第9話 窮猫竜を噛む
「止まれ」
ルヴェンが鋭いウィスパーボイスを飛ばす。何事かとルヴェンの視線を追うと、そこには一匹の竜が地面に伏せて寛いでいた。
あれが翼竜……。大きさは思っていたより大きい。小さいジェット機かってくらいの大きさはある。全身に鱗が生え、俺の魔法が通るのか怪しく思える。
仲間がいるとはいえ、今からあれと対峙する。そう考えただけで冷や汗が吹き出てくるのを感じた。
「小型と聞いていたが、アレは中型くらいのサイズはあるな……。発見時より成長しているというのか」
やっぱり大きいのか。
「俺たちの手に負えるのか?」
「一度報告を入れたほうが良いかもしれないな。万が一も有り得る」
ルヴェンに問うと、苦い顔をしつつも指針を提示する。短絡的に結果に走らない辺り用心深いようだ。
「あの程度にも怯えているのか?人間は脆弱だな」
「なんだと?」
安全策を取ろうとするルヴェンをガノアルセンが煽る。当然、敵視する魔族に煽られたルヴェンは怒りを覚えたようで、ガノアルセンに食って掛かった。
「やめろ二人共」
「オレは一人でも構わないが?」
「部隊の安全を考えるならば戦いは全員でかかるべきだ!」
「一人では竜も倒せないのか?」
「貴様言わせておけば!」
やめろ、と強く止めに入ろうとした俺の耳に、地鳴りのような呻きが聴こえた。それはあの翼竜から聞こえてきて、そちらを向くとハッキリと竜の目が俺たちを捉えていた。
「マズイ、気づかれた!」
「何ッ!?一時撤退だ!」
ルヴェンの指示の直後、竜の咆哮が耳をつんざく。そして二つの翼が大きく開かれ、砂塵を巻き上げて飛び上がった。
「くっ!私が時間を稼ぐ!君たちは体制を立て直し、退路を築いてくれ!」
「ルヴェン!」
剣と盾を取り出し、ルヴェンが翼竜に突っ込んだ。飛び出してきたルヴェンに気を引かれ、翼竜の目がそちらに向く。
「はぁっ!」
俺たちを最速で追うために低空飛行していた竜をすれ違いざまに斬りつける。剣は足の先端に当たり、硬い鱗ごと切り裂いた。
「グルゥ……」
標的が完全にルヴェンに移る。俺たちは竜の視界を逃れ、草むらへと潜り込む。ルヴェンはわざと俺たちと反対方向に立ち、翼竜を牽制し始めた。火球や風の刃は竜の鱗に弾かれている。ルヴェンの有効打はあの剣による一撃しかなさそうだった。
「ルヴェンさま……!」
ルサンファが今にも飛び出しそうになっている。どうすればいい。全員が無事に撤退するには……。
「ぐっ!」
翼竜の炎にルヴェンが呑まれる。庇った盾が風を展開して防ぐが、それでも何箇所か焼かれ魔力を込めた繊維が黒く焦げる。
「ヒタマさま、わたくしは行きます!」
「あっ、待てルサンファ!」
遂にはルサンファまで飛び出した。ガノアルセンは後ろで見ているだけで当てにならない。何かないのか、俺にできることは。
思考を巡らせても思い浮かばない。時間だけがじりじりと削れ、状況だけが悪くなる。
ルヴェンとルサンファは息のあったコンビネーションで翼竜の攻撃を捌き、切り返しの一撃を加えていくも決定打にはならない。一線で攻撃を受けるルヴェンだけが摩耗していく。
逃げる。そんな選択肢が頭に浮かぶ。俺だけでも逃げて応援を呼べば、あの翼竜は倒せるかもしれない。しかし、それまでにどれだけの時間がかかるか分からない。その間ルヴェンとルサンファは戦い続けることになる。
実質的な犠牲を出すようなものだ。自分のために今必死で戦っている二人を見捨てるのか。初めて肩を並べた仲間を、今も可能性を信じ、犠牲を承知で戦い続ける仲間をたやすく見捨ててしまうのか。
出会ったばかりのよく知りもしない二人。けれど、その二人はその短い間だけでも信頼できる人間だと証明した。力を示し、知恵を示し、今もこうやって自分たちが真っ先に矢面に立って危険と隣り合わせでいる勇気を振り絞っている。俺はそんな二人に何もしないままでいいのか。
「あっ……!」
「ルーザ!」
翼竜の尻尾が地面を叩いて瓦礫を飛ばし、その一つがルサンファの足を払った。そこへ、追撃の薙ぎ払いがすかさず飛んでくる。
助けなければ。そう思う頃にはもう遅く、ルサンファの目前に尻尾が迫る。
「うおおおぉッ!」
その間へ、盾を構えたルヴェンが割り込んだ。真正面から尻尾を受け止め、その勢いを全身に受ける。そんなことをすれば、いくら対衝性を高めた装備でも無事では済まない。
「くっ……ぐはぁッ!」
血を吐いてルヴェンは瞬く間に吹き飛ばされて地面に叩き伏せられた。
「ルヴェンさま!」
遂に崩れた戦線。このままでは、ルサンファもルヴェンも……。
――突如、過る記憶。
事故現場。信号無視の車と轢かれる家族。集っていく野次馬。俺はその光景を見ながら、ただ何もせずに通り過ぎた。
誰かがやる。俺じゃなくていい。関わる必要なんてない。そんな思いだった。
波風を立てない生き方が一番いい。下手に関わって面倒なことなんてしなければいい。親にはそうずっと言い付けられてきた。俺一人では何も変わらない。助けられるなんてこともない。見て見ぬ振りの、事なかれ。
そうだ。昔はそうだった。
だから、今。
「くっ!」
一心不乱に草むらを飛び出して翼竜へ向かって走り出す。落ちていた剣を拾って、無我夢中で握り締めた。
「ヒタマさま!?」
ルサンファが俺の姿を見て驚く。剣なんて持ったこともない魔法使いが前線に飛び出せばそれも当たり前だ。
今の俺にだって、何か強い力があるわけじゃない。奇跡を起こして翼竜を討ち果たせるようになるわけでもない。そんな運はきっとあの猪の時に使ってしまったから。
――だけど。
今動けるのは俺しかいない。俺には猫の勘と反射神経がある。だからやるしかない。
ルヴェンを担いで翼竜から逃げるなんて出来ない。だからといって捨てていくなんて殊更出来ない。他人を守って自分を犠牲に出来るやつなんて滅多にいない。目的の為に主義を折って戦えるやつなんてもっといない。だから、そんなことを当たり前のようにやってのけたルヴェンをここで失っていいはずがない。
無策、無謀。今の俺にはそんな二つの言葉がよく似合う。でも充分過ぎるほど戦える。その勇気も力も、ルヴェンたちが見せてくれたから。
「たあぁ!!」
空中へ飛び上がった翼竜を追って俺も跳ぶ。猫の跳躍力は体高の約五倍から高ければ十倍近くまで。俺達を狙うために低く飛んだ翼竜なら風で勢いを増せば余裕を持って届く。
ガキィン!
宙空で一回転し、勢いよく振り下ろした剣は、硬い鱗に阻まれた。握る手に硬い反動が返ってくる。思わず取り落しそうになったのをもう一度力を込めて握る。
「あんな高い所まで跳ぶなんて……」
ルサンファが呟いている声が聴こえる。猫の耳はそんな人の声だけじゃなく、質量のある物体が空を裂く音さえ拾った。
「ガアァ!」
空中で尻尾が振るわれるのを、紙一重で翻って避ける。身体のしなやかさを利用すれば着地の勢いをいなすことも出来た。
「危険です!離れてください!」
「俺が時間を稼ぐ!その内に早く逃げろ!」
止めようとするルサンファに叫ぶ。翼竜をここに留められるのはどれくらいか分からない。けれどここで諦めたら、俺は地球の時と何も変わらない。
そのまま姿勢を低く、時に手を前足の代わりにしながら地を這うように駆ける。翼竜は刃を振るった俺を警戒して炎を吐き、地を焼く臭いと熱が踏み切ったすぐ後ろの場所を埋め尽くしていった。牽制のための魔法を数発放つが、火球も氷の刃も簡単に弾き飛ばされる。
ルサンファたちへ関心は向いてない。まだまだ時間は稼げそうだが、肝心のルサンファはルヴェンを負って動くのに苦労している。ガノアルセンは様子を見るように息を潜めていた。
「グルゥッ!」
「ぐぁっ!」
火炎で誘き出された位置に尻尾での薙ぎ払いが重なり、俺は遂に一撃をもらう。咄嗟に剣で庇ったが、衝撃は逃しきれず、俺は吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。目の前で星が舞った。一瞬視界から景色が消えて、肺の中の息と血の塊がまとめて全て押し出される。ルヴェンはこんな一撃を何度も受け止めていたのか。
――怖い。
瞬間的に湧き出る恐怖。アドレナリンによる興奮で誤魔化されていたそれが不意に顔を出し、身体を駆け巡って瞬く間に抵抗の意志を削り取ってくる。
「ヒタマさま!」
「はっ……!いいから早く行け!」
ルサンファの声に弾かれて横へ飛び、とどめを刺しに来る巨大な爪からすんでのところで逃れる。後少し地面を寝床にしていたら、今頃は原型を留めていなかっただろう。
恐怖で竦みかけた足を立て直し、叫び声で押し殺してもう一度剣を構える。
(冷静になるな。ただ目の前の敵だけのことを考えろ……!)
もうルサンファたちに気を配っている余裕はない。全力で避けなければ次はもっと早く攻撃を貰ってしまう。
元々魔力が多いわけでもないのに撃ち過ぎてしまったせいで残りはそう多くない。精々あと二回くらい使えれば良い有様だ。
もしそれ以上使えば、俺は首輪から魔力を消費しなければいけないためにヒトの姿を維持出来なくなる。そうしたら正確な変身解除も出来ずどれだけの負荷が掛かるかも分からない。よしんば猫の姿に戻れても、今身に纏っている防具は使えなくなってあっという間に焼き肉の出来上がりだ。
この世界に来てからそんなに時間が経ってるわけじゃない。俺が出来るようになったことなんて、この世界じゃ当たり前のことばかりだ。こんなデカイ奴と戦う力なんてない、いつまでも平凡な俺のまま。
「っ!」
胸の奥に湧いた火種が、ぞわりと肌を逆撫でる。これは、確かな悔しさ。
何も変わっていない?本当に?
――いや、違う。
猫になった。名前も変わった。性別も変わった。なにもかも変わったんだ。この世界で。
高く跳んで翼竜の脳天を叩く。鱗は硬い。俺の技量では切るに至らない。
「跳べ!」
俺の耳に声が届く。強い声に押されて、俺は翼竜を踏み台にして更に高く跳び上がった。
その瞬間、何かが翼竜の翼に激突し、見えない何かが強烈に空間を歪めてその翼をもぎ取った。
「チッ!外したか」
舌打ちと歯噛みをする声。その先には翼竜に向かって腕を突き出したガノアルセンがいた。
今のは魔法……?この硬い翼をもぎ取れる程の力がアイツにはあったのか。
翼竜は片翼を失って墜落していく。もう翼竜は飛べない。もぎ取られた翼から流れる血を見るに長くも保たない。これなら――
「まだ死んでない!」
ガノアルセンの言葉でハッとする。翼竜は俺を真っ直ぐに捉え、落下しながらも一矢報いる為に口を開いていた。赤熱した喉奥がハッキリと見える。
ゴウッと激しい炎が吐き出された。それは俺を真芯に捉えて飲み込もうと吹き上がる。中空で出来る動きでは回避しきれない。純度百パーセントの死が眼前に迫った。
「まだだぁぁあああ!」
俺は、諦めない。
なけなしの魔力で風を操り身体をずらす。赤い熱の海が外套の端を焼いた。
とどめを刺さなければ、死ぬまでの間にまた炎を吐く。俺たちが無事だとしても、周囲の木々が激しく火事を起こすのは間違いない。
――今、ここで討たなければ。
俺は重力に身を任せ、翼竜を目指して落下していく。
狙うのは眉間。生き物の多くが急所であるその場所のみ。振るう剣は弱くとも、切り裂く力はなくとも、俺にはまだ武器がある。
イメージは猪突。重力と俺と剣の全ての重さと勢いを乗せた、放てる全ての魔力を使った最大の一撃。
「くらええぇえええ!!!」
地に叩きつけられる翼竜のその直後。俺を睨む双眸のド真ん中に、思い切り剣を突き立てた。堆積した重さが空を割って竜を地面へ押し込む。押し出された空気が周囲の木々を音を立てて揺らした。
眉間のど真ん中を、鱗を突き破り、皮を裂き、肉を貫く。そして深く深く刺さったところで剣が根本から折れた。
「グギャアアアアア!!!」
竜の悲鳴を聞くのは初めてだ。
俺は竜から飛び降りて地面に降り立つ。翼竜は折れた剣を抜けずに藻掻き、やがて土埃を上げて倒れ伏した。
俺たちの勝利だ。
「はぁ……はぁ……」
忘れていた呼吸を数度繰り返すと、握っていた剣を落としてしまった。見ると、血に染まった手は笑えるくらい震えていた。何度も肺が空を掻き回し、手足の感覚が戻ってきたところで、やっと身を通う血潮の実感が湧いてくる。生と死の瀬戸際をなんとか乗り越えた瞬間だった。
変わるんだ、ここから。俺はもう、昔のなにもない俺じゃない。
以前の俺は死んだ。今ここにいるのは、俺という記憶を持った別人だ。この第二の生は自由だ。
「やっ……た……」
――生まれ変わったんだ。
天空へと突き上げた拳は、弱々しくもちゃんと握られていた。
「君!」
呼吸を整えているところに声を掛けられた。どうやら介抱されたルヴェンが目を覚まして戻ってきたらしい。
「これは……君がやったのか?」
「俺だけじゃない。ガノアルセンもだ」
「……」
というか俺はとどめを刺しただけだ。殆どガノアルセンがやったようなもの。当の本人は、関わりたくないと言いたげに腕を組んで遠くからこちらを伺っていたが。
「勝手に借りた剣を折ってしまった。すまない」
見事に折れてしまった剣の柄を差し出すと、ルヴェンはフッと短く息を吐いて笑った。
「あくまで剣は道具。目的を果たして任を終えるのならそれ以上の成果はなかろう」
剣を受け取って仕舞い込むルヴェン。魔族が絡まなければ良くできた人柄だと思う。普通は文句の一つでも言いそうなものだが。
「情けないところを見せてしまった。次の機会があれば挽回させてほしい」
と言ってグローブを外し、右手を差し出すルヴェン。礼を尽くす所作は地球ととても似ていた。
「あぁ。そのときはよろしくしてくれ」
その右手を握り、固く握手を交わす。体格の良いルヴェンの手はとても大きく、俺の手が子供のそれに見えた。まぁ身体の大きさは子供サイズに間違いはないが。
「わたくしからも感謝を。貴方がたが居なければ全滅しておりました。ありがとうございます」
胸に手を当てて膝を折るさまはなかなか堂に入っていて、ルサンファもまた出自の良さを感じる。
「感謝はガノアルセンにしてやってくれ。俺は本当に何もしていないんだ」
「えぇ。わたくしはお二人に申し上げております」
ルサンファは人間至上主義というわけではないようだ。ガノアルセンにも膝を折って会釈をしていた。
「やったのだな……私たちは」
「あぁ」
倒れ伏す翼竜を見る。本当に俺たちはこの脅威を乗り切ったのだ。思わず目元が熱くなって俯いてしまった。
「ともあれ、あとはこの翼竜を報告して終了だ。それはこちらでやっておこう。報酬の希望はあるだろうか」
討伐隊にはそれに応じた報酬がある。三人は学校を通じて渡されるだろうが、俺には所属がない。その打ち合わせをしなければならなかった。
「金銭は必要ない。その分だけこの翼竜の一部を分けてもらいたい。角や尻尾、翼もあると助かるな」
どこかしらの素材は、もしかしたらマテルが使うかも知れないので貰っていきたい。ゲームならばこの手の物を色んな道具に加工したりして使うしな。見当違いなら恥ずかしいが。使わないなら使わないでまぁ食べるなり飾るなりしてしまうのも面白いだろう。
「承知した。後日君の家に送るよう使いを出す。住所を聞いておこうか」
「あぁ」
俺は自分の住所としてマテルの店の場所を伝えた。
「商店が立ち並ぶ区域だな。君は商人の子供なのか?」
「居候の身だ。今使っている道具はそこで作られたものを使っている」
よし、都合の良い流れだ。今の内に売り込んでおこう。本題を忘れかけていたが、俺の仕事の最終目標は客を増やすことだ。
「ほう……。市販の物とは少し違う規格だと気にはなっていたがそういうことなら納得だ」
「贔屓にしてやってほしい。品質の割に売上が芳しく無いんだ」
ルヴェンが名家の出身ならコネクションは大事だ。良客を逃がす手はない。
「質の良い道具屋は中央都市広しと言えど、まだそう多くはない。いずれ伺おう」
「助かる」
「女物はありまして?」
「もちろんだ。ルサンファもよろしく頼む」
後はマテルの扱う道具がお気に召すかどうかだ。やるべきことはやった。ガノアルセンには売り込んでも反応が薄そうだし。
それから俺たちは森を抜け、再び移動魔法で中央都市へ戻った。翼竜はルヴェンとルサンファによって凍らされて当分溶けないようになっているから対処済みだ。
「世話になった。今度は客として出迎えさせてくれ」
「私のほうこそ。より研鑽に努めるとしよう」
「お元気で。お店には近々遊びに行かせて頂きますわ」
「……」
西の門下で挨拶を交わして分かれる。ガノアルセンは最後まで愛想無く俺を睨んでいたが、ルヴェンとルサンファは最初の印象より人となりの良い二人だった。
朗報を手に入れたことだし、マテルに早く報告しに行こう。
夕焼けが照らす中、俺は真っ直ぐにマテルの待つ家へと足を踏み出した。
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