第3話 いつかの始まり

「姫様。私は将来、あなたの騎士となるものです。よろしくお願いします」

「……」


 黒くつややかな髪を肩まで伸ばし、澄んだ海のように蒼い目の少女。

 彼女の端正な顔立ちと白い肌が相まって、幼いながらも気品を感じさせる。

 まだ幼い、この国の王女である。

 普段笑顔を絶やさない彼女は、目の前で跪いている少年を見る。

 少年から見えないように隣の国王に囁いた。

(お父様。あまり腕の立つ殿方に見えませんが、よろしいのでしょうか? 歳も私と同じ6才といいますし、彼には申し訳ありませんが少し不安になってしまいます)

(いまはそうかもしれない。しかし将来有望な騎士の卵だ。騎士隊長の息子とあれば、いずれは頼りがいのある益荒男となることだろう)

 国王は、騎士隊長と仲が良い。

 時には盟友、時には補佐官、有事の際には自らを守る堅牢な守りとなる騎士隊長。

 姫は思う。確かに紡がれた絆は美しいといえど、些か親友の息子を過大評価しすぎではないか。

 期待も過ぎればプレッシャーとして押しつぶされそうになってしまう。

 王女として周りの期待に応えようとしている彼女は、幼いながらに知っていた。

 その騎士隊長の息子さんは、未だに跪き続けている。

「失礼しました。ここは公式の場ではありません。どうか楽になってください」

「しかし、私は騎士です。それでは不敬になってしまいます」

 姫は困惑する。

 たまにいるのだ。王族を神聖視しすぎて頑固になってしまう者が。

 ちょっと真面目すぎるきらいがある。

 うまく付き合っていける気がしない。

 ここは城の中庭である。周りには使用人ぐらいしかいないため、咎めたり悪印象を持ったりする人もいない。

 姫がどうしようかと悩んでいると、見かねた国王が助け舟を出した。

「将来の騎士候補生よ。騎士とは主人を煩わせるものではない。下手に出るだけではなく、対等に信頼を築くことも大切な仕事であるのだ」

「それでは、失礼いたします」

 国王の言葉に少年は立ち上がる。

 お父様の言う事なら聞くのですね。と思いつつも、表情には出さずに観察する。

 黒髪黒目の整った顔立ち。この歳ですでに将来筋肉質になることがわかる体つき。いかにも生真面目といった雰囲気。

 嫌いではないけれど、近づきにくい。

 少年が悪いわけではないが、姫はもうちょっと可愛げのある御方がよかった。

「いやあ。見た目こそ庶民的だが、こいつは天賦の才能を持ってる。そのうち俺を超えるに違いないさ!」

 少年の隣に立つ騎士隊長が、愉快げに息子の背中をバシバシ叩く。

 いつもは凛としているが、国王と二人だと無礼講といった調子で楽しそうに話すのだ。

 国王もそれに応じ、娘の自慢をする。

 二人は古い友人だ。根本的なところで似た者同士なのだろう。

 お父様には自分の自慢をしないでほしい。自慢話とは誇張して話されるが、姫は実際の自分よりもすごい人のように見られるのが恥ずかしかった。

 それに、大人は大人で話を弾ませていて姫には少し退屈だ。

 大人が話していることを聞いていたって面白くない。

 だから、姫は騎士候補生に話しかけた。


「騎士さんは、なにか好きなことはありますか?」

「父の書庫にある英雄譚を読むことです」


 姫は目をパチクリした。

 騎士になる訓練とか、勉学に励むこととか、ストイックな答えが返ってくるかと思っていた。

 真面目な人かと思っていたが、話してみたら面白いかもしれない。

「私、好きな英雄物語がありますの。あなたも読んでみますか?」

 軽い気持ちで言ってみると、少年は跳ねるような勢いで姫を見た。

 あら? なぜそこまで目をキラキラさせているのですか?

 姫は驚く。

 疑問を口に出す前に少年が答える。

「ぜひとも、お願いします!」

 姫は逃さないといったふうに手を取られ、少年の鼓動の高鳴りが伝わってきた。

 顔が近くなり、姫の鼓動も跳ねた。

 まさか、ここまで喜ばれるとは……。

「お父様、書庫をお借りします」

「分かった。余らは客間で話しているから、子供同士存分に楽しんできなさい」

 国王の許可を得て書庫に入る。

 騎士隊長の屋敷にも書庫があるが、ここは王城だ。国家有数の大図書館に勝るとも劣らない蔵書数を誇っている。騎士隊長の書庫の数十倍は広く大きい。

「姫様、ここは素晴らしいです! 読みたかった本が全てあります!」

「ええ、英雄物語はこちらです!」

 これほど喜ばれると、こちらまで嬉しくなってくる。

 それぞれ読みたかった本を取り、向かい合って座る。

 それから、お互いの好きな本を読み合うことになった。

「こんなに面白い本があったのですね!」

「姫に勧められた本も興味深いです! 特に庶民だった勇者がドラゴンを……」

 意外な共通の趣味と同年代の子供と遊ぶ機会がなかったことが相まって、姫も少年もこれまでないほどに笑いあった。


 楽しい時間はすぐに過ぎ去るもの。

 将来の騎士は、時計を見て名残惜しそうに言う。

「そろそろ、お時間のようです」

「あら? もうこんな時間ですか……」

 姫はぼーっと時計を見つめて俯いた。こんなにも楽しいのは産まれて初めてだった。

 もう少し遊んでいたかった。

 将来の騎士は姫を見て逡巡し、一礼する。

「次に会うときを楽しみにしております」

 そして、周りに出した本を片付けようとした。

 姫は慌てて制止して、散らかってしまった本を取る。

「本は私が片付けておきます」

「ですが、姫に雑用をさせるなどなりません」

「やっておきますから! その代わり、これを貸します」

 姫は本を手渡す。

 今日読んだ中で、彼が好きだといった勇者の物語。

「お父様には私から言っておきます。ですので、必ず返しにいらっしゃってください!」

 そうだ。今日で最後ではない。

 姫は悲しむ心を抑え込み、次に会うときに思いを馳せる。

「かしこまりました。次の機会には、私の好きな英雄譚を持ってきましょう」

 はにかむ将来の騎士は、照れくさそうに笑みを浮かべた。

 一礼する。

 再び頭を上げるときには、騎士を志すものの、生真面目な顔に切り替わっている。

 そうして書庫に迎えに来た大人たちと合流した。




 はじめてできたお友達。

 今はまだ主従関係の色が強いですが、いつか絶対に気心の知れた仲になってみせます!

 願わくば、お父様と騎士隊長様のような関係になれるように。

 これが、彼と私の出会いでした。

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