第4話 魔王城・俯瞰

 彼方にそびえるは魔王城。

 見た目こそレンガ造りの古い要塞に見える。

 噂に名高い居城の全容を見渡せる高所に、一人の人間が立っていた。

 黒を基調とする軍服を着込み、赤いマフラーがたなびいている。

 勇者は佩剣したロングソードの感触を確かめつつ、彼方の様子をうかがう。

「姫、必ず救います」

 今日は春の夜の中でも一段と冷える。つぶやいた息も白く風に流れた。

 夜の帳はすでに落ち、上空を過ぎ去るヘリのプロペラ音も聞こえなくなった。

 予定としてはここで一夜過ごしてから、明朝に突入を検討している。

 予定確認のため、情報屋にもらった情報を吟味する。

「さて、この城はどのような構造であったか?」

 正面からは当然無謀。相手の戦力は未知数で、姫を人質に取られている。ならば、隠れて姫の元に行かなければならない。

 テントを建てようと荷物を漁っているときのことだった。

「なんだ?」

 皮膚感覚が違和感を伝える。空気の微小な振動を捉えた。

 唸るような低い断続音。

 上空からエンジン音が聞こえる。

 ヘリコプターが戻ってきたのであろうか? いや、戻ってくる理由がない。

 見る見るうちに振動は大きくなり、爆発的な音響として聞こえるほどになった。

 訝しげに音のする方向に目を凝らす。

 今夜は曇り。月明かりはなく、魔王城が目と鼻の先にあるために街灯などの整備もされていない。

 つまり、明かりとなるものはなにもない。だからこそ、潜伏にこの日この場所を選んだのだ。

 しかし、勇者はその威容を捉えた。


 地上からわずか三百フィートほどの高度で飛行する、夜に紛れる漆黒の爆撃機を。


「魔王軍に感づかれたか?」

 巨塊が真上を通過する。

 雷の如き凄まじい速さだ。

 風の重圧に体が飛ばされないよう、身を低くして耐える。

 ソニックブームが体を叩く。草を掴んで体を地面と密着させた。飛んでくる石の破片が体を掠める。

 このまま身をかがめているだけでいいのか?

 直後、巨木が根本から吹き飛ばされてきた。

 その先には勇者がいる。

「っ!」

 この突風の中では、満足に身動きできない。

 かといって、このままでは巨木が突っ込んでくる。

 捕まっていた草から手を離し、突風に身を任せる。

 人体が紙切れのように吹き飛ぶ。

 塵がミキサーのように肌を傷つけ、体を熱くさせる。

 地面を転がる。これだけ吹き飛ばされれば、巨木との直撃は避けられるはず。

「またか!」

 何という不運! 吹き飛ばされた先では、先程の巨木より暴力的な巨岩が向かってきている。

 勇者の胴体に直撃する。胴体が陥没する感覚とともに、更に弾き飛ばされる。

 数分ばかり宙を舞ったあと、勢いよく壁に衝突した。

「こんなところまで吹き飛ばされたか」

 魔王城の城壁であった。

 勇者を弾き飛ばした巨岩が隣りで粉々になっている。

 城壁を支えにしつつ、上空に視線を向ける

 爆撃はされなかった。

 敵意がないのか、こちらの存在に気づいていないのか。

 複合材料の塊が雲を割って降りてくる。

 全容があらわになって、勇者は気づいた。

「これは! 王は支援はしないと言っていたではないか!」

 それは間違いなく、訓練以外で使われることのなかった、王国の誇る次世代無人爆撃機であった。

 重装甲で敵の攻撃を跳ね除け、異常な速度で敵戦闘機を置き去りにして上空から爆弾の雨を降らせる。先進国である王国航空兵器総局の技術結晶である。

 黒い雷と讃えられ得るのも納得できる性能だ。

 だがおかしい。爆撃するには、いくらなんでも低空すぎる。

 だからこそ、勇者のいる地上まで台風のような被害が出ているのだ。

 勇者の頭が加速する。

「この軌道は……火船であるか!」

 爆弾を落とすのではなく、爆撃機自体を爆弾を抱えたミサイルとして直接魔王城に突撃しようというのである。

 勇者の予想通り、爆撃機は魔王城の天守に突き刺さる軌道をとっている。

 機内に人間がいたら十死零生に違いないが、こういった用途にも使えるのがこの無人爆撃機の強みである。

 王様がなにを見せたいのかを理解し、勇者は口角を上げた。


「『結界』とやらの効力を見せてもらおうか」


 魔王城へと残り一キロといったところで異変があった。

 エンジンが止まったのである。

 かすかに確認できた青白い光の尾が消え、自由落下が始まった。

 もちろん。姫が魔王軍にさらわれてから、王国も何もしなかったわけではない。

 兵士を動員し、最新の兵器を携え、装甲車や戦闘機を差し向けている。もっとも、全てが失敗に終わっているが……。

 勇者は情報屋に聞いていた。

 魔王城が今まで破壊されていないのには理由がある。

 世界文明を千年進めたと言われるエーテル科学の発展は、それまでの文明を駆逐する超兵器をもたらした。

 しかし、魔王城の防衛には非常に厄介な性質があるという。周囲1キロのあらゆるエーテル兵器を無効化する結界だ。

 エーテルに頼らない旧式の武器を持ち出しても、強靭な肉体を持つ魔族に勝つことは難しい。

 このエーテル兵器の無力化こそが、魔王軍が王国で未だに討伐できていない理由なのだ。

 その証明が目の前で起こっている。想像以上に広範囲で、確かな効果だ。

 落下する爆撃機はそれでも前進を続けた。

 エンジンが止まっても、慣性は残っている。

 音速を超える速度で落下が始まり、高度を下げながらも魔王城に近づいていく。

 魔王城にも異変があった。

 けたたましい鐘の警報が鳴り響き、怒号と慌てふためく声が届いている。

 勇者に気づく余裕もない。

 最初に戦闘機を送った際に、その全てが墜落した。

 国家は多大な防衛費を失い、それ以来高価な機体を使用する攻撃はしていなかった。

 今このときまでは。

 魔王軍も、最近の沈黙から急に特攻を仕掛けてくるとは思わなかったのであろう。

「王家も派手にやるものだ。ありがたい」

 魔王城から迎撃の砲弾が飛ぶ。

 数百の金属塊は三割が爆撃機に命中した。

 火薬で飛ばす旧式の兵器にしては、かなりの命中精度だろう。

 爆撃機は炎上する。

 奥に真っ赤な火をちらつかせて黒煙を上げる。

 しかし、搭載された防弾板は見事役目を果たした。

 国家予算の塊は、空中分解するよりも早く目的を達成してみせた。

 魔王城の城壁を越え、居館に直撃したのだ。

 皮膚を震わせ、腹の底まで響く爆発音。

 堅牢な城壁がミシミシと軋み、一角が崩れる。

 勇者は冷や汗をかいた。

 城壁越しでこれなら、魔王城内部はどれほどの被害になっているのか想像がつかない。

 さらに積み荷の爆弾が撒き散らされ、被害を拡大していく。

 城の一角が吹き飛び、煙の隙間から蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う魔王軍が見えた。

 急いで近くの茂みに身を隠す。

 城門から異形の人型が飛び出してきた。

 二足歩行でありながら、獣の様相を呈している彼らが魔族だ。

 魔族が溢れ、避難を進めている。

 魔王と思わしき姿は見えない。

 魔族の殆どが、程度の差はあれ怪我を負っていた。体の一部分を失っているものも少なくない。

 外に敷かれたシートの上に寝かされている者たちは、命の危険にあるものだろう。

「ああ、死とは恐ろしいな。魔王様の手を煩わせたくないというのに」

 寝かされている魔族の一人がつぶやく。

 半身がひどい火傷でただれており、獣のような分厚い毛皮はすでにその防御機能を失っている。

 腹から大量に血を流しており、死が近いことは明らかだった。

「痛いのは、嫌だなあ……」

 まぶたを閉じた。息を引き取ったのであろう。体から色が失われている。

 彼以外にも、寝かされているものの半数近くがすでに死亡していた。

 勇者は祈祷した後に別の場所に目を向ける。

 炎上する城の外に出ている魔族の中で、特に慌てふためいている者がいた。

 周りとの関係性を見るに、魔王軍の新人であろうか。

「魔王様はどこにいる! まさか、今の特攻で……」

「魔王様のことなら心配ない。いきなりのことで俺も慌てたが、見ておけ、そろそろだろう」

 パニックに陥っている新人魔族を、ベテランと思しき魔族が宥めていた。

 おかしい。あまりにも冷静すぎる。

 先ほど感じていた違和感。死にゆく魔族は数多く入れど、死を偲ぶ魔族は見当たらない。

 魔族にも知性や感情はある。王国では貧民街ぐらいでしか見かけないが、外の国には魔族が人口の大半を占める国もあるほどだ。

 勇者の疑問の答えが目の前で起こる。

「魔王よ。貴様は一体何だという」

 勇者の背が凍るような予感が駆け抜ける。

 突如、空間が振動する。大気が、地面が、肉体が、世界が震える。

 崩れ落ちた岩塊が、時間が巻き戻るかのように元の姿を形作っていく。

 火は収まり、煙は霧散し、死人の傷はふさがった。

 燃え盛る炎の明かりが消え、夜の暗闇に包まれる。

 かと思うと復旧したのか、魔王城の青白い灯りが戻り、爆撃機が突撃する前の状態に戻っていた。

 先ほど息を引き取ったはずの魔族が起き上がる。

 勇者は驚愕を隠せない。

 散々喚いていた新人魔族もぽかんとしていた。

 続けて情景を理解したのか、気色に溢れた声で喜ぶ。


「これが魔王様の力! やはり偉大な方だ!」

「そうだろう。さあ、入るぞ」


 勇者は口を開けて固まっていた。

 驚きすぎて、思考が働いていない。

 こんなこと、聞いたことがない。情報屋もそうだし、国王陛下から教えていただいたのもそうだし、魔王城から比較的近くに住む者への聞き込みでもそうだった。

 こんなこと想定しているわけがない。想定できるわけがない。

 城が一瞬の後に修復されたのだ。魔王軍全員で力を合わせたわけではなく、魔王個人の力で持って。

 それだけではない。死人を蘇らせるなど、エーテル科学の例外もいいところだ。不老不死の可能性は示唆されていても、蘇らせることなど不可能という説が最有力なのだ。

 勇者は身震いした。

 新人魔族も身震いした。


「俺、ちょっと用を足してきます」

「おう。わかった」

「緊張が解けたら、急に尿意がしてきちゃいまして」

 新人魔族が近づいてくる。

 まずい。硬直から脱し、勇者は他に隠れる場所を探す。

 しかし、見つからない。

 後ろを見る。魔王城を囲む水堀があった。




「ふう。すっきり」

 新人魔族は茂みに用を足して戻っていった。

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