第3話 勢いで学校と街を捨てた俺が、吸血鬼に出会う話。

 シスターのクリスは学校を辞めたら孤児院を手伝ってくれればいいとトヲルに言った。


 実際、透明人間であるトヲルが兵士以外の道を選ぶとすれば理解のあるシスターの元がまずは最も現実的だ。しかし親身になってくれているクリスに悪いとは思うものの、彼は今どうしてもそんな心持ちにはなれなかった。


 ゼノテラス市長の会見と改正特別法の制定は確かに彼ら人外種にとって重大な事件だった。

 しかしトヲルにとっては訓練学校から、無能な者としてあっさりと厄介払い扱いされていた事実の方が遥かにショックだったのだ。

 これから兵士として力を付けていけばいいと考えていた自分が甘かったのかも知れない。


 命の恩人で、目標でもあった兵士ディアナが人外種で、暴走事件を起こした張本人だったという事実も心理的に追い討ちをかけた。

 なんだか、これまでの自分の生き方が全て否定されたような気持ちだった。


 今すぐ孤児院に戻る気も起きないが、このまま学校に居座る気もすでにない。


 その夜。


 彼はひとり自分の荷物をまとめ、そのまま寮を抜け出した。


 正規の退学手続きをこなすのも煩わしかった。どの道いてもいなくてもいいような存在と看做されていたわけだから、大した問題にもならないと踏んだ。


 学校を離れる前に一度クロウにも会っておきたかったが、女子寮から飛んでくる気配は無い。例の会見の翌日だし、普段だったら今日の様子などを話しに来るところだろう。SF端末同士の遠隔通話で呼び出しをかけたが応答は無かった。


 もう会うことはできないと言ったクリスの言葉通り、ひょっとしたら彼女はもう軟禁状態にあるのかも知れない。


 透明人間であるトヲルにしてみれば女子寮に潜入してクロウに会いに行くこと自体は簡単だが、そうはしなかった。

 彼は自分の特性を使って常識的に禁じられた行為はしないと幼い時からシスターのクリスに言い含められ、それを忠実に守り続けていた。


 特性〈ザ・ヴォイド〉という能力に男子生徒からは羨望の、女子生徒からは警戒の込められた視線を受けることが多い。

 もし自分の振る舞いに少しでもやましいことがあれば、そのような視線もいちいち気になって、屈託のない人付き合いも出来なくなってしまっていたことだろう。

 その意味でもクリスはトヲルにとっての恩人だ。


 学校敷地の正門には、五、六名の歩哨が立って人の出入りを監視している。

 どうやら学校の関係者ではなく、兵団から派遣された兵士たちらしい。いつもは警備員が一人で詰め所にいるくらいなので、学校が特殊な状況下に置かれているのは間違いなさそうだ。


 もっとも、いくら現役の兵士たちが武器をたずさえて警備していようと、姿の見えないトヲルを見とがめることは出来ない。外に出たければその脇をすり抜ければいいだけだ。


 難なく正門を抜けたトヲルは一度だけ後ろを振り返った。

 残していくクロウのことは気掛かりだが、不思議とそれ以上の感慨は浮かばなかった。

「……」


 そのまま踵を返し、学校に背を向ける。

 彼の訓練学校生活は、そうして誰に気付かれることもなく静かに終わりを遂げた。


 とにかくどこか違う場所に――ひとりになれる場所に逃げ出したい。


 漠然とそんな思いを抱えて学校を出たトヲルだったが、その足は自然と都市城壁の方へと向かっていた。

 城壁は都市と彼岸を区切る境界線だ。その境界線に唯一設けられた通路が、中央門と呼ばれる巨大な城門だった。

 そもそも城壁が都市を怪物たちの襲撃から守るものなので、その城門も基本的に兵団の出撃以外で開くことはない。


 今トヲルが見上げている門も、ぴたりと閉ざされ、学校の正門とは比較にならないくらい大勢の歩哨が警備に当たっていた。煌々と照明が当てられ、辺りは昼間のように明るい。


 兵士以外に、この門を通ることはできない。トヲルもそういうものだと思い込んで、兵士になる道を志していた。しかし、そもそもトヲルのID特性〈ザ・ヴォイド〉をもってすれば、門を通ることに何ら障害は存在しないのだ。


 彼は城門の脇にある階段を使って城壁の上に立った。


 強固な城壁はその最上部も胸壁と兵器によって要塞化されていて、やはり多くの兵士が警備に当たっている。


 トヲルは胸壁の狭間はざまから、彼岸を眺めた。

 暗い。


 城壁の前は照明で照らされているが、そこから向こうはただ漆黒の闇が広がっていた。

 都市の喧騒、あるいは怪物の咆哮が辺りにこだましているのか、ごうごうと地鳴りのような低音が風に乗って来る。


 妹のメイとはぐれた彼の故郷エクウスニゲルは、あの暗闇の向こうにある。


 兵士でないからと言って、行けない場所ではない。兵団の馬車で数時間の距離は徒歩だと相当な時間はかかるだろうが、結局は地続きなのだ。


 トヲルはすでに決めていた。


 自力で彼岸に行ってメイの手掛かりを探すのだ。

 彼の特性〈ザ・ヴォイド〉は気配そのものを消せるわけではないので怪物に襲われる危険が無いとは言えない。それでも視認できないという特性は、彼岸を踏破する上ではかなりのアドバンテージにはなるはずだった。


 トヲルはそのまま、ゼノテラスの城壁を越えたのだった。



 ゼノテラスの城門からは舗装されていないものの、道が伸びていた。

 兵団の車両や部隊が行き来するうちにできあがったものだろう。お陰で歩きにくくはないが、都市の光が届かなくなってくると暗闇で先がまるで見通せない。

 おりしも空は分厚い雲に覆われて、月や星の明かりもない状態だ。視界はほぼゼロメートルと言っていい。


 確か付近を流れる川にぶつかるまでは一本道だったはずだ。このまましばらくは道なりに進めばいいのだろうけれど、本格的に彼岸を歩くのは日が出ている間にすべきだと思った。


 トヲルは無言で歩を進めている。

 自分の足音しか聞こえない闇の中をひたすら前に向かって歩いた。


 どれほどそうして歩いた頃か、前方の視界に小さく瞬く光点を捉えた。

 目が暗闇に慣れていなければ気付かない程の小さな光――彼の足は自然とその光に向かっていた。


 進むにつれ、川のせせらぎが聞こえ始めた。

 瞬いて見えていた光も、揺れる炎であることが分かる。川辺で焚き火をしているのだろうか。側にテントが張られているのが灯りに照らされて見えた。


 人がいるのか? 兵士……じゃないよな。


 野営地に見えなくもないが、一週間前の部隊壊滅事件から新たに派兵されたという話は聞かないし、兵団のものだとすればずいぶん小規模だ。

 透明人間であるトヲルがいきなり声をかければきっと騒ぎになる。彼は物音を立てないよう、少し離れた場所にそっと近付いた。


 テントと焚き火の間にローチェアが据えられており、そこにひとり、座って寝ている。

 金色の髪をサイドテールにした可憐な少女だった。


 恐らくトヲルよりも年下だろう。

 炎に照らされたそのあどけない顔は、完全に熟睡していた。


 こんな都市から離れた何もない場所で寝てるなんて……何者だ?


 やはり兵士には見えない。

 着ているものはボレロとスカート、足元にはブーツ。

 訓練学校の制服に似ていなくもないから、ゼノテラスではない都市兵団の訓練学校生と言われれば納得できるかも知れない。

 だが周囲に他の人影はなく、何かの演習中とも思えなかった。


 トヲルは彼女を放置していていいものかどうか、考えあぐねている。


 彼岸で眠りこけている彼女の状況は明らかに危険なのだが、テントを張り、焚き火の前にローチェアまで据えてくつろいでいる姿にはトラブルのようなものを感じさせない。

 少女の寝顔を眺めたまま立ち尽くしていると、大きな水音が聞こえた。背を向けている川からだ。


 振り返ったトヲルの視界に、巨大な影があった。

 身の丈四、五メートルはあるかと思われる巨人が、川からこちらに向かって歩いて来ている。


 怪物だ。


 この巨体は、オーガと呼ばれるIDだろう。

 獰猛どうもうな性質と、その巨体に見合う怪力がもたらす脅威については訓練学校でも習った。

 兵団の兵士をもってしても安全に討伐するには一個分隊規模の戦力が必要な強敵で、会敵した際には最優先で処理すべき対象とされている。


 思わず身体を硬直させたトヲルの目の前を、オーガがゆっくりと行き過ぎる。


 ……気付かれていない。


 彼の特性〈ザ・ヴォイド〉はオーガに対しては充分に効果があるらしい。

 ほっとしかけたトヲルは、そこで焚き火の側の少女に視軸を向けた。

 少女は依然、しっかりと睡眠中だ。

 オーガの足はそちらへと向いている。明らかに目標は彼女だ。


 トヲルは慌てて少女に駆け寄ると、ローチェアから引き起こしにかかった。背後から両脇に腕を入れて立ち上がらせようとするが、脱力しきった少女の身体を思うように運べない。

 最早、なりふり構っていられない。


「ねえ君! 起きて、起きて! オーガがいるよ、起きて!」

 にわかに騒ぎ始めたトヲルに、見えないながらもオーガはトヲルの気配を察知したようだ。

 少女の頬をはたきながら怪物を見やると、焚き火の炎を受けて紅く光るオーガの両目と目が合った。


 当の少女はこの期に及んでまだむにゃむにゃと起きる気配がない。

 やむなくトヲルは少女の背中と膝裏に腕を回して抱き起こす。

 そもそもトヲルは非力なので、少女一人の重さでも彼の手には余る。かろうじて少女の身体を持ち上げる彼の視界の端に、太い腕を振り上げるオーガの姿が映った。


 よたよたとオーガに背を向けて逃げ出すトヲル目掛けて、雄叫びと共にその腕が振り払われる。焚き火、ローチェア、テントもろとも、トヲルは少女を抱きかかえたまま吹き飛ばされた。


「うぐぅッ!」

 川原に投げ出されたトヲルたちに、オーガは再び距離を詰める。

 緩慢な動きだが、その巨体からすればわずか二歩の距離だった。


「やめろ、来るな!」

 トヲルは倒れたまま、それでも怪物から少女を背後にかばった。

 ふと、エクウスニゲルでワーウルフに対して妹を背後にかばって対峙した記憶が過ぎった。


 オーガは再び雄叫びを挙げ、腕を大きく振り上げた。

「来るなあああッ!」

 思わず手を前にかざして叫んだトヲル。


 だが直後に来るはずの衝撃はなかった。


 恐る恐る顔の前から手をどけると、振り上げたオーガの腕は、肩から先が消え失せていた。

 ちょうど、型でクッキー生地を抜いたような綺麗な切り口だ。

 オーガの絶叫が、空気を震わせた。


「うるっさいなあ……人が気持ちよく寝てるってのに……」

 トヲルの背後から、寝惚け声がする。運んでいた少女が目を覚ましたらしい。


 恨めしそうな彼女の目が、トヲルの目を捉えた。

「……あんた、誰よ」

「俺が……見えるのか?」

「ん? ああ、そういうこと。あたしにはそういうの効果ないから。ってか、うっわオーガじゃん、腕取れてんじゃん、キモッ!」

「き、君がやったんじゃないのか! とにかく逃げよう、あいつ、まだ諦めてないみたいだ」


 オーガの両目が怒りで更に赤く光っている。残った腕に力が込められ、筋肉と血管が盛り上がって太い樹木のようになった。

「は? あたしが? ……まあいいか。逃げる必要はないと思うけど、このまま放ってもおけない感じだね」

 少女は牙のように鋭い自分の犬歯に、右の人差し指の先を押し当てた。牙が皮膚を破り、指先に紅い血の玉が作られる。

 人差し指を立てたまま拳銃のような形に右手を握ると、血の浮いた指先を怪物に向けた。

 オーガは雄叫びを挙げて腕を振り下ろしてきている。


「ぱん!」

 少女の声と共に、オーガの上半身が霧散した。


 残った下半身がぐらぐらと揺れて、音を立てて真後ろに倒れる。そこに空中に飛び散ったオーガの肉片や血液が雨のように降り注いだ。


「……!」

 一個分隊で倒すのがやっとのような怪物を少女は一瞬で消し飛ばした。

 一体、何者なのだろうか。

「た……助かったよ、ありがとう」


 彼女は血の出た人差し指を口に咥えながら、トヲルを横目で見る。

「いやお礼を言わなきゃなんないのはあたしの方っぽくない? あんたがあたしを抱えて逃げてくれたんでしょ。さすがのあたしも眠ったままでオーガにパンチされてたら無事じゃ済まなかっただろうし」

「まあ、逃げ切れなかったんだけどね」


「……あんたこんなとこで何してんの」

「そっくり全部こっちの台詞だけど……俺は訳あってエクウスニゲルに向かってるとこなんだ。遠くから明かりが見えたからこっちに来たんだよ」

「エクウスニゲル? 徒歩で? 馬鹿じゃないの」

 少女は呆れ顔を隠そうともしない。

「こんなとこで眠りこけてる君がそれ言うのか」


 トヲルの反論を聞いているのかどうか、少女は指を咥えたまま彼をしげしげと見つめている。

「……こうして会話できてる以上は人格も正常か。怪物の一種って訳じゃなさそうね。ちょっとあんたさ。そこでコーヒー飲んでかない? お礼もかねてごちそうさせてよ」

 と、彼女はテントのあった川辺を指し示した。

「え?」


「あとついでにオーガに散らかされたキャンプ地の片付けも手伝って」

 お礼する相手に片付けを手伝わせる点には、何の疑問も感じていないらしい。

「あたしはアイカ。アイカ・ウラキ。あんた、いわゆる人外種ってヤツでしょ。あたしも同じ。特性〈クイーン・オブ・ハート〉――」

 アイカは鋭い牙を見せて笑顔を作った。


「種族〈ヴァンパイア〉」



つづく

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