第2話 気に食わない情報屋
「今日中に魔王城の近くまで行かなければ」
勇者は寮に向かっていた。
王城から徒歩でも三十分ほど。国内最大の士官学校、その学生寮である。
勇者の部屋の前、「13」の誰も使いたがらない部屋番号の扉の前に、見知った人物がいた。
「勇者様のお帰り。といったところですね」
部屋の扉に背中を預け、薄ら笑いを浮かべながらこちらを見ている。
制服が弾けんばかりに肥えていなければ、様になっていたことだろう。
彼こそが情報屋に違いない。
「ちょうど情報を借りたいところであった」
「知っています。魔王城に関するものでしょう?」
「そうだ。いくらで教えられる」
「お金は要りません。土産話で手を打ちましょう。といっても、私が知っているのは外から観察した上での大雑把な構造ぐらいですが」
勇者は眉をひそめる。この男はいつもこうだ。
飄々とした風貌で勇者に近づき、どこから仕入れたのかもわからない情報を報酬も求めずに渡す。
勇者はこの男に不信感を持っていた。
「ありがたいが、どうして見返りを求めない? 吾輩と貴殿には、これといった関係性はないであろう?」
「そうですね。ただ、私はあなたを知っていますから」
「……」
勇者は「何を?」とは聞かなかった。
目の前に立つずんぐりとした男であれば、それぐらい知っていてもおかしくない。
彼は沈黙した勇者を一瞥して笑った。
「それよりも、情報がほしいのでしょう? さあ、部屋に上がってください。茶菓子はチョコレート系でお願いします」
「……なぜ貴様が舵を握っている? ここは吾輩の部屋だ」
「和菓子もいいですね。羊羹も好物なんです」
「もしや、茶菓子が欲しいだけではあるまいな?」
「いえいえ、クリーム系でも構いません」
「やっぱり食べたいだけではないか!」
「いえ、やはりアイスと捨てがたい!」
「いま以上に太るぞ貴様!」
剣を突きつけたい気持ちを抑え、勇者はしぶしぶ部屋に上げた。
夜間、月が一番高く登る頃。
勇者は荷物をまとめて部屋を出た。
来ている軍服は特別品で、一般生徒のものが緑を貴重としたものに対して、勇者のものは黒色になっている。
違いは色だけではなく、勇者の要望で動きを阻害しないようにしつつ耐久性が高められている。職人の技が光る一品だ。
当然のように防寒性能も考慮されているが、それでも寒さの残る春の夜風は体に堪える。
ふと視線を感じて顔を向けると、不気味なほどにこちらをじっと見つめるカラスがいた。
「鳥目だというのに、闇夜で活動するものではないぞ」
勇者は特に気にしない素振りで視線を外した。
寮の階段を音を立てないように降りる。今は深夜だ。寝ている生徒を起こしても悪い。
この時間だと交通手段が限られる。寮から少し離れたところにヘリコプターが手配してある。空を飛んで魔王城の近くまで送ってもらうことになっているのだ。
王にしてもらうのはそこまでだ。魔王城の近くまで行ったら、国の支援はない。
寮の階段を降りきり、地面に足をつける。
視界の端でカラスが飛び立とうとしていた。
「情報屋!」
「こういうのは慣れていないんですって!」
勇者の叫びと呼応して、情報屋の声が響いた。
直後にパシュっと空気の裂ける音が届く。
情報屋の言葉とは裏腹に、銃弾はカラスに吸い込まれるように着弾した。
カラスは甲高い鳴き声と共に倒れる。
勇者は落ちてきたカラスを受け止めた。
茂みの影から情報屋が出てくる。
「死んでいないであろうな!」
「ただの麻酔弾です。あなたがしっかり受け止めたのであれば、死にはしません」
勇者は手の中の鳥を見る。
ダーツが刺さっており、そこから血が流れている。羽が何本か散ったのであろう抜けあとがあり、動物とはいえ痛々しい姿だった。
ぐったりとしているが、鼓動が感じられる。死んではいないようだ。
勇者は更に目を凝らした。
「操作用の電気針とカメラですね。壊します」
野生の動物についているはずのないものがあった。
体に刺さった針と、針から伸びるバッテリーのようなもの。頭の横に隠されるように取り付けられているものがカメラであろう。
情報屋は、勇者の手の中にいるカラスにピンのようなものを指していた。
「電撃で苦痛を与えて、特定の方向に誘導するものですね。このぐらいなら、すぐに解除できます」
「魔王軍は恐ろしいことをするな」
「ええ、情報通りです。勇者様のあとをついていって、ヘリコプターにバードストライクさせる予定だったのでしょう。敵ながら、よくやるものです」
「それもそうだが」
「?」
「こんな動物を兵器として使うというのだ。動物が可哀想じゃないか」
勇者が思ったままのことを言うと、情報屋は一瞬怪訝な表情をした。そして何かに得心がいったのか、笑みを浮かべる。
「ふふ」
「なんだ。気持ち悪いぞ」
「やはりあなたは勇者なんでしょうね」
変なことを言うやつだ。
これだから、この男がいけ好かないのだ。
「今ので寮生たちも起きてしまったでしょう。じきに人が集まります。そちらのカラスの世話はしておくので、早く行ってください」
「何から何まで、すまないな」
「いえ、あとのことは全てやっておくので。土産話を楽しみにしています」
「ああ、頼む」
いけ好かないが、それはそれとして能力の高さと嘘をつかないことは評価している。あとは任せて平気だろう。
「それでは、征く」
かくして、勇者は魔王城へと飛び立った。
「行きましたか」
勇者を見送って、情報屋は一息ついた。
昨晩、魔王城から不審な挙動をするカラスが放たれた。このカラスだ。
予想通り、魔王軍に調教された兵器だったようだ。
隠れた情報屋が十分近づくまで、勇者に一芝居打ってもらった。本来はライフルを使う予定だったが、勇者の希望から麻酔銃になったのだ。
おかげで、遠距離から狙撃できずに近くで身を潜めることになった。
後悔はしていない。勇者のことは高く買っている。彼がそう言ったのなら、そうすべきだと判断したのだ。
これからやらねばならないことは多い。
カラスの治療、集まってきた生徒への言いくるめ、監視カメラの記録の改ざん、王への報告。先の苦労を考えると億劫になる。
治療道具を持ってくるために歩きながら、立ちはだかるであろう勇者の苦難を思い巡らす。
あの人は、いったいどれほど覚えているのだろうか?
「本当に、敵わないませんね……」
王家の暗部として生まれ、影から姫を守るうちに、いつの間にか恋慕を抱いていた。
身分の差があっても、いつかは結ばれると信じて修練に身を捧げてきた。
しかし、彼を見ているうちに思う。彼には敵わない。だから身を引いた。
「必ず彼女を救ってくださいよ。でなければ、私がもらいますから」
彼にしては珍しい挑発的なセリフは、闇夜に溶けていく。
カラスが翼をはためかしたような気がした。
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