第6話 商人と猫

 乾いた木の折れる音がする。パチパチと弾ける音もする。これは……火だろうか。

 ゆっくりと目を開けると、側にある暖炉で薪が炎を湛えていた。その揺らぎを見つめていると、夢見心地な気分がじわりじわりと現実味を増し、それでいて気持ちが軽くなっていく。

 「目が覚めたかな?」

 声の方を向くと同時に毛布がかけられていたことに気付いた。

 (お前は……カバンの)

 「君、喋れるのかい!?」

 (俺の言葉が伝わっているのか?)

 「凄い!魔法痕から明らかに只者じゃないと思っていたけど、話が出来るなんて。君はもしかして源生物なのかい?」

 (……そうだな。タマと言う)

 厳密には違うと思うが、いちいち話をややこしくする必要もない。源生物という都合のいい物があるなら利用させてもらおう。

 「僕はキテロマテル。僕のカバンを取り戻してくれたのはタマ、君だよね?ありがとう」

 青年――キテロマテルは頭を下げた。

 我ながらあの状況で俺がやったとは思えないのだが、キテロマテルは殆ど断定していたようだ。

 (危うく返り討ちになりそうになったがな。かばんが無事なようでよかったよ)

 「優しいね君は。この街で何をしてたの?」

 (今日来たばかりでな。目的もなく歩いていたんだ)

 「へぇ〜……。じゃあ、行く宛はないの?」

 (そうなるな)

 「だったら、助けてもらったお礼にウチでゆっくりしていってよ」

 (ここか?ありがたい話だが……キテロマテルは普段何をしてるんだ?)

 家があるということは、中央都市に住んでいるのだろうが、戦闘ができるようには見えない。

 「マテルでいいよ、呼びにくいだろう?僕はこの街で商人になるんだ。出身は北の村。中央都市で自分の店を持つのが夢だったんだ!」

 マテルは嬉しそうに語る。北の村や中央都市という名前からするに、この世界では場所に対して名前を付けることが無いようだ。

 それにしても夢か。俺にもあったような気がしたが、今となっては随分昔の話のように思える。自らが夢を持ってなくても、夢を持ってそれを追おうとしている人を見るのは元気が出るな。

 (そうか。なら、世話になる代わりに俺も手を貸そう)

 「いいの!?やったー!だったら、今日から僕らは仲間だ!」

 マテルは表情が豊かで、反応も大きい。友人としては嬉しいが、商人として上手くやれるか不安なところはある。

 (店を出す準備はどれくらい整っているんだ?)

 「もう殆ど終わってるんだ。仕入れは実家からの持ち込みと随時発送があるし、許可証は取ってあるしね」

 (何を売るんだ?)

 「服とか、装飾品とか。僕の故郷は厳しい気候を乗り切るために服飾系の技術を磨いてきたからね」

 マテルは喋りながらいくつかの商売道具を取り出す。ネックレスや指輪、ストールのようなものまで大小様々だ。こういった所も地球に似たものが多いな。文化形態が余程近いのだろう。

 (面白いな。これら全部に何かしらの魔法が組み込まれてるのか)

 「そうだね。こっちは魔物や動物除け、これは治癒促進」

 ブレスレットやネックレスを取り出して説明するマテル。その表情は明るく楽しげで、見ているこっちも自然と心が躍り出して来るものだ。

 (マテルは本当にそういうのが好きなんだな)

 「そりゃあね!小さい頃からずっと見てきたから!」

 (作る方にはならなかったのか?)

 技術を積み上げてきた村なら、そういう道もあったはずだ。俺の質問にマテルは苦く笑った。

 「僕、不器用でさ。代わりにできることって、これくらいしかないと思ったから」

 (そうだったのか。それは……)

 悪いことを訊いた、と言いかけて留まる。それを言ってしまうのは、マテルのやろうとしていることを笑っているように思えてならなかった。

 「ん?」

 (良い試みだな。俺にも何か出来ることは無いか?)

 「ありがとう。タマには店の軒先に居てほしいんだ。タマは小さくて可愛いし、客引きになると思う」

 訊いておいてなんだが、まぁそうなるよな。

 この姿じゃ殆ど役に立たないだろうし、招き猫くらいが関の山だ。

 (そうだ、マテル。人間に変身出来るような道具ってないのか?)

 「え?似たような道具ならあるよ。これ」

 そう言ってマテルは首輪のような物を取り出す。というか殆どそのまま首輪だ。サイズ的には猫より大型犬に使うもののようにも見える。

 「動物の姿を一時的にヒトに寄せる道具なんだ。これを飼ってる動物に着けて魔法を起動すれば、動物の身体をヒトに近い形に変化させてくれる」

 理想的だ。そういうアイテムがあるならヒトのように生活することもできるじゃないか。

 (それは俺にも使えるのか?)

 「タマは魔法が使えるんだよね?だったら使えると思うけど、あまりオススメはしないかな」

 だが、マテルの返事は思いの外芳しくなかった。

 (どうしてだ?)

 「元々、魔力やお金を持て余した人の道楽のために作られた試作品なんだ。自分が飼育している動物の姿をヒトに変えて遊んだりするような、ね。だからヒトの姿になっても元の特徴は残る。そうなれば家畜だと思われて、ヒトとしては扱ってもらえない。それに言葉――はなんとかなるかもしれないけど、まだ体系化されてない技術だから、何よりも身体への負荷が大きいんだ」

 (負荷?)

 「うん。物質の変化量が多いからね。必要な魔力を充填するか、都度消費して使うんだけど、最低限一日の変身だけに必要な量が平均的な人間の丸一日分。維持にだって魔力を少しずつ使うし、そんなに使っちゃったら日常生活で魔法が使えなくなっちゃうよ」

 メリットに対してデメリットが大きいということのようだ。確かに聞く限りのデメリットは大きい。

 (なら、日を分けて充填すればいいんじゃないか?)

 「その方法が一番いいかな。けど、問題はそれだけじゃないんだ」

 (まだあるのか)

 「負担が大きいって言っただろ?それはただ必要な魔力が多いってだけじゃなくて、身体が変わることで脳に負担がかかるんだ。それだけ処理が変わってくるからね。動物を変化させても、その負荷や変化に耐えきれなくて死んじゃった例もある」

 (それは……エグいな)

 まさか死亡例があるとは。しかし、諦めてしまうのもなんとも勿体ない気がするな。

 (実際のところ、俺がこれを使って死ぬ可能性はどのくらいだと思う?)

 「う〜ん……。タマは多分魔法に耐性があるから、死ぬことはないと思う。ただ、相性が悪ければ体調は悪くなるかも」

 (そうか……。物は試しと言うし、使ってみてもいいか?)

 「ホントにやるの?」

 (あぁ。ヒトの姿になれるなら、それ以上に都合のいいことはないしな)

 「うぅん……分かったよ。けど、今日は中に魔力が殆ど入ってないし、それを使い切るまでって約束して。自分の魔力は使っちゃダメ」

 (勝手が分からないが、善処しよう)

 「着けてみればなんとなく分かると思うよ」

 俺の手元に首輪がやって来る。よく見ると、勇者が持っていたような四角いパーツが埋め込まれていた。それには不規則に見える図形の並びが細かく刻まれていて、幾何学模様を現していた。

 「起動はその陣石に触れればいいよ」

 この四角いのは陣石というのか。早速やってみよう。

 死ぬことはない、その言葉を信じて俺は陣石に触れた。

 陣石から身体に向かって、何かが流れ込んでいくのが分かる。それは触れた手から全身に少しずつ広がっていき、熱を与えながら馴染んでいき、やがて俺の身体が光りだした。

 「絶対に離しちゃ駄目だからね」

 (あぁ)

 光は眩く視界を埋め、その眩しさに俺は目を瞑る。そしてその光が収まった頃、ゆっくりと目を開けた。

 「なっ、なっ……」

 机を挟んで眼の前には顔を赤くしたマテルが居た。視界が高い。もしかして、本当にヒトになったのか?

 それにしても、マテルは真っ赤な顔のまま何かオドオドとしている。視線が落ち着きなく動き回り、手もなんだか隠そうとしているのか物を手に取ろうとしているのかハッキリしないまま右へ左へと動き回っている。

 今気付いたが、妙に風通しがいい。そうか、毛がないから寒いのか。ということは今は裸だろうか。

 視線を下げると目に入ってきたのは平らな胸。まぁよく見ると膨らみがないわけでもなさそうだが。その下は更にまっさらな平地。そうだ、俺の身体はメスだったな。そのままヒトに近くなるなら性別は女性になるな。だからもちろん慣れ親しんだ物はない。何となく予想していた通りである。

 「タマ……っ!?メスだったの!?」

 そうか、それでマテルの様子がおかしいのか。

 「んっ、んんっ!あ、あ〜。そうだぞ」

 おぉ、声も出る。我ながら鈴の鳴るような声というか、可愛らしい声だ。いいじゃないか。言葉もしっかり話せるようだし。

 「早く言ってよ!と、とにかく!え〜っと、タマが着れそうな服は……これ!これ着て!被るだけで着れるから!」

 と目を逸らしたマテルからずいっと服を押し付けられた。このままでは青少年の教育に悪い。お言葉に甘えて早く着替えることにしよう。言われた通りに受け取った服を被る。裾の広いワンピースのような服で、確かに被るだけで着れた。女性物は着るのが難しいと聞いていたが、これも魔法が織り込んであるのか着た瞬間に俺の体型に合わせて布地が自動的に調整された。

 「すまない。目に毒だったな」

 「いやっ!毒とか、そういうのじゃないけど……その……」

 ゴニョゴニョと口籠っている。俺も元男だ。何となく言わんとすることは分かる。

 「それ以上はいい。配慮が足りなかったのは俺の方だ」

 「う、うん……けど、その、可愛いと、思うよ……」

 そうなのか。俺の容姿はマテルから見て上々なのか。

 「確認できる物は無いか?姿見とか」

 「それなら隣の部屋にあるから見てくるといいよ」

 「恩に着る」

 さぁて、どんな姿になってるのかが楽しみだ。

 

 こちらの姿見も向こうで言う鏡と同じだ。この形が合理的だと言うことなんだろう。その前に立って覗くと、俺は思わずほぅ、と溜め息を吐いた。

 猫のときと同じように、髪の毛や目は真っ黒で、吸い込まれそうな色をしている。この世界では鮮やかな髪色も多いことを踏まえると、俺の髪や目は逆に目立ちそうだ。

 背格好は中学生くらいで、高めに見積もっても高校入りたてがやっとだ。つまり全体的に見て小さい。目鼻立ちは良く、キリッとした吊り気味の猫目と艶のあるショートの髪は強気な雰囲気を持つ。百点満点だ。

 それだけでも人目は引きそうだが、極めつけは頭に生えた猫の耳と腰から垂れ下がっているふさふさの尻尾。試しに人間で言う所の耳の部分に触れてみたが何もなかった。機能は全て頭の方に集約されているらしい。

 この二つはきちんと俺の意思で動かすことが出来、魔法も尻尾から出せるし、聴力も良いままだった。元の特徴は残ると言っていたのはこういう部分も含めて言っていたようだ。そのせいでマテルの独り言も何となく聴こえてきたが、本人の尊厳のためにも無かったことにしておこう。

 この姿で外へ出るならまずはこの耳と尻尾、ついでに首に収まっている変身の首輪を隠す物が必要だろう。耳は帽子を被るとして、尻尾はどうするか。ズボンは間違いなく駄目だろうから、スカートにして誤魔化すか。なんか特殊な嗜好の持ち主になった気分だな。マテルに相談してみよう。

 

 「マテル」

 「うひゃっ!な、なに?確認は済んだ?」

 声を掛けると変な声を上げて飛び上がった。もうちょっと落ち着いてるときに声をかけるべきだっただろうか。派手すぎて心音すら聞こえるぞ。

 「あぁ。おかげさまでな。それで相談なんだが、耳を隠したい。丁度いい帽子は無いだろうか」

 「帽子、帽子ね。こういうのはどうかな?」

 マテルが取り出したのはハンチング帽。なかなかカジュアルで良いセンスをしている。流石は服飾系の出と言える。俺には少しサイズが大きいが、それが寧ろ耳を圧迫せずに隠せて丁度いい。

 「どうだ、似合うか?」

 「うん。とっても素敵だよ」

 「ふふっ、そうか。何から何まで世話になるな」

 俺の感謝に、マテルは照れくさそうに笑って答えた。

 「そんなことないよ。タマは僕の恩人だからね」

 「俺は猫だけどな」

 「猫ってもっと大きかったような……」

 この世界の猫、どんだけデカイんだ。

 「前もそう言われたよ」

 「前に会った人も居たんだ」

 「あぁ」

 そう言って左腕に巻かれたハンカチに視線を落とす。ミィリヤに渡されたハンカチは人の姿になるのと同時に首から腕へと移動していた。そのまま巻かれたままなら多分首が締まってお陀仏だっただろうな。

 「その人たちにも、マテルにも、たくさん恩がある。今はまだ力不足だが、いずれはきちんとみんなに返そうと思う」

 「ゆっくりでいいんじゃないかな。僕は君に恩がある側なのにこうして手伝ってもらうし、その人たちも、きっと返してほしくて親切にしたわけじゃないと思うんだ」

 「……そうだな。ありがとう、マテル」

 こちらの世界についてもまだまだ分からないことだらけだ。だが、それも一つ一つ確かめていけばいい。まだまだこちらでの生活は始まったばかりだ。

 「これからよろしく頼む」

 「こちらこそ、よろしく」

 そしてまた、新しい仲間が出来た。

 俺の第二の生は、これからだ。

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