第12話 予兆 中編
火の上がった廊下をひたすら駆け抜け、自室へと向かう。
あそこは王城で最も堅牢な部屋の一つ。いつまでも走り続けるよりも、助けが来るまで籠城するほうが現実的だ。
姫がまだ追いかれていないのは、『私の騎士』が受けている騎士の訓練に参加したことがあるため。彼と一緒にいる口実を作るために、無理を言って何度か参加させてもらった。おかげで、かなりの体力と体さばきを持っている。
追跡者たちが装甲服を着込んでいて、やや速度が下がっているのもあるだろう。
彼らの言葉の端々から推察すると、彼らは倫理を無視したエーテル技術で世界を征服しようとしている。
姫を殺すことが目的で、王家の者を潰そうとしているのだろう。
現在。最新のエーテル技術の結晶である王城、そのシステムのすべてが機能を停止している。城が敵の手に落ちている最大の理由だ。
これも、敵の手によるものと考えられる。偶然にしてはタイミングが良すぎるし、敵の準備が整い過ぎている。どうやったのかは不明だ。
角でスピードを落とさないため、向かいの壁に跳躍して足をつけ、遠心力で体が壁に吸い付くように曲がる。
続いて階段を二歩で飛び降り、銃口に定められないように通路を走り回る。
姫は身軽であった。
追手の銃弾に当たらないように曲がり道を多用した。
おかげでかなりの遠回りをしたが、姫の部屋が見えてくる
少しだけ首を後ろに向け、横目で後ろを確認。
イメージを。扉を開けて小さく反転、扉を閉めて施錠する。
それをするのに、十分に距離は開いている。
ホッと息を吐き、吐いたぶん以上に息を吸い込んで踏み込む。
手を伸ばし、ドアノブに手をかけてひねる。
危うげなくドアの隙間に体を差し込み、イメージ通りに進んでいた。
このまま、あとは扉を閉めてカギをかけるだけというところで、閉めようとした扉がつっかえる。
「っ!?」
下を見れば、扉と扉の枠の間に、煤にまみれた円筒が挟まっている。
慌てて円筒を掴み、取り除こうとしたところで、扉に敵の手がかかった。
いけない! と全身の力で閉じようとしたが、もう遅い。
力強い成人男性の手に勝てるはずもなく、扉が開けられていく。
「離してください!」
ドアの隙間から、更に数人がこちらに向かっているのが見える。
まさに窮地といったときに、扉の隙間に円筒を差し込み、引き金を引いた。
「ごめんあそばせ」
敵が投擲して滑り込ませた煤まみれの小銃。それが火花を散らして、執着の過ぎる殿方の肩に命中。
対抗する力がなくなって、扉を引いていた勢いのままに後ろに倒れ込んだあと、急いで鍵を閉める。
扉から微かに叩く音がする。しかし、この扉は戦車が来ようとも傷一つ付かず、防音性、耐熱性も高い。
爆弾を使ったようだが、揺れることさえない。
姫は緊張が解けて、膝から崩れ落ちる。
はしたないが、ここに咎めるものはいない。
落ちつくと、思い出したように背中の痛みが戻ってきた。
ホールで逃げたときに負ったやけどだ。
姿見で見てみると、痛々しく皮膚が焼けただれている。
「跡が残ってしまいますね」
しかし、幼少期にお母様に褒められて大切にしてきたこの肌に火傷痕が残っても、さほど悲しくならない。
それどころか、胸の奥が熱くなって、少しだけ頬が緩んでしまう。
——だって、初めて私が、『私の騎士』のために負った傷ですもの。
自分に酔っているだけと言われればそれまで。それでも、嬉しくなってしまうものなのだ。
彼にこの傷を見られたら、どう思われるだろうか?
きっと悲しむ。でも、彼は自分の傷をこう言っているのだ。
「守るべきものを守って負った傷は勲章」だと。
彼に増えていく傷を見て、姫は悲しくなった。もしかしたら、その傷を誇りに思っていた彼の心持ちは、今の姫と同じものだったのかもしれない。
傷を見るのもほどほどに、クローゼットの救急箱を取り出して手当をする。
専属の医師に無理を言って、姫の手で私の騎士を手当するのに使ったものだ。
背中以外にも細かい傷は多く、自分の手が届く範囲で包帯を巻く。
「痛いっ」
ドレスを脱ごうとしたが、皮膚ごと引っ張る感覚がしてやめる。
背中のやけどで、皮膚と癒着してしまったようだ。
「私の騎士は、無事でしょうか」
祈ることしかできない。
彼が負ける姿は想像できないが、万が一ということもある。
お父様や使用人も心配だ。王家を守っていた騎士達はどうなったのか、なぜ助けが来るのがこんなにも遅いのか、なぜ防衛システムが機能しないのか、わからないことだらけである。
部屋に閉じこもってから、十五分ほど経った頃のこと。
分厚い扉に阻まれて、かすかに聞こえた銃声が収まった。
諦めたのだろうか?
いや、ここまで大規模なテロを実行した人たちが、目当ての姫を殺さずに引き下がるとは思えない。
弾が切れたか、姫を誘い出している可能性を捨てきれない以上、扉を開けるわけにはいかない。
扉に耳を当てる。
少しでも扉の向こうの音を拾えるように神経を集中させ、動向を探ろうと試みる。
聞こえてきたのは、規則的な、何かが点滅するような、危険を知らせるためのアラームのような音。
すぐに扉から飛び退くと、金属がひしゃげる不快な音響が発せられた。
扉が振動し、ガタガタと揺れる。数秒後に、空気が漏れるような音がした。
背筋が凍る。
扉は一見、先程と変わりない。
それでもわかる。密閉性が保証されているなら、空気の漏れる音が聞こえるはずがない。
再び轟音が響いたと思うと、こちらに向けて扉が倒れる。
重たい金属塊が床に衝突して鈍い音が響き、取り払われた隔壁の向こう側があらわになった。
大爆発があったのかフロア一帯が黒変し、火の海となっていたときよりも更に高温になった熱気が肺を焼く。
扉を破るのに使ったと予測できる残骸は、金属の漏斗のようなもの。
爆薬の衝撃を一点に収束させるためのものだろう。高圧で液状になった金属を掘削して、扉の枠を溶解させるに至ったと思われる。
開いた扉の横から、人影が現れる。
装甲服のシルエットが不気味な影を形作り、姫を覆う。
その数、十余り。
ここから繋がる通路はすべて占拠され、逃げ道を潰すように布陣している。
破壊された扉から銃口が向けられる。
不思議と恐怖はなかった。
「できれば、仲直りしたかったものです」
過去の情景が頭をよぎる。走馬灯というものだ。
この事件の直前に喧嘩をしてしまった彼のこと。
家族を失い泣いている彼のこと。
誰よりも血のにじむような訓練をしていた彼のこと。
私を庇い、いつでも身を挺して守ってくれた彼のこと。
サプライズで開いた、小規模ながらも楽しかった誕生日パーティーでようやく笑顔をみせてくれた彼のこと。
そんな彼を見ていて、彼のようになりたいと憧れを抱いて、彼と一緒にいると心が暖かくなって。
――ああ、なるほど。気づきました。
「これが、愛なのですね」
お父様とお母様、尽くしてくれる使用人たちに抱く親愛。
初めて、それとは違う形の愛を知る。
ゆっくりとした時間の中で、引き金を引かれるのが見える。
「私の騎士。せめて、あなただけでも生きてください」
諦観の中で呟き、目を閉ざす。
「姫! どこですか!」
愛する人の声がした。
「私の騎士! 私はここです!」
打てば響くように応える。
目を開け、体を起こし、今までの人生で一番の大声を上げた。
「私はここにいます!」
廊下から響く銃声と足音、人の倒れる音。
「何をしている! 残した部隊はどうした!」
姫に銃を突きつけていた人物が怒鳴り、音のした方を向く。
――そちらにいるのですね!
駆ける足音が近づき、複数の銃声がひとつ、またひとつと減っていく。
「くそっ!」
敵は姫に向けていた銃口を、迫る音の方に向けた。
「だめっ!」
銃を持った腕へ飛びつき、狙いをそらす。
銃弾は明後日の方へ飛んでいった。
「どけっ!」
姫は突き飛ばされ、背中から床に落ちる。
火傷を負った背中が痛み、体中の傷口から血が滲む。
だが、もう心配ない。
「すまないな」
視界の端に映るのは、身を低くして凄まじい速さで近づく『私の騎士』の姿。
装甲服が体勢を整えるよりも早く、装甲の隙間を縫うように剣を差し込み、血しぶきが上がった。
装甲服は痙攣したあと、動かなくなる。
騎士は剣についた血を払って、姫の御前に跪いた。
「姫、遅くなり申し訳ございません。ここは危険です。どこかへ避難しましょう」
「私の騎士!」
姫は彼の胸に飛び込んだ。
彼は目を白黒させたあと、姫を受け入れた。
「よほど怖かったのですね……私が来たからには、もう大丈夫です」
少しだけ癒やされたあと、体を離す。
騎士は姫の手を引いて歩き始めた。
「何があったのですか? お父様は? 城のみんなは?」
「裏口へ向かいながら話しましょう」
騎士は、足を止めずに話し始めた。
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