第9話 親書
僕の横をすり抜けた少女は、充分に危険な地帯に脚を踏み込んでいる。
アイラに自己紹介すると、直ぐに仕事に取りかかる。
「西の館、シャル。荷馬車はこちらで預かります」
言葉に無駄がない。シャル。と、いうことは、朝寝坊のぐうたらメイド!
そんなヤツにペカリンを御せるとは思えない。
ペカリンは耳をうしろにピタッと伏せている。シャルを警戒している。
いつ噛みついてもおかしくはない。
「アイラです。ここは危険ですし、ペカリンは荒くれ者です。貴女なんかに……」
アイラの言う通りだ。
アイラが両手を拡げてシャルの前に立ちはだかる。そのまま睨み合う2人。
一触即発の雰囲気のなか、先に口を開いたのはシャル。
「退いてください。仕事の邪魔です」
「仕事ですって。貴女にペカリンが御せるわけないわ」
「たしかに御すというのは、ちょっと違います」
そう言いながら、アイラを押し退けてペカリンの横へ行くシャル。
ペカリンはブルルルルッと荒い鼻息をもらすと前脚を上げて後脚だけで立つ。
体長2メートルのペカリンがシャルを警戒し威嚇しているのは明らか。
とてもシャルの言うことを聞くとは思えない。
アイラが怯えて足をすくませている。シャルだって怖いに決まってる。
ところがシャルは、怖気付くどころかペカリンにどんどん近付いていく。
その横顔は、著名な彫刻家が造った美しい女神像のようでもある。
シャルがペカリンの首筋からたてがみを優しく撫でる。
尖っていたペカリンの目がどんどん丸く細くなる。
信じられない! 荒くれ者のペカリンが、いつのまにか仔馬のようになった。
シャルがぶつぶつと言いはじめると、さらに信じられないことが起こる。
とても人のものとは思えない。馬語? そんな、まさか。
「ひんひん、ひんひひひんひんひん」
——ブルルルルッ——
ペカリンが応じているようにも聞こえる。
「ひんひん、ひんひひひー。ブルブル」
——ひんひんひん——
会話が成立しているようだ。何をはなしているんだろう。
程なく、ペカリンが荷物をひいて歩きはじめる。馬小屋に向かう。
気性が荒くて臆病なペカリンが、仔馬のようにルンルン気分だ。
一体、何が起こったんだ?
横にいるエミーを見る。解説を期待していたが……。
「あー、お湯を沸かしてきます」
と、言い残して行ってしまった。相変わらず意味不明だ。
いや、3歩先をいく解答なのかもしれない。
繁った木の下に留まる理由のなくなったアイラが僕に寄ってくる。
僕と同じで、目の前で起こったことをまだ信じられていないようだ。
「一体、何が起こったのでしょう……」
僕が聞きたいくらいだ。
「……ペカリンが急に歩き出しました」
「そのようだね」
何がなんだか分からないのは、僕もアイラも同じ。
あのペカリンが初対面で御されるなんてあり得ない。
しかも馬語? そんなものが存在するなんて信じられない。
「兎に角、荷物をお届けすることができてよかったです」
「よかったじゃないよ。アイラ、無茶したらダメじゃないか」
ちょっと怒った顔をアイラに見せる。かしこまるアイラ。
「申し訳ございません。ご心配をおかけいたしました」
「うん、もういいよ。それより無事で何より」
言いながら、今度はアイラに笑顔を向ける。
「はい!」
と、アイラに笑顔が戻る。
その直後に落雷。
バリバリバリッという音と同時に、繁った木がバキバキバキッと裂ける。
あっという間もなく黒焦げになる。
あと数秒、荒くれ者のペカリンが歩き出すのが遅かったら……。
シャルが目を覚ますのが遅かったら……。
アイラもペカリンも黒焦げになっていたと思うと、背筋が凍る。
アイラが腰を抜かしてしまったのも、無理はない。
ちょちょぎれた涙を拭いながら、
「トール王子様、本当にありがとうございます!」と言って、
僕に抱きついてくるのも、無理はない。
アイラのすべすべな二の腕の感触が何気に気持ちいいのも、無理はない……。
「もう、いいから西の館に入りなさい」
まだ震えているアイラの背中に1度は手をかけた僕だけど、
直ぐに思い直してアイラの身体を遠避ける。
アイラは母さん付きのメイドだ。僕にどうこうできるわけではない。
ちょっとだけ悲しい。
「わっ、分かりました。トール王子様!」
「うん。それでよろしい」
僕もアイラも笑顔になった。
「トール王子様。国王陛下と王妃様から親書を預かっております」
就任祝いだろうか。手紙なんかよりも領地が欲しいというのに。
アイラが2つの親書をエプロンとワンピースの間から取り出す。
そ、そんなところから? 際どい!
どちらの親書も封印されている。相当に重要なことが書かれているのだろう。
かしこまって受け取る。深く呼吸してから封印を解く。
その内容に、僕は身震いした。
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