第6話 敷童幸恵
本州最北端青森県。
青森といえばリンゴがすぐに思い浮かぶほどの名産地で、国内シェアは5割だそうだ。また、霊場として有名な恐山が県右上にあり、人が死んだら魂は恐山に行くと言い伝えられている。
実はこの恐山には世界でも最高品質の金鉱床が眠っている。
恐山一帯を国定公園に指定しているため掘ることはできないが、もし採掘していたら、青森県のシンボルマークは金のリンゴになっていただろう。
季節は晩秋。最低気温は-4℃と寒い。
節々が固まる前に旅館に泊まり、温泉で冷え切った体を温めたいものだ。
そんな天命にかかわってそうな地、青森で、小さい女の子が悲痛な叫び声をあげた。
「ぬわあああああん! 伸びないのじゃ伸びないのじゃ伸びないのじゃあああ!」
斜めにカットされた前髪から覗く黒い瞳が、現実を見て絶望色に染まる。
視線の先は手に持つタブレットPC。
悪態をつく原因は、どうやら画面に表示されている内容についてのようだ。
「おかしいのじゃ!このわしが!
ゴロゴロ、ドゴン! ゴロゴロ、ドゴン!
タブレットPCを掲げながらゴロゴロと転がる黒色長髪少女。
つやのあるキレイな髪が畳に叩きつけられるので傷まないか心配になるが、本人は気にする素振りはない。ただただ
住んでいる建物は築年数を誇りにしている立派な木造家屋で、温泉宿を営んでいる。
部屋に籠りっぱなしの幸恵は知らないが、いつも繁盛しているようだ。
客のことなど気にも留めず、部屋の端から転がり、障子や壁にぶつかり方向を変えまたぶつかる。衝撃に揺れる家屋は、パチンと乾いた音を鳴らして痛みを訴えた。タンスの上に飾ってある頂き物の人形が、ドサリと落ちた音を聞き、暴れすぎたと我に返り動きを止めた。
(あぁいかん。やってしまったのぉ。また家の者を怖がらせてしまう。ほれ、慌てた足音が聞こえてきたわい)
ドッドッドッドッと、静かに、さりとて足早に廊下を急ぎ部屋前に着く気配。障子越しの影は正座をして恐る恐る開けた。
「し、失礼します。ひッ!? ぉっおっおっお気持ちをお静めくださいませっ」
荒れ具合を見た女中が、怯えた声でたしなめる。
「む~……分かっておるわいまったく」
起き上がり、着崩れした着物を正しながら女中に告げる。
女中は怒りが収まったのを確認後、身を震えさせながら部屋の片づけを終わらせ退室していった。
「ハァ~~~。少しばかり暴れただけだろうに、あんな怖がらんでもよかろうて。最近入った新人はなっとらんの」
小説投稿サイト『ホラー』カテゴリー。読むのに勇気が必要。書くのもテンポが難しいジャンルであり
わしの得意分野だと、わしが書けばトップ間違いなしと挑むも重ねる日数に片手を越えない悲しい数字。
敷童幸恵の名が世に轟く日はまだまだ先の話――…………
なぜ彼女がホラー小説に手を出したのか。それは二年前のこと。
あまりにも暇な日々を過ごす一コマ。
「はー、今日も退屈じゃ」
いつものように縁側で外を眺めている敷童。そこに懐かしい友人が現れた。
「よ! さっちゃんげんき~?」
「おお、来たか! おぬしの旅の話を心待ちにしておったところじゃ。さぁ、どんな経験をしてきたのか聞かせておくれ」
敷童と同い年か少し上か。小学5年生ぐらいに見える可愛らしい女の子。
旅行好きで各所を転々としており、楽しかったこと、面白かったこと、つまらなかったこと、怒ったこと、経験したすべてを敷童のお土産にしてくれる。
「今回はね、面白いモノを持ってきたの。テッテテーン♪ タブレットPC~♪」
彼女が効果音を口にしながら取り出したのは7インチのタブレットPCだった。
「便利屋のオヤジに頼んで仕入れさせたの。これを使ってあてぃしの旅日記を小説投稿サイトに投稿して全世界の人に読んでもらってるのよ。小説を書くようになってから毎日が充実してるわ。どうせ暇しているのだからあんたもやるといいわ」
「この黒い鏡に日記を書くのか? 全然文字が書けないではないか」
「あはははは。鏡じゃないよタブレットって言ってるじゃない。いい? 見ててね。この部分を押すと……じゃ~ん」
「なんっなんじゃあ!? 急に富士山が現れよったぞ!?」
「キレイよねー富士山。さっちゃんが好きって言ってたから壁紙にしといたよ。ほら、いつまでも見惚れてないで使い方教えるから覚えなさい」
「ああっ! まだ見たいのじゃぁ」
カラクリ操作は初めて。
専門用語が飛び交う中、恐る恐る踏み入った未知なる領域。
黒き鏡の一枚先は無限の世界が広がっていた。
その日から敷童の退屈な日常は一変し、文字の海に溺れる生活が始まった。
普段は何とも思わなかった風の音、虫の声、生活音、感情。全てに対し文字を当てはめるとこんなにも騒がしかったのかと驚く。またもっと早く知っていればと後悔もした。
楽しい時間というのはあっという間に月日は流れるもので――
今日までなんとも愉快な日々を過ごしていたのだが、終わりは突然やってきた。
「火事だあああああ!」
月が黒い雲に覆われ、自然豊かな土地は少し離れるだけで、お互いの顔が見えなくなるほどの濃い夜。
絶望の狼煙が上がった。
気づけば辺りは赤と黄に染まり、消化器は力及ばず転がっている。
「そんな、馬鹿な……わしが……なぜ――災害なんて
家が燃え弾ける音。
風に揺れる火の音。
悲鳴と咳き込む声。
その中で理解が追いつかず、敷童は呆然と立ち尽くす。
「早くお逃げ下さい! ゴホッゴホッ。早く! 出口はあちらです!」
家の者があちらこちらで避難誘導の声を叫ぶ。
時間が進むめば被害は大きくなり、危険は瞬く間に迫ってくる。刻々、刻々と。
早く逃げろと切に願う一方――ああ、この感じ。日本ホラーみたいじゃないかと感想を抱くもう一人の自分がいる。
どうしようもない恐怖が這いずり寄ってくるが、作家魂がいいネタを見つけたと冷静にさせ、貪欲に情報を得ようと、五感をフル活動させる。
なぜここまで、命と引き換えとも捉えることができるぐらい必死なのか。
それは敷童が最初に掲げた目標が、ライバルと認定したのが、ホラー界の金字塔、ダビング増殖霊だからだ。
生半可な覚悟で超大物に挑んでも吹いただけで飛ばされる。
貴重な実体験を積み、作品にリアルを吹き込めれるチャンスが今なのだ。
高き目標に勝つため、目に、肌に、記憶に焼き付けなくてはならない体験だとギリギリまで留まってしまった。
それ故に――
人の形がまた燃えた。二つ、三つ、四つ。ほら、次はお前だと死が近づいてくる。
井戸から這い上がってくるあ奴に雰囲気が似ているではないか。
聞こえるぞ。ヒタリと冷たき闇の音が。轟々と笑う狂気が。
黒い煙が纏わりつくその先に……ついに視えた――
これは呪いじゃじゃ。私利私欲にまみれた下衆な呪いじゃ。
全身を舐め回す淫猥な雰囲気に当てられ、掻きむしりたい衝動が襲い、首に爪が伸びる。
「ぐいぃっぎっひっぎぃい……呪われる呪われる呪われるゥッグがあ」
自分がこんなにも感受性豊かだったのかと敷童は驚きを隠せない。
目指すのは作家ではなく女優なら芽が出たかもしれない。
文字が縄となり体中を締め付ける感覚を強く抱き、ゲェッとはしたなく舌が出る。
オーン――オーン――オーン――オーン――怨――怨――
先程から聞こえてくる鐘の音を低くした耳鳴りが、酷く頭を締め付けてくるのも相乗して、
(もうだめじゃ……耐えられぬ)
ここまでかと、敷童は最後の力を振り絞ると、体を蝕む呪縛が
足をふらつかせながらも気力と体力を振り絞り、部屋から一番近い外庭へと脱出する。
命からがら。
身を外に投げ出した瞬間家屋は倒壊しはじめ、天に舞う火の粉は長い歴史を連れ去り終わりを告げた。
持ち出せたのは胸元に入れたタブレットのみ。
「ぐっううゥ。体が痛い、よぉ……。でも、近くの木に燃え移ると、ここも危険じゃ。遠くへ離れなくてはならぬ。せめてこの雑木林の外まで」
逃げようと暗闇に向かい歩きだす。
足も気持ちも引きずられ、スミで汚れた顔に大粒の涙が川を作る。
しかし言いたいことがあったので足を止めた。
「力及ばずすまなんだ。大儀であった」
振り返り、住み慣れた家に別れを告げる。
燃え続ける家は何も返さない。
いいのだ、気持ちの問題だから。
バチチッ
「ぎゃッッ」
前に向き返した瞬間だった。
稲光に似た閃光と大きなスパーク音が走り、一瞬にして気絶した敷童は顔から地面に突っ伏した。
ビクビクと痙攣する体。
「くけっけっけっけ」
突如、笑い声が響くと、暗闇から白の狩衣を纏った男が姿を表す。
獲物を仕留め、喜び、ニヤつくキツネ顔のなんと恐ろしい下卑た表情か。
「最高の獲物を捕まえたぁ。エヒヒッエヒヒッこれで俺の夢が叶う……っ。おい! 手筈通り連れて行け!」
「カシ……コマリ……」
男が投げかけた言葉の方向からボロを纏った高身長のカラス人間が現れ、禍々しい箱を手に持ち敷童に近づく。
赤く脈動する亀裂の入った小さな箱。
それを気絶した敷童の背中に置き上から押し込むと、小さな体は掃除機で吸われたかのように箱の中に飲み込まれてしまった。
カラス人間の手に握られている箱はわずかに大きくなり、心臓のように脈動する。
「セイコウ……シタ」
誰にでもなくつぶやくと、カラスの鳴き声と羽音を残し、何事もなかったかのように闇だけがその場に残った。
☆
青森県から高知県まで南下する経路を車一本で進むキツネ顔の男。
超長距離運転の影響が顔に疲労感を醸し出しているが、冷めない興奮に細目の中にギラつきを隠せないでいる。
危険な荷物を多数抱えており飛行機や電車は使えない。
常に側に置いておきたい性格でもあり、日本中何処へでも車移動が基本だ。
敷童のような力を持った獲物を探しやすいのも理由の一つ。
「ついに俺も女型の式神を得ることが出来るのか。えひっひっひっひ。早く孵化(ふか)させてこき使ってやるぜぇ」
念願だったのだろう。下卑た表情が浮かび上がり何度も舌なめずりをする。
敷童を捕まえてから数時間。高速道路を走行中にスマートフォンから着信の知らせが鳴る。
ディスプレイに映し出された名前を見て、いいタイミングだと舌なめずり。
これから話す内容を想像すると気持ちの昂りに爆発しそうになる。が、まだ早いと心を落ち着かせ電話に出る。
「
そうだ、先輩聞いて下さい! 上玉が手に入ったんですよ! え? はあ、わかりました着いてからで……それでは失礼します」
「…………チッ電波悪くて聞き取りにくいんだよ。スマホ会社変えろくそが!」
一方的に話され、会話を終えた内容に不満を表し、スマートフォンを助手席に放り投げた。
電話口の月宮という男は狐来と同じ陰陽師を生業としており、且つ兄貴分に当たる人物なため、日ごろから強くものを言ってくる。
狐来とは違い能力も才能も桁違いと、誰もが憧れ羨む存在に嫉妬で狂いそうになる時もある。
特に月宮の傍に控えている『
「もったいねえことをしやがる……俺なら隅々まで存分に楽しんでやるのによお」
月宮は実力故に大物の依頼を引き受けることが多く、狐来を取り巻き処理員として度々召集をかけてくる。
おこぼれなので報酬は微々たるものしかくれず不満しかないが、
「良いこと思いついた。捕らえた女型を勾陳姫の妹分にしたら俺との仲が深まるんじゃーねえかー? 口実にすれば何回も近くに寄れるだろうしよぉ。いっひっひ。事故を装ってあの豊満な胸に触れてやるぜぇ」
狐来はどうすれば勾陳姫を自分のモノにできるのか考えながら明石海峡大橋を渡り、道を外れて山道を走る。
暗くすれ違う車もない道を進むと、大きめの石が落ちてるのを発見したため、ブレーキを踏んで緊急停止をした。
「あっぶねえ!? 事故るところだったじゃねえか! くそが!」
車から出て石をどかすため腰を落とす。
「やけに石が落ちてる道路だな。まあいい。早く石をどかして向かわないとまた怒られてしまう。ウッ重いなこれ」
予想以上の重さに持ち上げるのを諦め転がすことにした。
チカラを込め少しずつ端に寄せていく途中、身体が揺れを感じて背筋に寒気が走る。
「地震!? うぉおおッでかい!! ……ハァハァ、すぐに終わったか。こっわ」
地震は上下に激しく揺れた。
実は地震とは違った揺れだったのだが、今の狐来に考える余地は与えられなかった。ぽろぽろと落ちてくる小石と足元にある大きい石。道中に立てられた黄色い注意看板が脳裏をよぎる。
「やべえ!!」
車に戻りたい気持ちが大きかったが、直感が勝り前方に転がる勢いで走ると、山上から流れてきた土砂が車を飲み込み、道路ごと崩れ崖下へと押し流されていった。
「俺のくるまああああ!! 俺の大事な商売道具がああああ!!!」
ガードレールに捕まりながら車が落ちていった崖下を確認すると、爆発音が数回鳴るのを耳が捉えた。
「やべえやべえやべえッ奴らが飛び出しやがった……そ、そうだ! 月宮先輩に連絡ッ――あああ! スマホは車じゃねえか! クソが!! 仕方ねえ、出てこい化けカラス!」
狐来は胸元から紙製の形代を取り出し前方に投げる。
するとポンッと煙が弾け、頭と翼はカラス、首から下は人間の姿へと変化した。
「あーくそ! 場所わからねーが多分あっち方面に月宮先輩がいるから呼んできてくれ! 早くいけ!」
「承知……」
化けカラスは鳴き声を上げながら狐来が指を刺した方角へ飛んでいった。
「あぁ……俺の女型…………全部おしゃかになっちまいやがった。ぜってぇどやされる……どうすりゃいいんだこれはよぉ」
狐来は肩を落とし、後悔をぼそぼそと囁きながら、助けを待つしかなかった。
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