その十九

 *



 翌朝。

 ロンドはダグラムに大目玉をくらった。あれほど派手に魔法合戦をくりひろげたので、結界のなかのこととはいえ、察知されてしまったのだ。


「あなたときたら、なんて軽はずみなんですか! 先人たたがやっとのことで封印した邪悪な黒魔術師を解放するだなんて……ああ、もう頭痛がしますよ」

「はあ、やっぱり、わたくし、お咎めを受けるのでしょうねぇ?」

「それは伯爵がお決めになります」


 ピシャリと言われる。


「とにかく、お達しがあるまで、あなたは自室で謹慎していなさい」

「はぁい……」


 ふわふわした足どりで歩いていると、ジュールが追ってきた。

 ジュールはゆがんだ空間のなかに閉じこめられていたため、ネズミの死骸にまじって倒れていたが、無傷だった。


「どうも、やつは最初から、おまえの体をのっとるつもりだったようだ。ずっとネズミのままでいるわけにもいかない。魔法使いの体が欲しかったんだろう。おれでは不満と見えて、おかげで、おれは難をのがれたが……」


 魔術師としての才能は、百パーセント、生まれもつ肉体によって決まってしまう。黒魔術師は器として、セイレーンの声を持つロンドの体が欲しかったのだろう。それで、ロンドをだまして魂だけ飛ばし、からになった肉体に入りこもうとした。


(あのとき、過去の時間で、たしかに私は事実を変えた。オスカーは毒を飲まなかった。なのに帰ってきたこの時間では、やはり彼は死んでいる。もし、過去が変わっていれば、私の髪も白くなっていないはずだ。過去の私が毒を飲んでなければ、こうはなっていない)


 では、あれは夢だったのだろうか?

 オスカーに死んでほしくないという自分の願望が見せた。


 その答えがわかったのは、謹慎のつれづれに魔術書を読んでいたときだ。時間理論の本だ。


 同一の瞬間における、あらゆる可能性は、無限にある平行世界として同等の重さで存在する。それらの同一の一瞬は、らせん状に進む時の流れのなかで、一本につながっているのだと。はるかに遠い過去と未来として。


 つまり、無限の並行世界とは、別の形で進むかもしれない未来の姿なのだ。


 あのとき、ロンドが翔んだのは、過去ではなく未来だった。今のロンドがいるこの星が死んで、生まれ変わったとき、今とは少し違う形で生きることになる。その未来の自分たち……。


 ロンドはそう信じた。


(遠い未来でふたたび出会って、そのときは君と幸せになろう)


 つながれた手を誰にもほどかれることなく。


 ロンドの物思いを、ワレスがさます。

 謹慎中のロンドのもとへ、彼がやってきたのは、陰気な司書室に閉じこめられてから四日めのこと。


「伯爵閣下のお言葉だ。ロンド」


 城主コーマ伯爵への報告は、ワレスが代表でしてくれた。彼はこれまでにも何度もそういうことがあってなれているし、魔法使いは人前には出ないものだ。


「はい。なんでしょう?」

「おまえの働きで、近来、砦を悩ましていたネズミをいっせい駆除することができた。よって、おまえには下三位げさんいをあたえられる」

「はあ……」


 ロンドは本を置いて、ワレスの次の言葉を待った。きっと処罰のお達しがあるはずだ。だが、ワレスはいつまでたっても言いださない。


「それだけですか?」

「魔法使いというのは昇級しにくいものらしいじゃないか。充分だろう?」

「いえ、そうではなく、わたくし、砦をクビになるかと思っていたのですが」


 いたずらっぽく、ワレスは笑う。


「どうして? 知能と攻撃性を増す新種の病気に侵されていたネズミを、おれとおまえで退治したんだ。ネズミの死骸を調べたジュールだって、そう証言している。ネズミの死骸には見たこともない寄生虫が存在していたと」

「ワレスさん……」


 ふふ、と、ワレスは微笑した。


「感謝してくれよ」

「はい」

「もっとも、おまえの歌のおかげで命びろいしたのだから、おたがいさまか。おれの剣の力だけでは、いずれ力つきていた」


 ワレスのこの上なく端正なおもてに浮かぶ、あざといくらいふてぶてしい笑みを見て、ロンドはなんで彼に惹かれるのかわかった。

 それは過去の自分がなりたかった、だからだ。真に強靭きょうじんで、しなやかな心を持ち、決して折れることない。


「あーあ、わたくしも、ワレスさまぐらい図太くなりたいわぁ」

「きさま……この恩知らず」

「褒めてるんですよぉ」


 ワレスは文句を言いかけてから、思いなおしたようすで苦笑する。


「わかった。きさまがその気なら、この件は貸しだ。いずれ返して貰うからな」

「あ、しまった。やぶへび、やぶへび」


 ロンドがあわあわしていると、それを見るワレスの目が、急に物悲しい色をおびる。この世のすべてを見透かしてしまうような、青い瞳。


「ロンド。おまえ、ほんとは……」

「はいー?」

「……いや、いい」


 ワレスの言いたいことはわかる気がした。

 ワレスは、こう言いたいのだ。おまえ、ほんとは正気なんだろう、と。

 全部、思いだしたのに、忘れてしまったふりをして、変な自分を演じて、つらかった記憶をなぐさめようとしている。


「でも、わたくし、今の自分もけっこう気に入っているんですよ」


 ワレスはため息をついた。


「まあな。見飽きることはない。ただし、むやみに抱きつくな。おまえに精気を吸われると、氷づめの人形にされた気分になる」

「ええェ……? それが楽しみですのに」

「おまえ、さては、わざとおれを困らせて遊んでたのか?」

「へへへ。バレました?」


 こんなふうに明るい気分はひさしぶり。

 いつか、きっと会えるから、今はもう悲しくない。

 いつか、きっと、君に……。




 セイレーン姫の恋 完

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