第16話 仕事帰りの猫
「ヒトの姿をした喋る魔物……?」
(あぁ。マテルも聞いたことはないか)
「あるわけないよ。そんなことがあったら大騒ぎになってるだろうからね」
中央都市に帰還した俺たちは二手に分かれ、ミィリヤは依頼の報告に、俺はマテルに状況の説明に戻っていた。
「今回の報告でミィリヤさんがどう報告するかは分からないけど、このことが広まったら混乱が起こるだろうね」
(口外禁止、ということか)
「それがいいだろうね。それにしても、ヒトの姿をしてるっていうのは詳しく話を聞いてみたいね」
確かに気になる話ではあるが、それよりは言葉を喋るとかヒトとの関わりがどうとかのほうが気になる気もする。
(何かあるのか?)
「だって、もし原因が分かればタマもヒトの姿のままで居られるかもしれないじゃないか」
あぁ、そうか。マテルはマテルなりに俺のことを気にしてくれていたのか。言われてみれば、何らかの形でヒトの姿を取る方法が分かれば、或いは俺もヒトになれるかもしれないということだ。
(それは考えてなかったな)
「今はリスクのある道具使ってるけど、元からヒトの姿になるなら変身する必要もないじゃない!」
意気揚々と目を輝かせるマテル。
そうか、ヒトの姿にか……。
気付いたら猫の姿だったが、姿を元に戻せる可能性があると言われても、何故かすぐにそれを頼ろうと言えない。思っていたよりも納得しているのか、猫の姿が快適なことに慣れてしまったのか。
「ふにゃぁ……」
おっとあくびが。この姿になってから妙に眠気が来ることが多い。猫の特性は全てではないものの、確実に引き継がれているようだ。
「疲れてる?ミィリヤさんが戻るまで時間はあるし、寝ておいたら?」
(そうだな……。そうするよ)
乗っていた机の上から降り、寝床に戻って丸くなる。
目を瞑ると、すぐに眠りの中に沈んでいった。
――夢を、見ている。
雨の中の、夢。
茶色の壁に囲まれて動けない。
身体が冷たくて力が入らない。
声を出そうにも何も出ない。
誰か。誰か。
どうして"私"は独りなの?
ゆっくり瞼が落ちてくる。
何も分からないままにゆっくりと何かが私を刈り取りに来る。
何もかもが真っ黒に埋め尽くされていく。
途方もなく帰ってこれない場所に連れて行かれるような、大切な何かを奪われてしまうような錯覚。
嫌だ。
私は、こんなところで終わりたくない。
――誰か
――助けて
「……マ?タマ?」
「……っ!?」
目を覚ますと、いつもの暖炉でいつものように火が弾けていた。
(……あっという間に眠っていたみたいだな)
「大丈夫かい?随分うなされていたようだけど」
(そうだったか?心配させて悪いな。問題ない)
「ううん、タマが平気なら構わないよ」
何かの夢を見ていたような気がするが、どうにも思い出せない。ただ残っているのは心に穴があいたような強烈な寂しさと不快感。
潰れてしまいそうな孤独感を拭いきれず、俺はなんとなくマテルを見た。
(マテル、そちらへ行ってもいいか?)
「どうしたの?改まって。気にしないでおいでよ」
恐らくマテルは俺の言っている意味を理解してないのだと思うが、気にしないでと言われた以上は遠慮はしないでおこう。
ということで、俺は構わずマテルの膝の上に乗った。
「うわっ!なになに!?こっちって僕の膝のこと!?」
(そうだ。問題があるか?)
「な、ないけど……」
前足でマテルの服の皺を整えながら蹲る。布越しにマテルの熱が伝わって、冷たかった心臓が温まっていく。
(助かる)
「えっ、あ、うん。どういたしまして……?」
マテルは俺の突然の奇行に困惑しながらも退かすことなく座ったままで居てくれる。
「タマ、毛並みキレイだね」
(我ながら自慢だ)
マテルの手が俺の背中を撫でる。思いの外それが心地良くて、俺はまた少しずつ眠りに落ちていく。
次は夢を見ることはなかった。
「戻りました〜」
「おかえり〜」
(おかえり)
もう一度眠って起きた頃、ちょうどミィリヤが帰ってきた。
「話はまとまった?」
「えぇ。ついでに手続きも進めてきましたよ」
(仕事が早いな)
「まとめてやったほうが手間がないですから」
さて、ここで依頼について補足しようと思う。
元々あの依頼は、学校を通してミィリヤに任された仕事で、依頼主はフェンリ家、つまりルヴェンからだった。内容自体はミィリヤ一人でもこなせるということだったらしいが、そこに俺が加わることになったのは魔術学校への入学のためだ。
魔術学校に入るのも当然無条件というわけにはいかず、試験の突破と学費の納入がいる。前者はミィリヤから対策を取ってもらえるが、後者はそうはいかないので俺も依頼に加わることで報酬を山分けするという話になった。それを足しにして入学の費用をまずは稼いでしまおうということだった。流石にマテルの財布から出すわけにもいかないしな。
「タマさん、翼竜討伐の報酬でお金貰ってなかったんですね」
(そうだな。あのときは必要になると思わなかったから)
「事情を話したら、タマさんにと多めにいただきました。お世話になったお返しだそうです。これならすぐに試験を受けられそうです」
(ルヴェンに感謝しないとな)
額面としては十分な金額がミィリヤから渡される。猫の姿で持っていても仕方ないが、今後ヒトの姿で動くことも増えそうだし最初から貰っておくべきだったと少し後悔した。反省は次回以降活かすこととしよう。
「さて、これで後は試験に備えるだけになりましたね」
(あぁ。また助けられたな)
「いえいえ。それじゃあタマさん」
すっと俺を見るミィリヤの目が細まった。不思議だな。この目をするミィリヤが俺にとっていいことを言った覚えがないんだが。
あぁ、これは嫌なことが起こる流れだな。
「訓練、しましょうか」
ほらやっぱりな。依頼を熟した日くらいは大目に見てもらえないものだろうか。慣れてきて多少マシになってきているとはいえ、変身にかかる魔力も大きいのだが。
「試験で見る実技は魔法だけですが、学校では今回のように学生が受けることのできる仕事が存在します。その仕事は多岐に渡りますが、タマさんに回ってくるものがあるとするならそれは討伐隊に関わることでしょう」
「そのほうが俺にとっても助かるな。分かりやすいことが一番だ」
剣を持っていつも通りに対峙していると、ミィリヤから丁寧な説明が入る。この世界で頭を使う仕事はどうにも出来そうにない。圧倒的な知識不足に悩まされている間は身体を張った仕事をやるほうが確実な上にやりやすい。
「ということで訓練は欠かさずにやりましょうね」
「……はい」
甘えを許さない、それが俺の師匠のやり方だった。我ながら、厳しすぎる師匠を選んでしまったかもしれない……。
「さぁ、打ち込んできてください」
「ふぅ……。いくぞッ!」
短剣を前に構えながら突撃する。ミィリヤはいつも通り先手を譲っているが、これは優しさからではない。単純にミィリヤの戦術と指導内容がカウンターや受け流しを念頭に置いてるからだ。
あくまで前に構えた左手の短剣は守りのため。攻撃は右手の幅広の剣に任せ横から薙ぎ払う。
ミィリヤはそれを剣で受け止め、角度をつけていなす。そこから流れるように剣を振るい、俺の真上から凶刃が迫る。
それを左手に構えた短剣で払うと、次は払われた体勢から足を踏み変えて背中から体当たりが来る。八極拳で言うところの鉄山靠と言うやつだ。これを食らうとまず無事では済まない。そこでミィリヤから教わってきた力の受け流しの使いどころだ。
「よっ……と」
俺はそれを正面から受け止め、ミィリヤの動きに合わせてそっと身体を沿わせる。出来る限り身体が強張らないように力を抜いて、強い衝撃を少しずつ身体から逃していった。
その結果、俺はミィリヤからほんの少し離れたところにふわりと着地する形で収まり、背面を向けたミィリヤに向かって跳ね、続けざまに右手の剣を振り下ろした。
が、それはすかさず背面で受けに回ったミィリヤの剣の腹に止められる。普通はそんなことをすれば折れそうな物だが、剣に込められた膜の影響によって硬度が増してるためヒビすら入ることはない。
「いい動きになってますね」
「なんだか今は調子がいいんだ」
理由は分からないが、今日はやけに身体が言うことを聞くというか、動くのに慣れている感じがする。もちろんヒトの身体である以上は今まで通り動かせていたのだが、今はそれに輪をかけて身体が動く。思い通りにすぐさま動かせる感覚だ。
「動きにしなやかさが増しています。元々猫さんですし、普通の人と比べても身体は柔らかいみたいですね」
足払いから切り上げ。強制的に距離を取るためにバックステップを踏んだところでミィリヤが剣を鞘に収めた。
「今日はここまでにしましょう。お仕事をしたばかりですし」
「分かった。進捗が見えると楽しくなってくるな」
「その調子で私から一本取りましょうね!」
「あはは……。頑張るよ」
無茶言わないでくれ、と言いたいが付き合ってもらってる側から諦めるわけにはいかない。せめてやれるところまではやらなければミィリヤの時間を無駄にしただけになってしまうな。
「そういえば、ミィリヤは魔具を使わないんだな」
さっきの仕事のときもそうだったが、ミィリヤは俺のように剣を魔具に仕舞うことなく腰に提げていた。
「なんとなく、こっちのほうが落ち着くんですよ」
「そうなのか」
「ええ。魔具を使うほうが便利ですけど、この重さが無いと寂しくなっちゃって」
もしかして武士の生まれ変わりとかそんなのかもしれないな、という冗談が喉元まで出かかったが、そもそも武士がいるのか分からないのでやめておいた。
「こだわりがあるっていうのもかっこいいな」
「ふふっ。ありがとうございます」
女の子にかっこいいというのも少し変だが感覚に正直に言うのも大事だと思った。
こうして試験までの間、俺はミィリヤの元で勉強と訓練の両方に明け暮れながら、マテルの店番をして過ごすこととなった。
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