スナイパー(2)

 ハセベはおそらく、彼女がサカキと繋がっているとは思っていなかったのだろう。それもそのはずで、彼女はかつてナルオミの女だった。アウトローに馴染めず堅気の世界へと戻ったが、その時に部屋や職探しの手伝いをしたサカキとはずっと連絡を取り合っていた。組織内でのナルオミとサカキの関係を知るハセベだからこそ、その接点には気付かない。

 女が話しかけたときに、ハセベが何者かと会っていたことを突き止めたサカキは、それから今日までその人物を秘密裏に探し続けていた。そしてつい先ほど、風俗店から出てくるところをようやく取り押さえたのだった。

 目の前の男は小柄で、鍛えているようだったが暴力に慣れた様子がない。細く黒い眼差しは鋭さより哀愁を感じさせ、人込みのなかで埋もれてしまうような淡さだった。とても人を殺せるような男には見えない。だが、虫も殺さぬような顔をして人を殺める人間を、サカキは何人も知っている。

「オマモ、リ」

 言葉を覚えたばかりの子どものように、たどたどしい口振りで男が呟いた。

「は?」

「オマモリ……。こっちではお守りのことをそう言うらしいな。店の女に教えてもらった」

 掠れた声で、男がようやく話し出す。だが発せられたのは異国の言葉だった。男を押さえつけている両側の二人が、ふざけるなと言って殴りかかろうとするのを、サカキは手をあげてとめた。

 男は血の唾を吐き捨てて顔を歪める。

「やっぱりあんたには通じるか。おれと同郷なんだろ」

「ああ、そうか。これはこっちじゃただのストラップか」

 サカキは持っていたお守りを目の高さに掲げて目を細めた。

「留学生か」

 男と同じ言葉でサカキは問いかける。男は小さく頷いた。

「スポーツ特待生でこの国に来た。だけど大会で成績が出なくなって退学したよ……。だから留学生だったっていうのが正しい」

「依頼を請けたのは、金か」

「そうだ。学校を辞めたことを親はまだ知らない。おれの生活は全て学校の補助で間に合ってることになってる。どんなに金がなくなっても、親に無心するわけにはいかない」

「いくら貰った」

 短くなった煙草をアスファルトでもみ消して、続けて新しい煙草に火をつける。それをくわえたまま携帯電話を取り出して、サカキは電話をかけた。すぐに相手が出て、電話口を手で覆いながら小声でやりとりを交わす。

「いくらなんだよ」

 なかなか答えようとしない男の顔を正面から鷲掴みにして、サカキは急かした。細く節くれだった指が男の両頬に食い込んで、男の言葉はくぐもった。

「さ、三十だ」

 男の返答に、サカキはうっすらと笑みを浮かべた。短く電話口に囁いて通話を切る。

「倍の六十出してやる」

「え」

「ただし条件は二つ。誰に雇われたか話すこと。そしておれに会ったことを誰にも言わないこと」

「誰がそんな条件……。こんなにされてまで聞くと思うのか」

「まあ、それもそうか」

 お守りに刻まれた模様を指の腹で撫で、サカキは肩をすくめた。それを見て、男は歯を剥き出して笑った。

「二百まで出してくれるなら考えるぜ、兄弟」

「二百ねえ」

「出せねえってんならそれまでだ。おれは警察に自首する。この国の警察は優しいって映画で見たよ。あんたらに追われてるって言えば、外国人で犯罪者のおれのことだって守ってくれるんだろ」

「自首、ねえ」

 サカキは煙草の灰を落とす振りをして、先端を男の眼球へ向けた。男はとっさに目を閉じようとしたが、事情を察したウェイターの手が伸びて、無理やり目をこじ開けた。

「なめたこと言ってんじゃねえぞ。兄弟だって? ふざけんな、お前のお袋なんざしゃぶらせてくれって金積まれても願い下げだ」

「や、やめろ……」

「六十だ。それ以上はない」

 サカキはじりじりと小さな炎を近付けていく。灰になった部分がふと睫毛に触れて、雪のようにこぼれた。男は悲鳴をあげた。

「金はいらない、おまえに会ったことも誰にも言わねえよ。だからもうやめてくれ!」

 瞬きができないからか、灰が目に入ったからか、男の目からは大粒の涙が止め処なく落ちた。

「お願いだ……お願いだよ……」

「じゃあ話せ」

 なおも男は渋ろうとしたが、剥き出しになった火をさらに近付けられて、寒さとも恐怖ともつかない震えで歯を鳴らしながら口をひらいた。

「な、名前は知らない。連絡はメールで、アドレスはフリメだった。変な言い回しが多かったから、翻訳サイトでも使ってたんじゃないか」

「会ったんだろ」

 携帯電話をいじりながら、サカキは煙草を吹かす。

「ああ、金の受け渡しで。メールと同一人物かどうか知らねえけど、来たのは白髪まじりのおっさんだ。人のよさそうな、わりと普通の……」

「そいつはこの中にいるか」

 サカキは携帯電話の画面を向けた。男は充血した目でじっくり画面を見て、それからゆっくりと頷いた。

「左端の男がよく似てる。そんな気がする」

 それは先代の葬儀の折、サカキが密かに撮影したもので、カイト、ナルオミ、そして左端には数人の幹部とともにハセベが写っていた。

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