第17話 勇者、走る
ふと、目に映った。
自身が常に身につけている赤いマフラー。
好きだった英雄譚の勇者がつけていた赤いマフラー。
王家の力は強大だ。だが、万能ではない。
力の対価は記憶だった。
『私の騎士』のことを、何一つ覚えていなかった。
あの日、騎士の身分を返上し、すべてを忘却した姫のもとを去った。
なりたい『勇者』になるために、姫を救ってすべてを笑顔にできる『最高の勇者』になるために、修練の旅に出たのではなかったか。
エーテル信仰をすべて壊滅させ、スラムの子供を匿い、平民の身分になりながら『勇者』を目指した。
なぜ思いつかなかったのだろうか。
それはきっと、あの日の自分を思い出したくない少年が、無意識のうちに頭から排除していたからに過ぎない。
魔王はなぜ姫を攫ったのか。
なぜあれ程の力を持っているのか。
決まっている。
姫の力を強制的に引き出しているからだ!
これ以上、姫に力を使わせるわけにはいかない。
記憶を失うほどの負荷だ。
最悪、命を失ってしまうかもしれない。
「姫よ! もう一度、あなたに会いたい!」
吾輩は、私は、大うつけ者だ。
たとえ私が愚かでも、彼女だけは救わねばならない。
その覚悟さえ忘れていた。
すべて終わって一息ついて、それから姫に赦しを請おう。
勇者は立ち上がる。
勇者は駆ける。
「私はまだ、勇者ではない! だからこそ、勇者にならなけらばならない!」
そうだ。勘違いをしていたのだ。
試練を乗り越えるものだけが『勇者』なのではない。
愛することができるものが『最高の勇者』なのだ!
「これでは、姫のほうがよほど『勇者』ではないか!」
階段に足を取られてつまずく。ろくに力は残っていない。
しかし、時間は待ってはくれない。
一刻も早く。
間に合わなければならない。
自らを鼓舞すべく、勇者はあらんばかりの声で叫んだ。
「勇者、走れ!」
魔王は資料を読んでいた。
玉座に座り、未知を既知にする喜びを噛みしめる。
「王家の奇跡は、感情の高ぶりで増幅する!」
なぜ『奇跡の代行者』が機能しないのかが判明する。
それは、王家の力を奪う装置だ。
エーテルを思うがままに歪め、世界に干渉する力。
そのすべてを剥奪する権能である。
ならば、剥奪する力が弱ければ、十全の出力を出せないのは自明である。
「姫の感情を刺激する何かを」
なぜ姫は、今になって感情を刺激されたのか。
あの男しかいない。
あの、地下の奥底に落とした勇者しかいない。
「早まったか」
姫と勇者の関係は知らない。
知っていることは、あの少年は恐ろしいほど強く、巷で勇者と呼ばれる実力を持っている。
そして、魔王を生んだ組織を独力で壊滅させたということぐらいだ。
しかし、過去に一度しか観測されなかった姫の奇跡の可能性。それを殺してしまったとは、実に惜しいことをした。
何か他に手を打たなければ……。
思考を海に没頭する直前、伝令が飛び込んでる。
「魔王様! 勇者が戻ってきました!」
「ばかな! ターミナルに落ちたのだぞ!」
魔王はめったに見せない驚きをあらわにした。
百キロの自由落下をしたのだ。確実に死んでいなければおかしい。
伝令はまくし立てる。
「地下から出現し、こちらに向かっています! 突然のことで、戦力が整っていません。警備兵が防衛にあたっていますが、足止めにもなっていません!」
ともかく、今は対処法を考えるべきだ。
呼吸を整える。
慌てても解決しない。
焦りを抑え、冷静さを取り戻すのだ。
「いや、これはむしろ好機か」
研究者を呼び出し、計画を話す。
「なるほど、やって見る価値はあります。ですが、確証がありません。もし失敗したら、魔王様は勇者に殺されてしまいます」
「覚悟の上だ。ここで躓くようなら、世界征服など夢のまた夢。いまこのときに、すべてを賭ける」
魔王は確認漏れがないか、精査する。
研究者に重要事項を告げた。
「魔王軍全員に告げろ。地下の人間たちを引き上げるんだ。魔族も人間も、全員避難しておくようにな」
勇者は走っていた。
目的の場所は近い。
先程から、魔王軍の動きが妙だ。
あれほど勇敢だった彼らが、誰一人としていなくなったのだから。
しかし、勇者のやるべきことは変わらない。
妨害のなくなった通路を進み、因縁の部屋への扉を見据えた。
剣を振るい、重厚な扉を切り飛ばす。
そこは広い空間だった。
崩落したはずの床が修復されている。
魔王の間。中央の玉座の先に姫がいるのだ。
玉座に座っていた魔王が立ち上がり、好戦的な笑みを浮かべる。
対象的に、勇者は眉間にシワを寄せながら剣を構えた。
「征くぞ、魔王!」
「来い、勇者!」
最終決戦が始まった。
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