第16話 逆襲の灯火
蹄鉄がアスファルトを叩く音が鳴り響く。
馬が町中を走る時代錯誤な光景だが、注目するものはいない。
「誰もいませんね。避難警報が発令されています。幸い、避難は完了しているようです」
「外に状況が伝わっているのですね。私の騎士、あなたはどう思いますか?」
「避難はされているのに援軍が来ないのは妙ですが……。先王の屋敷で状況を把握しなければ、何ともいえません」
騎士が馬の手綱を握り、その後ろに姫が乗っている。何かあったときに急加速できるよう、姫は『私の騎士』の腰にしがみついていた。
城の外は、驚くほど静かだった。火の手が上がっているわけでもなく、逃げ惑う人がいるわけでもない。それが帰って不気味だった。
先王の屋敷なら、エーテル機器が使用できる可能性が高い。かなりの数の兵士がいるし、ひとまず安全だと言える。
「お父様もそちらに?」
「はい。王も無事に逃げ延びられていれば、すでに到着されている頃です。馬には無理をさせますが、先を急ぎましょう」
馬は本来、舗装路を走らせるのは好ましくない。蹄鉄をつけていても、硬いアスファルトを走らせるのは負担がかかるからだ。
急かす背中の主の指示を受け、血統馬は速度を早めた。
一時間ほど走っている。
事は順調に進んでいた。
敵と遭遇することもなければ、イレギュラーで足を止めることもない。
先王の屋敷が見えてきたときのことだ。
「私の騎士、様子はどうですか?」
「少数ながら、騎士が見えます。バリケードは作られていますが、襲われているようにも見えません。大丈夫かと」
屋敷前の見張りもこちらに気づいたようだ。
「王女様! お付きの騎士様も! ご無事で何よりです!」
門が開かれる。
早足で門をくぐると兵が集まっていた。負傷している兵もいるが、余力を感じられる。
その中に、目当ての人物がいた。
「王様。ご無事で何よりです」
「うむ。そなたもよく娘を守ってくれた。疲れているところすまないが、先王様に状況報告をしてほしい」
「承知しました」
騎士は屋敷に入る。
騎士についていこうとする姫を、王が止める。
「娘よ、大変な怪我をしているではないか。救護室に行きなさい」
「お父様こそ、怪我をしているのでしょう? 私の騎士は言及しませんでしたが、血の気が引いています」
「い、いや。そんなことはないぞ」
「と・に・か・く! お父様は休んでください! 私の騎士もそうですが、お父様も自分の体を軽視しすぎです! 私は、私の騎士といっしょに報告してきますから、先に治療を受けていてください!」
そう言って、姫は騎士を追いかけていった。
王は渋々救護室に向かう。
「娘よ。自分の体を軽視しているのは、そなたもだぞ……」
王は天を仰いでつぶやいた。
「姫様ですか。入ってください」
「失礼いたします」
姫と騎士が部屋に入る。
王城が豪華さを意識しているのに対して、先王の応接室は木目調の落ち着いた空間になっている。
部屋の中央には、白髪混じりの男性が座っている。
「お久しぶりです。ご壮健なようで何よりです」
「かしこまらなくても結構ですよ。正式な王族と私では、天と地ほどの差があります」
「そう仰らないでください。先王様は戦後の大変な時期に、国のために尽くしてくださったではありませんか」
彼が先王だ。
先王も王太后も、特殊な事情から王族の血を引いていない。
しかし、もともとは有力貴族、手腕は本物で戦後の立役者である。
「彼は噂の専属騎士ですね。なるほど。その怪我は、姫を守って負ったものでしょう。奇跡の子と呼ばれ、現王から信頼されているのも納得できます」
「そうなんです。私の騎士はすごいのです! 向かってきた敵を……」
「先王様、状況報告をしましょう」
時間が惜しい。話が脱線しそうな姫を遮り、騎士は話を戻す。
突如饒舌になった姫に驚いている先王と冷静な騎士は状況確認を始めた。
「こちらも襲撃されていたのですね。エーテルの使用はできると」
「ええ。苛烈な攻撃でしたが、ここには最新兵器が揃っています。そう簡単には落ちません」
ここでも襲撃があったが、エーテル兵器を使って撃退したという。
エーテル回路を焼き切る兵器というのも、簡単に使えるものではないのだろう。
先王は続ける。
「各地の兵舎が同時に襲われていて、援軍が来るのに一時間ほどかかります。ただのテロとしては戦力が整いすぎていますから、連中の言葉はあっているのでしょう」
姫が応える。
「『エーテル信仰』。政教分離で内情がわからないうちに、国家転覆を目論んでいたなんて……。大宗教とはいえ、このような非道が許されるはずがありません!」
エーテル信仰とは、エーテル技術の研究に信念を掲げる一大宗教だ。倫理的に問題が起こることがあるものの、戦後の復旧と現代社会の科学力に多大な貢献をしたことも事実である。
激昂する姫を見つつ、騎士は覚悟をしていた。
「王族を狙う理由はやはり、例の力によるものでしょう。なんとしても、守らなければなりません」
「うん? どうした?」
先王が疑問を口にする。
突如、照明が消えたのだ。
「これは」
「私の騎士。もしかして!」
嫌な思いが背中を走る。
いや、そんな簡単にできるものではないはずだ。
しかし、楽観は破られた。
「敵襲!」
見張りの叫ぶ声。
騎士は正面口に駆けた。
十秒もしないで外に飛び出る。
「構え!」
正面口では敵が展開しているところだった。
屋敷の騎士たちは優秀で、すでに陣形を整えて一列に銃を構えている。
「撃て!」
銃声が響く。鮮血が舞った!
「えっ」
倒れ込む一人の兵。
「弾が出ないぞ!」
そう。味方の銃弾は一発として発射されない。
「逃げろ!」
勇者は叫んだ。
しかし、そのときにはすでに敵の横隊が機関銃を構えていた。
――閃光が迸る。
遅れて轟音。
敵の掃射に、味方が血を吹き出して倒れていく。
生き残った味方は必死にバリケードの裏に逃げ込んだ。
「いつまでも持たない! なんとしても王族を守り切るのだ!」
騎士たちも勇敢だった。
何が起こっているのかは把握していない。
それでも、いますべき最善を模索している。
「何があったのですか!?」
そこに王、先王、姫が来る。
「この屋敷は援軍が来るまで持ちません! 逃げましょう!」
援軍の到着まで、三十分といったところか。
このままでは、十分と持たないことだろう。
「現王、姫。裏口からお逃げください。私は残ります」
先王が告げる。
彼は傷ついていく騎士たちを見ていた。
姫ただ一人が否定する。
「先王様、何を仰るのですか!? なりません。一緒に逃げましょう!」
「余も残ろう」
「お父様まで!?」
先王と現王は、覚悟を宿した視線を交える。
「王族を絶やしてはならない。ならば、残るものと逃げるもので別れるべきだ」
「現王よ。私も老いたとはいえ、鍛錬は欠かせていません。騎士隊長には及ばないまでも、あなたの身を守る盾となりましょう」
「すまない」
姫はなお引き下がらない。
「みんなで逃げましょう! まだどうにかなるはずです!」
現王は姫の騎士に目を向ける。
「娘の騎士よ。娘を守ってやってくれ」
「はっ! この命に変えても、必ずお守りします!」
騎士は、姫の手を取る。
「私の騎士、離して!」
「姫、申し訳ありません」
「うっ……」
掌底を打ち込まれ、姫は意識を失う。
意識を失った姫を抱えて馬に乗る。
「先王様、王、武運を祈ります」
「ああ、そちも達者でな」
馬の腹を軽く蹴る。
馬は走り出し、裏口を飛び出した。
先王の屋敷の裏には、公園が広がっている。
敷地面積は広大で、名前こそ公園とあるものの、森といったほうが正しいほど整備が進んでいない。
王家は自然のあるところに住むという伝統があった。
レンガ造りの王城は戦後に作られたもので、大戦争の前までは自然豊かなところに住むのが伝統だったのだ。
先王が余生をここで過ごすと決めたのは、きっと心は王族でありたかったからに違いない。
屋敷から煙が立ち昇っている。騎士は燃え盛る屋敷を振り返り、一礼した。
雨が降ってきた。馬の脚が滑らなければよいのだが。
「お父様……先王様……」
騎士の腕の中にいる姫が、意識を失いながらもうわ言をつぶやいている。
姫が泣いているように見えるのは、雨のせいだけではないだろう。
騎士は手綱を握り直す。
きっと、自分は姫とは違うのだ。
父上の死を見届け、笑顔を失った。最近になって取り戻してきたかに見えたが、やはり心のどこかが麻痺しているのだろう。
だから、騎士の頬を伝う雫は、姫のものとは違う。きっと、雨が降ってるからなのだ。
願わくば、父を失うかもしれない姫が、自分と同じにならないように。
自分にはもう、姫を守るために逃げることしかできないのだから。
「守りきれなかったら、私はもうだめだな」
騎士の独り言は、雨音に溶けてなくなった。
もうじき、森を抜ける。
森を抜けたら、そのまま兵舎まで走るしかない。
騎士は馬上で剣を抜く。
森が途切れ始めたところに、奴らがいた。
機関銃は地面に捨てられていて、剣やナイフを持っている。
「ああ、シケって使えないのか」
旧式の火薬を使う武器は、雨で使えなくなるものもあると聞く。
好都合だ。
馬をさらに加速させる。
先頭の敵を轢き潰した。
加速を剣に乗せて、向かってくる敵に叩き込む。
機関銃がないのであれば、姫の騎士にとって造作もない敵に成り下がる。
敵の包囲網の第一陣を抜ける。
このままいけば、どうにか森を抜けられると思われた。
「こっちだ! 標的がいたぞ!」
叫ぶ敵を轢き潰し、森と住宅地の境界線に飛び出す。
それに気づけと言うのなら、条件は最悪だった。ただでさえ見にくい森の中、雨で視界が狭まり、聴覚にも制限がある。馬に乗って小回りが効かない。騎士に落ち度があるのなら、自分でも気づかないうちに普段の冷静さを欠いていたことしかない。
森を抜けるために飛び出した横側。住宅地になった瞬間、突っ込んできた装甲車と衝突した。
馬が悲鳴を嘶き、騎士と姫は宙に吹き飛ばされた。
馬がクッションにならなければ即死だった。
「ああ……」
痛む体を無理やり起こし、姫を横抱きにしてゆらゆら走る。
装甲車が動き出す。
轢かれないように、せっかく飛び出してきた森に逃げ込んだ。
後ろから迫る敵の声と足音。
骨のいくつかは折れているだろう。なんとか姫を抱えている腕も、ヒビが入っているに違いない。
もう、逃げ延びることなどできなかった。
姫を抱えているだけで腕が千切れそうだ。歩けていることが不思議なほどだ。
「私の騎士……」
抱える姫が、うっすらとまぶたを開いている。騎士以上に生気のない顔をしている。
背中を大やけどし、『私の騎士』のために追っ手と死の追いかけっこをして、父は安否不明。騎士と一緒に装甲車に轢かれている。
足から骨の一部が飛び出し、赤と黄色の塊が覗いてしまっている。
「謝りたいのです。あなたが『勇者』になりたいといったのを、拒んでしまいました。あのときの私は、あなたが遠くに行ってしまうのがたまらなく嫌だったのです」
姫は宙を見ていた。彼女が何を見ているのか、『私の騎士』には分からなかった。
「でも、もういいのです。愛しています。私の騎士。誰よりも、愛しています。だから、あなたは、あなたのなりたい『勇者』になってください」
敵がナイフを投擲する。
騎士の足に深く突き立ち、倒れた。
姫が宙に投げ出される。
騎士は転がってしまった姫のもとに這う。
「私の部屋に……あなたのために編んだマフラーがあるのです。あなたが好きな英雄譚に出てくる赤いマフラー。……気に入っていただければよいのですが……」
敵に囲まれていた。
剣もナイフも、もう避ける足が動かない。
『私の騎士』は、姫を抱きかかえる。
守りきれない自分が大嫌いだ。
「私の騎士……いまなら、できる気がするのです……」
世界が軋む感覚。
「王族の力は……きっと……愛なんです」
世界が振動し、空を、地を、『奇跡』の波紋が広がっていく。
「私があなたを忘れても、あなたは私を覚えていてください。それだけで、私は幸せものです……」
姫から広がる光を浴びて、敵が倒れる。雨雲が消える。騎士の傷が癒えていく。
陽だまりの中、姫を抱いた少年がいる。
翌日、彼は騎士の座を返上した。
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