第10話 見下す、見上げる

「私こそが魔王。世界の支配者になる者」


 王の間と廊下を繋ぐ境界線、そこに一人の魔族が立っている。

 魔族という生き物は、個体ごとに形質の違いが大きい。

 おおよそ人型と呼べる姿をしているが、人間に角や牙が生えているようなものから、二足歩行で歩く獣そのもののような姿をしているものまでいる。

 『魔王』を名乗るものは、意外にも魔族の中でも人間に近い個体だった。

 頭から生える二本の角、群青色の肌。爬虫類を思わせる金の瞳。橙色の髪の一本一本が太く長い。

 魔族は人間と同じ年のとり方ではないが、見た目で言えば少女とよんで差し支えない容姿をしている。

「いかにも、吾輩が勇者だ! 貴様が魔王か。いますぐに姫を開放しろ!」

 勇者は剣を構えながら、噛み付くように叫ぶ。

 対して、魔王は冷静だった。

 勇者に対し、耳を疑う言葉をのたまう。


「勇者よ、我らの軍門に降らないか?」


「……どういう意味だ?」

「そのままの意味だとも」

 変なことを言うやつだ。勇者が魔王軍に入るのを受け入れるとでも思っているのだろうか?

 眉をひそめる勇者を無視して、魔王は歓迎するかのように手を広げ、笑いかける。

「姫との邂逅は邪魔しないでやった。部下にもそう命令した」

 魔王はこちらに歩いてくる。

 緋色のマントを翻し、小柄ながらも惹き込まれる何かがあった。

 なるほど。王者の風格というものか。

 人を惹きつける力であれば、国王陛下にも引けを取らないのかもしれない。

 魔王は笑顔を絶やさず、勇者を見つめる。

「魔王軍を斬り伏せ、ここまできた一騎当千の力。見事なものだ。我らは強いものを貴ぶ。貴殿であれば、快く迎え入れよう!」

 魔王は本当に愉しそうに笑う。

 笑いかけながら言葉を重ねる。

「すでに確認は済ませてある。襲ってきた我らの兵を、一人たりとて殺していないではないか!」

 ……そのとおりだ。

 勇者は剣を振ったが、それらはすべて致命傷から外してある。

 勇者の剣は見た目こそ真剣だが、刃を引いていた。

 彼の実力なら、刃引きした剣でも切ろうとすれば切れる。

 しかし、そうしなかった。

「それはつまり、我らと必要以上に敵対する意思はないということなのであろう?」

 合っている。

 そのとおりだ。

 できることなら戦いたくない。

「悪い話ではないだろう? 姫をやろう。貴様が人間の王に姫との求婚を迫ったことは、すでに世に広がっている。あの姫は死ぬが、我らの実験が成功すれば姫と同じものを作ることだってできる。世界征服で活躍したら、城もやろう。貴殿ほどの実力であれば、いくらでも功績を立てることは容易い。望むなら、こちらが提示できるすべてをやろう。考えても見ろ、天下にその名が轟き、女を侍らせ、魔族の勇者となるのだ! これだけの好条件を、人間の王に用意できるのか?」

 そのような世界も、悪くはないだろう。

 憧れの勇者になれて、姫も楽しく日々を過ごせるのかもしれない。

 勇者はごく僅かの間、そんな素晴らしい生活を幻視した。

 魔王の話術は、そうさせるだけのものがあった。


「魔王よ」

「なんだ?」

「それはできない」


 勇者の返答に、今まで笑みを浮かべていた魔王が固まる。

「理由を聞いておこうか? 何が気に入らない? 直せるものであれば、訂正しよう」

 勇者は思い切り息を吸い、空気が張り裂けんばかりの剣幕で応えた。


「吾輩が目指す勇者像とは! 弱者も、強者も、万人を救い上げる英雄のことだ! 決して他者を支配し、排斥するものなどでは断じてない! もっと、愛に溢れたものだ!」


「そうか」

 魔王の表情が失われる。

 端正な顔がこちらを見つめ、言葉を紡いだ。

「愛などないというのに……死ね」

 魔王の後ろ、王の間の正面口が開け放たれる。

 武装した魔王軍が、雪崩のように入り込んできた。

 魔王は、隣に来た科学者と思われる白衣を着た鳥型魔族に耳打ちする。

「装置を起動させろ」

「しかし、あれはまだ調整中です」

「それが狙いだ」

 科学者は合点がいったように頷く。

「なるほど。かしこまりました」

 魔王軍が一斉掃射を浴びせかける。

 勇者はとっさに玉座の裏に隠れた。

 破片の粉塵が舞う。これでは、ゲリラ豪雨を全て弾丸に変えたようなものだ。

 玉座がみるみるうちに削り取られていく。玉座はかなり硬い素材だが、すでに原型を留めていない。

 玉座の後ろ。姫の閉じ込められている扉を見る。

 特別頑丈にできているようで、これほど銃弾を浴びせられても、傷一つついていない。

 姫に関しては心配いらないだろう。

 胸をなでおろし、勇者は反撃に移るべく足に力を込める。


「総員、ただちに銃撃を停止! 王の間から出ろ!」


 銃撃が止む。ボロボロになった玉座の横から覗くと、魔王軍が王の間から出ていくのが見える。

 こちらの挙動を見て、様子を見るつもりだろうか?

 理由はわからないが、出るなら今だろう。

「征くぞ! 魔王!」

 玉座を魔王へ蹴り飛ばす。その後ろを追従するように駆け、玉座が盾になる形で魔王に直進。

 勇者の足なら、三秒もせずに詰められる距離だ。

 景色がゆっくりと後ろに流れていき、時間が遅くなったような没入感に達する。

 勇者は引き伸ばされた体感時間の中で、魔王がつぶやくのを聞いた。


「勇者よ。貴様の負けだ。『奇跡の代行者』起動」


「させてなるものか!」

 なにかする前に叩く!

 勇者は加速しようと床を強く踏みしめる。

 しかし、それは阻まれた。

 突然、王の間の床全体が崩壊したからだ。

 踏みしめた床がなくなり、脚が宙をかく。浮遊感に包まれた。

「何が起こった?」

 視線が宙をさまよったあと、床のあった場所を見る。

 おかしい。

 着地点が見えない。

 それほどに深い場所。

 明らかに魔王城の頂上よりも深い穴。

 勇者の脳裏に走るのは、魔王城の設計図にあったシークレットゾーン。

 魔王も崩壊範囲にいたはずだと、そちらを見る。

 魔王は浮遊していた。空中に縫い留められたかのように静止している。

 背中から光の翼をはやし、空中でもがく勇者を見下している。

 そこで勇者の意識は途切れた。




 魔王は心底つまらなそうな表情で、勇者の落ちていった大穴を見ていた。

「魔王様、すぐに床を修復します。姫も別の場所に移さなければ」

「ああ、そうだな」

 魔王はぶっきらぼうに答える。

 勇者は落ち始めたとき、こちらを見上げていた。

 あれは諦めていない目だった。自身の死が確定した瞬間において、なお活路を探している動きだった。

 魔王はそれが不快でたまらない。

「それにしても、人間一人相手に随分と大胆なことをしましたな」

「あれを過小評価するな。我らの前身となる組織を壊滅させた人間だぞ」

 別段、壊滅させられたからといって、特別な恨みがあるわけではない。

 あんな腐りきった過去を、思い出したくもない。

 恨んで思い出すよりも、恨みを放り出してでも忘れるほうが精神安定にいいのだ。

 魔王は大きくため息を吐いたあと、体調を確認する。

「想定よりエーテルの損耗が激しい。回復も微々たるものだ。出来損ないの姫ではこんなものか」

 魔王は本来修復に使うはずの魔法を、あえて充填が足りていない状態で強制使用した。

 その反動を使って、王の間の床一面を崩壊させ、勇者を奈落へ突き落としたのだ。

 まさか、これだけの高さから落ちて、無事なわけがあるまい。

 魔王は思案する。

 力を使いすぎた。

 最大の障害である勇者を倒したのは大きいが、侵略を始めるには消費した力を溜める期間を設けたい。

 研究者もまた考えていた。

「三年前に観測したデータでは、すでに世界規模の能力を扱えるはずなのですが……想定の三パーセントほどしか力がありませんね。データが間違っていたのでしょうか?」

 魔王は科学者の言葉に首肯する。

 予定では、すでに侵略を開始している頃なのだ。

 魔王は力に意識を集中する。

 現在の力を把握して、次に備えるためだ。

 現状確認をした魔王は目を見開く。

「魔王様、いかがなされましたか?」

「力が回復している」

 科学者は驚くより先に訝しんだ。

「お言葉ですが、そう簡単に回復できるとは思えません。この出力では、あと二週間は待ちたいところです。僭越ながら、間違いではないでしょうか? もしそれが本当であれば、なにか理由があるはずですが……」

 そのとおりだ。

 物事には、必ず理由がある。

 魔王は優秀なエーテル研究者だ。

 研究者としての側面が、脳をフル稼働させる。

 変わったことはないか。

 違和感はないか。

 つい先程までと何が違うのか。


「科学者よ。エーテルの精神作用に関する資料をかき集めろ」


「御言葉のままに」

 科学者は、己の主の言いつけを果たすために資料室に急ぐ。

 一方で、魔王は考え続けていた。

 この謎さえ解き明かせば、この法則さえ導き出せば、この現象を支配すれば、絶対の力を得られるに違いない。

 資料の到着を待ちながら、魔王は姫を閉じ込めた部屋を見つめ続けていた。

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