第2話 そこからやり直し?

 次第に、眩いばかりの光が視界に差してくる。


「……ここは?」


 天上の高い、白い大理石の空間。

 俺もよく知る、宮廷の大広間だった。


 その広間を埋め尽くすように、煌びやかな服に身を包んだ貴族たちがいた。

 彼らの誰しもが、俺に顔を向けている。


「それでは、今より紋章神授式を執り行います!」


 よく通る声に振り向くと、仰々しい司祭服に身を包んだ神官がいた。


 これは、あの日か──


 俺が手の甲に黒い文字を宿した、闇の紋章を授かった七歳の日の光景だ。


 死に際に思い出すのが、まさかこの日だとは。


 これは悪魔のせいだろうか? 悪魔の見せる夢だったりして……


「だが、その割にはなんだか随分とはっきりと見えるような」


 俺がそう呟くと、周囲がざわつきだす。

 今、なんと仰ったのだろうかとか聞こえてくる。


 反応がある?

 まさか、人生が巻き戻った?


 いや、まさかそんなこと──


 やけにハリのある頬をつねってみる。

 痛い。


 鏡面のような大理石の床に目を落とす。

 若かりし頃の、痩せた俺が映っていた。


 ……嘘だろ?

 本当にあの日に戻ったのか?


 俺の一挙一動に、貴族たちは好奇の目を送る。


 この後、俺をゴミのように見下すくせに。


 神官は俺の前に立って、笑顔を向けてくる。


「アレク殿下。あなたは帝国の希望。きっと、素晴らしい紋章が下るでしょう──”聖”の紋に違いない」


 ”聖”の紋章か。

 まさか、その対極たる闇の紋を授かるなんて誰も思うまい。


 知られているだけでも、紋章の種類は千を超す。


 ただし大きな分類があって、聖、火、水、雷、風、土、そして無と闇の属性に分けられる。


 これらの分類は、魔法の属性とも対応している。

 無だけが魔法に関連しない紋章で、あとは魔法の七属性と密接な関係があった。

 例えば聖属性の紋章なら、必ず聖属性の魔法に恩恵があるのだ。


 それに加え、紋章によってはそこに剣技やらの恩恵も得られたりする。

 【剣聖】がその例で、聖属性の魔法と剣技が上達しやすくなる。


 一般に貴族ほど珍しい紋章が得られるのが統計として分かっている。

 血筋と紋章は密接な関連があるらしい。

 中でも皇族や大貴族は、聖属性の紋章や、無と闇以外の属性の強力な紋章を授かることが多い。


 一方で、庶民は無属性がほとんどというわけだ。


 最後に闇属性だが……これは本当に少ない。


 とはいえ、少ないだけなら何も問題ない。

 闇属性の紋章を授かった者は、俺のように人々から忌み嫌われてしまう。


 歴史を見ても、幾度となく迫害されてきた。

 

 そして俺は、今からその闇の紋章を授かるのだ──


 神官が呪文を唱え始める。


「いとも高きにあられる神々よ……アレク・アルノーツ・ルクシアに神の加護たる紋章を授けたまえ!」


 俺の足元に魔法陣が現れる。


 しばらくすれば、俺の手の甲には黒い文字が浮かぶだろう。

 呪われた闇の紋章が。


 闇の紋、というだけでそれ以上のことは分からない。他の属性の紋なら絵や古代文字で紋章の効果が分かるのだが、闇の紋は解読されていないので詳細が分からないのだ。


 いや、待てよ。


 もしかしたらこれが本当に人生が巻き戻っているとしたら──

 何かの行動で、得られる紋章が変わるかもしれない。


 神々は信じたことがないが、神頼みで変わったり……


 俺は目を瞑り、心の中で闇は嫌だと唱える。聖の神、火の神、水の神と……心で神の名を唱えていった。


 神官の声が響く。


「れ、アレク皇子の紋章は……こ、これは!?」


 ────闇は嫌だ! 闇は嫌だ! 闇は嫌だ! 闇は……


「────闇!」


 目を開くと、神官は愕然とした表情で口を開く。


「──え? や、闇の紋章?」


 周囲はシーンと静まり返ってしまっている。


 まあ、神頼みなんかで変わるわけないよな……


 手の甲にはもはや安心感を覚える、黒い文字が浮かんでいた。

 ただいまとでも言っているようで、なんだか腹立たしい。


 少ししてどよめきが起こる。


「う、嘘だろ? 呪われた、闇の紋章だと!?」

「帝国の終わりだ……皇子が、闇の紋を授かるなんて!」

「”人間”じゃない! 魔王の落とし子だ!」


 あの日と同じように、貴族たちは俺を拒否するような表情と言葉を向けてくる。


 俺はこの日を境に離れていく貴族とその子弟たちを見て、誰も信じることができなくなった。人と視線を合わせることすら怖くなった。最悪の日だった。


 しかし、二度目だからか?

 予想できていたからだろうか?


 ──あまりショックではない。


 むしろ、この掌返しがあまりに滑稽に見えた。

 人間なんてこんなものかと。


 前の俺はここで俯き、逃げるように皇帝の間を飛び出してしまった。

 あれを見て、こいつは駄目だと思われたのも人が離れた原因だろう。俺はこの後、多くの取り巻きから逃げられてしまう。


 だから、明るく振る舞わなければ。


「闇の紋章か──くくくっ!」


 小さく笑った。


 人々はざわつくだけで、誰も俺に近寄ろうとしない。

 気が触れた、なんて声も聞こえる。

 だが塞ぎ込むよりは、はるかにマシなはずだ。


 そんな中、少し離れた場所で別の神官の声が響いた。


「……【聖女】! ユリス・イリューリア! 聖の紋章! 【聖女】の持ち主です!」

「【聖女】だって!?」


 貴族たちの興味は、すっかりその声のほうに掻っ攫われてしまった。


 この紋章神授式は、七歳になる皇族と大貴族の子供が共同で紋章を授かる。俺以外にも、十人以上が今日、紋章を授かるのだ。


 遠目から、俺も皆の視線の先に目を向けた。


 白銀の髪をした美しい少女が立っている。

 あの子はユリス・イリューリア。

 イリューリア辺境伯の一人娘で──俺の婚約者。


 ユリス……


 俺が六歳のころか。

 一目惚れし、周囲にユリスと結婚すると吹いて回った。


 当時のイリューリア辺境伯はユリスの父で、俺の言葉を婚約だと皇帝や大貴族に認知させた。

 ユリスは望んでもいないのに、俺の婚約者となってしまったのだ。


 子供だったとはいえ、今思えば悪いことをした。


 好きでもない、しかもこんな紋章を授かってしまう男なんかと、婚約なんて。


「【聖神】……ルイベル殿下、【聖神】です!」


 と、俺の腹違いの弟も隣で紋章を授かっていた、ルイベルだ。


 この年までは魔力が少なく、貴族たちからは蔑まれていたが……今日、【聖神】という紋章を授かり、周囲から持て囃されるようになる。


 闇の紋を授かった俺とは対照的な人物だ。


 そしてルイベルはこの日を境に、俺に何かと絡んでくるようになる。


 学校で宮廷で、しつこく自分の魔法や仲間を見せびらかしてきた。その中には、今日まで俺が仲良くしていた友人たちも含まれていた。


 また、あの面倒な日々がやってくるのか……


 ……いや、いかんいかん。

 早速、後ろ向きになっているぞ。


 どういう理屈かは知らないが、人生を巻き戻すことができたんだ。


 なら、俺がやることは一つ。


 ────闇魔法を、極めるんだ。

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