第11話 予兆 前編
あの日から、『私の騎士』は王城で住むことになった。
形の上では、騎士隊長の家の当主――つまり、近衛騎士の家系の主人へと繰り上げられたことになっている。
しかし当主として家を持つには若すぎるということから、成人するまで王城の使用人として雇われる事となった。
王城で働きつつ、騎士に必要な教養を勉強するのだ。
彼は現在、脚立の上に立っていた。近くには椅子に座った姫もいる。
姫は、あくせく照明をメンテナンスをしている私の騎士を眺めながら、にやける。
テロリストたちが騎士隊長の屋敷を襲ったあの日。『私の騎士』は、本当にただの子供だった。
勝手にすごい人だと思って、何があっても平気な強い人なのだと思いこんでしまっていた。
たくさん泣いて、たくさん後悔して、たくさん自分を傷つけて……。
それを見て姫も泣いて、悲しくてどうしようもなくて、自分は一人ぼっちだと思いこんでしまっていそうな『私の騎士』を抱きしめて、夜が明けるまでいっしょに泣き続けた。
けれど、もう心配ない。姫には自尊心があった。
あれから四年も経って、ようやく『私の騎士』は、ぎこちないながらも笑顔をみせるようになったのだ!
姫が『私の騎士』の笑顔に喜んでから、数日ほど経ってからのことだ。
私の騎士の務めが終わり、二人で中庭にいた。
「爵位を返上しようと思います」
何を言っているのかわかりません。
「旅に出ます。そして自分を磨き直した後に改めて、自らの実力で今の地位まで戻ってきます」
「お待ち下さい! なぜそのようなことをするのですか!?」
姫の声が上ずった。
自分が見えなくなっていた。
城のものが聞いていたら、淑女としてはしたないと注意されていたことだろう。
「ここにいるかぎり、あなたは一生幸せでいられるのです! 私が幸せにしてみせます! これから幸せになっていって、あなたは毎日笑って日々を過ごすのです。それに、私だって……」
あなたは、王城での日々を楽しいと思わなかったのですか?
言葉を紡げず、姫は騎士に表情が見られない様に俯いた。
姫は今の自分を見られたくない。
これ以上口を開けば、とても醜いことを言ってしまう。
「あなたは、ここでの生活を、楽しいとは思わなかったのですか……」
消沈してしまった姫を見て、騎士は慌てて告げる。
「滅相もありません! 国王陛下には大変な便宜を図っていただき、使用人も皆尽くしてくれました。なにより、姫との日々はとても鮮やかで、楽しく、これ以上の幸福はありません!」
「楽しかったのなら、ずっと側にいさせてください! そうだ、お父様にいって、私も旅に同行しましょう。外の世界を見てみるのきっと楽しいでしょうし、あなたがいるのなら怖いことなどありませんわ!」
自分でも、最上の考えだと思った。
「姫!」
だからこそ、なのだろう。
『私の騎士』の言葉に絶望を感じてしまったのは。
「分かってください! きっと、ここに戻ってきます! 各地を旅して偉業をなして、勇者として舞い戻ってきます! ですから、それまで待っていてください!」
「わかりません! そのようなこと!」
頭が「なんで」でいっぱいになってしまっていた。
すべてが分からなくなってしまった姫は、ついカッとなってしまったのだ。
頬を叩く、高く鋭い音。
「姫、お待ち下さい!」
「あなたの顔など、見たくありません!」
『私の騎士』に平手打ちをしてしまい、姫は彼の静止を振り切って部屋を駆け出した。
「うう、なんで……」
ああ、絶対に嫌われてしまいました。
姫は自室のベッドに身を投げ出し、枕に顔をうずめて、声を押し殺して泣いていた。
枕を掻き抱き、喉から嗚咽が込み上がる。
「私は、なんてことをしてしまったのでしょう」
もう少しだけ冷静になっていれば、彼の真意にも気づけたのかもしれない。
でも、もう遅いのだ。
彼が嫌いになったのではない。カッとなって彼のことを信頼できなかった自分が憎いのだ。
彼にだけは、たとえ私が私を嫌いになっても、彼にだけは嫌われたくなかったのに!
自ら鍵をかけて、誰も入れないようになった扉は、姫が自らを許すまで決して開くことはないのだ。
泣いて泣いて、自らを嫌悪して、後悔にまみれる。
されど心は落ち着かず。
終いには泣き疲れて、深い深いまどろみに落ちていった。
何かが焦げている匂いがする。
肌を撫でる熱気に、本能が急速に意識を覚醒させた。
姫の自室は特別頑丈にできていて、密閉した構造とそれに伴う耐熱性や防音性の高さは、簡易的なシェルターと呼べるほどのものになっている。
それでも分かるほどの熱気と臭気は異常と言える。
連絡用に部屋に取り付けられた有線電話に手を掛ける。
逃げてしまったあとで誰かに電話するのは気まずかったが、恐る恐る通話ボタンを押した。
「……」
繋がらない。受話器はツーツーという電子音を返すばかりだ。
嫌な予感に当てられながら、そうでないように祈りながらドアを開ける。
予感が当たった。
そこには、火の海が広がっていたのだ。
家財道具や飾られた絵画が燃え、耐火性の床に撒かれた液体が炎を迸らせている。
自室に繋がる廊下が赤く光り、焦げ臭さの中に鉄のような匂いも混ざっているのが恐怖を想起させる。
「どなたかいらっしゃいませんか! メイド長! お父様! ……私の騎士!」
大声で呼びかけても、どこからも返事はない。
本能が火を拒絶するのを振り切って、部屋の外に足を進める。
腰を折って、ハンカチを口に当てる。
火事のときは姿勢を低くして、煙を吸わないようにすることが大切と聞いたことがあった。
こんなにも大きな火と煙であるのに、スプリンクラーが作動していない。
定期的に点検されているはずだが、故障してしまったのだろうか?
階段を降り、ホールへと続く道を進む。
自室をでてから、誰とも会っていない。
時々床に見える血痕も、同じところに向かっているのだが……。
この血痕を流している怪我人は、先に抜け出して治療を受けているのだろうか?
スプリンクラー以外にも、これだけ時間が経っているのに、いまだ救助隊が来ていないこともおかしい。
これではまるで、防衛システム自体が機能していないみたいではないか。
伝統を意識したこの城は、一見ただのレンガで出来ているように見える。しかし、特殊な薬品を混ぜて作られていて、コンクリート並みの頑強性を誇っているのだ。
そのおかげで道が塞がれているようなこともなく、どうしても避けられない炎は飛び越えた。
全身すすだらけになって、ドレスの端を裂いて動きやすくした。
普段よりも、数倍たっぷりと時間を使って進む。
ホールへの扉が見えた。
「離れろ、相手は一人だ! 距離をとって銃撃に専念しろ!」
突如鳴り響く、銃声の嵐。
鼓膜を叩く大音響が姫の脳まで揺らして、立ち眩みを起こす。
この先に行ってはいけない。
これはもう、認めるしかない。
他国の侵攻か、紛争のターゲットになったか、テロリストか。理由はわからないが、王城が戦場になっているのだろう。
踵を返して、裏口から出るべきだろうか?
意外にも、恐怖のなかでも思考は明瞭としている。
恐怖のあまり感覚が麻痺してしまったのか、あの襲撃事件が姫に胆力をもたらしたのか。
たしか、ここから裏口までは……。
「私は死なない!」
私の騎士!
理性よりも幾分か早く、ホールへの扉を開け放った。
ホールもまた火の海となっている。
二十人ほどの装甲服を着込んだ人間が散開し、今となっては骨董品にあたる旧式の銃器をを持って、一人の少年を囲んでいる。
囲まれてひどく傷ついている少年は、間違いない。『私の騎士』だ。
致命傷こそ負っていないが、血にまみれ、息が上がり、動きがぎこちなくなっている。
少年に向けて火薬が散り、迫る銃弾。
彼は体をひねることで避け、前傾姿勢になったところからそのまま加速、近くの装甲服に急接近して、体ごと剣を叩き込んで昏倒させた。
昏倒させた者から目を離し、次に倒す相手を見定める少年。
「いけません! 離れて!」
姫は見た。倒れた敵が起き上がって、自分ごと巻き込む至近距離で手榴弾を握っている。
爆発が起こり、炎の液体が撒き散った。粘性を失った代わりに、広範囲への拡散性と浸透性を上げたナパームのような兵器だろう。
王城に撒かれて炎を上げている液体と同じものだ。
昏倒させた装甲兵が燃え上がり、今度こそ動かなくなる。
すばやく距離をとった少年は、皮膚を焼かれつつも重症を免れた。
いまの叫びで、装甲服たちが姫に気が付く。
「あそこにいるのが目当ての姫君か? 疑わしいものは全て殺せ!」
筆頭と思われる男が、命令を下す。
あの男は……四年前の襲撃事件で逃げおおせたテロリストだ!
「命など惜しくない! われらの革命を成し遂げるのだ!」
その場にいた装甲兵の半数ほどが、剣を構える少年に見向きぜずに姫へ向かう。 集団は訓練を積んでいる動きだ。王城の騎士よりも練度は低いだろう。
しかし、一人ひとりの反応が早く、自らの役割をわかっている動きだ。
なにより注目すべきは、少年を襲っているときにも見せた、自身の命を顧みない執念である。
姫は王国の兵法書で読んだ「死地にある敵ほど恐ろしいものはない」という言葉を思い出す。こういった手合いは、ときに確約された戦況を覆すこともありえるのだ。
事実、少年の戦況は芳しくない。
四年前の襲撃事件以降、更に武術に磨きのかかった彼であれば、数百人襲ってきたところで傷一つ負わない。
敵は積極的に自爆特攻を仕掛けてきて、自らの命と引き換えに少年に少しの傷を負わせる。
ジリ貧になるのは目に見えていた。
装甲服で聴覚に制限があるであろう集団。
姫はわずかに逡巡した後、集団にも伝わるほどの声量で叫んだ。
「私が王女です! この命が欲しければ、こちらに来なさい!」
もと来た道へと振り返る。
自分が狙いであれば、姫が集団を引き付けることで少年から注意を逸らせるはずだ。
逃げ出そうと敵に背を向ける。
駆けようと足に力を込めたとき、すぐ後ろで何かが落ちる音がした。
爆発音。炎の液体が飛散。
「うぐっ」
背中を焼く熱に、くぐもった声が出る。
炎の液体はドレスにも浸透し、姫の肌を焼く。
熱いというより、もはや痛いと感じる熱量だ。
この程度で済んだのは、耐熱も考慮されたドレスのおかげだろう。普通なら死んでいる。
もっとも、そのドレスも限界のようだ。焼き尽くされたドレスが火の粉として舞い、姫の火傷した背中があらわになる。
次に攻撃を受ければ、姫は確実に死んでしまう。
痛みなど気に留めず、もときた廊下へと駆け出す。
これで、少しでも彼の負担が減れば。
ちらりと後ろを見れば、ホールにいた敵の半数ほどが追ってきている。
姫と賊軍の、生死をかけた追いかけっこが始まった。
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