は物音ひとつ立てずそこに立っていた。アイカを見ると、あからさまに不機嫌な顔になっている。

「あんた舐めてんの? もうちょっと本気でやってよ」

「いや本気って言われても……本気――で何をするのさ」

「ちゃんとやるまで終わんないかんね!」

「ええ!? 何で俺怒られてんの?」


 トヲルはアイカの理不尽な要求に戸惑いつつも、何回か空き瓶に向かって叫んでみる。相変わらず空き瓶には何の動きもない。

 気付けば空はずいぶん明るくなっていた。


「危機感が足りんのよね。次失敗したらあたしが〈クイーン・オブ・ハート〉であんたを吹っ飛ばすってのはどうかしら」

「俺がミンチになるだろ!」

「多分大丈夫、峰打ちにするから」

「血液の峰ってどこだよ。あと多分って言ったよね今? ……そもそも何が成功になるんだかも分からないし……」


 トヲルは抗議の声を挙げながら、オーガを前にした時の状況を思い起こしていた。叫びながらオーガに向かって手をかざしていたような気がする。


 空き瓶に向かって掌を突き出す。

「来るなッ!」

 やはり何も起きない。


 来るな、と叫んだ時、トヲルが反射的に考えたことは何だったか。


 そう――こっちに来るな、いなくなれ、消えてくれ――。


 きん、と硬質な音が耳を突いた。


 見ると空き瓶の底だけが流木の上に乗って微かに揺れている。

 瓶の上半分がなくなっていた。

 切り口はナイフで切ったように滑らかに、綺麗な弧を描いている。

 オーガの腕が消えた時に見えた切り口によく似ていた。


「……なるほど、これか」

 アイカが真顔になって瓶の底部を手に取った。流木の裏や地面を見渡して呟く。

「消えた瓶の残骸は見当たらないわね。文字通り、消え失せたって感じ……」


 切り口に軽く指を這わせてみる。

「ふうん……キズもカケもない綺麗なもんね。熱も感じないし、酸でもなさそう。まさか物質量ごと変化したとか? 待って待って、いくらSF由来の技術でも物理法則まで捻じ曲げるなんてありえないし……いやでも……」

 トヲルを振り返ったアイカの目が輝きを放っている。

 空はすっかり明るくなっていて、彼女の上気した頬の様子もよく分かる。


「ね、あんた、あたしの研究サンプル……じゃなくて助手にならない?」

「は、はあ?」

「あんたの特性〈ザ・ヴォイド〉、想像以上にやばい能力かも。正直かなり興味深いわ。いわゆる人外種って個体数自体が限られてるワケだけど、これはかなり特殊な部類だと思うの。この能力をこのまま放っておくのは勿体ない」

「いやでも……急にそんなこと言われても……俺は」


「エクウスニゲルに行きたいんだよね?」

 トヲルの言葉尻を奪うように唐突にアイカは言う。

「え、うん……」

「研究サンプル……じゃなくて助手になってくれたら、あたしが連れてったげる。しかもあたしはIDの研究者で、こうして彼岸をよく旅して回ってるワケ。あんたの知らないことだって、教えてあげられっかも知んないよ?」

「連れてったげるって……どうやって」

「こんな華奢なあたしが自力でキャンプ道具担いで旅してるとでも思った?」


 アイカは親指で後ろを差した。

 日の出が近付いて視界が広がったお陰で、少し離れた場所に二頭立て四輪の立派な幌馬車が停められているのが見えた。


「あの馬車が君のものなのか?」

「いえーす……ってオーガの騒ぎで逃げてるわね、あのコら」

 アイカは指を咥えて、鋭く口笛を鳴らした。


 川の対岸にある丘の向こうから、二頭の白い馬が駆け戻って来る。ちょうどその時、山の端から昇った太陽の光が辺りに差し込み、馬の白い毛並みが輝いた。


 朝日の中、アイカがトヲルに右手を差し出している。

「どうよ。お互いにうぃんうぃんな取引と思わない?」


 確かに闇雲にエクウスニゲルに向かっていたが、行った先で妹の手掛かりを探すのが本来の目的だ。徒歩だけの移動ではどうしても限界がある。

 それに彼岸を旅しているというアイカなら、何か有益な情報を知っているかも知れなかった。


 トヲルが黙ってその右手を握り返すと、アイカは鋭い牙を見せて笑顔になった。

「よろしくね、研究サンプル一号君! ごめん間違えた、助手一号君!」

「……言い直してるつもりかも知れないけど、さっきからかなりしっかりと研究サンプルって言ってるからね?」

「似たようなものだかんね」

「そんなわけあるか。俺はトヲル、トヲル・ウツロミだ。名前で呼べば間違わないだろ」

「おっけー、トヲルね。じゃあ改めてよろしくってことで!」

 アイカはぶんぶんと握手した手を強く振った。


 考えてみれば透明人間になってから、握手をしたのは初めてだ。

 例え目印のアバターがあっても、姿の見えないトヲルに手を差し伸べて握手をするという発想自体が浮かび難いのだろう。


 何だか少し、心が軽くなっていることにトヲルは気付いた。



つづく

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